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4-4 何か見つかった?



 気配を感じて振り返る。

 大袈裟な動きになったからか、振り返られた方は両手を胸の高さまで挙げて、驚いた顔。


 ニカナだった。


 ほっ、とそれでクラハは肩の力を抜く。


「ごめん。驚かせた?」

「ちょっとだけ」


 でも大丈夫気にしないで、と伝えれば、そっか、とニカナは笑う。彼女はそのまま一歩進んで隣に並んでくると、


「何か見つかった?」

 と訊いてくる。


 クラハは、困った。


 目当てのものは、一応見つかるには見つかったのだ。けれど、それは呪いに関するものであって、滅王や先史文明に関するものではない。全然違う調べものをしていましたそっちは収穫ありました、と率直に伝えるのもいかがなものかと思っていると、


「こっちは全然」

 とニカナは続けてくれた。


「大陸が五つあるとか、先史文明の巨大遺跡が見つかったとか……。すごいことなんだなあとは思うんだけど、正直あたし、全然ピンと来てなくて。『ほんとにそんなのこの図書館で見つかるの?』って感じ。クラハは見てきたんでしょ?」


 どうだった、と訊かれる。

 そう言われると、とクラハは当時のことを思い出して、


「すごかった……けど」

「けど?」

「そう言われると、あんまり私も上手く消化できていないかも。こう……呆然としちゃって」


 巨大遺跡は実際に見たからともかくとして、大陸が五つあったと言われても、と。

 確かに、ニカナの言葉に同意するところもある。


「あ、ほんと? だよね」


 嬉しそうに彼女は笑う。

 それから両手を後ろに組んで、ふらりと身体を揺らすと、


「宗教関係?」

 と、棚を見て呟いた。


 あ、うん。クラハは頷く。ちょうどいいからついでにと、別の本の背表紙も眺め始めてみる。


「確かにあの……何だっけ、大きな塔」

「〈天土自在〉?」

「そうそれ。あれってなんか、宗教施設っぽいもんね。ラスティエ教のよりも、だいぶスケールは大きいけど」


 宗教施設。

 それは、クラハにとってはかなり意外な言葉だった。


「あれ、そう思わない?」

「あんまり。……あ、そっか」


 最初に警備用の人形が出てきてたからとか、地下水路があったからとか。

 そういう実際に見てきたものから得た印象について語りつつ、しかしクラハは同時にこうも思っている。


 そう言われると、あれだけ高い塔は宗教施設にも見えるかもしれない。


 ふっと、そこから発展する疑問が頭に浮かんだ。


 ラスティエ教は、成り立ちからして明らかに『この』文明において生まれたものだ。

 それなら先史時代には、一体どんな宗教が『支配的』だったのだろう?


 答えはこの手に握った本の中、自分が興味を持って読んだ以外のページの中に眠っているのか。それとも他の本も見てみなければ疑問は解消しないのか。あるいはそんなことを書いた本は、すでに過去に葬り去られてしまったのか。


「でも、色々見つかるといいよね。滅王への対抗策とか」


 ここに限らず、とニカナは隣で、いくつかの本を手に取りながら言った。


「まあちょっと、そういうのがどんなのかって、思いつかないけど」


 実利的な方向に話は戻り、だからクラハも気を取り直す。


 確かに、ニカナの疑問はもっともなものだと思った。他の、もっと書物の読み方に詳しい魔導師たちなら専門的な調査の仕方も心得ているだろうが、自分たちみたいな素人は、何かしら「こういうものが見つかるはず」という事前の決めつけがあった方が調べやすい。


