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画竜点睛〜龍に守られし国〜  作者:
〜麟鳳亀竜〜
33/37

31.敵国外患無き者は国恒亡ぶ



 数日後、(ゴウ)から昇月(シォンユェ)達が無事に、砦西(ヂャイシー)に辿り着いたとの報告が来た。

 それを聞き、章絢(ヂャンシュェン)はホッと胸を撫で下ろす。



 更に数日後、章絢(ヂャンシュェン)が密かに飛燦(フェイツァン)国の王妃へと宛てて飛ばしていた鷹が、送った時と同じように(手紙)(くわ)えて戻って来た。


 章絢(ヂャンシュェン)師君(シージュン)が鳥を飛ばした後も、王妃のことがずっと気に掛かっていた。

 その為、龍居(ロンジュ)に戻って来た翌日には、自ら筆を取り、無事に帰郷したことや、差し障りのない範囲で飛燦(フェイツァン)国の状況を教えて欲しい旨を()にしたためた。

 それを麒煉(チーリィェン)のところにずっと待機していた鷹の(イン)を使って、王妃の許に運ばせていたのだった。

 直に鷹が絵となり、冊子の中へと戻って来なかったことから、無事に王妃の許に届いたのであろうとは考えていたが、(手紙)(くわ)えていたことに、章絢(ヂャンシュェン)はホッと息を吐いた。


 早速、丸まっていた(手紙)を開き、読み進める。


 そこには、注告のおかげで、速やかに宰相一派を追い落とすことが出来、情勢が安定しつつあると言うことが、回りくどく書かれていた。


 万が一、(手紙)を落とし、誰かの目に触れたとしても、家主を無くし、先行きが不安であったが、貴方のお陰で、不安要素を取り除くことが出来、残った家族が力を合わせて暮らしているので心配はいらないと言うようにしか読み取れないであろう。


飛燦(フェイツァン)国は、大丈夫そうだな」


 章絢(ヂャンシュェン)はそう(つぶや)き、鷹の(イン)を戻した冊子を懐へと仕舞った。





 −−翌日、溜まっていた業務が一段落ついた章絢(ヂャンシュェン)は、麒煉(チーリィェン)と共に祖父、應劉(インリィゥ)の許を訪ねた。


 應劉(インリィゥ)は、舞青(ウーチン)国との大規模な戦闘の折、前線で戦い、負傷し、生死を彷徨(さまよ)った。

 幸い、一命を取り留め、その後回復して行ったが、その時の怪我がもとで、歩行が困難となった。

 政務を執るのが辛くなった應劉(インリィゥ)は、劉章(リィゥヂャン)が成人したのを機に、皇帝の座を明け渡し、離宮へと移ったのだった。

 ちなみに、その時の戦は、(トン)国の勝利で終わった。



 應劉(インリィゥ)のいる離宮は、馬だと十日程かかる距離にある。

 少しでも旅程を短縮したかった麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)は、師君(シージュン)に龍を借りることにし、操り方を教わった。


 行きは麒煉(チーリィェン)が龍を操り、一時(いっとき)程で離宮に辿り着くことが出来た。

 いきなり現れた龍に、離宮の警固の男達は、目を見開き、ひっくり返りそうであったが、その背から降りて来た麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)の姿を見て、安堵の息を吐いた。


 南東に位置する離宮からは、海が見える。

 だが、二人が案内された部屋の窓からは、残念ながら海は望めなかった。

 その代わりに、綺麗な花が咲き乱れる庭園が見渡せた。

 開けられた窓からは、潮風と共に甘い花の香りが入って来る。


 窓の方へと目を向けた麒煉(チーリィェン)が呟く。

「花と僅かに磯の香りが……」


「二人共、よく来たな。良い場所(ところ)であろう?」

 應劉(インリィゥ)は、二人の孫に微笑み、そう言った。


「ええ。暑過ぎず寒過ぎず、丁度良い気候で、過ごしやすそうな場所ですね」

 首肯した章絢(ヂャンシュェン)も、祖父へと笑顔を向けた。


 麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)は、應劉(インリィゥ)の向かいの席に座り、女官が用意したお茶を口に含む。

 一息吐くと、「お身体の調子は如何ですか?」と、麒煉(チーリィェン)應劉(インリィゥ)に尋ねた。


「皆のお陰で、快適に過ごしておる。少しだけ前よりも身体が動くようになった気もする」

「そうですか」

「ならば、良かったです」

 應劉(インリィゥ)の答えに、麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)はホッと胸を撫で下ろす。


「今日は、よく来てくれた」

 そう言って、ニコニコしている應劉(インリィゥ)の顔色を(うかが)いながら、麒煉(チーリィェン)が用件を話す。

「いえ。それで、お聞きしたいことがございまして……」

 

「霊亀の(すずり)のことかのう?」

「えっ!!」

「どうして分かったのですか?」

 ズバリと言い当てられた麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)は、驚きのあまり声が大きくなった。


