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エピローグ-3(終) 私で、よければ



「む、ジル殿か」

「いや、殿はつけなくていい……」


 次に……あるいは、馬車屋に行くまでの最後にジルが訪れたのは、〈二度と空には出会えない〉の近くに設置された、仮の作業スペースだった。


 おそらくこのあたりにいるだろうと辺りを見回したものの、仮組の建物はやたらにだだっ広く、騎士やら冒険者やらがひっきりなしに行ったり来たりするから堪らない。目当ての人物が見つからずに途方に暮れていると、どうやら仕事の途中らしいアーリネイトがこちらを見かけて、声をかけてくれた。


「どうされた。今日が出立とリリリア様からは聞いているが……」

「そうなんだけど……クラハって、今どこにいるかわかるか?」


 今回の事態を受けて、中央教会からは次々と人員が派遣されてきている。

 その中には大司教の姿もあり、聖女リリリアと違って事務方にも優れていることから、全体の指揮権はすでにアーリネイトから移っている。


 しかし現場の指揮を執っているのは依然変わらず、彼女だ。

 だから訊いてみて損はないだろうと、試しにジルは訊ねてみた。


 訊かなきゃよかった。



「クラハくんがどこにいるか、わかるものはいるか!!!!」



 ものすごい大声だった。

 広い作業スペースの全体に、一瞬で響き渡る。


 そして当然、注目は集まるわけで。


 なんだかめちゃくちゃ恥ずかしいような気がした。


 近くにいた冒険者らしき少女がそれに答えた。

「クラハちゃんならたぶん、今の時間は潜ってますよ。そろそろ帰ってくると思いますけど……」

「そうか、ありがとう。……だ、そうです。ジル殿。この場で待たれますか? お茶くらいなら出せますが」


 にこにこと笑っている彼女に、おそらく悪気はないのだと思う。

 たぶん気に入られてもいる、とジルはわかっている。


 混乱が収まった後にアーリネイトは自分の元へとやって来て、とにかく感謝の言葉を送ってきた。

 曰く、うちの聖女を世話してくれてどうもありがとう。あれだけの力があれば死ぬことはないだろうと思っていたが、まさか「すごい楽しかった」なんて言って帰ってくるとは思わなかった。本当に本当にありがとう。〈星の大魔導師〉からも一行を牽引してくれていた素晴らしい人物だと聞いている。今後ともうちのをよろしく頼む。ぜひぜひよろしく頼む。何と言ってもよろしく頼む。何かあったらいつでも教会へ――ちなみにリリリアが迷宮探索中に行方不明になった件については、やはりその転移魔法陣がラスティエの残した隠し通路だったと見られており、その責任は不問とされたようだ。


 ゆえに百パーセントの善意、と見られたので。


「それじゃあ……」

「――大英雄」

 知っている声が、かけられた。


 目をやると、そこにいたのは長髪を後ろでまとめた、弓士の男。

〈次の頂点〉のメンバーの、ホランドだった。


 彼はジルを見るや頭を下げて、


「申し訳ない。俺もゴダッハの病室に行く予定だったんだが、騎士団からどうしてもと迷宮内部へガイドとしての同行を求められてしまって……」

「ああいや、いい。構わない、全然」


 すでに謝罪は十分受けたから、と。

 ジルはホランドに言って、頭を上げてくれ、とも頼んだ。その間に自分の用は済んだと察したのだろう、アーリネイトはその場を立ち去っている。


「探索は順調に?」

「ああ。やはり滅王の洩れ出した魔力が迷宮として形を作っていたらしい。だがそれも、ええと、あなた方――」

「いいさ、話し方は普通で」

「……いや、そういうわけにもいかない。あなた方三人が最深部で再封印をかけてくれたおかげで、だいぶ薄くなった。あとは普通の攻略済み迷宮と同じで、消え残った雑魚を狩りながら慎重に内部構造を見ていくだけだ」


