第38話:信頼の深化
凍える洞窟の奥深く、巨大な氷の広間では、死闘が続いていた。
圧倒的な体躯と冷気、そしてエーテル結晶の鎧に守られた雪獣は、レオたちにとって、これまで経験したことのない強敵だった。
「ぐっ……!
魔力が……もう限界だわ!」
セレーネが、顔を蒼白にさせながら呻いた。彼女の杖から放たれる魔法は、雪獣の絶対零度の冷気によって威力を半減させられ、魔力の消耗は激しかった。残された魔力は、もはや蛍の光ほどしかない。
エリックも、全身に切り傷や打撲を負い、肩で大きく息をしていた。彼の剣は、雪獣の素早い動きと硬い体表に阻まれ、決定打を与えられない。
「くそ……! 全然、刃が通らねぇ!」
エリックの体は、限界を超えていた。凍てつく寒さが体力を奪い、筋肉の動きを鈍らせる。
その間も、雪獣は容赦なく彼らに襲いかかった。巨大な前足が振り下ろされ、氷の爪が空気を引き裂く。
「させるか!」
レオが叫び、仲間たちを庇うように、雪獣と自分の間に割って入った。彼は、剣を盾のように構え、雪獣の猛攻を一身に受け止める。
ゴォッ!
鈍い音と共に、レオの体が大きく吹き飛ばされた。
背中から氷壁に叩きつけられ、全身に激痛が走る。肺から空気が絞り出され、一瞬、意識が遠のきかけた。
しかし、彼の瞳には、仲間を守るという強い意志の光が宿っていた。
「レオ!?」
セレーネとエリックが、悲鳴にも似た声を上げる。
「だ、大丈夫だ……
まだ、動ける!」
レオは、震える手で剣を握り直し、ゆっくりと立ち上がった。その体には、雪獣の爪による深い傷が刻まれ、冷気によって凍え始めている。
「『ヒール!
レオ、エリック、セレーネ!』」
アルスが、叫ぶように回復魔法を連発する。彼の掌から放たれる温かい光が、彼らの傷を癒し、凍える体を内側から温めていく。
アルスの魔力もまた、急速に消耗していた。
しかし、彼は、冷静さを保ち続けていた。
あのウッドランドでの違和感以来、アルスは魔族の生態、特にエーテルの流れについて密かに研究を続けていた。
そして、この雪獣と戦う中で、彼の観察眼は、ある真実に辿り着いていた。
「セレーネ!
雪獣の体表にあるエーテル結晶に、注意を集中してくれ!」
アルスが、切迫した声で指示を出す。
「エーテル結晶……?」
セレーネは、残された僅かな魔力と意識を集中させ、雪獣の白い毛皮の所々に輝く青白い結晶へと視線を凝らした。
それは、ただの硬い鎧ではない。雪獣がその圧倒的な冷気と力を生み出す源、つまり「魔力の核」となっている部分だと、アルスは推測していた。
「そうだ! その結晶だ!
雪獣は、その結晶を通して外界のエーテルを吸収し、自身の力に変えている!
それを……
その流れを、一時的にでも乱せれば!」
アルスの声には、確信が込められていた。彼の脳裏には、古い文献で読んだ、エーテル結晶を持つ魔族の弱点に関する記述が閃いた。
「エーテルの流れを……
乱す……?」
セレーネは、かすかに頷いた。
魔力は、流れだ。それを乱す、つまり「暴走させる」ことができれば、内部から雪獣を破壊できるかもしれない。
しかし、それは非常に高度な技術を要し、魔術師自身の魔力も暴走しかねない危険な賭けだった。
「セレーネ! お前ならできる!
全ての魔力をそこに集中しろ!」
レオが、雪獣の注意を引きつけるため、再び剣を構え、その巨体へと向かって突進した。彼の体は傷だらけで、足元は雪と氷に阻まれる。それでも、彼の目はまっすぐに雪獣を捉えていた。
グォォォッ!
雪獣が、レオの突進を止めようと、再び絶対零度の吹雪を吐き出す。
レオは、その吹雪を紙一重でかわし、雪獣の足元へと潜り込んだ。
彼の目的は、セレーネが最後の魔法を放つための、わずかな時間稼ぎだった。
「うおおおおおおっ!」
レオは、全身の力を剣に込め、雪獣の脚に斬りかかる。エーテル結晶に守られた体表に、剣は深く食い込まない。しかし、彼の攻撃は雪獣の注意を確実に引きつけた。
「『フレア・バースト!』」
セレーネが、最後の力を振り絞り、叫んだ。
彼女の杖の先端に、紅蓮の炎が渦を巻き、瞬く間に巨大な火球へと姿を変える。
それは、これまでに放ったどの魔法よりも、熱く、そして凝縮された魔力の塊だった。
アルスの指示を信じ、セレーネは火球を雪獣の体表を覆うエーテル結晶へと狙いを定める。
通常であれば、炎と氷は相殺し合う。
しかし、セレーネは、エーテル結晶の「流れ」を乱すイメージで、その魔力を放った。
火球が、雪獣の体表に輝く青白い結晶に直撃した。
ドォォォォンッ!
激しい爆発音と共に、雪獣の巨体が大きく震えた。その体表を覆っていたエーテル結晶が、まるで内部から破裂したかのように、青白い光を放ちながら砕け散っていく。
結晶が砕けるのと同時に、雪獣の体が瞬時に凍りつき、巨大な氷の彫像と化した。
グォォオオ……!
雪獣は、断末魔の咆哮を上げた後、轟音と共に氷の広間に倒れ込んだ。その巨体は、やがて粉々に砕け散り、跡形もなく消え去った。
広間には、深い静寂が戻った。
レオたちは、その場に崩れ落ち、荒い息を繰り返した。全身が痛みに悲鳴を上げ、魔力も体力も底を尽きていた。
「……やった、のか……?」
レオが、震える声で呟いた。
「ええ……
なんとか、ね」
セレーネが、力なく頷いた。彼女は、杖を支えにしてようやく体を起こした。
エリックも、傷だらけの体を引きずるようにして、レオとセレーネの元へと歩み寄る。
「まさか、こんな化け物がいたとはな……」
アルスが、最後の回復魔法を彼らにかけながら、静かに言った。彼の冷静な判断と、エーテルに関する深い知識が、この絶望的な状況を打破する鍵となったのだ。
この死闘を乗り越えたことで、彼らの間の信頼と絆は、比類なきものへと深化していた。レオは、仲間がいたからこそ、自分は最後まで諦めずに戦い抜けたことを実感した。セレーネは、アルスの的確な指示と、レオとエリックが命を賭して道を切り開いてくれたからこそ、最後の魔法を放てたのだと知った。
エリックは、互いを信じ、支え合うことの重要性を改めて痛感した。そして、アルスは、彼らの純粋な勇気と、絆の強さが、自分の知識を真の力へと昇華させることを悟った。
彼らは互いの存在が、自分たちの力以上のものを引き出すことを実感した。
「みんな、本当にありがとう……。
俺一人じゃ、絶対に無理だった」
レオが、心からの感謝を込めて言った。
「何を言ってるのよ、レオ。
私たちも、あなたがいなければ、とっくに諦めていたわ」
セレーネが、優しく微笑んだ。
彼らは、傷だらけの体を互いに支え合いながら、深い信頼の眼差しを交わした。
彼らが乗り越えたのは、ほんの序章に過ぎない。
この山に隠された、さらなる深き謎が、彼らを待ち受けている。