大旱(たいかん)雲霓(うんげい)を望むがごとし。この時をずっと待っていた」

「それはどういう?」

 應劉(インリィゥ)の言葉に、二人は首を(ひね)る。


「天帝が仰っておられたのだ。何れ、孫が霊亀の(すずり)を求めて、我の許を訪れる。それまでは、その存在を秘して、守るようにと」

「そうだったのですか」

「して、その(すずり)をどうするのだ? 天帝は、我に詳細を教えて下さることはなかった」

「そうですか……」

 話して良いものか迷った麒煉(チーリィェン)は、章絢(ヂャンシュェン)の顔色を(うかが)う。

 章絢(ヂャンシュェン)は、大丈夫だと言うように、麒煉(チーリィェン)へ微笑み、(うなず)いた。


 それを受けて、麒煉(チーリィェン)が話す。


「それは、天迎(ティェンイン)宮の龍を昇天させる為に必要なんです」

「というと?」

「龍を昇天させる為には、造士(ザオシー)の力だけではなく、相応しい道具が必要だったのです」


 麒煉(チーリィェン)の言葉に、章絢(ヂャンシュェン)が補足する。

「鳳凰の羽、連理の梧桐の枝で作られた筆と玉の粉、麒麟の(にかわ)から作られた塗料、そして、霊亀の(すずり)

「そのようなものが!?」

 伝説の瑞獣の名が並び、應劉(インリィゥ)は信じられないとばかりに驚愕する。


「ええ」

 神妙に(うなず)き、事実だと伝える二人に、應劉(インリィゥ)は冷静さを取り戻す。


「木に縁よりて魚を求むことを、今までずっとして来たと言うことか」

 應劉(インリィゥ)の言葉に、麒煉(チーリィェン)が苦笑する。

「そう言うことになりますかね」


「或は、張僧繇(ヂャンンソンイャォ)以上の力があれば、そのようなものが無くても可能なのかもしれませんが……」

「そうかもしれんのう……」

 章絢(ヂャンシュェン)の仮定の話に、應劉(インリィゥ)も苦笑し、頬を()いた。


 お茶で口を湿らせ、麒煉(チーリィェン)が尋ねる。

「その(すずり)は、どういった経緯で張僧繇(ヂャンンソンイャォ)の手に渡ったのでしょう?」


 應劉(インリィゥ)もお茶を飲み、一拍置いてから話し出した。


「伝え聞いた話では、ある商人が張僧繇(ヂャンンソンイャォ)に絵を描いて欲しい求めたところ、断られたという。それでも諦められなかった商人は、代々伝わっていた家宝を持ち出し、張僧繇(ヂャンンソンイャォ)に頼み込んだ。その家宝は、何の変哲も無いただの岩だったのだが、特殊な(いわ)れがあった。遥か太古の時代、ある老師が蓬莱(ほうらい)山まで辿り着き、その山の岩を持ち帰ったそうだ。その山こそが、霊亀であったとか。持ち帰った岩は、甲羅の一部だと伝わっていたそうだが、信じる者はいなかったという。張僧繇(ヂャンンソンイャォ)はその話を興味深く聞き、商人からその岩を譲ってもらうことにした。皇帝に仕え絵を描く者として、私的に描くことをあまり良く思っていなかったのだが、岩の価値を真に見抜いた張僧繇(ヂャンンソンイャォ)は、その対価に求められた絵を描いたそうだ。張僧繇(ヂャンンソンイャォ)は、その後その岩を(すずり)に加工し、用いるようになった。そして、後に武帝へと献上した」


「そうでしたか……」

 麒煉(チーリィェン)は、張僧繇(ヂャンンソンイャォ)の武帝への献身ぶりを改めて、思い知らされた。



 皆のお茶が無くなり、應劉(インリィゥ)が女官を呼んだ。

 女官は直に新しいお茶を入れ、茶菓を並べてから下がる。


「このお茶は、良い香りがしますね。味も先程のものよりスッキリしているように感じます」

 麒煉(チーリィェン)の感想に、應劉(インリィゥ)は満足そうな顔をする。

「そうであろう。茉莉花(ジャスミン)を着香させておるのだ」

「へー」

 應劉(インリィゥ)の説明を聞いた二人は、もう一口お茶を含み、じっくりと味わう。

 

「新鮮なお茶を飲むことが出来ない、北方へ送るお茶としてどうかと考えておる」


 北方では、茶葉が栽培出来ず、南方から茶葉を送っていた。

 だが、何日もかかって運ばれた茶葉は、風味が落ち、あまり楽しめるものではない。

 そこで、考え出されたのが、このお茶であった。


「このようなことまでお考えになられるとは……」

「我々も見習わなければなりませんね」

 章絢(ヂャンシュェン)麒煉(チーリィェン)は、偉大な祖父に尊敬の眼差しを向けた。


 先に茶杯を卓に置いた應劉(インリィゥ)が、二人に質問する。

「ところで、献芹(けんきん)の策は誰が考えたのだ?」


 献芹(けんきん)の策とは、新たな工芸品を手土産に周辺諸国へ訪れて、その内情を探る策を皮肉って言ったものである。

 ちなみに、そう言い出した者が誰であるかは分かっていない。


 お茶の話は前振りでこれが本題かと、茶杯を卓に戻した麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)は顔と気を引き締めた。


