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6-1 来るな



 どう反応していいかわからなかった、というのがクラハの本当のところだ。


 こういうとき、ジルなら物事の裏を読むことができたのだろうか。あるいはそうした裏を読むこともないまま、しかしこれから起こる様々な可能性に対して、落ち着いて構えてくれていたのだろうか。今ここにいない人がもしいてくれたら、なんて考えても仕方のないことだとは思うけれど、それでも。西の大聖堂に向かう馬車の中で、クラハはつい考えてしまう。


 聖女候補筆頭、ニカナ。

 リリリアの後釜に座ることになるだろう彼女は、どうして自分たちの前に現れたのか。


 どうしてそれを隠していたのか。

 彼女には、何の目的があるのか。


 何を考えているのか。


 そういうことをずっと考えて、馬車の中では当たり障りのない会話ばかりをしていた。




「あのさ。訊いてみないかい? ニカナさんに直接」

 そんな中で、ユニスが言ったことだった。


 まだ昼の少し前のことだった。馬車だって日の出から日没まで延々と動き続けているわけではない。途中の草地で、馬が補給のために休むこともある。草を食んで、水を飲んで、足を休める。そういう休憩の時間がある。


 そのときのこと。

 二人でついでに食事を済ませているとき、ユニスが言った。


「訊く……というのは」

「事情をってこと」


 ニカナは、この時間になるたびに何かの理由を付けて離れていく。


 何かをしているのでは、とクラハは思わないでもない。思わないでもないが、後をつけるほどの思い切りは――ある。一度だけ、気配を消して後を付けてみた。何のことはない。彼女は自分たちと少し離れた場所で、小麦畑をぼうっと眺めながら、黙々とパンを口に運んでいた。むせて、胸を叩きながら水を飲んでいた。それだけだった。


「もしかしてジルから何か言われてない?」


 ぎくりとした。

 が、ぎくりとする必要もなかったのではないかと思い直す。素直に、クラハはその問いに答える。


「はい。具体的にどうというわけではないんですが、ジルさんが抜ける分、周囲に警戒しておくようにと」

「しすぎじゃない?」


 あまりにもあっさりと言うものだから、驚いた。


「その、こう言うとなんだけどさ。馬車の中でクラハもニカナさんも、ピリピリしすぎてると思うな。聖女候補がどうこうって話が出てから、何かお互い、色々考えすぎっていうか」

「そう……でしょうか」

「そうだよ。僕、お腹痛いもん」


 えっ、と驚いた。

 手に持った干し肉を置いて立ち上がる。大丈夫ですか、と慌てて訊ねる。かえってユニスの方が慌てた様子で「いや比喩、比喩ね」とそれを抑えてくる。


 でも、と続けた。


「折角僕らのことを護衛するためについてくれてるのにさ。護衛されてる僕らの方が警戒してたら、ニカナさんも可哀想じゃないかな。仲間外れにしてるみたいで」


 仲間外れ、と言われると。

 何だか自分のしていることが、急に幼稚なものに見えてくる。しかし、とも思う。ジルに言われたからとか、それだけではなく、改めて。


「でも、」


 合理的な行動ではあるはずだ、と。


「私たちは、彼女のことを知りません。南方樹海でのこともありますし、無条件に信頼を置くわけには――」

「なら、なおさら話してみようよ」


 これもまた、あっさりと。

 本当にあっさりと、ユニスは言った。


「知らないから信頼できないっていうなら、話してみようよ。相手を知ろうとしないままなら、一生誰のことも信じられないじゃないか」


 確かに。

 確かに、それはそうなのだ。


 反論の余地がない、とクラハは思った。思ったが、それでも頭の中ではもう少しの間、色々な懸念が浮かんでいる。今この場でというわけでなくともいいのではないだろうか。どうせ目的地に着けばリリリアとも合流できる。聖女候補筆頭ということなら、ニカナとの面識もあるはず。そこでリリリアから詳しい話を聞いて、それからこちらの態度を決定してもいいいのではないだろうか。


 この騒動が始まってからというもの、クラハはしみじみと感じているのだ。

 誰が何を考えていても、何を始めても、不思議ではないということを。


「そう……ですね」


 それでも、そう答えたのは。


 本気で納得していたから、というわけではなかった気がする。この停滞した緊張状態への疲弊であるとか、そこにユニスが解決策らしきものを提案してくれたことへの安堵感だとか、どちらかといえば後ろ向きな感情が言葉になったように、クラハには思えた。


