1-1 ありがとう。いやかと言って
『リリリアへ
ユニス へ
[共通文章]
お元気ですか。
あれから少し時間が経って、私は今、東の国に来ています。目当てだった眼鏡屋が長期休業に入っていて出鼻を挫かれてしまったんですが、こちらにいる知人への声かけなど含めて、しばらくこのあたりに滞在しようと考えています。
次の手紙の送付先は裏面に書いておいたので、よければそちらを参考にしてください。
最高難度迷宮の後処理もだいぶ落ち着いたとのことで、よかったです。リリリアはもう教会本部に戻っているとのことですが、ユニスも大図書館に戻ったりするのでしょうか。またそのあたりが決まったら、教えてくださいね。
最近はようやく寒暖差も落ち着いてきましたが、国を渡って移動するとまた旅疲れも出てくることかと思います。体調など崩さぬよう、気を付けて過ごしてください。
ところで話は変わりますが、ふたりは弟子を取ったことはありますか?
実は私自身、弟子を取るのは初めてで、戸惑うことが多々あります。
もしアドバイスがあったりすれば、教えてもらえると嬉しいです。
[個別返信――リリリア宛]
単に口で言うのと文字に書くのとで口調を分けているだけで、別にこの手紙は謎のお婆ちゃんが代筆しているわけではありません。
[個別返信――ユニス宛]
個別部分の暗号が難しすぎて一週間前から全然読めていません。なんですかあの丸い紋様は。魔法陣系統だったら一生読めません。
ジルより』
『ジルくん へ
ユニスくんへ
[共通文章]
積極的にボケ倒していけ。
[個別返信――ジル宛]
謎のお婆ちゃんを返して。
リリリアより』
『ジル へ(←「へ」までがすごい空いちゃう。気になる?)
リリリアへ
[共通文章]
弟子どころか友達もろくにいないから何もわからない!
[個別返信――ジル宛]
もっと考えて。二十四時間、僕のことを……。
ユニスより』
『リリリアへ
ユニス へ
[共通文章]
訊く人を間違えました。
さよなら。
ジルより』
†
めんどくさい人間は一生、めんどくさいことで悩むしかないのである。
「お手紙ですか?」
「え、ああ」
春の陽の明るい、昼下がりのことだった。
東の国を往く馬車の中。
奥地へと向かっていく車輪の回転はゆるやかで、街道をがたごとと揺れながら渡っている。車内にいるのもそれほどの人数ではなく、半数ほどはまどろみの中に意識を沈ませ始めている、そんな暖かな日のこと。
うそウソ嘘うそジョーク冗談怒んないでね、という感じの文章が書かれている二通の手紙を、隣に座る灰色の髪の少女――クラハに見せないように畳みながら、「そんなところ」と眼鏡の青年――ジルは言って、これから書くべき白紙のそれに、ペンをさらさらと走らせ始める。
「『この恨みは一生忘れません、覚えてろ』……っと」
「ど、どんなやり取りをされてるんですか……?」
ははは、とジルは笑った。
クラハもそれでてっきりジルが冗談を言ったのだと思ったのか、ほっと息を吐いて、ふふ、と笑った。ちなみに実際の紙面には確かに『この恨みは一生忘れません、覚えてろ』と筆圧くっきり書き込まれている。
あれから、少しの時が経った。
つまり、ジルが最高難度迷宮〈二度と空には出会えない〉を攻略してから。
Sランクパーティ〈次の頂点〉に所属していたクラハに、剣を教える代わりにと旅のサポートを依頼し、受諾されてから。
ふたりが旅立ってから。
二週間くらいが、経っている。
「よければそのお手紙、次の街に着いたら私が配達屋さんまで出してきます」
「いや、そこまではいいよ。個人的なやつだし」
「でも、危ないですよ」
「……うん。じゃあ、お願いしようかな。ありがとう」
「はい!」
端的に言って、旅は順調だった。
まずもって、これまでジルがひとり旅をしていたときに頻繁に起こっていた『遭難』あるいは『開拓』というイベントがほとんど……というか、全くなくなった。
気が付いたらまるで覚えのない場所にいて、自分の現在位置を探るためにとりあえず高いところに登ってみたり、川沿いに下っていって海へ出たり、最終的になぜか土の中に埋まったり……そういうことをする必要が、消えた。
