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14-1 利用



 ――何と引き換えにしても、取り戻したいものはあるか?




 そう訊かれたのをロイレンは、覚えている。


 そのときは答えられなかった。ただ黙りこくって、座っていた。

 取引ですらなかったのだ。それは言った。味方になる必要はない。ただ、自分を上手く利用すればいい。


 樹海の奥には、先史時代のエネルギー施設が眠っている。

 まずはそれを確かめるだけでいい。それは自分にとっても、そして人類にとっても、総合的に見れば利益になる行動だから。まずはそこまで。自分たちが本当のことを言っていると確かめるまでは、この取引に応じる必要はない。


 しかし、その存在を確かめたなら。

 時を遡って、自分にとって『本当に大切なもの』を取り戻すことができると、そう思ったのなら。


 協力しよう、とそれは言った。


 遡った先で、今度はもっと早くに、そして秘密裏に〈二度と空には出会えない〉の封印を解いてくれ。


 ことさらには誇示していないようだが、この目で見ればはっきりとわかる。

 お前は今の時代で一、二の実力を争う魔導師だ。その助けがあれば、こちらの目的を達成するのも容易くなる。


 取引に応じたくなったら、そう伝えればいい。

 然るべきときに、然るべきものを渡そう。外典魔装と、外典魔獣『上位種』。どちらも、世界を変えるに足る力だ。



 選びたいものを、選ぶことができるだけの力だ。



 そうして彼は、南方樹海の奥地でそれを見つける。

〈天土自在〉――古き時代のエネルギー施設。膨大な魔力量。机上の空論を、机から解き放つだけの力を持った実験場。


 夏の夜、研究所で他の皆が寝静まった後、ロイレンはひとり考えていた。

 向き合うのは一枚の絵だ。緑と青。樹海から取り出した絵の具で作り上げた、美しい夏の絵。いつまでも朽ち果てることのない、永遠に瑞々しく残る、遠い日の夢を写し取ったような絵。


 けれど彼は、そこに立っていたふたりを、もう後ろ姿すら思い出せずにいる。

 誘惑は、息を潜めて扉から入ってきた。





 それが何をしようとしているのか、正確にはわかっていなかった。


 何せ、地中から現れたそれがどんな形をしているかすらも、ジルにはわからない。陽を遮るような巨大な物体が目の前に現れたこと、音からしてそれはその巨大さすらも上回るであろう質量を保持していること。精々その二点が、相対する敵に対して拾い上げることができた情報だった。


 けれど、その頂点から放たれる明かりが、ほとんど利かない視界の中でもわかるくらいに激しい光を伴っていたから。


「――――!」

 彼は、咄嗟に動き出す。


 樹海のしなる木の幹を足場に、その得体の知れない銀の柱に飛び掛かる。足場のあまりの硬さに眉を顰める暇もない。あのときと同じだ。最高難度迷宮の深層。初めて外典魔獣中位種と出会って、一度はなすすべもなく敗れたときと同じ。


 迷っている暇はない。

 ただ、自分がやるべきことを。


「未剣――」

 鞘の中、剣が赤熱する。ほとんど垂直に聳え立つ銀色を、空に向かって駆け上がっていく。柄を握り潰さんばかりに拳には力が込められて、足、腿、腹、背中、連動した肉体は、獣が吠えるようにして、剣を鞘から解き放った。


「〈爆ぜる、」

 そのときジルを襲ったのは、違和感だった。


 剣が触れた瞬間にわかった。やってはいけないことをしてしまったような感覚。海の真ん中に宝石を落としたような、砂漠の果てで全ての飲み水を零したような、あるいは自分から千切れ飛んでしまった身体の破片を、呆然と手の中に持って眺めているような、そんな感覚。


「いか、」

 勝てない、と思った。


 それでも彼は、諦めようとはしなかった。腕が、胸が破裂しそうなくらいの力を込める。言い訳のしようがないほど強く、強く、強くそれを込め切ることに決める。


「――――ッ!」


 爆風が巻き起こる。

 外典魔獣中位種すら屠る剣士が放つ、渾身の一撃。


 それが『ほんの僅かに』、銀の柱を動かした。





〈天土自在〉にいたふたりのうち、より早く気付いたのはリリリアの方だった。

 彼女もまた、迷わない。まだ〈銀の虹〉が召喚されるよりも前、ユニスに対して声を張り上げた。


「ユニスくん、魔力供給はできる!?」


 え、とユニスはすぐにはそれを察せない。当たり前のことだった。そのとき、壁に映し出された外の景色には、ロイレンが奥地に描いた魔法陣のほんの一片が見えるかどうかというところだ。その言葉から「今すぐに〈天土自在〉を用いて大量の魔力補給を受けたい」という意図を読み取るのは難しい。


 だからユニスがその言葉の意味に気付いたのは、〈銀の虹〉がその指先を地中から出した、その瞬間のことだ。


「――ダメだ、間に合わない! 直接補助に入る!」

「お願い!」


 しかし解毒を終えた思考は、彼に最善の判断を最速でもたらした。


 リリリアがその場から移動する様子はない。だからユニスは速やかに彼女に駆け寄る。背中に手を当てて、神聖魔法の練り込みはすでに始まっている。邪魔しないように、それでも限られた時間で出来得る限りの魔力を、彼女に送り込む。