「そうしましょうか」

「うん」

「…………」

「…………」

「……あっ、私がですか?」


 言い出しておいて、ユニスは一歩も動かなかった。


 訊ねると、うん、と頷かれる。うん、じゃないという気持ちが流石にクラハの中にも芽生える。


「だって、よく知らない人と話すのって緊張するし……クラハは、ニカナさんと普通に喋ってるじゃないか」

「それはそうですけど」

「というか、いつの間にか二人とも丁寧語が取れて呼び捨てし合ってるよね? 僕の方が付き合いが長いのにさん付けのままなのはなんで?」


 そして急に詰め寄ってくる。

 今度は抑えるのはクラハの番だ。抑えるというより押し込まれそうになりつつ、両手を胸の前に挙げて、「なんでというか」の先を考えている。


 ざっ、と音がした。

 二人で同時に振り向く。ニカナが馬車の方に戻ってきている。


 目が合うと、彼女はぺこりと頭を下げて、


「すみません、お水だけ」


 小さな声で、ユニスが囁く。


「おねがい」


 お願いされても、と思った。

 しかし、こういう場面で何もしないでいたらいよいよ自分がこの旅についてくる意味もなくなってくる。


「ニカナ。ちょっといいかな」


 クラハは意を決した。


 言われた方も、突然意を決されてびっくりしたのだろう。ただでさえ大きな丸い瞳を、さらに丸くする。うん、と頷く。


 いいけど。


 目の前まで来た。

 それでクラハは、自分が気後れしていることを自覚した。


 我ながら、と思う。ついこの間まで、何も知らない間は普通に話せていたのに。だというのに、聖女候補なんて話をちょっと聞いたらこれだ。目の前にいる人が自分より遥かに優れている人だからと言って、急にこれまでの態度を変えて緊張し始めている。


 良くない、と思った。

 自覚をすれば、なおはっきりと。そういう振る舞いは、逆方向にも働くから。


 すごくない人の前なら緊張しなくていい、という軽視にも繋がるから。


 だから意識して自分を律して、いつも通りに、だけどしっかりと警戒心は持ったままで、


「聖女候補ってこと、」


 びくりとニカナの肩が震えた。

 そのことに、こっちも驚く。多分、後ろでユニスも驚いた。足元で、少しだけ影が動くのが見えた。


「どうして、隠してたのかなって」


 それでもクラハは、言い切った。

 しばらく気まずい沈黙が流れた。ニカナはいかにも「いつかは訊かれると思っていた」という顔をしていたけれど、答えまではまだ用意できていなかったらしい。繋ぎの言葉もない。ただ黙って、視線を泳がせている。


 クラハもまた、それ以上は問い詰めずにいた。



「――というのもだねえ!」



 気まずさに耐えられずに、爆発したのが一人いた。


 さっきまでとは比べ物にならないびっくりぶりだった。クラハは思わず、左の足を引いて半身になった。ニカナの方はといえば、その言葉の圧力なのか、それともたまたま風が吹いただけなのか、前髪が浮いた。


 ユニスが前に出てきた。


「僕らもほら、今から不吉な予兆があるっていう方向に向かうわけだろう!? 目的地まで何もないとは限らないし、いざというときのためにお互いの情報を交換しておくのが得策なのではないかと思ってねえ!」


 すごく大きな声だった。

 しかも、決めポーズまで取っていた。


 もしかすると、とクラハは思った。最初にユニスが現れたときは、てっきり余裕があってミステリアスな人だと思ったけれど、あのときも実はこんな感じで、すごくちゃんとした準備を裏でしてきただけなのかもしれない。あるいは、自分の方に余裕がなさすぎて、こういう無理のある言動に気付かなかっただけなのかもしれない。


「そ、そうそう」


 フォローせざるを得なかった。


「道中、何が起こるかわからないから。ニカナは聖騎士だって聞いてたけど、聖女候補だっていうならもうちょっと、私たちが想像してるのとは違うことができるのかもと思って」


 大図書館でのこともあるし、と付け足す。


 付け足しながらふとクラハは、今更な納得を得ている。あのとき混乱状態になっていた〈原庫〉を簡単に静かにしてしまった彼女の力が、そのまま聖女候補としての裏付けなのかもしれない、と。


「あ、えっと」


 ぽかんとしていた。

 ニカナは、ユニスの勢いに押されて。けれどそのうち、じわりと口を開いてくれる。


「ごめん、びっくりしちゃって……。責められると思ったから」

「いやいや! そんなことはないとも!」


 ユニスはそう言ったけれど、クラハは少しだけ、胸に罪悪感が湧いた。


 意図せず責める口調になってしまった、と言い訳をするつもりはなかった。さっきのは、純粋に警戒から出た質問だったから。厳しく聞こえたのは、何もニカナの勘違いからというわけではなかったから。


