7-5 わかったかもしれません
「お、」「あ、」
「ん、」「あー、」
クラハさんだ、と。
四人の中で最初に言ったのは、イッカだった。
「そっちも起きてたのか」
「さっきね。……なんかやってたでしょ。そっちも」
「音、聞こえてたか」
「聞こえてましたよ。何やってんですか、クラハさんだって疲れてるでしょうに」
「あ、いえ私は――、」
「クラハさん、お茶漬け食べるー?」
わちゃわちゃと。
四人が座っているのは、道場の中にある簡易の食堂だった。
普段は夜番の門下生たちが腹ごしらえをしている……けれど今夜のこの時間は、ちょうど他に誰の姿もなく。ゆらゆらと灯りの火が、四人の影を作るだけ。
隅にはおにぎりの作り置きが並べられていて、嬉々としてイッカはそれを椀に放り込むや、だし汁をかけ、持ってきてくれる。
「特製です!」
「……イッカって、自分のときは私にやらせるのに、クラハさんたちには作るんですね」
「え゛」
「いい度胸してるんだなあ……うちの弟弟子って」
何やら揉め始めたのを尻目に、ジルとクラハはそれぞれ礼を言って、そのお茶漬けをスプーンで食べ始める。
しばらく、そんな時間が続いてから。
「ところでチカノ。明日からの当番はどうするんだ」
「た、助け船が来た……!」
「船から降りたら覚えてなさい。……まあ、どうするかな。考え中です」
もぐもぐ、と冷えたお茶漬けを頬張りながら、彼女は。
「ヴァルドフリード先生がなんか持ってきてくれたんですよね。〈網〉?とかなんとか。教会から貰ったやつって」
「あ、俺それ見たことあるかも。広域警戒網だろ。めちゃくちゃ便利だぞ、あれ」
「そうそれ。運用を、今うちにいる教会の人たちでやってくれるみたいで。それに加えて先生にも当番に入ってもらえれば、かなり負担減らせるとは思うんですけど……」
でもねえ、と言えば。
でもなあ、とジルも同調して。
「糸口が……」
「見つからんことにはねえ……」
マジでどうしましょうね、と。
改めてチカノは言いながら、
「ヴァルドフリード先生の教えだと、『できることから片付けていく』そうですけど……」
「というかあれ、言われてから思ったんだけど、何かおかしくないか」
「何が」
「外典魔獣、毒、『すり抜け』って、あれ結局、根は一緒だろ」
「『すり抜け』?」
そう、とジルは頷く。
「『すり抜け』さえどうにかすれば、後は力で解決できるんだから」
「いやあの鬼とかでかい魔獣とかをまとめて力で解決!とか、あなたぐらいですけどね。自信あるの」
「あ、あの……」
控えめにクラハが、手を上げた。
「その、『すり抜け』の話なんですが、ヴァルドフリードさんが昨夜……」
「ああ。そうだな」「あぁー……」
仕留めたんだったよな、とジルが言って。
「あれ、結局何か条件があるのか? 鼠の処理のときも、イッカが焼いたのは『すり抜け』なしで纏めて倒せたんだろ?」
「うん」
「明日、ちょっと行って見てきましょうか。ジルも行きます?」
「そうだな。どっかで師匠に当番押し付けて……てかあの人、実は見当ついてたりしないのかな」
「ついていないみたいでした」
クラハが、ジルの疑問に答えて。
「『すり抜け』の話も、夜明け前に少しだけしたんですが、あまりピンとは来ていないみたいで……」
クラハにも言うならまあそうなのか、とジルが言い。
そうですかあ、とチカノも重ねる。
それからどうも、イッカが気付いた。
「……クラハさん、何か言いたいことある?」
「え、」
「お、どうした?」「よく見てますねー、イッカ」
「いやなんか、ジル先輩の方、バレないように見てたから」
あの、そういうのじゃなくて、と。
クラハは両手を振って否定するけれど、「クラハの話に興味がある」というあまりにも直球なジルの言葉を受けて、言葉に詰まって、それから、おずおずと。
「全然関係のない話なんですけど……」
「いいぞ。もちろん」
「……あの、ユニスさんからのお手紙って、今、持ってますか? あの、読めなかったやつなんですが」
本当に全然関係ない話なんです、とクラハが重ねて言う一方で。
実は持ち歩いてる、とジルは懐から、その紙を取り出した。
「なんです? それ」「わー……変な模様」
