5.武官の切実な悩み
いったん自室に戻り文箱を置くと、仁威は昼餉を食べ損ねまいと急いで食堂へと戻った。ここで一食を抜いたら午後の仕事に大きく支障が出る。
戸を抜けると、向こうから周定莉が大きく手を振ってきた。
「隊長! こっちです!」
仁威は料理人に好みの菜譜の丼を手早く作ってもらうと、第一隊の部下が集うその一角へと向かった。そろそろ休み時間も終了間際、室内にはほとんど人がいない中、なぜかまだ先ほどの五名は根を張るようにしっかりと坐している。彼らの丼や器は当然からっぽ、米粒の一つも一滴の汁も残っていない。最年少の定莉も皆にならって頑張って同じ量を食したようだ。
丼と添えられた汁椀を机に置き椅子に座りがてら、仁威は言った。
「お前らまだいたのか」
「隊長が来ないのに帰れませんよ」
「そうですよ。今日は食事をご一緒できるって楽しみにしていたんですからね」
仁威は隊長として各種の仕事を担っているため、こうして部下と食事を共にできることは週に二日あるかないかである。
「分かりやすい世辞はやめろ」
軽く鼻で笑いながら、急いで丼をかき込んでいく。「ほんとですよー」とあからさまに取り繕う部下の声は、くすぐったい。が、知らぬ顔で咀嚼に専念する。何よりもう本当に時間がない。
と、一人の部下が意味深に笑った。
「で、さっきの女性はなんなんですか」
「……なんだって?」
かきこんでいた丼から顔をあげると、五人の部下がそろいもそろって薄気味悪い笑顔を浮かべていた。まだ新人の定莉までも、だ。
「だから、袁隊長のいい人なんじゃないですか。さっきまで噂してたんですよ」
「……はあ?」
眉をひそめた仁威に、彼らが遠慮なく畳み掛けてきた。
「袁隊長、かっこいいのになかなか女性の影が見えないでしょ。前からみんなで心配していたんですよ」
「袁隊長ってやるときはばしっと決めそうだし、絶対もてると思うんですよねー」
「なのに朝から晩まで俺たちや隊のことばっかりで」
「酒楼に行っても、出てくる話題は武芸のことばかりだし」
「妓楼に誘っても断られるし」
「とにかく、みんな心配してたんですよ。聞けば、入隊してから一度もそういう話がないみたいですし。最近では、袁隊長は女性に興味がないんだろうってことで意見が一致していたくらいなんですから」
(……だから最近は妓楼への誘いが減っていたわけか)
それは――好都合な誤解。ああいうところは好きではない。というか金と時間の無駄だ。
訂正する必要もなく話を聞き流していた仁威であったが、半分ほど食べたところで、いつの間にか話題は彼ら自身のことになっていた。
「そもそも俺たち武官には出会いなんてないしなあ……」
「そうそう、稽古ばっかりでどこに出会いがあるんだって感じだよなあ」
「こうやって家と宮城の往復だけで俺らの一生って終わるのかなあ……」
「この仕事は楽しいしやりがいはあるけど、でもなあ……」
つい丼から顔をあげた。
「……お前らそんなに悩んでいたのか」
とたんに幾人かの部下の目に本物の涙が浮かんだ。強面の男の中の男といった風情の彼らの目に涙、である。彼らのうるんだ瞳が一斉に仁威に向けられた。
普通であれば『気持ち悪い』と一刀両断してしまえば済む話だし、実際に他者から見ればそう思われても当然に思える奇怪な彼らの表情なのだが――しかし、彼らをよく知る仁威の心は大きく動かされた。それは馬鹿らしくも実に人間らしい深い悩みだったからた。
「隊長! どうしたら武官でも恋人ができるんですか?!」
「教えてください、隊長!」
「さっきの人、年上ですよね。俺も年上好きなんです。誰かお友達を紹介してもらえませんか」
「ああ、俺も包容力のある女性に優しく癒されたいなあ……」
ぎゅっと両手で自身を抱きしめて身悶えたのは、この中で最も頑強な肉体を持つ長物を得意とする武官である。これにはさすがの威も眉をひそめた。
「馬鹿か。あの女には包容力なんてものはない。近寄れば俺ら近衛軍でもすぱっと容赦なく切断するような怖い女だ」
馬祥歌のことを嘘偽りなく写実して説明したというのに、別の部下の顔になぜか喜色が浮かんだ。
「え、そうなんですか。俺、きつい感じの人が好みなんですよ。『だめでしょ!』って叱られたら『ごめんなさーい』ってかわいく甘えるのが理想なんです」
「……いや、そういう問題ではない」
「あ、もちろん袁隊長の恋人には手をだしませんって。そんな不義理なこと、第一隊の武官がするわけないじゃないですか。……はあー、でもいいなあ。だから最近の袁隊長は絶好調なんですね」
「なんだそれは?」
仁威は全てを食べ終わり、丼を机に置いた。元々早食いは得意だ。
その部下が机ごしに前のめりになったところで――。
「このところ第一隊の士気が不思議と上がっているとの報告があるが、なるほど、そういうことだったのか」
第三者の介入に、五人の部下が一斉にその声の主に振り向いた。
そこにいたのは枢密副使・李侑生であった。




