6.フィニアス・フェルローズ
純金で模られた大鷲のエンブレムが輝く黒塗りの馬車から、すらりとした長い脚の男が降りて来た。
漆黒のやや長い前髪は上にあげており、直線的な眉と鋭い金の瞳が露わになっている。均整の取れた美しい顔立ちだが、その目つきのせいか迫力が凄まじかった。
そのすぐ斜め後ろを、若そうに見える茶髪の青年がついていく。茶色の瞳は常に柔らかさを帯びており、人を惹きつける温かさを身に纏っていた。
馬車を降りた対照的な男二人が向かったのは、邸の正面玄関。
そこには燕尾服の壮年の男性を先頭に、20名高い使用人が一同に介していた。
「お帰りなさいませ、旦那さま。」
この邸の家令であるロナウドが先陣を切って、主人に頭を下げると、続いて他の使用人達が全く同じタイミングで頭を下げた。それは一切の乱れなく、見事な統率であった。
「ロナウド、出迎えは不要だ。」
「ほっほっほ。我らが完璧公爵様は厳しいお方ですからね。私たちも首を切られないよう必死なのですぞ。」
「どの口が言う…」
堂々と言い返してくるロナウドに、フィニアスが片手でこめかみを抑えた。
「良いじゃないですか。公爵たるもの、適度な威厳は大事ですよ。」
後ろに控えていたシュヴァルツが茶色の瞳を細めて、人好きのする笑顔を浮かべた。相変わらず冗談か本気か読めない男だ。
「だいたい、先先代だかその前だか…当時の当主が自分の浮気を隠したくて必死に造った話だろ。馬鹿馬鹿しい。」
執務室に向かう道すがら、隣を歩くシュヴァルツにフィニアスがぼやいた。
「いやぁほんとよくやりましたよね。取っ替え引っ換え色んな女を試したいからって、それを他責にして自分を正当化するための話を作るとか。」
「いい迷惑だ。そのせいで今代まで理想の高い完璧人間だと思われている。」
フィニアスの発言を聞いたシュヴァルツの足がピタリと止まる。
「どうした?」
「自覚…ないんですね。」
「何がだ?意味の分からないことを言ってないで、さっさと行くぞ。仕事が終わらん。」
フィニアスは軽く凄むと、歩くスピードを上げて執務室へと急いだ。
執務室に入るや否や、薄手のコートを来客用のソファーセットの上に放り投げて机に向かう。
溜まっていた書類に一つずつ目を通して、決済処理を進めた。
不可のものは理由をメモ書きしてシュヴァルツに回す。側近である彼の役目は、主人の指示を的確に下の者に伝えることだ。
丁寧とは言い難い端的なメモを読んで咀嚼し、その背景と意図を分かるようにして指示書に書き直していく。
フィニアスの判断速度と論理的思考も凄まじかったが、それを相手の意思通りに読み解くシュヴァルツの能力もずば抜けていた。
こうして、この二人にしか出来ない最高速度で書類仕事が片付けられていく。
順調に捗っていたが、一枚のメモ書きを手にしていたシュヴァルツの動きが止まった。何やら考え込んでいるようだ。
「フィニアス様〜、これどうして隣国のために小麦なんて集めるんです?向こうの特産品ですよね?」
「直に大規模干ばつが起きる。こちらに余分な食糧があれば、恩を売れるだろ。隣国との力関係を正す絶好の機会だ。」
間髪入れずに答えたフィニアスに、シュヴァルツは驚き過ぎて目をぱちぱちさせている。
「占い師の才覚があったんですね。」
「馬鹿か。そんなものあるわけないだろ。今似たような地形で干ばつが多発している。その事実とこの時期の風向きを知っていれば誰にでも分かることだ。」
「だからその情報をいったいどこで…いや、考えるのは止めよう。他所は他所、うちはうち。」
「近隣諸国全ての新聞を入手すれば、情報把握など容易いだろ。秘匿されているものでもあるまい。」
「だからそれを全て読める精神力と言語能力が凄いんですって。」
シュヴァルツが尊敬を通り越して呆れた声で言うが、フィニアスの関心はもう次の書類に向いていた。
「はぁ〜…こんなに有能なのに、もう適齢期後半だなんて、誰かうちの主を貰ってやってくれませんかね。」
無視されていじけたシュヴァルツが手にしていた羽ペンをくるくると回し始めた。
「決まったぞ。」
「は?」
軽く揶揄うつもりで言っていた独り言に思わぬ反応が返ってきた。早鐘を打ちそうになる心臓を抑えつけ、平然を装う。
「決まった…というのは次の塔城のご予定ですか?それとも例の視察の…」
「何を言っている。俺の結婚だ。今お前が話していただろう。」
フィニアスの片眉が上がる。
「は………………………」
「視察の件については、諸般の事情で先になる。時期が決まったらまた地域のリストアップを頼む。」
口頭で説明しながら、判を押した別案件の書類をシュヴァルツに回す。
「ちょっと待ってくださいよ!なんで普通に仕事してるんですか!」
「は?ここは仕事をするための部屋だろ?」
「そういうことじゃなくて!結婚決まった?いつ!誰と!どういうきっかけで!今どんな状況ですかっ」
「……元気なやつだな。」
指を耳に突っ込み、迷惑そうな顔をするフィニアス。
「いいからちゃんと説明しろーーー!!」
シュヴァルツの心の声が怒鳴り声となって廊下まで響いていた。




