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風立つ季節に君咲え  作者: 森陰 五十鈴
一の季 散桜
10/14

十、頭首詰問

 だらしなく茶を啜っている煌利(こうり)に付き合って、狐面をずらしつつ緑茶を啜っていた志炯(しけい)が、突然弾かれたように立ち上がった。乱暴に湯呑を畳に置き、床に置いた刀の柄を掴み取り、片手で素早く面を直した後、抜刀の体勢を取る。

 時を同じくして、朱門の詰所の廊下が騒がしくなった。足音が複数。規則正しくも急いたものと、慌ただしく乱れた足音。

 ただならぬ様子に煌利は眉を顰めたが、気を張り詰めさせる志炯とは違い、当人は身構えることなくその招かねざる客の到来を待った。


「失礼する」


 勢い良く左右の障子が開けられる。入ってきたのは、背の高い芥子袴の男――緋坦(ひたん)だった。

 緋坦は障子を開けた体勢のまま、寛いだ格好のままの煌利を見下ろす。その眼差しは真剣そのもの。真面目な気性が窺えるのと同時に、融通の利かなさ加減も読み取れる。


「これは、緋坦殿。如何なる御用で?」


 内心で面倒だと思いつつ、余裕を装って煌利は尋ねる。緋坦は不快や苛立ちを示すことなく、ただ愚直に口を開いた。


「朱門の真意をお尋ねしたい」


 その問いを投げられる心当たりのない煌利は、黙って続きを促す。


「先程、我々黄門(おうもん)は、日規(ひのり)の命を受け、とある宿に赴いていた。大妖が出たというので、確かめにな。そこに、そちらの燈架(とうか)君が現れた」


 そこまでで煌利はおおよそのことを察した。燈架が颯季を迎えに行くことになっているのは把握している。颯季が妖に襲われやすい体質なのも承知しているから、その絡みだろうことは容易に推測できた。

 ……と思ったが。


「彼は何故か、妖を庇うような行動に出た。少年一人を拐った妖を、だ」


 煌利は思わず身を乗り出した。抜刀姿勢のままの志炯と顔を見合わせる。訳が解らぬ、と首を振る志炯に、煌利も困り果てた。煌利とて、訳が解らない。


「この理由、貴殿なら説明がつくのでは?」


 そんな煌利たちを前にしても緋坦は厳しく目を光らせる。嘘偽りは許さない、と視線が訴えかけてきた。元より実直な男、正義感に満ち満ちていて、曲がったことは大嫌い、というのがこの緋坦だ。

 それ故に、とことん面倒臭いのだが。


「説明も何も、私自身が今その話を聞いて驚いているところですよ。しかし、あれは私の再従弟。生まれたときより妖祓いとしての生を歩んできた。此度のことは、なにかの間違いでは?」

「だが、彼はこちらに刀まで向けてきた」


 何をしているのか、と密かに燈架に毒吐く。緋坦がわざわざ乗り込んで来るわけだ。煌利は顔が引き攣りそうになるのを抑えながら、ようやく立ち上がる。


「おそらく拐われたというその少年、最近燈架が可愛がっていた者でしょう。突然の事態に、気が動転したのかもしれません」


 適当な言葉を並べつつ、これは有り得るな、と煌利は思う。同じ妖祓いの一門が居ると知って、積極的に問題を起こす燈架ではない。幼少期を共に過ごしているだけあって気質は似ているが、燈架は煌利よりは冷静なのだ。

 そして、燈架が煌利を裏切ることは有り得ない。何かやんごとなき事情があったと考えるのが筋だろう。


「とはいえ、こちらも気になる次第。燈架が戻ったら訳を尋ねてみましょう。とりあえず今日のところはお引取りを」


 十近く歳上の相手だが、煌利も朱門を背負う立場である以上、物怖じするわけにはいかない。掌を差し出し、開き放しの障子を示す。笑顔を繕ってはいるが、有無を言わせない態度を見て、緋坦は色の薄い唇を引き結んだ。


