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13-1 だって私たち



「友人を生き返らせたいんです。私にもいたんですよ。君にとってのジルさんやリリリアさんのような相手が」


 ジルの奇襲が来るよりも、前のこと。

 ロイレンに瞳を覗き込まれながら、ユニスはその言葉を聞いた。


「私の薬学の知識がもっと卓越していて、死者を蘇生できるほどの薬を作れたならそれに越したことはありませんが……残念ながら、もはや遺体すらどこに行ってしまったかわからないほど昔のことです。現代薬学の基本は有形物に対する作用であって、無形物に対する研究はまだほんの入り口である以上、実現性は大きく損なわれる」


 まるで、いつも通りに会話をしているような口調だった。

 彼は少しばかりの厄介に足を取られたとでもいうように、肩を軽く竦めて、溜息も吐く。


「だからアプローチを変えることにしました。君が大魔導師の称号を得るに至ったきっかけ、『時戻しの秘法』。それを使わせてもらおうと思ったわけです」


 これを使ってね、と彼が目の前に掲げるのは一本の杖だ。こちらが放とうとした魔法を無効化してきた、枯れ枝のようにすら見える細い武器。


 まさか、とユニスは口にした。


「その杖は――外典魔杖は、『魔法を奪える』のか?」

「とりあえずはそう思っておいてください。私も、今の状況で無暗に手札を晒し切るつもりはありませんから」


 そう考えれば、辻褄が合った。

 ジルをあれだけ容赦なく排除しておきながら、自分のことはここまで連れてきた理由。その理由は彼の言うとおりとても単純で、『必要だったから』なのだと。


 時を戻すあの秘法を使うために。

 少なくとも、この段階に至るまでは自分の存在がロイレンには欠かせなかったのだと。


「だ、けど、」

 もつれる舌で、しかし何とかユニスは言った。


「僕の魔法じゃ、そんなに長い時を戻すことはできない。ロイレン博士の――その、友人は、」

「だから出力を上げるんです。君も見たじゃありませんか」


 ほら、とロイレンが手を開く。

 指した先は、壁の一面に映し出された〈天土自在〉の操作壁。


 膨大な魔力量の存在に、ユニスは目を開いた。


「まさか、すべてを」

「ええ。この先史時代のエネルギー施設で生成される魔力の全てを、時戻しの秘法に注ぎ込みます」


 知っていますよ、とロイレンは言った。


「君が魔法連盟で発表した論文については、大変興味深く学ばせてもらいましたから。実験で戻したのは一秒で、立会人は二十人。消費した魔力量は……と。さて、それじゃあその論文の執筆者である君の口から聞かせてもらえませんか。私が戻したいのは『十年』。ここに、」


 とん、と指の背で彼は壁を叩く。


「表示されている量では、足りませんか」

「…………僕には、わからない」


 それは、正直な気持ちだった。

 意外そうな顔で、ロイレンはそれを受け止める。それからいつものように、にこりと柔和な笑みを浮かべた。


「誠実な答えですね。ありがたい限りです」


 ユニスは言おうとした。

 時戻しの秘法は、実験環境の組み立てが非常に難しいということ。自分も一度は実験室の外で使ったことがあるけれど、そのときの発動も場当たりなものであったこと。今もまだ『原理上可能である』ということを基にして様々な追試験を行っているところで、自分もまた、魔法連盟からの緊急の仕事がない限りはこの研究を続けていて――、


「さて、ユニスくん。本題はここからです」

 その思考を遮って、ロイレンが言った。


「もうおわかりでしょうが、私が君をここまで連れてきた目的は、この外典魔杖を用いて君から時戻しの秘法を奪うこと。そしてこの〈天土自在〉から得た魔力によって、十年の時を戻し、友人を蘇生することです」


 友人。

 その響きに、ユニスの息は止まって、


「ですが、君が協力してくれるというなら、確かにこんなに乱暴な手段を取る必要はありません」


 ねえ、とロイレンが顔を寄せてくる。

 ふたりは見つめ合った。瞳と瞳が交差する一瞬。この夏を過ごす間に、きっと何度もあっただろう、すれ違っては忘れてきてしまった一瞬が、再びここに訪れる。


「ユニスくん。協力してくれませんか。だって私たち――」


 もう友達じゃないですか、と。

 ロイレンは言った。





「待て、それじゃあその秘法……あれだよな。迷宮の中で使って俺たちを助けてくれたやつ。あれが奪われたってことなのか?」


 話の途中でそう訊ねれば、少し返答までに間が空いた。ああ、と遅れて聞こえてきた言葉にはしかし、さして戸惑いを感じられなかったから、恐らくユニスは頷いて答えた後に、眼鏡がないことに気が付いてくれたのだと思う。


「そうとしか考えられない。ロイレン博士は君たちが到着する前に、明らかに僕から興味を失っていたし……っ、」

「背中が痛む? ごめんね、ちょっと無理して毒を戻しちゃったから、身体の反応がきつくなってるんだと思う」

「いや、大丈夫だ。ありがとう、リリリア。それにジル、もしまだ僕から秘法を奪えていなかったとしたら、ここに置き去りにしていくことはなかったと思うんだ」


 視界が悪いから、ジルにはユニスの今の姿がおぼろげにしかわからない。それでも声の調子で、明らかに憔悴しているのはわかる。


 だから、毒の感触の抜けつつある右腕を軽く振りながら、彼の近くまで声を頼りに近寄っていった。


「奪われたっていうことは、もうユニスはその魔法は使えないってことなのか」

「いや、魔法っていうのはそういうものじゃない。基本的には十分な魔力を保持していて、その扱い方さえ理解していれば誰にでも使える技術の一つだ。問題はその扱い方の習熟に個人技能が大きく関わってしまうことで……」

