7.顔合わせ
手入れの行き届いた芝生に夏の日差しが降り注ぐ。乾き切っていない朝露が光を受け、煌めいている。
自然の生命力を感じる青々とした風景の中に白のパラソルとテーブルセットが置かれており、そこに三人の人影がある。
向かい合って座るのはフィニアスとエリーナ、そして彼女の隣にはメロウナがいた。
縁談の話から約1ヶ月後の今日、二人の顔合わせのためメロウナと共に招待されて公爵邸を訪れていたのだ。
エリーナは夏らしい白のデイドレスを来ており、アクセサリーは金色で統一されている。手首までの短いグローブは黒で、完全にフィニアスを意識した色使いをしていた。
一方のメロウナは、ワンカラーのシンプルな作りのドレスを着て、小ぶりのアクセサリーを身に付けている。派手好きの彼女にしては珍しく控えめだ。
初めて目にした威厳ある凛々しい顔立ちのフィニアスに、エリーナの緊張が高まっていた。
(マリエッタ達の言っていた通りこれは何か試されているのかしら…もしそうなら淑女として正しく振る舞わないといけないわ。)
今回の話を受けた時、マリエッタが『何か難癖を付けてくるに決まってる。わざわざ呼び出してお姉様のことを虐めるなんて許せない。』とひどく怒っていたのだ。
だからこそ覚悟を待って顔合わせに臨んでいたエリーナ。
まずは完璧な挨拶をと思い、立ち上がってカーテシーをしようとしたが、それよりも早くフィニアスが口を開いた。
「今日はご足労感謝する。」
エリーナに向かって声を掛けるフィニアス。
低く単調な声だが威圧感はなく、エリーナの張り詰めていた緊張が僅かに緩む。
(思っていたより、怖い人じゃないのかもしれない…)
微笑を浮かべたエリーナは背筋を伸ばし、教本通りの聞き取りやすく優雅な発音を意識して唇を動かす。
「フェルローズ公爵閣下、お初にお目にかかります。ケルフェン伯爵家の娘、エリーナにございます。この度は良きご縁をいただきまして感謝申し上げます。」
家庭教師に叩き込まれた美しい所作で頭を下げた。まずは噛まずに口上を述べられたことに、内心安堵の息を吐く。
「そう堅苦しくしないでいい。俺のことはフィニアスと呼んでくれ。俺もエリーナと呼ばせてもらう。」
「フィニアス様、此度の縁談誠にありがとうございます。この愚娘を受け入れて下さるなんて…ご満足頂けるよう精一杯尽くさせます。このケルフェン伯爵家共々末永くよろしくお願いします。」
メロウナが横から会話に割って入った。貴族としてまるまじき行為だ。下心の透けた顔で笑みを深めている。
その横で、エリーナがチラチラとフィニアスの顔色を窺う。
(公爵様に対してなんて失礼な態度を…彼の機嫌を損ねてしまわないかしら。)
すると、エリーナの不安げな視線に気付いたフィニアスが彼女を見て、ほんの一瞬だけ柔らかく目を細めた。
「!!」
(今微笑みかけて下さった…?)
目を疑うほど刹那的な出来事だったのに、自分に向けられた笑みが慈愛に満ちていて、一瞬で心を持っていかれたエリーナ。
胸の奥がざわついて落ち着かなくなり、血液の巡りが速くなる。緊張で冷えていた指先まで温かくなってきた。
初めてのことに胸の高鳴りが止まらない。
「俺は今エリーナと話しているんだが?それと、ケルフェン伯爵夫人に名前呼びの許可は与えていない。勘違いしないように。」
「もっ…申し訳ありません。フェルローズ公爵閣下。」
フィニアスの凄みの増した声に、一気に小さくなるメロウナ。額に脂汗を馴染ませながら、テーブルぎりぎりまで頭を下げた。
自分に対していつだって威圧的だったメロウナが平伏する様子を見て、一気に血の気が引いていくエリーナ。
(やはり公爵様は雲の上のお方だわ。私も発言には十分に気を付けないと…)
淑女の微笑を浮かべながらも、エリーナは気を引き締めていた。
ここでふとフィニアスの纏う空気が和らいだ。
「エリーナ、俺の名を呼んでくれるか?」
「…はい。フィニアス…様。」
突然のことに戸惑いながらも、淑女の仮面を被ってたおやかに名を呼ぶ。
「ああ。」
メロウナに頭を下げさせたまま、フィニアスが柔らかく微笑む。彼の視界にはエリーナしか映っていない。頬杖を付いた彼は、とても満足そうな顔をしていた。
「ケルフェン伯爵夫人、貴殿にはサロンで茶の用意がある。新作を揃えているようだから、次の茶会の話題作りにもなるだろう。」
遠回しにこの場からの退出を促すフィニアス。
だが、これまで静かだったメロウナの態度が急変する。ひどく焦った様子で両手をテーブルにつき、身を乗り出したのだ。
「あのっ…例の支援金の話はどうなるのでしょうか?せめてこの場で金額のご提示だけでも…もしかして、この愚娘が気に入らなかったでしょうか…あぁ大変申し訳ありません。それなら、もうすぐ15になる下の娘もおります。愛嬌はあるので、それに飽きたら差し出…」
「シュヴァルツ、お客様のお帰りだ。」
怒気を孕んだフィニアスの声がメロウナの声をかき消す。聞くに絶えず、最後まで言わせなかった。
背後から静かに現れたシュヴァルツは、丁重な所作だが有無を言わせぬ動きでメロウナの両腕を掴み、茶会の席から連れ出して行った。
入れ替わりで現れたロナウドが手際よく椅子と一人分のティーセットを片付け、最後に花を飾った花瓶を置いて行く。
あっという間に二人きりの茶会の準備が整った。




