10.そして現在、歴史家は語る(最終話)
湖国の二代皇帝・趙大龍は無類の女好きとしても有名であった。
後宮においた妃の数は五十数人、この広大な大地における悠久のごとき長い歴史を振り返ってみても、その数は比類なき多さである。
皇帝として数々の偉業をなした彼ではあるが、唯一、女のために動いたことがあるという。
それが民への色の解放である。
彼の言葉が時の翰林学士の一人である金某の日記に記されている。
『……皇帝陛下は断固として色を解放することを宣言し、中書令に対して即日実行するよう命令いたしました。一人の官吏が「なぜそのように急ぐのか。よく検討するべきではないのか」と問うたところ、皇帝陛下は「急がねば余の寵姫が死する」と答えました。皇帝陛下の表情から、そのお言葉は冗談ではなく真実であることがその場の誰にも分かりました。ですから、その一言で、もはや誰にもこの急ともいえる変革を止めることはできなくなったのです』
時の皇帝に多大な影響を与えた女――はて一体だれのことであったのか?
その正体はこれまでどの歴史書においても明らかにされていない。ただ一つ確かなのは、この変革以降、二代皇帝が死ぬまで妃を増やさなかったこと、そして矛盾することに、この変革の近年において、目立って彼の寵愛を受けた妃や女人がいなかったことである。
しかし私はこのたび大きな発見した。当時、東宮へ出入りした者についてつぶさにまとめた名簿である。崩れかけた文字、さらに墨で塗りつぶされたそれを読み解くことは困難な作業であったが、私はここに、のちに中書令となる柳公蘭の名を見つけたのである。
しかも彼女が東宮を訪れたのは、趙大龍による歴史的宣言がされた前夜、ただの一夜きりであった。
とはいえ、趙大龍と柳公蘭の接点はこの名簿以外には何もない。柳公蘭は「天子門正」ではあったし、確かにこの時代でもっとも出世した女官吏となったが、この人事に皇帝が強く関与した事実は見つかっていない。また、彼女が「色」に関する仕事に関わった痕跡も全く見当たらない。そのため、私としては、柳公蘭が変革を引き起こした女性とは今もって確信できていない。そもそもこの改革は一人の勇気ある無名の低級官吏によるもののはずだ。寵姫の戯言が原因であるはずがない。
この官吏の名は今もって不明であり、歴史上からは完全に消え去っている。その後この官吏がどのような道を歩んだかは定かではないが、きっと立身出世を遂げたか疎まれ自滅したか、どちらかであろう。名が消えているあたり、おそらく後者だと推測するのが合理的な判断だ。
柳公蘭の出事についても不明である。まるで当人が隠ぺいしたかのように鮮やかに歴史から消えている。そのため、彼女がどのような少女時代を過ごし、何をもって当時珍しかった女官吏の道を志したのか、まるきり想像ができない。彼女が歴史に登場するのは「天子門正」として科挙を通過してから後のことであり、しかも数年間は特段目立った功績を上げていない。しかしある年を境に彼女は業績という玉を自力で掴み取り始め、昇龍のごとく一気に出世街道を駆けあがっていく。
彼女は早死にすることもなく三代皇帝の御世には中書令にまで登りつめた。生涯独身で、子もなく、その生涯を終えたという。
そしてこれが最大の謎である。
もし彼女が趙大龍のいう寵姫その人だとしたら、なぜ彼女は色の解放を願ったのか?
その理由は誰にも分からない。
永遠の謎である。
ここまでお読みいただいたということは、おそらく第一巻からここまでおつきあいいただいたということだと思います。お読みいただきありがとうございました。
まず初めに。
侑生の苦悩で終わったとおり、この話は厳密には完結していません。実際、第三巻を執筆中です。ですが、第二巻はここで完結とさせていただきました。大きな理由は、文庫本程度の分量でもってカタルシスを得られたところを一つの巻としたかったからです。また、おそらくここで章だけを変えて続きを書くと、このカタルシスは得られなくなると思ったからです。また、話の始まり(邂逅)と最終話で挟まれた部分を一つのまとまりとしたかったことも理由です。そのほうが理解しやすいと思えるため。
ちなみに第三巻を書きながら第二巻をこちらに掲載するというのは、第一巻完成時にも同様に行っています。なぜかというと、話に矛盾がないように、列伝というくらいだから一本の太い歴史の線上で登場人物を動かしたいからです。先がこうだから今はこうしていないとおかしいはずだ、という最低限の束縛を見誤りたくなくて、だいぶ先のことを書き、そして今に戻って修正・加筆する……を繰り返してきました。
もともと、この小説を執筆した理由は二つあります。一つは、あってもおかしくないような架空の国を宋の時代をベースに描いてみたかったこと。だからこそ、国の設定をおびやかすような登場人物の言動は排除する必要があり、前述した行動をとってきました。もう一つは幾たびか書いているように、登場人物すべてを利用して哲学的な考察をしたかったからです。なので、登場人物すべてが程度の差はあれ、『考えてばかりで誠実で真面目な優等生』的なキャラとなっています。彼らの言動が納得できなかったりいらっとした方もいたかもしれません。けれど、私がここで彼らを使って表現したかったことは、人は多種多様であって正解のない哲学の世界をそれぞれが持っている(または持っていく)ということなのです。実際、最終的に彼らがとった言動は当初わたしが思い描いたものと異なる場合も多々ありました。でも、ある素質と生まれと運命によって、誰もがあさってしあさっての行動をとり(とってしまい)、その結果道が分かれる……ということはあるのではないかと思っています。ですので、決して誰かを不快にしたり傷つけたりする意図はなく、そういう考えの人もいてもおかしくないかもね、と思ってくだされば非常に助かります。
さて、この巻の内容について言及すると(以下、まだ本文を読んでいないかたは読まないほうがいいかも?)。
突然登場した中書令、柳公蘭はどうでしたか?また、礼部侍郎の馬祥歌は?
女武官が登場する国であるから、女が入りやすい文政において活躍する女がいてしかるべきだと、そういう女性であれば初の女武官に対してこういう行動をするだろう、と考えて動かしました。
この辺りは現代のお仕事小説的だと思います。
後半に出てきた武官の悩みなんかも現代的かと思います。これで彼らにも親近感をもっていただければ。
また、一巻以上に恋や愛について言及しました。恋や愛ってどういうものなの?愛しいと思う気持ちって何なの?と考えつつ……。
生きることについても相当話に入れ込みました、うざったく感じるくらいに。
二つのテーマについて最大限に盛り上がるのは、本編の最後です。侑生はなぜ珪己にあのような行動をとったのか?それが侑生の考える生きること、喜び、そして愛しいと思う気持ちです。
もちろん、侑生の行動や思考は、彼自身の内から発生したもので、それがベストなわけでもなく、ベターどころか最悪だと感じる人もいるでしょう。それも含めて、それこそが侑生自身なのです。
さて、侑生に芽生えた感情はどうなるのか?
仁威は、珪己は?
珪己は再び戦えるようになるのか?
菊花は?皇族たちは?
芯国との調印式は?
他の女性陣、そして男性陣は?
……といったことを次巻で綴っていきます。
本作についてご感想いただけると嬉しいです。
また、これってどういう意味なの?といった質問あれば、次巻以降に影響のない範囲についてはお答えできますのでぜひご質問ください。




