33.最終話
龍が昇ったその日、麒煉と章絢の父である前皇帝、劉章は、劉皇太后に見守られて、ひっそりと息を引き取った。
劉章は今際の際、「フル、迎えに来てくれたのか……」と、そう言って、一筋の涙を流し、安らかな顔で逝ったと言う。
龍が昇天した日と、前皇帝、劉章が亡くなった日が同じであった為、天に昇る龍を目撃した民は、龍は劉章であったのだとか、龍が劉章を連れて行ったのだとか、好き勝手に噂した。
麒煉は、その噂に不都合を感じなかった為、訂正したり消そうとしたりせずに、そのまま放置した。
その為、後に劉章は、諡号である「大孝皇帝」や廟号よりも、「昇龍帝」と通称で呼ばれ、龍となり天へと昇った伝説の皇帝として語り継がれることとなる。
葬儀から数日が経ったこの日、落ち着きを取り戻した龍居城の麒煉の室へ、泰潔と洸の親子が訪れていた。
先ずは、章絢が二人に声を掛けた。
「二人を呼び出したのは、他でもない天迎宮の龍の件についてだ」
続けて、麒煉が話す。
「父上の葬儀で遅くなってしまったが、二人の功績は讃えきれぬものだ。よって、先ずは二人を『待詔』に任命したい。もちろんそれだけでは、足りないのだが、何か望むものは無いか? 金品でも何でも出来る限り、希望に応えたい」
「大変光栄なことでございますが、私共は臣として、国の為に当然のことをしたまでです。褒美をいただくようなことではございません」
泰潔はそう言って、褒美を断った。
「そうか。その高潔な心は素晴らしく、賞賛に値するが、些か縛られてはいないか?」
「それはどういう?」
麒煉の言葉に、泰潔は首を傾げる。
「其方が、国の為にとその身を捧げることを使命とするのを決して否定する訳ではないのだ。だが、天馬のように、其方達が思うがまま、自由に生きて良いのではと思ったのだ」
麒煉は想いのままに言葉を発する。
その飾らない言葉が、そのまま泰潔と洸の心に響く。
「自由に?」
「ああ。『自らに由って』な。とはいえ、まだ、造の力は公に出来る段階ではないから、洸には不自由を強いてしまうと思う。だが、出来る限りの要望には応えるとしよう」
「そうは言われましても、生まれてから今まで使命を果たすことしか考えておりませんでしたので、どうして良いやら……」
国を支える武官を多く輩出して来た名家で育った泰潔は、例え武官でなくても、その身を国に捧げるように教えられて育って来た。
その為、国への奉仕が存在意義であった。
困った表情を浮かべる親子に、章絢が口を出す。
「それを考えながら、親子二人で力を合わせて生きていくのも悪くはないと思うが?」
「其方達は、飛燦国によって十年もの歳月を奪われたのだ、それを埋めることは難しかろうが、今後は互いに支え合っていって欲しいと思う。亡くなった王女もそう願っているのではないかな?」
章絢と麒煉の言葉に、泰潔は頷き、愛おしむような目を洸に向ける。
「そうですね。彼女はとても慈しみ深い方でしたから……」
洸も泰潔へと視線を向けてから、胸の前まで持ち上げた自らの手をじっと見詰めた。
「俺、この力を使って、もっと人々の役に立ちたい。この国だけでなく、母ちゃんの生まれた国やその他の国の人々の力になりたい」
「洸……」
泰潔は、立派に育った息子の言葉に胸が一杯になり、洸の肩を抱いた。
「ああ。そのことは、俺も自分なりに考えた。この力は素晴らしい。龍の守りは、この国に取って掛け替えのないものだとは思う。だがそれと同時に、天帝のお力に頼るばかりでいいのかと。現に他の国は、この力が無くとも国として成り立っている。便利な力に依存しすぎるのは、元来持っている力を脆弱にしてしまうのではないか? だとすれば、この力は諸刃の剣ではないかと」
「そうだな」
章絢も麒煉の意見に同意する。