「友達からの手紙。……なんだけど、ちょっと変わったやつだから、その内容がこんな感じの暗号になってて」
「本当に変な人だ」
知らない人を悪く言うんじゃありません、とイッカは頭に、チカノからの手刀を落とされて。
一方でジルがクラハに、「これがどうした?」と訊ねれば。
「わかったんです。それ」
「え、」
「『できることから』……という話で思い出してしまって。本当に関係ない話ですみ……えっと、恐縮です」
寝る前なんかに実はずっと考えていて、とクラハは恥じらいながら。
寝る前なんかに実はずっと考えていたのか、とジルはおののきつつ。
どういう解き方なんだ、とジルが訊けば。
クラハは懐からペンを取り出して、「消えるペンなんですけど、ちょっと描き足しても大丈夫ですか」と訊ね返してくる。
消えるペンなら、とジルが快諾するや、「では、失礼します」と彼女は、その手紙を手元に置いて、描き込んでいく。
元々、手紙には丸い紋様……魔法陣のような、字には見えない暗号が書かれていた。それにクラハは、カリカリと丁寧に。
「昔、本で読んだことがあって……これ、ドーナッツ型の暗号なんだと思います」
「ドーナッツ……?」
「手順を思いつくのが難しいんです。でも、このタイプはこれじゃないかなと」
クラハはその丸い紋様に重ねて、ちょうど直径が半分程度になるような円を、くーっと描く。それから、その内側でペン先をしゃかしゃかと動かしていく。
すると一個、その丸い紋様の内側が、綺麗に塗り潰されて。
「……あれ?」
「ん?」
ジルはクラハの手元を覗き見る。
そして、「おぉっ!」と大きく声を上げた。
「読める部分ができてる!」
「はあぁ、よく考えますねえ。こんなの」
「へぇえ~。クラハさん、こんなの知っててすごいね!」
紋様の内側を塗り潰すと、ちょうど紋様の円の外側がドーナッツ状に残る。
そして不思議なことに……というわけではなく、そうなるように作ったのだろう。内側の不要な部分が、全体のデザインから消えることで。
実はひとつの円の周りにぐるりと、少し特殊な字体の文字列が描かれていたということがわかる。
のだけれど。
「なるほど。要らない部分をくっつけることで文字に見えないようにしてたのか……。だけどこれ、まだこれでも解き切れてないんだな」
「そうですね。あれ……方向性は間違ってないと思うんだけどな」
確かに、文字列だということはわかる。
けれどまだ、そのうちにいくつか、見知らぬ形の文字が混ざっていて。
あ、とクラハが再び声を上げるのに、そう時間はかからなかった。
「鏡文字だ」
言って彼女は、ポケットから鏡を取り出した。
イッカの「何でも入ってるの?」という質問に、律儀に「そんなことはないです」と答えてから。
クラハはその文字列を、鏡に映し込んだ。
「お、」「あ、」「おぉー」
「これで、読めるようになりますよね」
左右非対称の文字が反転して読み取れなくなっていた――そのことまで、彼女は見出して。
それじゃあ、とそこから一気に、全ての紋様をドーナッツ型に塗り潰していく。
それをジルは、クラハから借りた鏡を使って、ひとつひとつ読んでゆき、できた文章は。
『せっかくだから とけいのかたちに してみたよ
ぼくってなにか とけいっぽいと おもわないかい
ここまで よんでくれて ありがと
たのしんでくれたら うれしいな』
「すごい変な人だけど、いい人そうだね」
「……うーん……」
今度は、イッカの発言にチカノも何も言わず。
はは、とジルは笑った。
「そうか、時計のイメージ……。面白いな。しかも、手が込んでる」
「そうですね。これはきっと、ちゃんと作る方が大変だと思います」
「クラハも、解いてくれてありがとうな。俺一人だったら、絶対解けなかったと思う」
よければその昔読んだ本を教えてくれ、俺も勉強してみたい、とジルが言うのに。
はい、もちろんです、とクラハもはにかんで。
貸していた鏡を返してもらって、受け取る。
その最中のこと。
「……クラハ? どうかしたか?」
「…………あの、ジルさん」
クラハは、鏡ごとジルの手を、強く掴んで。
自分自身信じられない、というような顔で。
こう言う。
「わかったかもしれません。『すり抜け』の法則が」




