15-2 いいわけねえだろ
ユニスは、これまでに一度も時戻しの秘法の破り方を考えたことがなかった。
なぜと言って、そもそもこの秘法は、それほど実用性の高いものではないからだ。
馬鹿げた量の魔力を使って、ようやく一秒を遡ることが精々。準備に非常な手間がかかるから、実験内容を二秒以上に拡張することすらまだ行えていない。最高難度迷宮の奥底で単身で発動したときだって、自分自身に驚いたほどなのだ。
戦闘だの実戦だの、そんなものに使うことなんて端から想定していない。
まさかこんな形でそのリソースの問題を解いてくる人間がいるだなんて、夢にも思わなかった。
だからこれから行うのは、自分が長年温めてきた解法でも何でもない。
あの大樹の塔、〈天土自在〉を出るまでのほんのわずかな間に、リリリアによって授けられた咄嗟の知恵だ。
「〈葉を咥えては飛ぶ鳥よ――」
走りながら、魔法を唱える。
真っ白な紙のようなものが、ユニスの手のひらの上に現れる。それはぱたぱたと自分の身体を畳んでいくと、あっという間に一羽の小鳥の姿に変わる。
「――届けろ〉!」
けれどその飛ぶ速度は、本物の小鳥とは比べものにならない。
ぱ、と手のひらから飛び立つと、それこそ魔法のようにその鳥は樹海の木々をかき分けて、奥へ奥へと飛んでいく。
ユニスもまた、それを追う。
奇妙な不安を、その胸に抱えたままで。
†
その魔法の鳥が自分の肩に降り立ったとき、クラハはすでに自分がすべきことをわかっていた。
ずっと考えていたことだ。もしもこれができるなら、もっと事態は簡単になるはずなのに。けれど今まではその作戦が取れなかった。それに伴う致命的なリスクのことを、彼女は理解していた。
「クラハ、次――」
「ジルさん」
何度も何度も失敗を繰り返し、そのためにまた傷だらけになったジル。
そうさせてしまった自分の力量に不甲斐なさを覚えながら、しかし確固とした声色で、クラハは囁く。
「ユニスさんが来ました。次は、私も行きます」
ひどく単純な話だ。
ジルが攻めあぐねているのは、彼の未熟のせいではない。移動を続けるロイレンの確かな場所を、今の彼では掴めないこと。自分が扱える範囲の魔法では、その案内を十分に行えないことが原因なのだ。
魔法がダメなら、直接一緒に行けばいい。
今なら。ユニスが援軍に来てくれた今なら、たとえ失敗して自分が戦闘不能になったとしても、ジルのサポートを引き継いでくれる人がいる。
今、自分は捨て身になっても構わない。
そのことが魔法の鳥の存在だけでわかって、しかし、
「……?」
それが耳元で囁き続けた言葉は、その途中から、自分の想定を超えている。
「作戦は?」
ジルが訊ねる。クラハは迷わなかった。後半に込められていた指示は、一体どういう意図があるのかわからない。それでもユニスとリリリアの考えを信じた。
短い言葉で告げる。
ジルもまた、迷いなく頷いた。
「行きましょう」
クラハは、彼の手を握る。
どうあれ自分の役目は、きっとこれが最後だ。
†
ロイレンは、冷静に状況を観察していた。
七発目のチャージはすでに終えている。〈銀の虹〉はすでに攻撃態勢に移行しており、いつでも〈天土自在〉に対する攻撃を加えることができる。
恐らく、と眼下のクラハを見て思う。
次は、彼女も来る。
彼女のここまでの立ち回りは非常に賢明なものだった。自分との接近戦を行ったのは、最初の一度だけ。それ以降は常にジルのサポートに徹している。
彼女が動けなくなれば、ジルの脅威は大幅に削がれる。
他の人間からのナビゲーションがない状態であれば、彼の感覚を欺くに足るだけの魔法を、ロイレンは十分に備えているからだ。
