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1.文通のはじまり

 珪己はその文箱を、宮城からの帰り道、仁威から手渡された。


 その文箱――草花付き、しかしほとんどがくったりとしおれている――は、束の間珪己の思考を停止させた。だが二人の青年と同様に、箱の上等さとその草花の意味することをすぐさま察することができた。


(この草花……絶対に天陽園で摘んだものだわ!)


 天陽園で過ごした思い出を共有する者といえば――現皇帝の息女・菊花しかいない。


 この時、ぱっと顔を輝かせた珪己を仁威が温かく見守っていたことなど、当の少女はあまりに興奮していて最後まで気づくことはなかった。



 *



 仁威と別れ自室に入るや、うきうきと心がはずむ。


 草花をそっとはずして紐をほどけば、開けた文箱の中にはぎっしりと重ねられた料紙が押しこむように納められていた。その厚みは、菊花が実の父に一晩かけてしたためた初めての文とそん色なかった。それは菊花が珪己と語りたいと思ってくれている心のあらわれであった。


 文を取り出し両手の平で挟むと、柔らかな紙からほのかな温もりすら感じられた。懐かしさと愛しさが胸にしみじみと広がり、やがて珪己の瞳をうるませた。


 珪己は文を読んだ。大切に、大切に読んだ。


 その文の冒頭には「先日の出来事で迷惑をかけて申し訳なかった」と記されてあった。


 そして、あれから珪己に会えなくて寂しかったが、今は父母と仲良くやっていると、親子の語らいについて詳しく記されていた。それは珪己を心から安堵させた。菊花親子のことはずっと気になっていたのだ。


 文には『ありがとう』という言葉が幾度も出てきた。


 珪己はその日、ぽかぽかと温かい心を抱きしめて、久々に健やかな眠りについた。


 早速、翌日には菊花へ文を返した。

 それから珪己と菊花の秘密の文通は始まったのである。



 *



 文は珪己の父である楊玄徳と華殿を統率する趙龍崇を介して二人の間を行き来した。


 当初は仁威を介せばよいと思っていたのだが、翌朝の稽古場に文を持参すると苦虫をかみつぶしたかのような顔になり、


「……俺はその任は受けない」


と、言も少なに断られてしまったのである。幸い、玄徳に相談したら自身が快く承知してくれて、そして今に至っている。


 菊花からの初めの文には『今は中書省で勤めているそうだが、どうであろうか?』という質問もあった。菊花は珪己の父が官吏であることも、ましてや二府の一つである枢密院の長官であることなど知らなかったのである。なので菊花は文を預けた女官に珪己の勤め先である中書省に届けるよう命じてしまった。そう命令されれば、息女の手による文なのであるから、中書令に預けるのが道理と判断されたらしい。それが祥歌や仁威を巻き込み、小さな波乱を招いたことなど、この当事者二名は知る由もない。


 返事の文の中で、珪己は父が枢密使であることや、自身が武芸者なことから父を介して一時女官に任じられていたことなどを説明した。……ようやく二人は当時のことを理解しあえる状態にまでなったのである。


 それからは、武芸のことや、今の仕事・礼部での話を菊花にねだられ、そのたびに珪己は書ける範囲で返答していった。ただ、芯国の調印式の件については珪己もよく分かっておらず、『そういう催しがあるので臨時でお手伝いをしている』とだけしか書けなかったが……。


 それでもこの珪己の文が、もともと好奇心旺盛な菊花の心に火を付けた。


 きっかけさえあれば何でも知りたくなるのが七歳の少女らしいところである。


 ただ、その種火がその後の業火の元となろうとは、神仙ですら知る由のないことだった。


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