消えるものなんだ、とジルはちょっと感動していた。
師匠とふたりで旅をしていたときには確かに師匠側が悪ふざけを始めない限りは発生しないイベントだったけれど、完全に排除することもできるんだ、と。
「あ、すみませんジルさん。今、ちょっとお時間いただいても大丈夫ですか?」
「ああ、もちろん。どうした?」
「二日前に教えていただいたこの部分なんですが、このとき剣の柄は手首に当たっている状態、という認識でいいんでしょうか」
「んー……。場合によるな。なんでもそうだけど。決め打ちで行くんだったら手首を添えてた方が移動でブレないから威力は出やすい。ただ――」
「取り回しで一手遅れる……」
「そうそう。だから状況とか、相手の硬さに合わせる。そういうのが判断できない場合は、クラハは手首がやわらかいのと器用なのがあるから、当てておかない方が無難かな。ただ、やっぱり重要なのは、いざってときに自分でどっちの構えを取りがちかを把握することと、そこからの派生パターンを今のうちにいくつ開発しておくかっていうことで――」
そして、剣術指導についても、ものすごく順調に進んでいた。
ジル自身、自分で驚いている――己の内に秘めたる圧倒的な理屈。それが人に話すという工程を経て、ものすごい勢いで花開いている。これまでぼんやりとした感覚に留めておいたそれが言語化・体系化されていくにつれ、さらに自分の力になっていくのを感じる。
そして、ときには彼自身「普通の人を相手にこんなこと言ったら『うるせえ!』で終わりだろうな……」と思ってしまうような激烈長文理屈開陳にも、クラハはついてきてくれている。
ものすごい勢いでメモを取り、忘れないように図解まで書き留め、ジルが自分の修行と称して異常行動を始めている間も、メモを脇に置いて、ひとりで復習している。
そしてジルは特にその図解のわかりやすさを見て「負けた……!」と無意味な敗北感を覚えている。彼の画力はだいたい彼を知る人が一般的にイメージする通りだからだ。
元々の基礎と、〈インスト〉戦での〈体験〉一回。
ベースになりうる材料をすでにクラハは持っており、さらにそれらを纏めて形にするための理屈の吸収も速い。
「――結局ここで重要になってくるのは腕というか身体全体をいくつの節に分けて管理するかっていう話で、だから最終的には手首の問題っていうのは身体全体の問題に戻ってくるわけだ。重心はもちろん節の区分を変更したり全体としてどういう組み合わせを選ぶかによって力の働き方は当然異なってくるっていうのは感覚としてわかるといや感覚だとあれだなちょっとこのへんのほらこうやってベルトの端を持って振った場合と真ん中を持った場合でかかる力って異なってくるっていうのが見えるだろしかもほらさらにこのあたりの箇所を押さえてやるとそうそうその動きの概観になるってことだからこれをすごく単純化したイメージとして持っておいてそれを身体に拡張していくってわけで突き詰めていくと関節や骨すらこの節構成の最小単位ではないってこともわかってくるし関節可動域や骨の厚みや性質によってこの節構成も長さのみによって構築できるものではないってこともわかってくるんだけどまあそのあたりは一旦おいおいで考えていくとして今日の夕方はそのあたりを身体を動かしつつ理解していくのがいいかもな」
「はい!」
こんな感じで。
師匠をして「百九十歳のジジババに計七時間の大長編フォーエバー健康体操を覚え込ませる方ががまだ楽」「お前が『わかった!』って言ってから出てくる理屈全部初耳なのに確かめてみると全部そのとおりだからマジで癪」と韻を踏ませしめる程の飲み込みの悪さを持つジルの目から見れば、この量の理屈をいきなりぶつけられて、それでもある程度噛み砕いた状態で稽古まで持ち込めるクラハは、理想の弟子と言っても差し支えがない。
旅は順調だった。
なのに彼は、ちょっと不安になっていた。
「それにしても、今日はいい陽気ですね……ジルさん、暑くないですか?」
「そうだな。そろそろ上着はいいかなって――いや、いい。大丈夫だぞ。そんな扇いでもらわなくても。というか扇子なんて持ってたのか」