だから彼女は、その手段を最後まで温存せざるを得なかった。
こちらの魔法による誤魔化しを、自分がジルに帯同することで完全に無視するというシンプルな選択肢を、選ぶことができずにいた。
しかし、ユニスが近付いている。
クラハの役目は、何も特別なものではない。より魔法の技量に長けたユニスが援軍に来るようであれば、役割を引き継げる者がこの場に駆け付けられるのであれば、自分の身を顧みず最後の攻勢に出ることが容易く予想される。
恐らく今まででもっとも厳しい攻勢になるだろう。守勢にまわり、その場を凌ぐことに注力してもいい。が、その後すぐに訪れるユニスの到着もまた、高度な魔法戦の始まり――大きな状況の変化をもたらす。
どれだけユニスがこの戦闘空間に適応してくるかわからない。
だから、ロイレンは事態を加速させることにした。
「七発目――」
先撃ちして、〈天土自在〉への攻撃回数を稼ぐ。チャージから、発射プロセスへの移行を始める。
ジルとクラハ。
ふたりの剣士がそれを止めるべく、銀の柱を駆け上がってくる。
†
チャンスは一度、という言葉がどれだけ気楽なものだったか。
向こうにはチャンスがいくらでもあるという事態が、どれだけ絶望的なものか。
きっとこの戦闘がなければ、一生そんなことを理解しないままで生きていただろう。緊張と不安。しかしそれを力に変えて、クラハはジルの後ろにつく。
「真っ直ぐ! 前から岩!」
「斬り捨てる!」
もちろんロイレンも、ただ黙って待ち受けるだけではない。
牽制のつもりだろう、岩の魔法がいくつもふたりに降り注ぐ。それをジルは、ほとんど見えていないはずなのに、自分の咄嗟の指示だけではろくに情報を得られないはずなのに、どれほどの力があればそんなことができるのだろう。後続の自分に一切のダメージが通らないような形で、次々に斬り裂いていく。
手を引かれるままに、ほとんど引っ張り上げられるようにしてクラハはロイレンを見据える。
杖を片手に、彼は再び〈銀の虹〉を用いて攻撃を繰り出そうとしている。向こうもまた、とクラハはそれで見抜く。見た目ほどの余裕はないのだ。あれだけ硬直していた状況が、いつの間にか彼の有利を消す形で動いた。ロイレンもまた、焦りが心にある。
外典魔杖は、明らかに彼の魔法の増強に一役を買っている。
あれさえどうにかすれば、ユニスがロイレンを上から魔法で叩くことだってできるはず。
ロイレンの立ち位置が動く。
いくつもの音と光、匂い。複雑な幻惑の魔法が、瞬く間に掛けられる。クラハはそれなりに魔法の心得がある。だからこそ、今目にしているものが信じられない。
眼鏡の有無の問題ではない。
自分ですら見失ってしまうほどの、見事な索敵妨害だった。
「――右!」
それでも、そうしてクラハはジルの背中を肩で押す。
魔法を完全に見破れたわけではなかった。単なる推測だ。あの魔法の鳥が飛んできた方向、ジルの攻撃範囲、〈銀の虹〉の手の開き。ここに至るまでの追跡の間に見た、ロイレンが隠れるときの心理的な癖。そういうものを合わせて、クラハは彼の居場所を判断する。
果たして、それは幸運だったのか。あるいは実力だったのか。
走り抜けた先、幻惑の魔法が途切れれば、予想したとおりのところにロイレンはいた。
「まっすぐ!」
「――っ」
背中を押せば、雷鳴のような速度でジルは飛び出した。
剣はロイレンへと向かう。竜のように空へと伸び上がる。
支えを失って宙に投げ出されながら、クラハは懐に手を差し入れている。
†
問題はない。
やはり、ロイレンは冷静だった。