『そういうの』が『どんなのか』に考えを巡らせるのも、悪くない。

 そうだなあ、と背丈より少し上の棚の並びを見て、


「再封印の方法とか?」


 結構、妥当なものを出したつもりだ。

 証拠に、うん、とニカナも頷いてくれる。


「封印が緩んでるのが、確かに色んな原因だもんね。ラスティエ様が当時どうやって封印したのかとか……あ」

「何?」

「剣は?」


 何の話なのか、最初わからなかった。

 けれどそこからニカナが続けた言葉を聞けば、どうしてそういう単純なことが頭になかったのだろうと、自分でも不思議な気持ちになる。


「教典にもあるでしょ? ……えーっと、ちょっと正式なのはすぐには出てこないんだけど。読み聞かせで言う、ほらあれ。〈強くてすごい、絶対折れない魔法の剣〉ってやつ」


 それは神聖魔法の呪文にも使われる、ごく一般的な教典の言葉だ。

 たとえば、武器の強化なんかに。


 もちろんこれは子どもの読み聞かせに使うような、本当に簡易な文言ではあるけれど。けれど確かに、しっかりとした教典にも同じ意味の言葉は載っている。


「そっか」

 とクラハは、素朴に頷いた。


 どうして今まで思いつかなかったのだろう、とすら思った。


「教典に書かれてるってことは、ラスティエ様が使った剣もあったんだよね」

「そう思うでしょ? 何だっけあの……外典……」

「外典魔装?」

「そうそれ。そっちもすごい強いらしいし、聖剣があれば一気に戦いも楽になりそうじゃない?」


 滅王が復活しても勝っちゃったりして、とニカナは剣を振るように腕を動かす。ごんっ、と勢いよく棚に手をぶつける。無言のまま膝を折ってうずくまる。


 大丈夫、と心配の声をかけながら、でも、とクラハは思っていた。


 この考えは、かなり面白い。

 これまでに遭遇した外典魔装は、どれも強大な力を持っていた。そう考えれば、ラスティエが使ったという聖剣にも同じくらいの力が――あるいは、十三に分かたれてないだけ、外典魔装のどれより強大な力を持っていてもおかしくはない。


 想像した。

 本当に、絶対に折れない剣があったなら――


「……聖剣、なくていいかも」


 涙目で、ようやくニカナは立ち上がった。


「棚ぶつけよう、棚。滅王の小指とかに」

「小指に当たったんだ? すごい音がしたけど、大丈夫?」


 大丈夫なことには大丈夫、と彼女は手を見せてくれる。

 言った通りだった。あれだけすごい音が立ったのに、指が赤くなった様子もない。一部始終を見ていなければ、そもそもぶつけたなんて思いもしないだろう。


 それでも痛みは残っているのか、彼女は手を擦りながら、


「でも、そんなのあったらもっと前から引っ張り出してるか」

 と、もっともなことを言った。


 そうだね、とクラハも頷く。


「外典魔獣を相手にもっと早く使うだろうし、そもそもそういうのって、文化財にされて教会が管理してそうだよね」

「ね。それに、えーっと、〈天土自在〉。あそこで見つかった新情報とも全然関わりないし」


 あんまり大当たりを期待しないようにしよう、とふたりで話し合った。

 余計なことは考えず、先史時代の大陸面積を表す手掛かりがどこかにないかを探すのが一番だということにした。もっと地理的な分野の棚に行くといいのかもしれない。ふたりで足並みを揃えて歩き出す。


 先に気付いたのは、クラハだった。


「どした?」

「今、」


 ほんの微細な違和感だった。


 多分、と思い返せばクラハはそう考えられる。ジルの言う通りだったのだ。日頃の小さな習慣が、自分の能力を育てていた。その結果がきっと、ここで初めて顔を見せたのだと思う。