「それに、この力を隠そうとするから、他国がこの力を暴こうと躍起になるのではないかと。この力を秘匿するのではなく、人民に広め、有効活用する方策を考えて行く方がこの国にとっても、この世界全てのものにとっても最良ではないだろうか?」
「皇帝陛下の御心のままに」
章絢が少し茶化すように言って、頭を垂れた。
その様子に苦笑し、麒煉は洸へと提案する。
「というわけだから、洸。どうすれば良いのかをこれから一緒に考えていこう」
「うん!」
洸は、笑顔でそれに答えた。
「陛下。一つお願いがあります」
おずおずと泰潔が切り出した。
「何だ? 遠慮せず、言ってみろ」
麒煉はざっくばらんにそう言った。
「待詔に任じられて直ぐのことではありますが、暫く、お休みをいただけないでしょうか?」
「何かあったのか?」
泰潔からの願いを聞き、麒煉は心配になった。
「いえ。妻のニマの遺骨を出来るだけ早く都に移したいのです」
麒煉は、泰潔の身に何かがあったのではないと分かり、ホッと息を吐いた。
そして、彼の願いを叶えるべく、早速手配するように動き出す。
「そうか。それは早い方が良いな。そういうことなら、洸と旅行がてら行って来ると良い。案内に狗を貸そう。あと、洸は貴重な造士故、国として護衛を付けなければならない。親子二人の気ままな旅と出来ず申し訳ないが、人選は出来る限り配慮しよう」
「いえ。過分なご配慮を賜り、恐縮です」
泰潔は深々と頭を下げ、謝辞を述べた。
「今度こそ、飛燦国に攫われるようなことはあるまい。家族三人で無事に戻って来るのだぞ」
「はい!」
章絢の洒落にならないような軽口に、泰潔と洸は元気に返事をし、麒煉は呆れた。
数日後、泰潔と洸は、芙蓉宮の警備をしていた春風と雷雨を護衛として伴い、狗に案内されながら、ニマの遺体を龍居へと移す為に砦西へと旅立って行った。
* * *
旅の一行は、洸が馬に酔った為、中々進まず、半月程掛かって、やっと砦西に辿り着いた。
それから洞穴を目指し、山を登る。
辿り着いた洞穴に入った瞬間、泰潔は目に飛び込んで来た壁画から目が離せなくなった。
泰潔は洸に尋ねる。
「あれは、洸が描いたのか?」
「そうだよ」
「そうか。ニマはあのような格好で過ごしていたのか……」
農婦のような格好の絵に、王女の面影は無く、泰潔はその苦労を思って、苦悶の表情を浮かべた。
「ここだよ」
洸は、石の積み上げてある所を指差し、遺骨のある場所を教える。
「そうか」
泰潔はそう言って、石を避け始めた。
洸もそれを手伝う。
それを見ていた春風と雷雨が、「手伝いましょうか?」と、声を掛けたが、泰潔はそれをやんわりと断った。
泰潔の意志を尊重し、二人は静かに見守ることにした。
暫くすると、綺麗とは言い難い布地が見えて来た。
二人は更に手を早めて、石を避ける。
全て避けきると、綺麗にミイラ化した遺体が全容を見せた。
「ニマ!」
泰潔は遺体を抱えて、号泣する。
その横で、洸も涙を流した。
「妈妈……」
もらい泣きした護衛の二人は、気を遣って、洞穴の外へと出て行く。
その日は、そのまま洞穴で野営することとなった。
翌朝、遺体のミイラを丁重に布に包んだ泰潔は、それをとても大切そうに抱えて、帰路に着いた。
* * *
泰潔と洸が旅立った後、一区切りがついたと判断した章絢は予てからの約束であった、一ヶ月の休暇を麒煉に願い出た。
麒煉は、快く許可した。
洸は、泰潔との旅の前に、芙蓉宮を出て、父親の実家である祖父母の家へと引っ越した。
彼が居なくなった芙蓉宮は、火が消えたように静かだった。
「洸が居なくなって、寂しいわね」
「そうだな。だが、これで気兼ねなく子淡と蜜月が過ごせる」
「もう!」
章絢は言葉通り、子淡と甘々な一ヶ月を過ごした。