確かにこれまでの攻勢の中で、もっとも正確な狙いをしている。だが、それだけでは足りない。一秒を巻き戻す。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。
ジルの襲撃の軌道が理解できた。狙いは杖。
次は、それを躱す作業だ。
右足ではない。左足でもなかった。上体を逸らす動きをどういうわけか彼は察知できるらしい。これだけ何度も一秒間の戦闘を繰り返していれば、ロイレンもようやく自分の肉体の限界というものがわかってきた。この剣士と比べれば、鼻で笑ってしまう程度のものに過ぎない。
しかし、情報と反復と一秒という時間は、その絶大な差すらも覆しうるのだ。
渾身の一撃を、五十七度目、ようやくロイレンは躱し切る。
「まだ――っ」
ジルが、宙で身を翻そうとする。
これもまた、動きに制限のない地上であればもっと迅速で、自分には成す術もない追撃に繋がる動きだったのだろう。しかし彼がこちらに向き直るときにはすでに、ロイレンは攻撃の準備を終えている。
七発目。
守り切った杖を〈天土自在〉へと向け、ついでに巻き込まれてくれればと、ジルにごく近い位置から発射する。
そのときロイレンは、ここにいるはずのない人間の姿を見た。
†
――動きが止まった瞬間に、
小鳥の囁きが真実になった瞬間を、クラハはその目に収めていた。
ジルの攻撃が失敗し、〈天土自在〉へと〈銀の虹〉の攻撃が放たれたその瞬間のことだ。明らかにロイレンの動きが止まった。ほんの数瞬にも満たない硬直時間だが、確かにそれは発生した。
――捕まえて、
クラハが今手にしているのは、魔合金だ。
最初に〈天土自在〉の奥へと探索したときに見つけたもの。リリリアが自分に神聖魔法を教えるのに利用していた道具。魔力反応率が非常に高く、容易に変形する。
クラハは、僅かな魔力をそれに込める。
伸縮自在の金属は縄のように伸びて、信じられないことに、ロイレンの腕に巻き付くことに成功した。
「ぅあ゛ッ」
けれど、これは罠なのかと思うほどだった。
魔合金が彼を捉えた瞬間に、信じられないような痛みがクラハに走った。
頭蓋骨を握り潰されるような痛みだ。何らかの攻撃なのか。あまりの痛みに目が破裂するのではないかと本能的な恐怖すら生まれる。
それでも、クラハは。
当初の目的を――自分に与えられた役割を完遂することを、優先した。
――〈銀の虹〉から、遠ざけて。
「ぁ、あ――!」
魔合金が思ったとおりにしなる。ロイレンを、宙へと放り投げる。
次の瞬間、〈銀の虹〉に大爆発が起こった。
†
「なん、」
何が起こったのか、初めロイレンには全くわからなかった。
けれど、咄嗟に外典魔杖だけは身体で庇い切れている。だから何度も発動する。時戻しの秘法。一秒、一秒、重ねて四秒目で、最初の情報を見つける。
〈天土自在〉の貯蔵魔力を、攻撃に転化された。
〈銀の虹〉が直撃を受けて、地上に出ている部分は使い物にならないほどのダメージを負っている。
なぜこのタイミングで、とそれからの三秒間にロイレンは思考を巡らせる。
これまでの時間の中で、彼らがこの手段に出たことは一度もなかった。その理由ははっきりしたものだとロイレンは思っている。
確かに、あれだけの貯蔵魔力で攻撃すればいかに外典魔獣上位種とて甚大なダメージを負う。しかし、それは結局のところ、こちらに魔力を供給するという側面も持っている。
この一撃を受けたことで、外典魔杖には膨大な魔力が充填されていた。
狙いがわからない。単なる短絡か、それともユニスがこちらに加勢するタイミングを最後の勝機と見たか。あるいは、まだ自分では探り切れていない策の奥があるのか。
そもそも、目の前にいるこれは何なんだ?
