3.メロウナの執着
しがない貧乏男爵家出身のメロウナは、裕福とは無縁の環境で育ったせいで幼い頃から野心に溢れていた。
とはいえ、身分の低い彼女が成り上がることは、この国の貴族制度では難しい。家柄や地位が物言う世界だ。
そこで彼女は、愛妻を亡くして傷心していたエリーナの父であるロンウッドに目を付けた。その弱った心に付け込み、幼い娘二人のためだと説き伏せ、妻の座を勝ち取ったのだ。
通常、どう頑張っても男爵家が伯爵家に嫁ぐことはない。それは異例中の異例であった。
目論見通り妻の座を得た後は、ロンウッドのことを精神的に追い詰めて領地に追いやり、王都にあるタウンハウスを我が物としていた。
それら全ては、義娘二人を良家に嫁がせて更なる富と名誉を得るためだ。
スペアであった妹の方は早々に見限ったが、姉の方は中々骨のある娘であった。メロウナは目的のため手段を選ばず、姉であるエリーナのことを異常なほどに厳しく躾けた。
(ようやく私の夢が手に入る…)
深夜遅く、夜会から帰宅したメロウナが自室で一人悦びを噛み締める。その表情は愉悦に溢れていた。
(あの娘には、何としても上手くやって貰わなければならない。失敗など死んでもさせるものか。)
歓喜の表情が一転、期待を通り越して苛立ちと激しい憎悪で歪んでいく。義娘のことを手段として使う一方、家柄と若さを持つエリーナのことが憎たらしくて仕方なかった。
産まれた家が違うだけで、圧倒的に優れているのは自分だ。まぐれで生きている相手など、認められるわけがなかった。
(相手はあの公爵だ…せいぜい見た目で取り入って、飽きられた後はボロ雑巾のようにぞんざいに扱われればいい。)
静かな部屋に、クスクスと馬鹿にした笑いが気味悪く響いていた。
翌朝、自室で目を覚ましたエリーナは早朝から働いていた。
働くと言っても、使用人のように掃除をすることはない。手が汚れていると男性から嫌煙されるからだ。
やらされているのは刺繍だ。
真っ白なシルクのハンカチや大きめの布に、メロウナから指定された紋章や花の絵柄を縫うのだ。何十枚と積み重ねられたそれは、メロウナの小遣い稼ぎのために街で売られる。
緻密な作業は嫌いではなかったが、勉強や家庭教師の授業の合間にやることは中々に大変であった。仕方なく、睡眠時間を削ってやっていたのだ。
(ようやくこれで遅れを取り戻せるわ。)
エリーナが疲れた目を癒そうと眉間を指で揉み、深く息を吐く。
昨日監禁されていたせいで、本日期日の仕上がりに遅れが出ていたのだ。
期日を破ればどんな叱責や罰が待っているか分からない。エリーナはほんの少しだけ緊張感から解放された。
ー コンッコンッコンッ
エリーナが次の仕事に取り掛かろうとした時、部屋のドアがノックされた。こんな丁寧な入室をするのは一人しかいない。
「セラ、どうぞお入りになって。」
「エリーナ様、失礼致します。」
現れたのは予想通りの人物だった。
お仕着せ姿のセラは黒髪を一つにくくっており、化粧っ気がない割に整った綺麗な顔をしている。自分たちの乳母をしていたというのに、その見た目は若く見える。
セラの顔を見ると、エリーナは自然と笑顔になる。亡き母に代わり本物の母のよう接してくれるため、心から慕っているのだ。
「お義母様に呼ばれたのかしら?」
なるべく平然を装って尋ねる。
内心は、昨日勝手に抜け出したことへの罰に違いないと嫌な汗が止まらなかった。
「それはそうなのですが…」
珍しくセラの歯切れが悪い。
いつも小気味良いテンポで話す彼女にしては、些か不自然だ。
エリーナの中の不安が大きくなる。
(まさかこの家から追い出されるなんて、そんなことはないわよね…)
自分一人なら市井でもなんとかやっていけると思うが、たった一人の妹とこんな形で離れることはしたくなかった。
何度心が折れそうになっても立ち上がれたのは、いつだって寄り添ってくれたマリエッタのおかげだったから。
「きっと悪い話なのでしょう?はっきり話して貰って構わないわ。」
強がって笑顔を見せる。
その凛としているのに儚さのある美しさに、セラが苦しむような顔をした。
「エリーナ様のご結婚が決まったと、メロウナ様が仰っていました。そのことで詳しく話がしたいと…」
「嘘でしょう…」
言いにくそうに話したセラに対し、エリーナは分かりやすく目を輝かせた。両手で口元を隠し、喜びに震えている。
「もちろん大変喜ばしいことなのですが、お相手があのフェルローズ公爵様とのことで…」
震える声で話すセラの顔は、絶望に染まっていた。




