未だ火は消えず
龍の昇天から半年程後、飛燦国から国王の葬儀と新たな王の即位式への招待状が届いた。
飛燦国王の死があまりにも突然だったことや、宰相一派の謀反などで直に葬儀や即位に移ることが出来なかった。
その為、対外的には次期国王の即位の準備が出来るまで、その死は秘されていた。
人々は、前国王の急死を、瞳国の怒りを買ったから天罰が下ったのだと噂した。
今回の式典は、瞳国からは章絢が代表して参列することになった。
最初は、初めての子を妊娠している最愛の妻と長い期間離れるのを渋っていた章絢であったが、その妻から麒煉を助けてあげて欲しいとお願いされ、仕方なく行くことにした。
その途中に、弓州へと寄った章絢は、州牧の侶明に挨拶をし、飛燦国とのことや新たに別駕となった聲卓のことを聞いた。
侶明は、聲卓の有能さを褒め、飛燦国との国境での遣り取りも、彼や砦西の県令となった徐県令が恙無くこなしていて何も問題がないと教えてくれた。
張別駕が砦西の方へと行っていると聞いた章絢は、侶明に別れを告げ、砦西の庁舎へと向かった。
庁舎に着き、聲卓の後ろ姿が目に入った章絢は、大きめの声で呼び掛ける。
「張県令! いや、今は弓州の別駕だったな。元気にしていたか?」
耳が良い聲卓は、常人よりも煩く聞こえ、不快そうな表情を浮かべながら振り返ったが、その声が章絢のものだと気付いて直ぐに、破顔した。
「李侍中! ええ。御蔭様で、何とかやっております」
「そうか」
二人は肩を並べて、話しながら県令の室へと向かった。
「弓州は、州牧が素晴らしいので、以前よりも時間が出来、大熊猫の生態調査をさせていただけるようになりました」
「それは良い! 流石、趙州牧は話が分かるな」
「ええ。有り難いことです」
目的の部屋まで来ると、聲卓は中へと声を掛けた。
入室の許可が出ると、章絢と聲卓は扉を開けて中へと入る。
「李侍中!」
章絢の顔を見た徐県令は立ち上がり、パッと花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
それを受けて章絢も笑みを深める。
「徐都事、じゃなかった、徐県令。元気そうだな」
「はい。風邪を引く暇もありません」
「ハハ。そうだろうな」
三人は和やかに挨拶を交わし、椅子に座った。
「どうだ、貯水湖工事の方は順調か?」
「ええ。あの時、飛燦国から連れて来た者達を人足として雇いましたら、真面目に働いておりまして、思ったよりも工事が捗っております」
章絢の問いに、徐県令が答えた。
「そうか。皮肉なものだな。自分たちが住んでいたところを沈める為の工事を進んですることになるとは」
「ええ。ですが、その仕事があったお陰で、鍛冶師以外の者達も生活して行けるのですから、文句は言えません」
「そうだな。それと、その鍛冶師達も新しい鍛冶場には慣れたのか?」
「ええ。皆、切磋琢磨して競い合うように剣や槍などを打ってくれています」
章絢は、飛燦国から戻って直ぐに、その時はまだ砦西の県令であった聲卓に、新しい鍛冶場の建設を指示していた。
それを受けた聲卓は、新たに県丞となった陳にその進行を任せた。
陳県丞は、貯水湖工事の傍ら、鍛冶場建設も主導し、その手腕を見事に発揮した。
ちなみに、以前の県丞であった羅文は、御史台へと移り、黄御史の指導のもと、職務を全うしている。
「それは良かった。前に、試しにと送ってくれた剣も素晴らしかった。馬武官が大層感激して、飽きること無く剣の手入れをしているよ」
章絢は、その時の様子を思い出し、「ククッ」と笑う。
「そうですか。幽楽に伝えておきましょう。きっと、喜びます」
徐県令も、幽楽の喜ぶ顔を思い浮かべ、口角を上げた。
「ああ」
その後、章絢は時間を忘れて二人と話していた。
話が尽きることは無く、辺りが暗くなってからハッとして、話を切り上げ、宿へと向かった。
翌朝、宿まで遣って来た聲卓と徐県令に見送られて、章絢達一行は、飛燦国へと旅立って行った。