 暇さえあれば魔合金を弄っていたから、わかった。

 微細な魔力に反応するそれをずっと触っていたから、自分自身に、そうした微妙な魔力反応を捉える力がついた。


「何かいるような、」


 気がした、と。

 呟いた言葉は、それでもあまり、意味がなかったと思う。




 直後、バチン、と大きな音が響いたから。




「えっ!? 何のお――」


 ニカナが上げた驚きの声が、始まりだけ聞こえて、後ろはもう聞こえない。


 遮られた。

 雷鳴のように、轟く音に。


「ちょ、耳――」


 ニカナが耳を押さえるのも、無理のない話だった。


 まるで地響きのようだった。〈原庫〉どころの話ではなく、大図書館全体が地盤沈下や地滑りに巻き込まれて横転しようとしているかと思わせるほど大きく、建物全体が揺れている。あちこちで、稲妻のようにバチバチと弾ける音が聞こえる。肌が震える。音が耳からではなく肌から入って来て、骨に響く。書架に収められた本の背表紙が浮いて、ビリビリと細かく速く、震え続ける。


「何かが紛れ込んでる!」


 その音を切り裂いて、ユニスの声が響いた。

 ずっと遠くからだ。きっと〈原庫〉の入り口の扉から、全体に声を響かせている。


「全員動くな! 調整が乱れて爆発する!」


 その言葉に、クラハは踏み出しかけた足を止めた。


 さっきのわずかな違和感が、その後に起こったことではっきりと裏付けされた。いたのだ。間違いなく何かが、自分たちの後ろに。ユニスがこの状況になるまで気付かなかったということは、相当微小な魔力しか持っていない、あるいは隠蔽そのものに長けた魔獣か魔法か、そういうものが。


 追える、と思った。


 ものすごい音だし、一度調整が乱れたのをきっかけに様々なところで魔力が弾けているけれど、自分は一番最初にその音がした場所を覚えている。『紛れ込んだもの』が初めにどこにいたのかがわかる。どこに行ったのかも、何となく。


 けれど、自分が動くことで〈原庫〉全体にどういう影響が出るのかわからない。

 ユニスが収めてくれるのを待つしかない。


 そう思ったときのこと、


「ねえ」

 ものすごく近くまで来たから、ようやく声が届いた。


 ニカナだった。髪と髪が触れ合うような距離。身振り手振りを交えながら彼女は、おそらくこういう趣旨のことを言う。


「とりあえず、止めちゃえばいいんだよね?」


 クラハはそのとき、次に起こることを予想していたわけではない。

 轟音の中で、コミュニケーションに苦労していたからだ。会話を成立させるのに精一杯で、投げかけられた問いかけに、そのまま答えを返してしまう。


「そう!」


 ニカナの動作は、素早かった。

 何かを唱えたのかどうかも定かではない。右の手を耳から離す。音に眉を顰める。その右手が頭より上に上げられる。風に飛ぶ紙切れを机に押さえつけるように、無造作にその手が振り下ろされる。




 ぱんっ、と。

 その音を最後に、全ての音が消えた。




 誰もが呆気に取られたはずだ。


 一番近くにいて、そうなることを一番事前に予見しやすかったクラハですら唖然とした。あれだけ〈原庫〉内部に広がっていた魔力の不調和が消えた。肌感としては、ユニスが完璧に調整をし終えたような形ではない。


 魔力活動が、強制的に止められた。


「え、あれ?」


 目の前で急に不安そうに、


「これじゃダメだった?」


 ニカナが呟いたから、それでようやく理解できる。

 彼女が、それをしたのだと。


「あ、いや」


 それで、思考がまた回り出した。


「大丈夫!」


 叫んでから、駆け出した。


 ああちょっと、とニカナが後ろから声を掛けてくるのに、ちょっと待ってて、とだけ返す。振り向かない。


 まだ今なら、大体の場所がわかるはず。


 数人の魔導師とすれ違う。この状況で思い切り走っているクラハが相当目立ったからだろう。何があったのかと訊ねてくる者もいれば、この状況を引き起こしたのはこの女に違いないと魔法を飛ばそうとして、しかし危険性を考慮して引っ込めるような者もいる。