「〈あなたはそれに――」


 壁のビジョンに、〈銀の虹〉が全容を表す。

 それは手だ。空を掴み取るような、大地を覆すような、銀色に輝く手のひら。


 その指先のひとつから、光が放たれる。




「――触れてはならない〉!」



 それを目にした瞬間に〈天土自在〉が蒸発しなかったのは、ひとえにリリリアのセンスによるものだ。




 彼女が展開したのは、多重層に分かたれた魔力壁だ。

 そのどれもが、聖女と大魔導師の力を合わせて作り上げられた傑作だ。数十重どころではない、数百重に至るまで整然として作り出されたそれは、たった一枚でさえひとつの町を長く守ることができただろう。


 それが、紙を水に浸したように容易く破られる。

 だから、もしもリリリアがその魔力壁を曲面状に展開していなければ、あるいは発射地点で『ほんの些細な』爆発がなければ、そのまま〈天土自在〉にその光は突き刺さっていた。


 今は代わりに、空が割れた。


「――っ、」

「平気か、リリリア!」


 魔力壁は、ひとつ残らず食い破られた。

 しかし最後の最後、それは盾の曲面によって進行方向を逸らされる。ありとあらゆる白雲を彼方に吹き飛ばして、空の奥へと消えていく。


 平気なわけがない。

 あれだけの一撃を咄嗟に受けたリリリアの手は焼けていて――しかし、今はすでに回復行動に移っている。


 ならば、自分にもやるべきことがある。


「〈天土自在〉のモードを切り替える! 中断から、供給ルートの変更に処理を移行する!」


 幸いにして、目前で大規模な魔力衝突がありながらも、〈天土自在〉の外部モニタはまだ正常に作動している。ユニスはついさっきまでの記憶を辿りながら操作壁の上で指を踊らせて、それと同時に今の攻撃を放った敵の姿をモニタ上で確認する。


「魔獣なのか……? とにかくまだ二発目を撃ってくる気配はない! チャージが必要なんだ! それなら――」

「あれは、」


 リリリアに〈天土自在〉の魔力を供給して、防御に徹することはできるはず。

 そう思っての立案が、しかし額に汗を浮かべたリリリアによって遮られる。


「外典魔獣上位種。〈銀の虹〉」


 上位種。

 その言葉に、ユニスは息を呑む。


 かつては中位種と出会った――最高難度迷宮〈二度と空には出会えない〉の奥地に潜んでいた鳥の外典魔獣〈オーケストラ〉。一度は敗北を喫したことを思えば、さらにそれを上回る力を持つ上位種に対する、畏怖の念も浮かぶ。


「大丈夫だ!」


 けれど、それを蹴飛ばすようにしてユニスは言った。


「こっちには何千年も貯蔵されてきた潤沢な魔力があるんだ! 僕たちふたりだけの魔力で防げたなら、あんなの何百発来たって――」


 そしてその途中で、気付く。

 潤沢な魔力がこちらにはある。そのことは、ロイレンだってわかっているはずだと。


 言葉が止まれば、次々と疑念が浮かんだ。最初は単純に、自分たちに対する攻撃だと思った。しかし、この状況で〈天土自在〉を攻撃することに何の意味があるのか。ロイレンの目的は、ここに蓄えられた魔力だというのに。


 まさか、とユニスは気が付いた。


「攻撃じゃなく、『誘発』なのか?」


 それ以外に、筋の通る仮説が思い浮かばなかった。


 ロイレンが持つ、あの外典魔杖。あれがあれば、魔法を奪うことができる。それは模倣されるだけに留まらない。現に宙に浮かべようとした自分の魔法を、無効化することだってできた。


 では、その無効化された魔力はどこに行くのか?


 もしも、杖の中に蓄えることができるとしたなら。

 自分たちがこの塔を守るために全力で展開した魔法壁を介して、魔力を吸い上げることができるとしたら――


「手じゃ、ない」

 リリリアが、とうとう立ち上がった。


 彼女は外部モニタによって投影された風景の前に立つ。指差すのは、その手。外典魔獣上位種〈銀の虹〉。


 その根元。

 いまだ地中に埋まり続けるその場所を、





「〈銀の虹〉は、手じゃない。

『空に架かる銀色の虹』――そう見えるくらいに大きな人形だって、記されてる」


 その言葉で、ユニスの頭の中にあるものが一気に繋がった。





 かつてリリリアは言った。

 外典魔獣の強靭なることはひどく恐ろしい。一体を討伐するのに一軍を要し、上位の個体ともなれば一国にも匹敵すると。


 繋げる先は、さっきの古い地図だ。

 自分たちの住む大陸よりも、遥かに大きな未知の大陸。もしもあれが事実ならば。もしも外典魔獣が跋扈した時代に、あれだけの陸地があって、その全てに人の文明が存在していたのなら。


 その頃の言葉が差す『国』とは。

 今の時代の、この小さな『大陸』に匹敵するのではないかと。


「――まずい」


 手は、空を掴むように動く。

 虹は、地を覆すように押し上げる。


 攻撃は、これからどんどん苛烈になる。

 防ぐためには〈天土自在〉の魔力を使う必要があり、使えばたちまちそれを供給路として、外典魔杖に接続されてしまう。


 しかし、防がないわけにはいかない。

 あの光が〈天土自在〉を直撃すれば、蓄えられた魔力と反応して、凄まじい大破壊が起こるからだ。



「張り付けられた――完全に、利用されてる」



 逃げるわけにも、立ち向かうわけにもいかない。

 自分たちは完全に封じられたと、気が付いた。



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