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画竜点睛〜龍に守られし国〜  作者:
〜麟鳳亀竜〜
32/37

30.大孝は終身父母を慕う



 章絢(ヂャンシュェン)は、懐から王妃様に貰った革袋を取り出し、皆に翡翠(ひすい)を見せた。


「筆の材料と玉は揃っている。残りは、麒麟の(にかわ)と霊亀の(すずり)か……」


 その言葉を聞き、泰潔(タイジェ)が記憶を辿る。

「確か、霊亀の(すずり)に関しては記述が残っていました」

「そこには、何と?」

 章絢(ヂャンシュェン)が前のめりで尋ねた。


「えー、当時の皇帝であった武帝に献上したと、そう書いてあったかと……」

「そうか。分かった。もしや、祖父ならば行方を知っているかもしれぬ。霊亀の(すずり)についてはこちらで探してみよう」

 泰潔(タイジェ)の言に麒煉(チーリィェン)は思案し、そう言った。


「後は、麒麟の(にかわ)か……」と、章絢(ヂャンシュェン)(つぶや)く。


「麒麟は聖人や優れた君主の許に現れると古来より言われているが……。力不足ですまない」

麒煉(チーリィェン)。それはあくまでも言い伝えだ。真実とは限らない。聖人とまでは言われていない張僧繇(ヂャンンソンイャォ)も手に入れる事が出来たのだ。何か方法があるはず」

 項垂れる麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)が励ます。


「はい。私も、もう一度、調べてみます」

 そう言った直後、ハッとしたような表情になった泰潔(タイジェ)に、皆、訝しげな視線を送った。

 それに答えるように、泰潔(タイジェ)が話す。

「そう言えば、実家はどうなっているのでしょうか?  父や母は元気でいるのでしょうか?」


 皆、彼の態度に納得する。

 

「確か、(ヂャン)前将軍は、前皇帝が退位した時に将軍は辞されたと思うが、その後、後進の教育係として教官となられているはずだ。その夫人も、年は取っただろうが変わりはないだろう」

