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龍の約束  作者: 雪見桜
【番外編2】終わるもの、続くもの
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7.変わるもの


「松木先生」

「んー? 何だ津村、どうかしたか」

「先生って、時々すごく純粋になりますよね」

「は? 何だ急に」

「だって飛行機乗るのが楽しみすぎて夜寝付けないとか、電化製品見ていちいち感動したりとか」

「子供っぽいって? 悪かったな」

「そうじゃなくて。何だか先生、まるで初めて見たって顔してるから……私の知らない日常を送ってきたみたいに」

「……そんなわけあるか。ごく平凡に生きてきたよ」

「うーん……でも何か遠い感じするんだよなあ」


視界の先でナサドが張りつめた空気を放っている。

見覚えのない、白に包まれた小さな部屋で椅子に座ったまま。

一方の“私”は何故だか小さな小さな寝台にいる。


メイリアーデはそれが夢なのだと気付いた。

恐らくはつい最近も見たのであろう、しかし感覚的には随分と久しぶりな前世の記憶。


視界に映る自分の手は青白く、ほっそりとして頼りない。

寝台から起き上がろうとすれば体がふらつき力が入っていかなかった。

ああ、もうそう長くはないと本能が告げている。

前世の自分……津村芽衣が気付いたのは、だからなのかもしれない。


「私の体がもっと丈夫だったらなあ」


ぽつりと誰にも聞かれぬ声で芽衣は言う。


「……そうしたら、どこにでも付いていけるのに」


ひどく寂しげな芽衣の独り言。

メイリアーデにはもう芽衣が何を思ってそう言ったのか分からない。

感情の糸は完全に切り離され、今や芽衣とメイリアーデは完全な別人物だ。

それでも何故だかメイリアーデには分かった。


「気付いて、いたの? ナサドが……“先生”が、あの世界の住人ではないと」


今生の声が脳に響く。

認識した途端にもやとなって前世の記憶は消えた。

いつもと同じようにその後は一切何も残ってはくれない。

それが今を選ぶと言うことで、前世と別れるということ。

分かっていても、どうしたって寂しさや辛さは消えてはくれない。


「メイリアーデ様」


ああ、自分を呼ぶ番の声が聞こえる。

“松木先生”ではなくて、ナサドの声。

起きなくては。

そう思った瞬間に、もう夢を見たことすらメイリアーデは忘れていた。


「ナ、サド……」

「大丈夫ですか、メイリアーデ様。随分とうなされていましたが」

「え、本当? ごめんなさい、全然身に覚えがな、くて……」

「メイリアーデ様?」

「どうして、だろう。すごく、大きな何かが、ぽっかり」

「……メイ。おいで」

「ナサド」

「大丈夫、無理に抑える必要はないんだ」


2人で過ごす大きな寝台の中央でナサドに強く抱きしめられる。

また何かを失ったと分かるのに、何を失ったのか分からない。

ただただ無性に寂しい。

そんなメイリアーデをナサドは長く抱きしめ続けてくれた。

華奢にも見える外見に反してがっしりとしたナサドの体を抱きしめ返す。

そうすると理由の付かない激しい波が次第に緩やかに収まっていく。


「ごめんなさい、ナサド。起こしてしまった?」

「いいえ。まさか」

「嘘」

「……番の涙を感じて起きるなという方が無理です。どうか謝らないで下さい。頼っていただけて嬉しいのですから」

「……うん。ありがとう、ナサド」

「どういたしまして」


温かな、優しい声。

全てを受け入れてくれる番の言葉。

敵わない、守られてばかりだ。

そう苦笑してメイリアーデはそっと離れた。


「私、やはりまた思い出していたのかな? 前世のことを」

「おそらくは。少し頻度が増していますね」

「……実は私も最近感じるの。もう本当に近いって」

「メイリアーデ様」

「無くなるのね、本当に。貴方と出会った繋がりが」


寂しいとメイリアーデは思う。

しかし揺らいだ感情の波が一度落ち着いてしまえば、辛さは感じない。

メイリアーデにとって大事なはずの前世は、どんどんと存在感を失っていく。

不思議な感覚だが、こうした機会がなければ前世のこと、日本のこと、自分達の出会いについて考えることすらなくなってきていたのだ。


「……ごめんなさい、ナサド。私ばかりが忘れてしまうわ。私達にとって大事なはずの記憶を」

「謝る必要などございません。メイリアーデ様や津村が、一つ一つ必死に考え今を選び取って下さったのだと分かっていますから」

「けれど」

「メイリアーデ様。私は、過去に山ほど後悔を抱えて生きて参りました。けれど私の人生そのものには一切の後悔がないのです。この意味、分かるでしょうか?」

「え?」


淡く笑んでナサドはメイリアーデを見つめた。

過去に後悔を抱えて生きてきた。

それでも人生に悔いはない。

一見矛盾したようなその言葉にメイリアーデは首を傾げる。