「階層主は全部消えたと聞いたが、本当に平気そうか?」

「そうだな。そこまで地形的に難しい場所でもないから、おかげで今は随分進行難度も低くなってる。ただ、どうしても中が深いな。マッピングをしても一息に深層まで降りていくのは難しいから、途中にいくつかベースキャンプを整備しながら、調査のための道筋をつけているところだ」

「一応、報告した通り、あの扉を越えるときは注意した方がいい。沈静化で消えた可能性もあるが、雑魚が一匹残っていただけでもかなり厄介だ」

「了解。最初の調査には俺も同行することになるだろうから、よく注意しておく。……使いどころがある間は、生き恥晒してでも冒険者のナリはしてるつもりだからな」

「そうしてくれ。いざというとき、外典魔獣を倒せる人間は一人でも多い方が心強い」


 ああ、と複雑そうな表情で頷いてから。


 ところで、とホランドは言った。


「ひょっとして、ここに来たのは……」

「……まあ、そのつもりで」

「そうか。ちょうど俺と一緒にガイドとして潜ってたから、そろそろ後片付けを終えてこっちに戻ってくるはずだ。……すまないな。気を利かせられなくて。早朝からここに来てたのが、俺とあいつしかいなかったんだ」

「いや、全然。急な仕事だったんだろ。俺だってもっと早く言っておけばよかったんだ。身体の調子を戻したりなんだりで先送りにしてたから、ギリギリに――」


 そんなことを話しているうちに。

 とうとうクラハが、顔を出した。


「あ……!」

 よ、と片手を挙げたジルに、慌てて彼女は駆け寄ってくる。


「す、すみません! ゴダッハさんの病室に行く予定だったんですが……」


 ちょうどさっき言われたばかりの言葉と同じようなことを言って、頭を勢いよく下げた。


「……俺はひょっとして、今後このパーティのメンバーに会うたびにこうして謝られることになるのか?」

「す、すみません! 鬱陶しくて……!」

「いや、そこまではいかないけど……」


 ちらり、とジルはホランドを見た。

 するとホランドも、これまでジルが散々、会うたびにメンバーの全員に謝られてきたこと……その煩わしさを察したらしい。バツの悪そうな顔をして、


「いや、その、なんだ……すまん」

「だから気にしてないって言ってるのに……。なんでもいいから、とりあえずここにいる二人だけは、もう後ろめたさも消してくれ。せっかくここでできた知り合いが『会うたびに謝ってくる人たち』ばかりなのは、なんだかその、寂しくなる」