その結果、子淡のお腹には新たな命が宿ることとなる。
−−一ヶ月後、砦西から戻って来た張親子が、麒煉の許を訪ねて来た。
「陛下。御蔭様で、無事に妻を伴い帰郷することが出来ました」
「そうか。それは良かった」
長旅の疲れを感じさせず、憑き物が取れたかのように泰潔の顔がスッキリして見え、麒煉は笑みを浮かべた。
「陛下。天迎宮の壁はどうなったのでしょうか?」
「ああ。無事に修復が終わったところだ」
「それでは、壁にはどなたかが絵を?」
「いや。白壁のままだが……、何故そんなことを聞く?」
泰潔の質問に、麒煉は怪訝な顔をする。
「誠に恐れ多いことながら、壁に龍を描かせてはいただけないでしょうか?」
「何故だ?」
「洸とも話し合ったのですが、以前のように二体の龍をその壁に描き、天帝をお迎えするのが良いのではないかと」
「ほう」
泰潔の提案を聞き、麒煉は興味深そうに口角を上げ、続きを促す。
「それに、私は画家として自分の力を試したい。張僧繇に劣らぬ龍が描けるのだと、子孫にそして、後の世の人に誇りたい。とても身勝手なお願いだとは思います。しかしながら、こちらの壁に描かせていただくことで、張僧繇の功績も後の世に残ることになるのではないでしょうか? 私は子孫として、祖先の名声も残したいと切に願います」
「陛下。俺からもお願いいたします。俺も父と一緒で画家として、祖先も父も超える龍を描きたい。どうか、御許し下さい」
そう言って、洸は頭を下げた。
「そうか。ならば、叶えねば、な。要望に応えると言ったのは俺だから、約束は果たそう」
「有り難き幸せ!」
二人は数年かけて一体ずつ龍を描いたが、造士の力が強くなり過ぎた洸が描いた龍は、何度も浮き出してきそうになり、その場に留めることに苦労することとなった。
その為、泰潔と洸は一体ずつ描くのではなく、二人で一緒に協力して二体を描き上げた。
こうして、改修された天迎宮の壁に、再び目のない龍が二体、描かれ、後世に残された。
その後、泰潔と洸の名は、僧繇の影に隠れ、広まることはなかった。
だが、残りの人生の大半を、絵を描きながら世界各国を巡り歩くことに費やした二人は、そのようなことは、些末なことと考えるようになったであろう。
麒煉は、成人した息子である皇太子に、この親子の描いた龍を見て言ったという。
「我が治世は、画竜点睛を欠く。統治が完全なものとなることは未来永劫無いであろう。我は貪欲だからな。だが、その完璧を目指そうと足掻く、不完全さこそが生気に満ちていて、とても尊いものであるとは思わんか?」と。
龍に守られし国、瞳国は、その後、益々発展を遂げていく。
その生まれに囚われず、優秀な者を抜擢、重用し、名臣を多く従え、様々な政策を大成させた皇帝、麒煉は、民衆に敬われ、後に「聖賢皇帝」の諡号で呼ばれる事となった。
そして、陰日向と彼を支えていた兄弟の章絢は、後に太子賓客としての立場を与えられ、麒煉の臣下とならないように配慮された。
章絢が麒煉よりも先にこの世を去ると、それを嘆き悲しんだ麒煉は、皇帝に准じた葬儀を執り行い、章絢に「提皇帝」の諡号を贈った。
また、先に亡くなっていた彼の妻である子淡には「麗皇后」の諡号を贈り、共に「真陵」と称される墓に埋葬された。
これは、前例のない異例の事であったと言う。
※ 諡号……貴人・僧侶などの死後、生前の行いを讃えて贈る名。贈り名。
廟号……中国・朝鮮などで、皇帝・国王の霊を宗廟に祭る際に贈る称号。廟に載せる名前のこと。
最後までお読み下さり、本当に有り難うございます。
本編は、これで完結です。
もう一話、「蛇足」を載せる予定ですので、それをもって完結表示といたします。
そちらも、お読みいただければ幸いです。
謝謝!