「恐れながら、私でございます」

「ほう。中々考えたではないか」

 為政者の顔で答える麒煉(チーリィェン)に、應劉(インリィゥ)はその成長を喜んだ。


「お褒めに預かり光栄です」

「もう、全ての周辺国に送ったのか?」

「ええ」

「そうか。全ての国から使者は戻っているか?」

「いえ、まだ旅立って然程時は経っておりませんので、殆ど戻っておりません」

「そうか。舞青(ウーチン)にも送ったのか?」

「ええ」

「そうか。舞青(ウーチン)からは、使者は戻って来ぬやも知れぬ。未だに遺恨が残っておるであろうからのう」

「それは、先の戦のことでしょうか?」

「それもある」

「それも?」

 章絢(ヂャンシュェン)は、應劉(インリィゥ)の言葉が引っ掛かり、思わず二人の遣り取りに口を挟んだ。


「ああ。その戦が終結した折に、かの国の王女を劉章(リィゥヂャン)の妻に貰い受けた」


 二人が生まれる前、舞青(ウチーン)の王女は淑妃として、劉章(リィゥヂャン)の後宮にいた。


「その話は、聞き及んでおります。確か、その王女が身籠り、子が流れた時に亡くなってしまったとか」

 麒煉(チーリィェン)は、母から聞いた話を思い出しながら話した。


「ああ。自然なことであったならば、そこまで遺恨を残すようなことはなかったのだが……」

「故意だったのですか?」

 應劉(インリィゥ)の苦々しい言葉を聞き、眉間に皺を寄せて章絢(ヂャンシュェン)が尋ねた。


「ああ。愚かな女が後宮に居たのだ。政治のことを何も分からない馬鹿者が、毒を用いて王女を殺してしまった。そのことが、かの国にまで伝わってしまったのだ。直ちに、犯人を見つけ、その者とそれに協力した者達をかの国へと送ることで、取り敢えず怒りを治めて貰ったのだが、な」

「そう簡単ではないのですね」

 含みを持たせた應劉(インリィゥ)の話に、渋面となった麒煉(チーリィェン)は溜め息を吐く。


「そうじゃな。……かの国へ送った使者達は、戻らぬことを覚悟しておいた方が良い」

「そう、ですか」

 應劉(インリィゥ)の助言に、麒煉(チーリィェン)は力なく返事をした。


 麒煉(チーリィェン)に活を入れようと、應劉(インリィゥ)は丹田に力を入れて、声を発する。

麒煉(チーリィェン)よ。人必ず自ら(あなど)りて然る後に人これを(あなど)る。故に、自らを大切にせねばならぬ。だが、(おご)ってもいかん。そなたは皇帝として、自分や一族だけでなく、この国を、民を守らなければならぬ。然れば、自らを律せよ」


 麒煉(チーリィェン)は背筋を伸ばし、「はい!」と、力のこもった声で返事をした。


「ちと、偉そうなことを言ったかのう。我も自らを律することが出来ず、このような体になってしまったと言うのに。説教臭くなったのも年の所為かのう? ホホホ……」

 再び柔和な表情に戻り、そんなことを言って笑う應劉(インリィゥ)に、麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)は脱力する。

「そのような……」


 笑いを治めた應劉(インリィゥ)は、孫達に申し訳無さそうな顔をして、語りかける。

「其方達の父にも、随分と辛いことを強いて来てしまった。其方達も、色々と辛い思いをしたであろう。それも、我が至らなかったばかりに……」

「いえ……」

「今となっては、我に出来ることは殆どない。ただ、其方達やこの国の安寧を祈ることしか出来ぬ」


 そう語った應劉(インリィゥ)は、窓の外へと目を向けた。

 窓からは西日が差し込み、いつの間にか、日が沈む刻限となっていた。







※ 敵国外患無き者は国恒亡ぶ……敵国もなく外交の心配もない国は、国民全体に緊張感がなくなり必ず滅亡する。

  大旱の雲霓うんげいを望むがごとし……ひどい日照りに雨の前兆である雲や虹を待ちこがれるように、物事の到来を待ち望むことのたとえ。

  木に縁よりて魚を求む……方法が間違っていれば成功できないことのたとえ。

  人必ず自ら侮りて然る後に人これを侮る……自分で自分を侮るようなことをしていると、必ず人からも侮られるようになる。人に侮られない為には、自らを尊重しなければならないということ。



 ちなみに、茉莉花ジャスミン茶が登場するのは、明の時代だそうです。

 もともとは品質の落ちた茶葉を無駄にせず美味しく飲む為に茉莉花の香りを吸着させて飲んだのが始まりだとか。

 なので、お茶の産地から遠い北方の地でよく飲まれていたようです。

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