「聖女候補っていうのは、その、まあ、過大評価っていうか」


 けれど、どうも彼女の反応にも、それだけではないものがあるような気がした。


「あっ! でも別に、カドリオン様やアーリネイト隊長がユニスさんたちを軽んじてるとかではなくてですね! 何て言ったらいいんだろう、あの、なんかこう、上からの評判は良いんだけど実態が伴ってないっていうか」

「実態は伴ってないのに評判は良いのかい?」


 ユニスが素朴な疑問を投げかけると、ぎくりとしたようにニカナの身体が固まる。


 あーっと、とか。えーっと、とか。そういう言葉を口から吐き出して、間を埋めようとする。


 クラハは、ユニスと顔を見合わせる。


 怪しかった。

 怪しすぎて、逆に怪しく見えなかった。


「もしかして、何か本当に事情が……?」


 おずおずと、クラハはニカナに訊ねてみた。


 もちろん、「人には話せない事情が?」という風に訊ねてみることもできるとわかっていたけれど、あえてそこまでのフォローは入れずに。そう訊ねたら、こうなるとわかっているからだ。「そ、そうそう! 実はそうで、人に話せなくて……」「そうなのかい! それじゃあ仕方ないねえ!」普通の会話ならそれが一番円滑だと思うけれど、こっちだって、それなりの成果は得たい。本当にこちらにとって不都合なことを隠されていたらと思えば、多少は強引に進める必要もある。


 そういう打算のおかげだったのか、それとも初めからニカナは、ある程度話すことを決めていたのか。


「ポテンシャルはあるっていうか」


 ぼそりと、本当に小さな声で、


「一応、聖女以外の中での神聖魔法の出力は一番高いっていう評価で……」

「すごいじゃないか」


 すごく素直なトーンで、ユニスが言う。

 それで、かえってニカナは怯んだように見えた。ありがとうございます、と頭を下げる。その一方、クラハは不思議に思っている。


 どうしてそんな人が、自分たちの護衛についているのだろう。


 もちろん、それを教会側の――アーリネイトの誠意だと見ることはできると思う。ジルを借りる代わりだと考えれば、それだけの人物をと。けれど、とも思う。自分が教会の人事を差配できるなら、きっとそうはしない。聖女の役職は持たずとも、聖女を除いて随一の神聖魔法の出力を持つ人物がいたら、もっと回すべき箇所がある。


 それはたとえば、拠点防衛の要として各国の首都に駐在させるだとか。


 あるいは少し前までのリリリアがそうだったように、神聖魔法を用いた魔道具の生産に力を尽くしてもらって、大陸全体の安全レベルを引き上げるだとか。


 もっと他に、色々とやれることがあるんじゃないだろうか。


「あ、でも全然それだけで」


 ニカナが、重ねて言った。


「他の聖女様方もそうですけど、ユニスさんなんかとは全く比べ物にならないほど未熟者なので、はい。あの、だからこう、自分から堂々と『聖女候補です!』と言うのも恥ずかしいという感じで」


 すみません黙ってて、と彼女は、


「あ、でも! 護衛の任の方はしっかりと――」


 ここまでだったら、正直なところクラハは、ニカナに対しての警戒をそれほど緩めることはなかったと思う。


 だって、何も解決してない。ポテンシャルがあるというのはわかった。神聖魔法の出力が聖女を除けばもっとも高いというのもわかった。多分、そこに嘘はない。アーリネイトやカドリオンが彼女を推してきた以上、三人が三人とも、という形以外では、嘘になりようがないと思う。


 でも、「まだ未熟だから恥ずかしくて」というだけでは、カドリオンから聖女候補という情報がもたらされて以降、あんな風にぎこちなくなる理由はないとも思う。 


 責められるのを恐れるなんて必要は、そこまでないと思う。


 できることなら、とクラハは思った。

 折角できた機会なのだから、ここで一気に疑問を解消してしまいたい。何らかの事情がニカナの方にあるにせよ、自分だって自分の仕事を果たしたい。


 続けて放つための質問の言葉を、クラハは考えている。


 その必要がなくなった。



「――――」

 ひゅっ、とニカナの喉が鳴る音を、クラハは聞いた。



 唐突な沈黙だった。さっきまで何かを誤魔化すように大きな声で話していたニカナの声が、急に途切れる。瞳が大きく見開かれる。


 方角を確かめた。


 今は、大図書館から西の教会本部、北西へと向かう旅の途中だ。自分とユニスは、馬車を降りて少しだけ、道を進むようにして食事の場所を見つけていた。つまり、馬車からさらに北西側。一方でニカナは、馬車に水を取りにきていた。だから向かい合ったとき、ニカナは北西を見ている。