「そうして身内を庇い立てるのではあるまいな?」


 緋坦の後ろから、男が一人進み出る。長身の緋坦を更に上回る、岩を人の形にしたような大男だった。緋坦より更に歳上のその男は、完全に侮った様子で煌利を見下ろす。

 その煌利の前に、小柄な影が割って入った。


「無礼だな。黄門の者は礼儀を取り繕うこともできないのか」


 この場にいる誰よりも尊大な様子で男に食って掛かるのは、あの志炯だ。胸の前で腕を組み、背を反らしつつ、面の柳葉のように細い穴から男を見上げた。遠慮なく不快そうに鼻を鳴らす。

 敬いの一欠片もない志炯の態度に、男は青筋を立てた。


「貴様こそ、客人の前で面を取ろうともしない無礼者ではないか! ここに居るのは、黄門のご頭首だぞ?」

「勝手に乗り込んできた身で、こちらに礼を尽くせと要求するか。ずいぶん横暴だな、黄門は」


 嫌味をたっぷり含ませた志炯の言葉に、男は身体を震わせた。よく日に焼けた肌が屈辱にみるみる赤くなる。


「止せ、圻延(きえん)!」

「志炯、やめろ」


 鋭く緋坦が、気怠げに煌利が、互いの従者を引き留めた。双方、不満を露わにしながらも、おとなしく身を引く。

 すかさず、緋坦が煌利に頭を下げた。手本のようにきっちりとした、(しん)の立礼だ。


「我が一門のものが、申し訳ない」

「いいえ、こちらこそ」


 柔らかく応じた後で、煌利は厳しく目を光らせた。


「しかし、このように身内の不始末は身内で。黄門とて、そうでしょう?」

「……確かに。しかし、誠意ある行動を期待する」

「勿論。何か分かり次第、お伝えしますよ。今日のところはお引取りを」


 騒ぎ立てて申し訳なかった、と今一度きっちりと礼をして、緋坦は伴の者を引っ張り帰っていく。

 彼が部屋から離れていったのを確かめてから、煌利は大きく息を吐き、膝を立てて座った。片手で畳の上の湯呑を掴み、ひと仰ぎして喉を湿す。


「志炯、これみよがしに喧嘩を売るんじゃないよ」


 窘めると、開いた障子の傍で立ち尽くしたままの志炯は、素知らぬ風に面を付けた顔を逸らした。

 煌利は苦笑を溢す。


「全く、お前は朱門向きだな」


 遺憾があるのか、志炯が少し首をこちらへと向ける。その顔に、喧嘩の相手は燈架だけにしてくれ、と言うと、呆れたように肩を落として、当初座していた位置に戻った。


「それにしても参ったな、これは。やっぱり颯季くん、厄介事を引き連れてきたか」

「そうと分かって関わることを良しとしたのは、貴方でしょう」

「厄介事は歓迎なものでね。……しかし、まさか堅物の黄門が出てくるとはな」


 ふと、煌利の脳裏に汀花(ていか)の顔が横切った。あれこれと〈花守〉に関する日規の動向を気にしていた汀花。もし彼が、この件に黄門まで関わっていることを知ったら、何を思うだろうか。


「……荒れますよ」


 煌利の心の内を代弁するかのように、苦々しく志炯は言う。


「だな。どうしたものか」


 顎に手を当てて思案し、だがすぐに煌利は諦めた。謀り事は煌利の得意分野ではなかった。誰かの思惑の裏を読もうとしても徒労に終わるだけなので、解りやすいところから手を付けることにする。


「とりあえず、熾保(しほ)!」


 ひゃい、と障子の向こうから上擦った返事がある。まさか自分が未だそこに留まっていることを知られているとは思っていなかったのだろう。だが、小間使いの域を出られない未熟な妖祓いが、闖入者を止められなかった自分を悔いて縮こまっていたことは、煌利にはお見通しだった。


「田舎に連絡を取りたい。紙を持ってきてくれ」


 はい只今、と元気な返事をして、熾保は足早に去っていく。


「どうするおつもりで?」


 眉を顰めているだろう志炯に、煌利は不敵な笑みを見せた。


「まずは、颯季くんから手を打つ」

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