「――いや、」
十秒目。わかりきっている問題を解決してからでも遅くはないと、ロイレンは思考に区切りをつけた。
この機を利用されて、クラハに捕まっている。最初の問題はそこだ。
どういうわけか、この流れの最後に彼女は自分を放り投げる。そのことによって自分は〈天土自在〉の攻撃による被害を大きく免れており、一見すれば単なる悪手のようにも思える。
しかし、そもそも彼女にそんなことをする理由はない。
理由のわからない行動をあえて放置してやる義理もない。十二秒目。わかっていれば大した奇襲でもない。ロイレンは落ち着いて腕の位置を変える。クラハの放った魔合金を、軽く躱す。
その瞬間、〈銀の虹〉から放たれた砲撃が〈天土自在〉を直撃した。
「――は?」
呆気に取られて、さらに五秒。
何が起こったのかわからずにロイレンは無為に時間を繰り返し、その直撃が何を意味しているのかを素直に捉えた瞬間に、自分がどういう状況に置かれているかを直感した。
魔合金をその手に受ける。〈銀の虹〉が砕かれる。魔合金を躱す。〈天土自在〉の防御が解ける。繰り返す。確かめる。
理解した。
これは、取引だ。
それも、強制的な。
†
「この場所を守らなければいけないのは私たちだけではない、か」
七撃目が放たれる少し前。
〈天土自在〉の制御室で、ウィラエがそう呟いた。
「確かにリリリアさんの言う通りだ。〈天土自在〉が破壊されれば、貯蔵された魔力が連鎖爆発し、凄まじい被害をもたらす。ロイレンの目的を考えれば、貯蔵魔力の飛散も避けたいところだろう。……が、彼がそこまでするという確信があるのか?」
「最初から全力すぎます。私とユニスくんの力を知っていたとしても、あれは思い切りが良すぎる。こちらに本気で守らせるためのブラフも兼ねていたんでしょうけど、あそこまで躊躇のない攻撃は、かえってリカバリの存在を明らかにする」
リリリアは、平静そのものの顔で〈銀の虹〉を見つめている。
正確に言うなら、その上に立つロイレンと、それを追いかけるクラハを。
「時を戻すことによる状況のコントロール権は、反対に、あらゆる状況に対する最終的な対応義務をロイレンさんが負うということでもあります」
だから、と彼女は言う。
別れる前にユニスに教わった秘法に関するルール――『遡った先に、遡る前に発生した魔力を影響させることはできない。例外は、発動に要する魔力の消費のみ』という法則が守られているなら。ロイレンには今、ふたつの選択肢がある。
「クラハさんの魔合金――こちらからの行動のコントロールと〈銀の虹〉に対する攻撃を受け入れることで、攻撃用に転化された魔力による補給と、直撃を免れた幸運を享受するか。あるいはその取引には乗らず、〈天土自在〉の爆発という悲惨な結果の方を選ぶか」
目的を考えれば、とリリリアは言った。
「選択肢なんてないようなものですけど――あ、」
彼女の目が、僅かに開く。
クラハが投げた魔合金を、ロイレンが魔法で弾く姿が目に入る。
躊躇いなく、リリリアは〈天土自在〉の防御を解除した。
†
二択なわけがない、とロイレンはこの一秒の中で考え続けている。
この取引に、それほどの強制力があるわけがないと。
確かに見事なバインドだ。こちらが時間を遡れることを逆手に取って、〈天土自在〉にいるふたりは自分に状況を把握させ、取引を迫っている。
つまり、彼女たちが言いたいことはこうだ。
魔力はくれてやるから、〈銀の虹〉は諦めろ。
杖も持たせたままにしてやるから、こちらがコントロールする場所に身を投げ出せ。
「――馬鹿な」
圧倒的に優位なのは、こちらの方なのだ。
どんなリスクが眠っているかわからないそんな取引を、自分が受けてやる義理はない。
だから、何度もロイレンは試した。
何らかの見落としがあるかもしれない。誤魔化しが効くかもしれない。この一秒を幾度も幾度も繰り返す。何度も何度も、取引の抜け道を探す。
しかし、わかったのは交渉相手の頑なさだけだった。
ひどいときには、こちらが魔合金に捕まった状態ですら〈天土自在〉は防御を解く。道理だ。疑わしきの全てを決裂させていれば、取引は彼女たちにとって必ず都合良く進む。そして信じがたいことに、彼女たちの選択にはほんの一瞬の逡巡もない。
計算された詰め手。
ロイレンは、さらに一秒を戻すことを決める。
単純な話だ。この二択は結局〈天土自在〉の防御放棄という札があってこそのこと。だから、さらに一秒戻せばいい。〈銀の虹〉から放たれる七発目を、一度は懐にしまい込んでしまえばいい。
そうして飛んできたのは、先制攻撃だ。
〈銀の虹〉は防御のために魔力を吐き出すほかない。二秒を戻しても、選択肢には何の変化もない。
だから、ロイレンの頭にはさらに数字が浮かんでくる。
三秒、四秒、五秒……それと同時に、言葉も浮かぶ。
どこからが、向こうの策略なんだ?