道中何事も無く、飛燦国の王城へと辿り着いた一行は、喜色満面の王妃に出迎えられた。
以前よりも元気そうな様子の王妃に、章絢は笑顔で挨拶する。
そして、その傍らに控えていた人物に目を遣り、少し驚く。
「王妃様。その者は……」
「ええ。実は、パサンは前宰相の攻撃を防いでくれた、一番の功労者なのよ。その後、我が息子に忠誠を誓ってくれて、こうして仕えてくれているの。行く行くは、彼を宰相にと思っているのだけれど、彼は武官として仕えることを希望していてね。今は、保留の状態なのよ」
王妃は、そう言って苦笑する。
「そうですか」
「パサンが、貴方と話したいと言うのだけれど、構わないかしら?」
「ええ」
「良かったわ。パサン、後の案内を頼めるかしら?」
「はい」
パサンは、章絢達を城の中へと案内する。
「こちらが、皆様の控えの間となります」
「ありがとう。それで、話とは?」
部屋の中へ入ると直に、章絢はパサンへと問い掛けた。
「嘗ての無礼はどうかお許し下さい」
パサンはそう言って、頭を垂れた。
「頭を上げてくれ。俺は全く気にしちゃいないさ。それよりも、そんなに丁寧に話されると気持ち悪いのだが」と言って、章絢は苦笑する。
「そのように言われましても、今の私は、この国の下っ端官僚ですから、気安い口調で話す訳には参りません」
「固いな。まぁ、仕方ないか」
パサンの真面目な態度に、章絢は肩を竦めた。
「ご理解いただき、恐縮です。……あの時は、死んでも構わないと思っていましたが、今となっては、この国へと帰って来られて良かったと思っています。だから、貴方様には感謝しております」
「そうか。それを聞いて安心した」
「あの時……」
「ん?」
「あの夜に聞いた、貴方様の笛の音は、凍て付いていた私の心を溶かしていってくれました。貴方様のように澄んだ音色を奏でられる人がいるのなら、瞳国と仲良くするのも悪くないと、そう思ったのです」
そう言って、パサンは部屋を後にした。
翌日、章絢の部屋に、煌羅国の来賓を連れた王妃が遣って来た。
「李侍中、紹介させて。この方は、煌羅国から遣って来た私の従兄妹で、フルの兄、貴方の伯父に当たる方よ。今は宰相をしているの」
「えっ!?」
「李章絢、殿。お会い、出来、て、光栄だ」
章絢の伯父は、たどたどしい瞳国語で挨拶をした。
それに、章絢は流暢な煌羅国語で返す。
「伯父上。こちらこそお会い出来て光栄です」
「おお、何と素晴らしい! フルが教えたのか?」
伯父は、歓喜し、その後は煌羅国語で話した。
「はい」
「そうか」
章絢の返事に満足そうに伯父は頷く。
「いや、何。この場を借りて、先日いただいた素晴らしい工芸品のお礼を言いたかったのだ」
「あっ! 私もずっとお礼を言いそびれていたわ。素晴らしい品をありがとう」
王妃も慌てて、謝辞を述べた。
「喜んでいただけたのでしたら、良かったです」
章絢は、二人に笑みを返す。
「それで、そのお返しに我が国が信仰している宗教の経典や神像を贈りたいと思っているのだが、我が父がそれを持って、瞳国を訪れたいと申しているのだ」
「まぁ」
伯父の申し出に、王妃も驚く。
「父は、フルの墓参りと住んでいた場所を見てみたいと。そして、孫に会いたいと」
「そうですか……。私としては、歓迎いたしますが、その、長旅は大丈夫なのでしょうか?」
章絢は、会いたい気持ちと長旅の大変さを思い、戸惑った。
「はは。年の心配をしているのなら、大丈夫だ。今でも、山登りを日課にしておられる。瞳国までの旅など、どうってことはないであろう」
「そうですか」
伯父の気安い答えに、章絢はホッと息を吐く。
「今回も、李侍中が来ると分かっていたら、私を差し置いて、きっと来たがったことだろう」
「それは嬉しい限りです。何時でもお待ちしておりますとお伝え下さい」
「ああ。伝えておくよ」
その後、恙無く新王の即位式が執り行われ、飛燦国との友好を深めた章絢は、新王からのお土産を受け取り、瞳国への帰路に着いた。