 自分たちが、これから向かう方。

 彼女の視線の先に、振り向いた。


「どうかした?」

 とユニスが訊く。ニカナは答えない。クラハは最初、その原因になったものを見つけられない。それでも、もしかしたらジルと一緒にいたことで仕草が移ったのかもしれない。


 彼がよくそうするように、目を細めて、遠くを眺めた。


「風が」

「風?」


 ユニスが問い返したときには、もう少しはっきりとそれを捉えられるようになっている。


 風を目で見ることができるということは、つまりその風に巻き上げられたものがあるということだ。茶色と白と黄色の混ぜもの。すなわち、砂の色。通ってきたのは、と思い返す。この大陸は、北の方が気温が低い。秋も冬も、少し早く訪れる。きっと、田畑のすでに収穫を終えた方。


 草の根を失った土地の砂が、風に舞い上がっている。

 それだけではない、と思った。


「――竜巻?」

 大仰に映った。


 遠くにあるにしては、くっきりとその砂が目に映る。徐々に大きさを増しているように見える。それは渦を巻き始め、やがて、目を凝らすこともなくともはっきりと視認できる現象になっていく。


 大風が吹いている。


「進行方向ですね」


 こうなると、と考えた。

 自分の仕事は、こっちの方が優先される。頭の中で地図を広げてみる。ユニスがいれば無理やり突っ切ることもそれほど非現実的な案ではないと思うが、相手は自然現象だと思えば、第一案は『避ける』だ。


「迂回できる道がないか、少し考えてみます」


 ああ、とユニスが頷くとき。

 頼むよ、と仕事を任せてくれたときのこと。


 どさっ、と背後で音がした。


「――ニカナ?」


 彼女が、地面に膝をついていた。


 痛そうだ、とつい思ってしまう音だった。膝をついたというより、膝から落ちたと言った方が近かったかもしれない。彼女は俯いている。両手で二の腕を抱え込むようにして、自分の身体を抱きしめている。


「……るな」


 それから、二つのことが同時に起こった。


 大丈夫、とクラハは彼女の肩に手を掛けるように屈みこむ。ふっと視界が翳る。不思議に思って振り向こうとする。ユニスが言う。風が。振り向く。ユニスの言葉が正確ではなかったことを知る。正しくは。一瞬の間に、クラハはその言葉を思い浮かべている。


 砂の、




「――――来るな!」



 嵐が、ぶわりと膨らんで。

 ニカナが叫んだと同時、無理やりに縮められた。




 ぞっとしたのは、自分だけではなかったはずだとクラハは思う。


 あれだけの大きさの砂嵐なのだから。きっと、遠くの街からも見えたはずだ。肝を冷やして、自分と同じように胸の動悸と向き合っているはずだ。だって、あの一瞬。ほんの一瞬のことだけれど、それはものすごく膨らんだ。見上げるくらいに。怯えるくらいに。


 あとほんの一瞬でも長く続けば、自分まで巻き込まれてしまいそうなくらいに。


「今の、」


 振り向いて、問い掛けた。

 膝をつく彼女に。脳裏に浮かんでいるのは、さっきの声。来るな、という制止の言葉。その途端に、まるで見えない大きな手がぐっと握り込んだように、砂嵐が縮んだ姿。


「ニカナが?」


 訊ねた。

 けれど、目の前の彼女は、まるでそんなことをしたようには見えなかった。


 俯いたままだった。様子を見ようと、クラハは一層屈みこんだ。そうしたら、見えた。


 涙が。

 はらはらと、地面の上に落ちていって、


「もう、嫌だ……」

 ニカナは、絞り出すようにそう呟いた。





「なるほど」


 その頃ジルは、聖女ダヴィサとともにそれを見上げている。


 西の街を少し出たところだ。穏やかなあの場所を離れて、しかし離れすぎてはいない。来るときは気付かなかったけれど、今となっては肉眼でもはっきりとわかる。


 その場所は、街と野を隔てる境界線。

 大聖堂に拠点を構える教会が敷いた、人里を守る大結界の境目。


 ああ、と隣でダヴィサが頷いた。


「うってつけの魔獣、ってわけだ」


 それが今、食い破られようとしている。


 大鋏を携えた、蠍の魔獣。

 外典魔獣中位種、〈灯火〉の手によって。



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