†
「だが、第三の選択肢が彼にはあるはずだ。一秒を連続して戻り続けることで、私たちが取引を持ち掛けるよりも前の時間まで遡る……」
「今みたいにですか?」
リリリアの言葉に、ウィラエは目を見張る。
ふたりは同じものを見ている。外部モニタに映る〈銀の虹〉。その上部に立つロイレンの姿。
「……この距離でも、そこまで読めるものなのか」
リリリアは、その問い掛けに深くは答えなかった。
代わりに彼女は、
「けど、そんなに長い時間は戻せませんよ。理由はふたつあります」
と冷静な声色で言う。
「ひとつは、長い時戻し……ロングジャンプとでも言い換えましょうか。それを行うのには、きっともっとちゃんとした準備がいるんでしょう。ロイレンさんの目的を考えれば、〈天土自在〉からの攻撃を魔力として吸収した瞬間に、ロングジャンプを行っていてもおかしくない」
「していないのは、できないからというわけだな。実際、その見通しは正しいはずだ。私もユニスの実験に立ち会ったが、一秒から二秒への拡張は、単純な出力の倍化によっては達成できない。ショートジャンプの繰り返しによる疑似的なロングジャンプはできるだろうが、効率が悪いことは確かだろう」
合っているならよかった、とリリリアは頷く。
しかし、と彼女は言った。
本当に重要なのは、ふたつ目。
「この状況を打開するためのロングジャンプには、それほどの効果がないんです」
こちらの理由の方なのだ、と。
「彼が時戻しの秘法によって戦局を有利に進められているのは、それが『一秒』という短時間だからです。長く戻せば、その分私たちの行動が読めなくなる。読めなくなるなら、それは時を戻さなかったのとほとんど変わりがない」
「……未知の過去は」
ウィラエが、深く呟いた。
「単なる未来と変わらない、というわけか」
「ロイレンさんのここまでの計画は、ほとんど完璧に動いています」
いくつかの誤算はあったでしょうが、とリリリアは言いながらも、
「私たちを分断できた。ジルくんは封殺されて、私も〈天土自在〉の防衛のために動けない。ユニスくんを無力化できる杖もある。目的の遂行のために不可欠な手札はひとつも失っていない。これだけの状況を何度も作り出せる自信があるなら、別でしょうけど」
きっと、と彼女は言う。
しかし自ら首を横に振って、その言葉を掻き消した。
言い換える。
絶対に、
「『今』を手放せなくなる。……そういう風に、私が仕向けます」
七発目。
一体何度目になるだろうその砲撃を、リリリアは全く初めての取引として、それに立ち向かう。
ほんの些細な魔法を、その〈天土自在〉の魔力の中に込めながら。
†
どう考えても、状況をリセットするべきだ。
一体何百度目だろう。七発目の砲撃を打ち込みながら、ロイレンはそのことを強く心に思っている。
この取引は明らかに罠だ。乗るべきではない。リリリアがこれほどの策を練ることができるとは思わなかった。この状況を作り出せる人間が、この先の展開を粗雑に用意するはずがない。
一秒戻る。
顔が見える。
乗った時点で自分が大幅に不利になることは目に見えている。恐らくは〈銀の虹〉に対するダメージはミスディレクションだ。被害こそ派手だがこのためにこちらの手札から何が削られるかは容易に予想が付く。考えるべき本命はクラハが今投げてきた魔合金の方。これ自体は特段の仕掛けはないようだが、
一秒戻る。
顔が見える。
恐らく魔合金による移動を受けた先に何かがある。この場に来るユニスが何か決定的な攻撃手段を持っているのか、彼らが狙うとしたらこの杖だ杖だけは失ってはならないしかし杖がある限りユニスの相手
一秒。
顔。
はいくらでもできるはずではないのか何を持ってユニスはここに来るつもりなのかそれが見通せない見破れない実際に進んで確かめてみるしかないがもしも反応できなければここで終わる折角ここまで進めてきたのに水の泡になるだからすべきなのは状況のリセットでなのに
顔。
