2.信じろ
近衛軍将軍・郭駿来にはこのところ気がかりなことがあった。
第一隊のことである。
始めは『やけに第一隊だけ調子が良いな』くらいに捉えていた。この初春から隊全体の動きが目に見えて良くなっていたからである。しかし少し様子を見ていれば、隊長である袁仁威の調子の良さが率いる武官らにまで感化していることは容易に分かった。
けっこうなことだ、と俯瞰していたら、次に第一隊の稽古量だけが格段に増した。それも隊長の指示ではなく、隊員らによる自発的な取り組みだという。その理由が超一流の色男による恋愛指南ときたら、駿来にできることは傍観することだけだった。若い彼らが恋愛という餌を前に飢えを我慢できるわけなどないのだ。仁威も駿来と同じように部下を見守ることを選んだ。それでいいと思った。
さて、いつまで続くか、と眺めていたら――今は最悪な状態に陥っている。
一言でいえば空回り。
今日も武殿中央の稽古場に来てみれば、案の定、第一隊の武官だけがまだ日も高い時分だというのにすでに疲労困憊していた。
仁威は部下の指導に熱中していた。駿来は背後から近づくと、ぽんとその肩を叩いた。
ぎょっとした顔をして振り返った仁威に、内心駿来は嘆息する。
(俺が近づいたことにも気づいていなかったのかよ……)
駿来はその場にいる全ての近衛軍所属の武官に聞こえるよう、腹の底から大きな声を出した。
「おめえら、休憩にしろお!」
「なぜですか郭将軍! まだまだ我ら第一隊はやれます!」
血走った目で挑んでくる仁威の硬い表情には小さな怒りすら見える。
「肩の力を抜け。でもって自分の部下をよく見てみろよ」
駿来の言葉に仁威は従い――そして言われたとおり肩の力を抜いた。確かに彼らには休憩が必要だったからだ。『今すぐ動け』と命令されても容易に従えないほどに脱力し、体が資本の彼らが息も絶え絶えになっている。そのうち何人かは将軍の言葉を受けた瞬間、その場に座り込んでしまったほどだ。
駿来はきつく唇をかみしめる仁威を隅のほうへ誘い、そこで「まあ座れや」と自分から地面に腰をおろした。仁威が座り、二人の視線の高さが合ったところで、駿来は一つ気がついた。
(こうして見るとこいつが一番堪えているな……)
「何か悩みでもあるのか。うまくいかないことでもあるのか?」
問われ、ぴくりと仁威の頬が動いた。だがそれだけだった。唇は固く閉ざされたままである。
少し苦笑して駿来は腕を組んだ。
「いや、いいって。言いたくないことは言わなくていい。だがな、これだけは覚えておけ。おめえは第一隊の隊長なんだってことをな」
「……それは分かっています」
「いんや、分かっちゃいねえ。おめえは『第一隊の全ての武官』をまとめる隊長だってことを忘れているよ。それにおめえの心一つで部下たちが簡単に動いてしまうっていうことも分かっちゃいねえ。自分にどれだけの力があるのか、てんで分かっちゃいねえよ」
ようやく口を開きかけた仁威を、しかし駿来は片手だけで制した。
「自分はそんな大それた人間ではないとでも言うつもりか。まさかそんなことは言わねえよな。なぜならおめえは『隊長』なんだからよお」
駿来は青白い顔で黙り込む仁威の胸を拳で軽く叩いた。
「もっと自分を信じろ。でもって部下を信じろ。上司なんてものはな、どうしたって力が入ってしまう仕事なんだよ。だからこそ、大事な時こそ俺らは力を抜かなくちゃなんねえのよ」
仁威はしばらく駿来を凝視していたが、やがて黙ってその頭を下げた。




