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4.旧友と杯をかわす

 その頃、侑生と仁威は待ち合わせた酒楼の個室で向かい合い、黙々と酒を飲んでいた。玄徳が指定したこの店は、侑生は仕事の延長で時折利用することがある。


 対する仁威はこのような格調高い店は初めてであった。とはいえ、調度類はもとより、酒の質から給仕のふるまいまで、馴染みではない仁威にとっても総じて居心地はよかった。店の格はほどよく主張されている。が、決して押し付けるようなものではない。


 武官はこういう洒落た店よりは量が多くて安く飲み食いができる大衆向けの酒楼を好む。そして最後は血気盛んな野郎どもで大騒ぎとなって店から追い出されるのが鉄板だ。


 仁威は酒で己を失ったことはない。特に清照との一件以来、二度と『そういう自分』にならないよう、強く己を戒めている。


 だからといって酒が嫌いなわけではなく、同僚や部下との大騒ぎする時間を共有するのは好ましいし、こういった高級酒楼であっても自分を動じさせることはない。


 だが、目の前で飲む相手が李侑生ただ一人であるという現状はひどく気づまりだった。それは侑生のほうでも同じようで、何杯か干してから、ようやく言葉を選ぶように口を開いた。


「今もけっこう飲めるのか」

「……ん? まあな。部下に飲ませて憂さ晴らしをさせるのも上司の勤めだ」


 ようやく場が動きだした。


「侑生は今日は楊枢密使になんて言われてきたんだ?」


 侑生が眉をひそめながら杯をあおった。


「たぶん、仁威、お前と同じだ」

「……そうか」


 すると、二人の間にまた重苦しい沈黙が広がった。


 二人が共有するものは実は数えるほどしかない。武官となってからの数か月間と、八年前の事変。そしてつい最近の王美人の事件――そして楊珪己。


 楊珪己――その名を思い起こして、仁威は夕方に侑生の執務室を訪れた理由を思い出した。


「……楊珪己のことなんだが」

「珪己殿がどうした?」


 その侑生の反応が常に比べれば幾分か早く、仁威は『本当に訊きたかったこと』については触れないことにした。……今は確かめたいとは思えなくなったから。


「朝晩は俺が送り迎えすることにした。朝のうちに稽古をさせ、武官としての質の向上にも努める。だから楊珪己についてはお前が心配しなくてもいい」


 最後の言葉は少し取り繕うようであったかもしれない。そう思って内心焦りを感じた仁威に侑生は気づいたか。


 侑生は――気づいていなかった。逆に意味をはき違えていた。


(……それは私は無関係だということか?)


 なんとはなしにむっとした心持ちになり、嫌味に聞こえるように応じていた。


「それは玄徳様からも聞いているよ。配慮ありがとう」


 仁威が杯をあおった。


「調印式での警護が務まるよう、よく鍛えておく」

「そうだな。何もないとは思うが、万一のことも考えてよろしく頼む」


 それからも二人は適当に会話を続けながらお互いのことをさりげなく観察していた。


 そして、二人はほぼ同時に思い至った。


 相手の持つ滑稽なほどの生真面目さ。

 これではまるで鏡の中の自分と飲んでいるのと同じだ、と。


 ――玄徳との会話が思い出される。


「……八年前の話をしようか」


 切り出したのは侑生だった。


 侑生のほうが玄徳に諭されてからの時間は長く、仁威に比べれば心の整理ができていた。


「もしも八年前に戻れたら……どうする?」


 侑生は杯を回して中の酒をくるくると回転する様を眺めつつ問うた。問いながら、先に自身から答えた。


「私は……もっときちんと周りを見るようにしていたい。ただ怠惰に寝転がって一日を過ごすような馬鹿な自分はもう嫌だ、そう思っている」


 玄徳を助けるために、まず自分が敵の前に立つことができたら。

 事変の直後はそう思っていた。

 だが、それでは自分の気持ちは晴れるが結局は犬死なのである。


 ではどうすればよかったのか。


 あれだけの大事変だ、起こる前に必ず何かしらの兆候があったはずなのだ。加害者集団が所属する第一隊に所属しながらもそれに気づくことができなかったのが、自身の最大の失点だった――。


 今、侑生はそう思っている。


「それに、何かあったときに全てを立て直せる力が必要だった」

「……やり直せないからこそ、文官になったということか」


 もう二度と同じことを繰り返さないために。

 せめて、未来における被害を最小限に食い止めるために。


 そして侑生は玄徳のそばで働くことを選んだ。贖罪のために最適な役割、居場所がそこにあったから。


「……俺もお前と同じようなものだ」


 杯を干し、机に置く。仁威が口を開いた。


「誰にも負けない人間になりたい、そう思っている。強くなり、己の力で護りたい者を護れるようになりたい、と。あの日からそういう自分になるために生きてきた。やり方は違うが、そういうことだ。俺とお前は……」


 言いかけ、仁威は口をつぐんだ。再度杯を手にし、それが空であることに気づき机に置いた。


 続く言葉には何が適切であったのだろうか。仁威はしばし考えた。俺とお前は……?


『八年前に決定的な間違いを犯した馬鹿者同士だ』

『罪を悔い、償うためにここまでやってきた者同士だ』

『罪をつぐなうために生きている者同士だ』


 たまらず小さな笑みを浮かべていた。それは侑生も同じだった。


 ここまでの話を耳にすれば、玄徳はまた眉をひそめるのだろう。でもまだしばらくはそれでいい、二人はそう思った。誰でもそう簡単には生き方を変えることなどできはしない。強く願ってきたことであれば、そしてそこに罪の意識があればなおさらだ。


 二人は赦されたいなどとおこがましい思いは抱いていない。ただ、粛々と償い、償いきれない部分を官吏として助力することで補えないかと模索し続けているだけなのだ。玄徳がそれを負担に感じていることは重々承知しているが……。


 それは、これからもしばらくは続くのだろう――。


 それでも今夜の酒は二人の舌にはいつもよりも美味に感じられた。

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