確証が持てないリリリアはどこからどこまでを計算してこの状況を組み立てていたのか即興なのかこれは彼女にとって奇跡的に作り上げることができた望外の状況なのかあるいは最低の状況なのか何度も繰り返して何度もこの状況を作り上げることができ
顔、
るのか自分と彼女のどちらの方が平均的なパフォ顔ーマンスは上で今のこの盤面はどちらがどれだ顔けの実力を発揮できていてどのく顔らいの確率で上回顔ることができ顔てリセットは悪化なのか良化なのか現時点で判断はできない試行回数が足りない紙を顔ペンをく顔れ二顔度目の試行でさ顔らに悪い結果が出たらと思うと不安でたまらなくて何が狙いなのかどこ顔まで顔把握さ顔れている顔の顔か封じ顔ら顔れて顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔
顔が、
目の前に、ずっと見えている。
それは七発目を撃つか撃たないか、その瞬間に必ず現れる。
意味不明だった。なぜその顔がいきなり目の前に現れるのか、ロイレンには全くわからない。初めは呆気に取られたし、そのためにクラハの魔合金による捕縛を受けた。
その顔は、自分がこの十年、ずっと追い求めてきたふたり。
記憶の中にすら朧になったはずのそれが、あの頃の姿と変わらないままで、はっきりとした形を持ってそこにいる。
だからこそ、魔法だとすぐにわかった。
発生のタイミングや条件を考えれば、恐らく〈天土自在〉からの攻撃に乗せて、何らかの魔法をこちらに流し込まれている。自分は杖を介して、それを受け止めてしまっている。
それは、くだらない子ども騙しのはずだった。
こんなもので――こんなものを使って良心にでも訴えかけるつもりなら、心底馬鹿馬鹿しいことだと思っていた。
だから、ロイレンはそれを無視する。
一秒を繰り返す。二秒を繰り返す。三秒を繰り返す。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も抜け道を探して、延々と繰り返す時の中で、半ば永遠の悪夢に囚われたような恐怖の中で、全身を引き裂かれるような苦痛の中で、泣き叫びたくなるような不安と戦って、もう一度自分ならここまで辿り着けるはずだと、いくらでも時間を掛けたっていいと、今の自分にとって時間は味方のはずなのだと、どれだけの時間を使ってでもいいから最後に勝てればいいのだと、どんなに遠回りをしても、
最後に、辿り着ければいいのだと。
思ったその瞬間の、出来事だった。
ロイレンは、在りし日の樹海の中に立っていた。
一秒にも満たない時間だ。ロイレンは、どうして自分がそのことに気が付いたのかわからない。太陽の眩さも、風の心地良さも、夏のあの皮膚を焼くような熱も、草の匂いも、水のせせらぎも、全てが今と同じはずなのに。
なぜか、妙に懐かしい。
だから、振り向いてしまった。
木漏れ日の先に、ふたりの人影が立っている。
枝葉に瞳を遮られて、けれど、こちらを見つめている。
「――っ」
駆け寄ろうとした。
けれど、足は一歩も動かない。伸ばそうとした手が、上がりもしない。影を縫いつけられてしまったかのように、自分の身体はそこから先へは進めない。
戻れない。
行くなとも、戻ってこいとも、伝えたいはずの言葉が、ひとつも出てこない。
その代わりに、ふたりの唇が動く。
目線を逸らせないから、言葉が出ないから、その動きがはっきり見える。
ふたりは、昔みたいに。
正反対の癖に妙に息が合うところまでかつてのままで、言った。
もう、いいよ。
†
「――――いいわけ、ねえだろ!」
淡い夢が、粉々に砕け散る。
長い長い、短い時間の終わり。〈銀の虹〉が焼ける。杖を介して流れ込む膨大な魔力。全身がバラバラに引き裂かれるような痛み。右の手に、魔合金が絡みつく。
それをロイレンは、払いのけない。
夏の真っ青な空の下、彼は一本の杖と共に、その身を宙に投げ出した。
時計の針が進む。
『今』に賭けることを、彼は選んだ。