 浩藍(ハオラン)が代表して、彼の問いに答えた。


「そうですか」

 泰潔(タイジェ)は、ホッと息を吐く。


「皆、飛燦(フェイツァン)国から戻ったばかりで疲れているだろう。後の報告は明日にして、今日はゆっくりすると良い。城に部屋を用意しよう」

「折角だが、俺は早く子淡(ズーダン)に会いたいから、帰るよ」

 章絢(ヂャンシュェン)は、麒煉(チーリィェン)の気遣いを素気無く断った。

 それに、師君(シージュン)も同意する。

「儂も妻が待つ邸に帰るわい」

「お心遣い感謝いたします。私も、両親の事が気に掛かりますので、これからそちらに向かおうと思います」

 泰潔(タイジェ)も申し訳無さそうに、そう言った。


「そうか。では、明日。午後からで良いから、こちらに来るように」

 麒煉(チーリィェン)は残念そうにしながらも、そう言って、泰潔(タイジェ)がすんなりと登城出来るように、一筆したためたものを彼に渡した。


「俺は飛燦(フェイツァン)国の事で、報告しなければいけない事があるから、残るが、張泰潔(ヂャンタイジェ)は先にご両親の許へと帰るが良い」

 章絢(ヂャンシュェン)泰潔(タイジェ)が退室しやすいように、そう声を掛けた。


 それにホッと息を吐いた泰潔(タイジェ)は、改めて謝辞を述べる。

「畏まりました。(リー)侍中(じちゅう)、助けていただき、心より感謝いたします。師君(シージュン)も本当にありがとうございます。このご恩は一生忘れません」

「ああ。今日は、ゆっくり休め」

 章絢(ヂャンシュェン)はそう言って、微笑む。


「はい。失礼いたします」

 泰潔(タイジェ)も微笑み返し、皆に挨拶をして、その場を後にした。



 泰潔(タイジェ)の後ろ姿を見送った章絢(ヂャンシュェン)は、飛燦(フェイツァン)国での出来事を全て、麒煉(チーリィェン)浩藍(ハオラン)に報告した。

 師君(シージュン)は、助言を求められた時以外は傍らに静かに佇み、若い為政者達を眩しそうに目を細めて眺めていた。





  *    *    *   





 一通り報告を終えた章絢(ヂャンシュェン)は、芙蓉(フーロン)宮に戻って来た。


 中に入り、子淡(ズーダン)の姿を見つけた章絢(ヂャンシュェン)は、嬉しそうに彼女の名を呼ぶ。

子淡(ズーダン)!」


 呼ばれた子淡(ズーダン)は、章絢(ヂャンシュェン)の姿を認めると、彼に走り寄った。

章絢(ヂャンシュェン)! お帰りなさい。無事で良かった」


 章絢(ヂャンシュェン)は、抱き付いて来た子淡(ズーダン)をギュッと抱き締めて、その存在を確かめる。

子淡(ズーダン)。心配かけたね」

 その言葉を聞いた子淡(ズーダン)は、抱き付く手に、更に力を込めた。


 後からやって来た(フゥァン)が、二人の様子を微笑ましく眺め、章絢(ヂャンシュェン)に声を掛ける。

章絢(ヂャンシュェン)大哥(兄さん)! お帰りなさい」

「ああ。ただいま」

 章絢(ヂャンシュェン)子淡(ズーダン)を抱き締めたまま、(フゥァン)の方へと笑顔を向けた。

 一頻(ひとしき)り、子淡(ズーダン)を堪能した章絢(ヂャンシュェン)は、名残惜しそうにしながらも抱擁を解いた。


 そして、真剣な顔で、「(フゥァン)。大事な話がある」と言った。


 (フゥァン)は、首を傾げて問い掛ける。

「何?」


「あちらで話そうか」

 章絢(ヂャンシュェン)はそう言って、二人を書房の方へと招き入れ、戸を締めた。

 二人に椅子を示し、着席すると、早速、本題を切り出す。


(フゥァン)。お前の父親が見つかった」

「えっ!?」

 (フゥァン)は、一瞬何を言われたのか分からなかった。


 その様子に、驚くのも無理はないと思いながら、章絢(ヂャンシュェン)は話を続ける。

「ずっと、飛燦(フェイツァン)国に囚われていたんだ。今回、偶々見つける事が出来て、一緒に帰って来た。会いたいか?」

「そりゃ……」

 (フゥァン)は、迷いながらも(うなず)く。


「お前の父親には、まだお前のことを話していない。お前がどうしたいのかを優先させるつもりだ。お前が名乗り出たくなければ、そのまま他人として過ごす事も出来る。お前次第だ」

「そう……」

 章絢(ヂャンシュェン)の気遣いを有り難く思いながらも、(フゥァン)は複雑な心境になる。


(フゥァン)にも心の整理をする時間が必要だろう? 一晩考えて、明日、返事をくれないか?」


 自分を思ってくれる章絢(ヂャンシュェン)に励まされ、覚悟を決めた(フゥァン)は、自分の素直な気持ちを彼に話す。

章絢(ヂャンシュェン)大哥(兄さん)。ありがとう。でも俺、一晩も考えなくても、爸爸(父ちゃん)に会いたい。父親らしい事をして欲しいとか、今までどうして会えなかったんだとか、そんな事はどうでも良くて、ただ会いたいんだ」