「す、すみません!」

「…………」


 ううん、とジルが唸れば、ホランドが小さく笑いを洩らした。

 そういうのでいいんだ、とジルが彼に言えば、努力する、と応えてくれもする。


「その、ところで」

 クラハは、ようやく顔を上げて。


「どうしてこちらに? 何か、迷宮に御用ですか?」

「ああ、いや……」


 少しだけそれを言葉にするのは、勇気が要る。

 半年も前に、口先で交わしただけの。


 取るに足りない、忘れられても仕方のないような――


「約束、しただろ」

「え……?」


 きょとん、と目を丸くしたクラハを見て。


 ああ、やっぱりな、と。

 ジルはちょっとだけ、後悔をしながら。


「覚えてないか。まあ、そりゃちょっと話しただけで――」

「――覚えて、くれて……」


 ぼろり、とその丸い目から涙が零れたので。


 ものすごくジルは、ぎょっとした。


「――待て。待て待て待て。泣くな」

 慌ててポケットからハンカチを取り出して、クラハに手渡そうとする。しかし彼女はそれを受け取ろうとしない。涙に輝く瞳は真っ直ぐに、ジルだけを見つめている。


「覚え、て……」

「当たり前だろ。迷宮に潜ってる間も、随分先送りにって……」


 気にしてたんだ、と。

 仕方がないから、ジルがその手で、クラハの涙を拭った。


「だから、その、この街を出る前にと思って――」

「……ごめんなさい」

 再び、クラハは頭を下げた。


 ぽたぽたと、床の上に涙を溢しながら。


「私に、そんな資格は――」

「心配してくれてたんだろ」

 なんとなく。

 彼女の返答は予想できていたから――その言葉を遮ることは、ジルにとって容易かった。


「聞いた。〈次の頂点〉が身動きを取れなくなってる間、聖騎士団に情報を提供してくれたって。……それに、俺が中層に落ちた後、ゴダッハに抗議してくれたって」

「でも、私、何も――」

「何もじゃない。……それだけのことを、してくれたんだろ。できることをやってくれた。俺だって同じだよ。できることをしただけ。――それだけで、十分だ」


 何も恥じ入られるようなことを俺はされちゃいない、と。

 彼は、言った。



「だから、まっさらな気持ちで考えてくれ。

 俺の旅に、一緒に来てくれないか。もしもまだ、そのときの約束が生きているなら」



 剣術を教えると、言ったこと。

 あの日のことを覚えていて、もしもまだ気持ちが変わっていないのなら――。


 そう、彼はクラハに、申し出た。


「こっちのことは、何も気にするな」

 ホランドが口添えもする。


 事前にジルは、ホランドにも――〈次の頂点〉のメンバーにも、話を通していた。

 メンバーの引き抜き……彼女に旅の同行を持ちかけてもいいか、と。


 否、と答える者はいなかった。

 代わりに、その多くが、頭を下げた。


 ホランドも。



――――こんなこと頼める立場じゃないとわかってはいるが。

――――連れていってやってくれないか。あいつを……、



「俺たちは俺たちで、どうにかやっていくから……だからお前も、行きたいところに行け。なりたいものに、なっちまえ」


 とうとう、泣き声を抑えるべくもなく。

 ジルは、泣き崩れる彼女に、語り掛けた。


「まあ、その……偉そうなことを言ってはいるが、こっちの都合もあるんだ」


 どこか恥を忍ぶような、声色で。


「前に言った通り……俺は絶望的に方向音痴なんだ。眼鏡があってもなくても、変わりなく。実際、ここに来るまでも三人くらいに道を訊いて、しかも最後は結局、直接連れてきてもらったくらいだ。できることよりも、できないことの方がずっと多い」


 それなのに、と困ったように、

「実は、やることができた。他に封印から抜け出した外典魔装や外典魔獣がいないか調べるとか、いざまた封印が緩みかけたときに肩を並べて戦えるような戦士に声をかけにいくとか……まあ、そういう、修行ついでの頼まれごとを、色々と。……しかしどうも俺の勘では、一人じゃろくな旅にならない気がしてる。それはもう、ひしひしと」


 だから、と。

 彼は、言った。



「俺は剣を振るしか能がない――。

 クラハ。剣を教える代わりに、これから先の旅を、手伝ってくれないか?」



 何度も。

 何度も何度も、クラハは泣きじゃくった。言葉を放とうとして、何度も何度も、声を詰まらせた。


 けれど、ジルは。

 何も言わずに、その言葉が生まれてくるのを、待っていたから。


 涙で濡れた顔を上げて――彼女はとうとう、その言葉を口にすることが、できた。


「ずっと、憧れて、たんです」

「……うん」

「子どもの頃から、ずっと、冒険者に、遠い、世界に、旅立っていくことを――」


 涙を、袖で拭って。


「資格なんか、ありませんけど、それでも……それでも、私――」


 最後には、真っ直ぐに彼の目を見つめて。

 こう言った。



「私で、よければ……!」



 もちろん、とジルは頷いて。

 よろしく頼む、と頭を下げた。



 準備をしてきます、と外に飛び出していこうとするクラハを、待ってくれ、とジルは引き留める。先に行かれるとまた迷ってしまうから、と。


 すみません、と彼女が言って。

 こちらこそ、これからたくさん迷惑をかける、と彼も言って。


 この街の人々に、一言だけの別れを告げて。

 あてもない再会の約束を、取り付けて。



 二人並んで、旅に出た。



 見上げれば空は青く、花びらが風に香っている。



 気付けば、もう春が来ていた。




(一章・了)




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