 その全てを置き去りにする速さで、クラハは辿り着く。


「わ」


 踏んで、気が付いた。

 そこはやはり、書架の前の通路だった。


 この〈原庫〉には書架の前ではないところを探す方が難しいから、何の変哲もない場所と言い換えることもできる。クラハはそこで、靴の底に奇妙な感触を覚えた。屈み込む。


 透明な何かが、そこでくたばっている。


「クラハ!」

 と、それを掴み取ったときに声がした。


「状況がどうなってるのか報告してくれ!」


 それは遠くから放たれた、ユニスからの音だった。通信に指向性を感じる。彼のことだから、こちらからは不用意に魔法を使わなくて済むよう、音を拾うような系統の魔法も併用していることだろう。そこまで読んでクラハはごく普通の、話しかけるのと同じような音量の声で口を開く。


「内部の混乱は、ニカナさんが止めました。おそらく神聖魔法だと思います」


 おーい、と同じく遠くから、自分を探す声がクラハの耳に届いた。


 ニカナだろう。追いかけてきたらしいが、まだ距離はある。彼女についても気になることは出てきたが、一旦それは胸に留めたまま、クラハは続ける。


「混乱の原因は、おそらく目の前の魔獣だと思います」

「外典魔獣?」

「外形が透明で、判断がつきません。ニカナさんの一押しで、すでに活動は停止しているようですが」

「わかった。一旦他の魔導師を外に出してから、そっちに合流するよ」


 ユニスの言葉に、クラハは補足意見も出しておく。単に魔獣が外から勝手に入ってきただけならいいが、調査に加わっている魔導師の中に手引きをした者がいるかもしれない。外に出すだけではなく、一旦全員の身柄も押さえておいて、もう一度状況を確認した方がいい。


 わかった、とユニスは素直に頷いてくれて、


「そこまで大掛かりな行動が必要なら、今のまま先に現場の保全だけは済ませておこう。大体の位置は取れてるんだけど、一応棚番号を教えてもらえるかい」


 ええ、とクラハは頷いて棚番号を伝える。

 すぐに行くよ、と通信は途切れる。果たしてユニスが屋内で、いくら地図や魔力的な道標があるとはいえ、それほど容易く合流できるものだろうか。そういう余計な不安を抱えながらも、クラハはその場所で待機を始める。


 先にニカナが合流してくる。


 何だったの、と訊ねる彼女に、かくかくしかじか、と伝える。ええ怖、とすごく素朴な感想が返ってくる。ほんとにいるの、と見えない魔獣を触って、ひっ、とびっくりしたように飛びすさって、それから彼女は、


「何の本探してたの、こいつ」


 それは、一段飛ばしの疑問だった。


 少なくともクラハの中では、今の状況とすぐに結び付けられる言葉ではなかった。遅れて、ああ、と思う。ニカナの中では、魔獣がここに侵入してきたのはこの大図書館の〈原庫〉に用があったからなのだと決まっている。だから、その魔獣が何を目当てにここに入ってきたのかを気にしている。


 棚を見上げている。


 宗教関係。

 ラスティエ教の歴史。





 外が騒がしくなってきたのを、部屋の中でリリリアは感じていた。


 中庭に面した窓から覗いてみても、特にその理由はわからない。けれど何となく、察するところがある。きっとジルなのだろう。本人は至って大人しいものなのに、トラブル体質というべきか、至るところで騒ぎを引き起こしている。


 ちょっと笑う。

 ふと、目を留める。


 椅子から腰を上げて彼女が向かうのは、ベッドの方だ。この地方の寝具へのこだわりはすごい。たとえ間に合わせのものでも、まずそうした寝具由来の不眠というものは起こらない。いかにもふかふかに膨らんだその横。


 ベッドサイドの、白いチェスト。

 その引き出しの一つを、彼女は開けた。


「わお」


 その中に入っていたものを手に取って眺める。

 それは、一冊の本だ。あるいは手帳と言い換えてもいいかもしれない。古臭い、何度か装丁を付け替えたと思しき、茶色い小さな本。


 彼女はその表紙をめくって、それを指すための適切な言葉を、誰にも聞こえない声で口にする。


「外典魔本か」



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