「ジルくんも、剣の振り方を人に覚えられたところで自分が振れなくなったりはしないでしょ。そんな感じ」

「ああ、じゃあ奪われたっていうより『模倣された』とか、そういう方が近いのか」


 多分ね、とユニスは答えるけれど、今度の声色にはそれほど断定的な色がなかった。おそらく毒を食らって朦朧としている最中のことだったから、上手く分析できていないのだろう。この点、深く訊ねている場合でもないからジルは言われたとおりのことを飲み込んで、


「となると、まずいな」

 振り向いて、大して見えもしない大穴に向けて呟いた。


「あの一秒戻せる魔法があるなら、何でもできるぞ。どう考えてもさっきの交錯は向こうに上を行かれてる」

「そんなにですか?」


 クラハの問いに、ジルは迷いなく頷いた。


「何もさせないつもりだったんだが、上手く合わせられた。前後の動きを考えても、明らかにロイレンは戦闘用の準備を整えてる」


 そうじゃなければ、とジルは思う。

 まず、剣士が魔導師とぶつかって逃げられるなんて事態が起こるはずがないのだ。身体の反応速度がまず違うし、間合いの中にも完全に入り込めていた。ロイレンが実は魔法だけでなく近接戦闘すら問題なくこなす万能の戦士であるという可能性を除けば、まず間違いなく、自分と相対するための何らかの作戦を以てあの場に臨んでいたはずだ。


 そんな相手が『一秒を戻せる』なんてアドバンテージを使わずに済ませるわけがなく――とまで考えたところで、


「いや、そうか。ロイレンは結局、〈天土自在〉から魔力を引き出せるようになったのか?」

「おそらく」


 言葉の上では、ユニスの答えは歯切れが悪い。

 が、口ぶりから聞いてみれば、それはほとんど断定の口調だった。


「僕も正直なところ〈天土自在〉の魔力供給システムのことは上手く把握できてない。でも、操作表示……ジルは見えないんだったね。今、そこの壁に映し出されているんだ。〈天土自在〉の操作盤が」


 もちろん、それをジルは見て取ることはできない。

 頷いて返せば、ユニスは続けて、


「ロイレン博士は、君たちが来る直前までは何かの作業をずっと続けていたけれど、あるときからその手を完全に止めた。おそらく操作は完了したんだと思う。ただ、」

「ただ?」

「操作自体が完了していたとしても、処理までは終わっていない可能性がある」


 どういうことだと訊ねれば、まだ体力的につらい様子のユニスを気遣ってだろう、代わりにリリリアが答えてくれた。


「布の上に火種を置くところまでは終わったけど、まだその火が全体に燃え盛るところまでは行ってない、ってことかな」

「ああ、適切な比喩だと思う」

「ということは、さっきの時点ではまだユニスの秘法は使えてない可能性があるのか」


 だったら今すぐ下に降りれば、もしかすると運良く瀕死のロイレンを発見することもできるかもしれない。そう思って訊ねれば、しかしユニスは肯定でも否定でもない形で答えた。


「わからない。すでに部分的に処理が完了していて、そこから博士は魔力を引き出せているかもしれないし、仮にそれがダメだったとしても外典魔装がある。僕ひとりでも無理やり発動できる魔法だ。外典魔装に秘められた力を使えば、〈天土自在〉の力に頼らずとも発動できておかしくない」

「これで大体情報共有は終わったね。方針を決めるよ」


 ユニスの話し終わりを待って、リリリアが言った。


「体勢を整えたら全員でロイレンさんの追うのが一番ベストだと思ってたけど、そういうことなら状況が変わったね。私とユニスくんはここに残って、〈天土自在〉の方を見てみる。ジルくんとクラハさんには、ロイレン博士を追ってほしい」

「はい、わかりました!」

「方針としては確保を優先する形でいいのか?」

「ユニスくん、今から私とふたりで〈天土自在〉を操作するって言って、何とかできそう? 言語解析を私が補助する前提で」

「正直、わからない。博士の動きは全く無駄がないように見えたし、もし滅王由来の先史時代の知識を前提にしてあの操作をしていたんだとしたら、時間制限付きの現状で『絶対に』とは言えない。追加操作ができないようにプロテクトをかけていった可能性もある。できるなら、博士を確保して保険をかけてもらいたい」

「じゃ、できる限り確保を優先して」


 ただ、とリリリアは重ねた。


「外典魔装を二本も持ってる人が……というより、単純にロイレンさんが相手だからね。大魔導師の称号を持っていても全然おかしくない人だし、ユニスくんの言っているとおり目的を持って主体的に動いてるなら、魔剣を抑え込んでくれてたゴダッハさんよりもずっと厄介かもしれない」

「わかった。いざとなったら俺が判断する」


 ぐずぐずしている時間もなさそうだ、と。

 もう一度右手を振って、ジルは踵を返す。


「クラハ、先導を頼んでいいか。血の臭いで追えれば一番いいんだが、そのカモフラージュがされていないとは考えにくい」

「わかりました。やってみます」


 じゃあ、と床に開いた大穴に向かってジルは歩みを進めようとする。


「ん、」

 その一歩目を床に置く寸前に、もう一度だけ振り返った。


「何かまだあるか?」


 何か、音がした気がしたから。

 少し間が空く。返ってきたのは、ユニスの声だった。


「き、気を付けて行ってきてね、ジル」

「ああ」


 そっちもな、とジルは軽く手を上げて答えた。



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