「そうか。分かった。明日、一緒に会いに行こう」

 (フゥァン)の気持ちを嬉しく思い、章絢(ヂャンシュェン)は明るくそう言った。


「うん」と、(フゥァン)も嬉しそうに(うなず)く。


「お前はどうでも良いと言ったが、会う前に、俺の方から分かる事だけ説明させて欲しい。その方が、会った時の混乱が少ないと思うからな」

「分かった」


 章絢(ヂャンシュェン)は、泰潔(タイジェ)の境遇を分かる範囲で全て話した。

 (フゥァン)と一緒にそれを聞いていた子淡(ズーダン)はその身の上に同情し、涙を流す。


「そうか、爸爸(父ちゃん)妈妈(母ちゃん)のことをずっと思っていたんだね」

「ああ」

「良かった」

「きっと、お前の父親は、お前のことを知ったら喜ぶだろう」

 章絢(ヂャンシュェン)はそう言って、(フゥァン)の頭を()でる。


「そうだと良いな」

 (フゥァン)は、照れくさそうにしながらも、嫌がらずに()でられていた。





  *    *    *   





 翌日、章絢(ヂャンシュェン)(フゥァン)を連れて、麒煉(チーリィェン)の許を訪れた。


「随分、早く来たな。午後からと言っていたが」

 麒煉(チーリィェン)は読んでいた書類から顔を上げて、室に入って来た二人に視線を向ける。


「家に居ても、(フゥァン)が落ち着かないようだったからな。ここに早めに来てみようかと」

「そうか」

 麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)相槌(あいづち)を打ち、書類を片付け出した。


「邪魔になりそうなら、別の場所で時間を潰すが……」

 章絢(ヂャンシュェン)は、仕事を中断した様子の麒煉(チーリィェン)に対して、申し訳無く思いながら尋ねた。


「いや、大丈夫だ」

 整理し終えた麒煉(チーリィェン)は立ち上がり、二人に椅子に座るように促した。


 着席すると、早速、麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)に尋ねる。

(フゥァン)には全て話したのか?」


 それに、「大体は」と、章絢(ヂャンシュェン)が答えた。


(フゥァン)は、父親に会うことに同意したんだな」と、麒煉(チーリィェン)(フゥァン)の意思を確認する。


「うん。俺、爸爸(父ちゃん)に会いたい。妈妈(母ちゃん)のこととか、沢山話を聞きたいんだ」

 (フゥァン)は首肯し、気持ちを伝えた。


「そうか。彼も(フゥァン)に会えたら喜ぶだろうな」

 そう言いながら、麒煉(チーリィェン)は笑みを浮かべた。

 それに、章絢(ヂャンシュェン)も同意する。

「ああ」



 麒煉(チーリィェン)は二人に為に、客間に点心(軽食)を用意させた。

 昨夜から緊張していた(フゥァン)は、朝食もあまり食べられなかった為、卓に並べられた彩り豊かな料理を見て、一気に空腹を感じた。

 目を輝かせ、(よだれ)を垂らしそうな(フゥァン)の様子に、麒煉(チーリィェン)は満足そうな表情を浮かべ、席に着いた。

 章絢(ヂャンシュェン)もサッと席に付き、残っていた空席に(フゥァン)が遠慮がちに腰掛けた。


「さあ、召し上がれ」

「はい!」

 麒煉(チーリィェン)に促され、(フゥァン)は目の前にあった餅を口にした。


「美味しい!」

 (フゥァン)は行儀悪く、頬張ったままそう言ったが、麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)は緊張で固くなっている彼を、わざわざ注意するようなことはしなかった。

 ただ、微笑ましそうに見守る。


「そうか」

「ハハ。やっぱり、早めに来て正解だったな。(フゥァン)も少しは緊張が取れただろう?」


 章絢(ヂャンシュェン)に笑われて、(フゥァン)は恥ずかしそうに、赤く染まった頬を()いた。

「あっ。そうかも……」


「折角会えた息子に元気が無いと、父親も悲しむだろう? しっかり食べて、元気な姿を見せてやれ」

「うん」

 麒煉(チーリィェン)の言葉に、(フゥァン)は素直に(うなず)いた。



 食事が済み、麒煉(チーリィェン)の室に戻ると、直に師君(シージュン)泰潔(タイジェ)が訪れた。


「陛下」


 麒煉(チーリィェン)は入室した泰潔(タイジェ)に椅子に座るよう促しながら、「昨夜はゆっくり休めたか?」と、軽い調子で尋ねた。

 泰潔(タイジェ)は、腰を下ろし、それに答える。

「ええ。両親も不肖の息子の帰郷を喜んでくれました」

「そうか。良かったな」

「はい。ありがとうございます」

「早速だが、お前に会わせたい者が居て、な。……(フゥァン)

 麒煉(チーリィェン)は、泰潔(タイジェ)の斜め前の席に座っていた(フゥァン)に声を掛けた。


 (フゥァン)は、それに(うなず)き返す。

 (フゥァン)の方へと視線を向けた泰潔(タイジェ)は、じっとその顔を見詰めた。

 初対面である筈の(フゥァン)に、何故だか既視感を覚え、不思議な心地になる。


「この者は、(フゥァン)と言って、亡きニマ王女の息子だ」

「ニマの?」

 麒煉(チーリィェン)の予想外の説明に、泰潔(タイジェ)は思わず目を見開いた。


「ああ。今年で十なると言う。お前の息子ではないか?」

「私の?」

 泰潔(タイジェ)は、惚けたように麒煉(チーリィェン)に問い返した。


「王女は、お前と別れて逃げた後、砦西(ヂャイシー)の山中で一人、(フゥァン)を生み育てていたそうだ」

「本当ですか?」

 ニマが龍居(ロンジュ)まで逃げずに、砦西(ヂャイシー)の山中で一人出産し、育てていたことが信じらない泰潔(タイジェ)は、思わず麒煉(チーリィェン)に鋭い視線を向けてしまった。