龍居城で章絢の鷹から、報告書を受け取った麒煉は、目を通して、満足そうに頷いた。
その報告書を受け取った浩藍が、麒煉に言う。
「あとは、舞青だけですね」
「ああ」
麒煉は、祖父、應劉との会話を思い出していた。
工芸品を送った国々からは、返書や返礼の品が届いていたが、半年以上経った今でも、舞青からは何も音沙汰がなかった。
ちなみに、暁嶌国からは、金と銀と遣瞳使が、碧国からは、絨毯や刺繍布などの工芸品が、帆魁国と那祥国、南隴国からは使者と工芸品、それと農産物が届いた。
そして、心晃国からは、それだけでなく貢女まで送られて来た。
麒煉がそうするように命じた訳ではなかったが、見合いの話を深読みして送って来たのであろう。
麒煉は、直に送り返したい気持ちで一杯であったが、貢女は、心晃国へ返しても差別され、その後幸せな生活が営めないであろうということを知っていた。
それを哀れに思った麒煉は、先ず彼女達に帰国したいかの意志を問い、その意志が無い者に絹織物や刺繍の技術を学ばせ、職人として育てることにした。
もちろん、他の国からも建前であった麒煉とのお見合いの件に関する提案や釣書などが届いていた。
だが、決して麒煉が首を縦に振ることは無かった。
ある奸臣が、自分の娘を麒煉に勧めて来た時に、彼が発した言葉がある。
「何故、オオカミを子羊のいる檻の中へ入れなければならないのだ? 私がそんなに愚か者に見えるのか?」と。
その奸臣は、閑職へと追いやられたと言う。
麒煉は終生、耀華以外の妃を娶ることはなかった。
それから数日後、慌てた様子の浩藍が、麒煉の室へと駆け込んで来た。
「陛下!」
「浩藍。どうした?」
「それが……」
「落ち着いて、用件を話せ」
「舞青から、舞青からあちらが……」
浩藍の後から、箱を持ってやって来た官吏が、恐る恐るそれを差し出した。
麒煉は、その箱を開ける。
「これは!」
中には、使節団として送った代表者の生首が入っていた。
「陛下。この者だけではなく、かの国へ行った全員の首が送り返されてきました」
浩藍と一緒に来た、彼の父である兵部尚書、趙路晶がそう報告した。
「何!?」
「それと、こちらの書簡が……」
浩藍から手渡された書簡を読み終わった麒煉は、怒りの余り、それをグシャグシャに握りつぶす。
「陛下。それには何と?」
路晶の問いに答えるように、握りつぶした書簡を差し出した。
それを受け取った路晶は、破らないように慎重に広げ、それを読む。
「何と!?」
書簡には、「劉章が死後、寂しくないように供の者を送ってやった。感謝するんだな」というようなことが、書かれていた。
「見縊られたものだな」
麒煉は怒りのあまり、血が出る程拳を握りしめていた。
舞青とは、祖父の代であった戦の折、瞳国が勝利して、こちらが優位に立っていた。
それを反古にして、こちらを煽るような対応に、皆の顔が怒りに染まった。
このままでは、舞青と再び戦になるかもしれないとの不穏な空気がその場に流れる。
浩藍は、息を吐き冷静になろうと努めてから、涼しげな声音で麒煉に話し掛けた。
「陛下。如何致しましょう?」
浩藍の凛とした声を聞き、麒煉も自らを落ち着かせようと目を閉じた。
そのまま腕を組み、暫し黙考した後、一息吐いてから、ゆっくりと目を開ける。
浩藍の方へ視線を向けた麒煉の目には、既に険はなく、強い意志だけが感じられた。
顎に手を置き、麒煉が口を開く。
「そうだな、龍の守りが強固となった今の我が国に攻め込むということが、どういうことか、かの国の者達は身を以て知ることになるだろう……」
首を捻って、路晶が麒煉へ問い掛ける。
「一体全体、どういうことでしょう?」
「それは……−−−−−−−−」
それは、また別のお話……。
蛇足までお付き合い下さり、本当に有り難うございます。
今後、気分次第で小話などを書くかもしれませんが、一旦、このお話は終わりとします。
再見!




