12.姉の元へ
人生初のプロポーズであっけなく玉砕したシュヴァルツだったが、ここで諦める普通の男ではなかった。
顔色一つ変えず、楽しげにマリエッタに話し掛ける。
「自己紹介がまだだったね。僕はシュヴァルツ・メナード。フィニアス様の側近をしている。ほら、結婚したくなってきたでしょう?」
「は」
にこにこと人好きのする笑顔を浮かべるシュヴァルツに、マリエッタは絶対零度の視線を向ける。
(この人頭おかしいの?自信過剰の馬鹿?)
先ほどまでの愛らしい少女の姿はどこにもなく、人に見せてはいけない目でシュヴァルツのことを見ている。
「あ、お姉さんに会いたいんだっけ?僕が連れて行ってあげようか?」
「え、お姉様の所に…」
マリエッタの瞳が分かりやすく輝く。元より手段を選ぶつもりはなく、エリーナに会えるのなら何だってやる気でいた。
(これ何かの罠だったりしないかな…あの完璧公爵の側近でしょう?私の身勝手でお姉様の足を引っ張るわけには…)
マリエッタの瞳に不安が過ぎる。
「大丈夫。貶めたりしないよ。好きな子を泣かせるなら死んだ方がマシだから。」
彼女の不安に目ざとく気付いたシュヴァルツが、当たり前だという口調で言ってきた。
(嘘…ではなさそう…)
変な男だという印象に変わりはないが、悪意は感じない。この邸で幼い頃から他人の悪意に晒され続けてきたマリエッタは、人一倍他人の機微に敏感だった。
「本当に?」
「もちろん。君に嘘はつかない。」
「嘘だったら泥団子を食べてもらうからね!」
真偽を確かめるようにじっと目を見ると、シュヴァルツが胸に手を当て恭しく頭を下げた。
「喜んで。」
顔を上げたシュヴァルツの瞳は透き通っており、とても真摯な眼差しをしていた。彼の表情を見てマリエッタが覚悟を決める。
その時、不意にシュヴァルツが動いた。
「失礼」
一歩近づいたシュヴァルツがマリエッタの顎に手を添え、取り出したハンカチで彼女の頬を拭った。
「ちょっと…!」
騒ぐマリエッタを無視して、丁寧な手つきで綺麗に泥を落としていく。
「さぁ行こうか。」
汚れを落として綺麗になったマリエッタに、シュヴァルツが笑顔でエスコートの腕を差し出す。
「そういうのいいから。早くしないと見張りが戻ってきちゃう。」
「了解、お姫様。それで君のお姉さんにはどこに行けば会えるのかな?」
「は?」
にこにこと尋ねてきたシュヴァルツに、低い声を出したマリエッタが鋭い視線で射抜く。『そんなことも分からずに声をかけて来たのか』と言外に言っている。
その冷え切った態度には14歳という年齢に見合わぬ圧があったが、シュヴァルツはどこ吹く風だ。
「ほら、早くしないと見つかっちゃうよ?」
「邸の地下室!外からは入れないから、見つからないように邸の中に入らないといけないの。だから使用人の手引きが無いと難しいかも…」
「地下室の詳しい場所は?」
「それは分かるよ。」
「了解。じゃあ大丈夫だね。行こうか。」
にこやかなシュヴァルツに焦りや不安は一切見えない。マリエッタはそれが不思議で仕方なかったが、ここでそれを問い詰めている暇はなかった。
(一人で行くよりはマシだと思おう。)
腹を括ったマリエッタは、シュヴァルツの後に続いて邸へと向かう。
「すご…本当に着いちゃった。」
あっという間に地下室の目の前に辿り着き、マリエッタが驚嘆の声を漏らす。
ここまで何人か使用人を見かけたが、シュヴァルツは毎回事前に気付き、遭遇の度に近くの物陰に身を潜めてやり過ごした。
前進と停止の判断に迷いがなく、彼の言う通りに足を動かしていたら誰にも見つかることなく、目的地まで辿り着けたというわけだ。
しかし、目の前の古びた扉には頑丈そうな錠がなされている。
「あとはここの鍵だけ…多分メロウナの部屋にあると思うから、まずセラを探して…って、は!?」
顎に指を添えて考え込む隣で、鍵をいじっていたシュヴァルツが振り向き、笑顔で鍵を外して見せた。
「よし。開いた。」
「よしって、鍵も無しにどうやって開けたの!」
「あれ?惚れ直したー?」
「一度も惚れてないから!」
つい声が大きくなるマリエッタ。内側から静かにドアが開いた。
「マリエッタ…?」
「お姉様っ!!!!」
ドアの隙間から顔を出したエリーナに飛びついた。後ろにたたらを踏みながら、なんとか小柄なマリエッタを抱き止める。
勢い付けて部屋の中に入った二人に続き、シュヴァルツは足音を殺して中に入り、さっと後ろ手でドアを閉めた。
「ここに来ちゃだめだって、何度も言っているでしょう?お義母様の機嫌が良くないから、何をされるか分からないわ。」
「私だってお姉様のことが心配なの。心配で心配で心配で…会いたかったんだから。」
「マリエッタ…」
ぎゅっと抱きつくマリエッタに腕を回し、エリーナも優しく抱きしめた。
姉として妹のために厳しく言わなければならないのに、彼女の優しさと温かさが孤独な心に沁みて何も言えなかった。
「これはひどいな。」
部屋の中を見渡し、エリーナの装いを見たシュヴァルツが顔を顰めた。可能性の一つとして考えていたことであったが、想像よりも劣悪な環境であった。
「マリエッタ、この方は確かフィニアス様の所の…」
シュヴァルツの呟きで彼の存在に気付いたエリーナが困惑の表情で問う。
面識がない二人のはずなのに、どうして一緒にこんなところにいるのか見当もつかなかった。
「申し遅れました。僕はマリエッタ嬢のフィアンセのシュヴァルツ・メナードです。以後、お見知り置きを。」
「いや、ぜんっぜん違うから。さっき偶然会って、数回言葉を交わしただけの赤の他人だよ。」
「それを人は運命と呼ぶんだよ。」
「そんな安い運命があってたまるか。」
先にシュヴァルツが答えたが、それに被せるようにしてマリエッタが即座に否定した。その後も二人の小気味良い掛け合いが続く。
「ええと…?」
首を傾げるエリーナ。
目の前でやけに息の合った二人の掛け合いを見せられ、エリーナの困惑は増す一方であった。




