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7.正しいだけでは生きてはいけない……が

 仁威が去り、古亥も去り――それでも侑生は楊家の前から動けずにいた。頭上にはあっという間にいくつもの星が現れ、まだ明るさの残る薄墨のような空で瞬き始めている。


(正しさだけでは世界は成り立っていない。もしもそうなら、罪を犯したことのない者しか生きることができなくなる。だが生きているかぎり人は何らかの過ちを犯す。それは仕方のないことだ)


 侑生は今では生きることの難しさをそう解釈している。だが、頭では分かっていても、こうもはっきりと他人に指摘されると、それは心に深く突き刺さった。平穏を取り戻したばかりの身にはなおさらきつく感じる。


 侑生はこの八年、罪というものに正面から向かい合ってきた。どのようにすれば罪が消えるのか、消えなくともせめて何らかの罪滅ぼしができれば、と。それは仁威の言うような単なる逃げなどではない……はずだ。


(贖罪のためだけに生きているような私にとっては……)


 仁威の言葉がこだまのように体中をめぐる。


(……では私はこれからどうすればいいんだ? どのように生きればいいんだ?)


 抑えこんだつもりの負の感情がよみがえってくる。


『私は君の神ではないんだよ』


 そう玄徳は侑生に言った。


(間違いを犯し、道を誤り、信じる者を失い……それでもまだ私は生きていくことができるのか? 生きる理由はあるのか?)


 何度か名前を呼ばれたような気がして、侑生ははっと顔をあげた。


「あ……珪己殿」


 いつのまにか、目の前には稽古着姿の珪己がいた。道場に行こうとして屋敷を出たところで門前に立つ侑生に気がついたのだろうが、侑生の常ならぬ雰囲気に心配げな表情をしている。


「こんなところでどうされたんですか……?」


 珪己が現れたことにも気づかなかった自分にひどく狼狽する。枢密副使となってから、己の思考がここまで暴走することは一度たりとてなかったのに。このところの自分はまるで制御が効かない。


「や、やあ。久しぶりですね」


 そのあわてぶりに、珪己がすっと表情を引き締めた。


「……もしかして。父から何か言われて来たのですか?」

「え?」

「だから……私のことで」


 ようやく、侑生もここに来た本来の目的を思い出した。


「そう、そうです! お父上が珪己殿のことを心配なさっていますよ。それで、私でよければ何か相談にのれるかと思いまして今日はこうやって」


 その申し出はこの場の思いつきのように侑生の口から滑って出たものであった。だが、それを額面通りにとらえた珪己は、目をしばたき一人思案し始めた。


 ちらちらと侑生の体躯を眺めるから、侑生にしても奇妙な心持ちになりだしたころ――。


「では私につきあってください」



 珪己は侑生の手をとると半ば強引に道場へと連れこんだのであった。



 *



 道場は灯り一つなく、真正の暗闇に包まれていた。その闇の中、珪己が慣れた手つきで壁際の燭台に灯りを入れていく。ぽっ、ぽっと、灯っていく柔らかく小さな灯りは、闇をほのかに温めていった。


 次に珪己は壁にかけられていた一本の木刀をとると侑生に差し出した。それに侑生は思わず首をかしげた。


「どういうことですか?」


 これにきっぱりと珪己が答えた。


「稽古の相手をしてほしいのです」

「……私が、ですか?」

「はい」


 見れば、やややつれた顔ながらも、そこに浮かぶ表情は天真爛漫、よく知る珪己らしいものとなっていた。侑生は丸く見開いていた目を細め、うなずき、木刀を受け取った。


「いいでしょう。私でよければお相手します」


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