 その視線を受けて、麒煉(チーリィェン)は王女の苦労を思い、辛い表情で話を続けた。

「ああ。昨年、流行病で残念ながら亡くなったそうだが」

「そう、ですか」

 泰潔(タイジェ)はそれだけ発し、茫然自失となった。


「ほら。お前と目元や鼻の形がそっくりじゃないか?」

 章絢(ヂャンシュェン)にそう言われて、泰潔(タイジェ)の虚ろな目が(フゥァン)を映す。

 その目から、一雫の涙が流れた。


「ああ、私に子供が……」

 泰潔(タイジェ)は、ふらふらと立ち上がり、(フゥァン)の傍までやって来た。


「ニマとの子が……」

 (フゥァン)の頬へと手を伸ばし、泰潔(タイジェ)はその感触を確かめるように、優しく()でた。


爸、爸(父、ちゃん)……」

 (フゥァン)は戸惑いながらも、そう呼んだ。


「ああ。こんな私を爸爸()と呼んでくれるのか? お前と母親を傍で守ることが出来なかった私を……」

 涙を流し、自分を見詰める泰潔(タイジェ)に、感極まった(フゥァン)は、思い切り抱き付いた。


爸爸(父ちゃん)! 会いたかった!」


「そうか。そうか……。今までよく頑張った。生まれてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。妈妈(母さん)を守ってくれてありがとう。ありがとう。ありがとう……」

 (フゥァン)を抱き締め、その頭を()でながら、泰潔(タイジェ)は何度も、何度もお礼を言った。


 傍で見ていた、麒煉(チーリィェン)章絢(ヂャンシュェン)師君(シージュン)の三人も、貰い泣きし、(そで)で涙を(ぬぐ)う。


 親子は、暫しの間、抱擁し涙を流し続けた。


 泣き止んで、少し落ち着いた(フゥァン)は、泰潔(タイジェ)から身体を離す。


「これを……」

 (フゥァン)はそう言って、泰潔(タイジェ)に連理の枝の梧桐を差し出した。

 それを泰潔(タイジェ)は、大事そうに両手で受け取る。


「ありがとう。大切に保管してくれていたんだね」

「うん」



 親子の話が一段落ついた頃を見計らって、麒煉(チーリィェン)泰潔(タイジェ)に尋ねた。


「この絵は、そなたが描いたのか?」


 麒煉(チーリィェン)は、以前、画院の倉庫に仕舞った、飛燦(フェイツァン)国の王女の肖像画を見せた。

 

 泰潔(タイジェ)は、その絵を隅々まで観察し、答える。

「ええ。亡くなった妻の絵です。ですが、何故こちらに?」

「妻というと、第二王女の方だったよな?」

 疑問に思った章絢(ヂャンシュェン)は、横から口を挟んだ。


「はい。第二王女のニマです」

 泰潔(タイジェ)のはっきりした回答に、麒煉(チーリィェン)は戸惑いを隠せない。


「この絵は、第三王女の肖像画として俺のところへ縁談の話と一緒に送られて来たのだが……」

「そうでしたか……。第三王女は元々身体が弱く、私もお会いしたことはありません。ただ、噂では妻も第三王女も生母の若い頃に生き写しのようによく似ていると言われていました」

 泰潔(タイジェ)は、過去を思い出しながら、そう答えた。


「なるほどな。行方をくらました第二王女の肖像画をそのまま第三王女の絵として送って来るとは、王も大それたことをする」

 そう言って、章絢(ヂャンシュェン)は気遣わし気な視線を麒煉(チーリィェン)へ送る。


 麒煉(チーリィェン)は初恋の女性が第三王女ではなく、泰潔(タイジェ)の妻であり(フゥァン)の母親の第二王女であったことを、内心複雑に思いながらも過去のことと割り切った。

 だが、元々、飛燦(フェイツァン)国王は自分に娘を(めと)らせる気はなかったのだと思うと、何とも苦々しい気持ちになったのだった。


「この絵は、其方に授けよう」

 そう言って、麒煉(チーリィェン)泰潔(タイジェ)へ絵を差し出した。


「宜しいのですか?」

 泰潔(タイジェ)は、躊躇(ためら)いがちに絵を受け取った。


「ああ。画院の倉庫に仕舞っておくよりも、其方が持っている方がその絵も喜ぶであろう?」

「有り難うございます!」

 泰潔(タイジェ)は絵を大事そうに抱え込み、麒煉(チーリィェン)へ謝辞を述べた。


爸爸(父ちゃん)、見せて」

「ああ」

 (フゥァン)強請(ねだ)られ、泰潔(タイジェ)は絵を見せた。


妈妈(母ちゃん)、本当に王女様だったんだね……」


 豪華な衣装や装飾品を(まと)い、優雅に微笑む絵の中の母親に、(フゥァン)は何とも言えない不思議な心地となったのだった。







※ 「大孝終身慕父母(大孝は終身父母を慕う)」……本当の孝行者は、一生その父母を慕い、忘れることはない。

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