「はい。昨日露天で売っていたのを見つけて……」
なんだか、王様みたいに扱われているからである。
剣を教える。その代わりに旅のサポートをしてもらう。お互いに利益と利益が交換され、本来なら対等くらいに落ち着くだろう関係のはずな(のだと少なくとも彼は思っている)のに、向こうからめちゃくちゃ下手に出られている。
まあそういうこともあるか、申し込んできたのは向こうが先だし、それに最高難度迷宮で紆余曲折あったときの負い目みたいなものもなんだかんだであるだろうしな。
と、なんとなくスルーすればいいものを。
この妖怪理屈男は、それでは全く済ませられないのである。
理屈屋大開店。二十四時間セール中。
陳列商品は以下のとおり。
・本来対等な交換関係における一方的なふんぞり返り
・一方的なふんぞり返りによって固定化されてしまう非対称な関係
・年の近い(しかも異性の)ふたり旅における非対称な関係の危険性
・そうした関係の中では向こうも自分の意見を口にしにくいのではないか、という危惧
・向こうの意見が伺えないことで自分が間違った判断を一方的に押し通してしまうのではないかという恐怖
・そして教育とは一方的に相手を変形させてしまうことすらある恐ろしい危険性を持った営みなのだなという気付き
・自分にそんなことできるのかという今更の不安
・そもそも人間全般に他者を一方的に変形させる正当性があるのかという疑念
・それとも一方的という感覚自体が受け手の人格と自立性を軽んじる無意識の態度から生まれているだけの懸念なのかという混乱
・では社会一般における教育制度はどのような理念のもとで運用されているのだろうという興味関心
・というか別にそんなにへりくだらなくてもいいのにという気持ち
・もちろん相手を尊重するのは大事だけど、そのために自分の立ち位置を低めることはないんじゃないかという気持ち
・でもそんな精神指導みたいなこと大して年の変わらないような相手から言われてもいやだよなという気持ち
・というかそういう指導をしようと思うこと自体が非対称な関係の象徴みたいでなんかやだなという気持ち
・相手にどんな態度を取るかというのは自分が決めるものであって他者から強要されるものじゃないのかもなという気持ち
・あと、こんなひとりじゃ手紙も出しに行けないような人間を王様扱いしないでほしいといういたたまれなさ
・(その他、七十七項目)
まとめると、めんどくさいやつがめんどくさいことを考え出した、ということになる。
「あの……ご遠慮なく!」
「いや、本当にいいからな。別にほら、そんな暑くはないし」
「……か、かえって寒かったですか? すみません。余計なお世話を……」
「いや! 全然寒くはなかった。むしろちょうどよかった。助かった。ありがとう。いやかと言って続けてほしいというわけでは全くないが、さっきクラハが扇いでくれた数秒だけちょうどよく暑くてちょうどよく風が気持ちよかった。いや、決して――」
ジルはそれに気付いてから三日間、大いに悩んだ。
通常の人間であれば悩み過ぎで胃を壊すだろうというくらいに悩んだ。
内臓全般が強靭なので、実際には胃は壊さなかった。
藁にも縋る思いで、リリリアとユニスに相談の手紙を送った。
所詮は藁だった。
そして目当てだった眼鏡屋に『長期休業中。そのうち帰るカモ』の張り紙があるのを見つめながら……彼は、起死回生の一手を思いついた。
それは。
なんかいい感じにそういうノウハウを持っている人のところに行って、なんとなく関係が落ち着くまで色々アレしよう、というもの。
というわけで、いま彼らは、東の国の深くの方へと向かっている。
心当たりが、ひとつだけあったから。
「まあ、そのことはとりあえずいいとして――そろそろ、目的地に着くころだよな」
「えっ……あ、はい! あと、五日くらいで……!」
「……そうか。そろそろだな!」
「……はい! そろそろです!」
他の、起きている僅かな乗客たちから忍び笑いをされながら。
ゆっくりと、しかし確かに、馬車に揺られて、向かっている。
東の国の、奥の町。
そこに拠点を持つ、武術道場へ。
空は水色。
春の小鳥が鳴いていた。