ナサドの笑みは穏やかなまま。


「では宿題、にしておきましょうか」

「え? しゅ、宿題!? 答えは教えてもらえないの?」

「津村とよくこういうやり取りをしたのですよ。まあ津村に学校に来る気を起こさせたくて苦肉の策として試したのですが」

「苦肉の、策……、私って学校? に行きたがらなかったの?」

「年に何度かは気が沈む時があったようで。しかしどうにも一人塞ぎ込むようにはしたくなかったのです」

「……そう」

「野村……、ユーリ様と2人手を組み津村の登校作戦をやったこともございますよ」

「え!? わ、私ってそんなご迷惑を」

「……貴女は、よく一人で溜め込んでいましたからね」


ぽんぽんとナサドがメイリアーデの頭を撫でる。

きょとんとメイリアーデがナサドを見上げれば、笑い声が届いた。


「あの頃には出来なかったことを山ほどすると決めていたのです。貴女をもう一人にはさせないし、徹底的に甘やかしますし、言葉を惜しむことも止めました」

「え、え?」

「前にも申し上げましたが、私達の間に起きた出来事そのものが消えて無くなるわけではございません。貴女が忘れる分は私が覚えていますし、たとえ記憶が消えてしまっても何もかもが消えて無くなるわけではないのです」

「……ナサド」

「……願わくば、貴女の人生に悔いが残りませんよう」


祈るような言葉に、なぜだかメイリアーデの心が揺さぶられる。

ほんのわずかな不安を感じ取り思わずナサドの手を拾い上げれば、ナサドは何の影も見せない笑みを見せた。

当然のように握り返され、額を重ねる。


「本当、人のことばかりなんだからナサドは」

「ですからメイリアーデ様は私に対する美化が強すぎます」

「違うのに」

「そうです」


不毛な言い争いをしてお互い笑い合った。

メイリアーデの目に浮かんでいた涙はもう乾いて名残もない。

沈んだ気持ちも引きずってはいない。

柔く優しく消えていった。

いつもの起床時間頃には、すっかりいつも通りだ。


「ところで、ナサド」

「はい、何でしょう」

「ルドとはその後どう? 何か進展は?」

「何一つありませんね。何せルドなので、悩み抜くまで時間がかかるでしょう。まあ、ですがそろそろ決める頃でしょうか」

「そうなの?」

「はい。妙に義理堅いので、長い時間待たせることを是としないのですよ。たとえそれが私であっても。一応形式上は主ですからね」


朝食を共にしながら、ナサドはからからと笑っていた。

オルフェルがナサドにルドの本意を導き本人の好きにさせてやって欲しいと頼んで数日。

まさかナサドが自らルドに専属従者の打診をするとはメイリアーデも思っていなかった。

ナサドも自分で自分に驚いたと苦笑する。それでもいざその時になるとしっくりきたのだそうだ。


昔はお互い無二の友人だったとナサドが言うように、ナサドもルドもお互いのことをよく理解している。

ルドが決断するまで時間がかかることも、ナサドが素直に人を頼れない性格をしていることもお互い承知だった。

お互いにそういう欠点を理解しながら、それでも言う時には言うし放っておく時には放っておく。

べったりするのは何だか気持ち悪いときっぱりナサドが言うのは、長年微妙な関係性が続いたからだろう。

まるで熟年夫婦のようねとメイリアーデは笑ってしまう。そうすると心底複雑そうにナサドも笑うのだ。


「ご歓談中申し訳ございません。ナサド様」

「ああ、なにかあったか?」

「ルド様がお取次ぎを願いたいとお越しですが、いかがいたしましょう」


ナサドの予想通りその話が来たのは朝食を終えた頃合いだった。

比較的公務の少ない1日の、比較的ゆっくり出来る時間帯。ルドのことだ、散々悩みながらそれでも龍人のスケジュールはしっかり把握していて負荷のかからない時間を選んだのだろう。

そう分かりナサドが「ほら、言った通りでしょう」と言うものだからメイリアーデも思わず笑ってしまった。


「ナサド様におかれましては、お忙しい中お時間をいただきまして感謝申し上げます」

「……本当相変わらずだな。そんなかしこまらなくて良いって」

「王女殿下におかれましても、ご夫婦の貴重なお時間を私のためにいただき申し訳ございません」

「……おい、無視するな」

「ふふ、全然構わないわルド。むしろ私がここにいても良いの? 2人で話したいのならば席外すよ?」

「お心遣いありがとうございます。畏れ多くも王女殿下にもお聞きいただきたく存じますがいかがでしょうか」

「それならば喜んで聞くけれど」

「……ありがとうございます」


部屋に通すなり恭しく膝をつくルド。

ナサドはやはり慣れないようだ。10年経てばある程度慣れるはずのこうした扱いに、それでも苦い顔をするのはルド相手のときとイグニル……実父相手の時くらいだろう。

頭で理解できてもどうにも心が違和感を訴えると寂しげにナサドが笑ったことをメイリアーデは覚えている。


自分が龍人として、メイリアーデの番として生きると決めた以上受け入れるしかないと言いながら、それでもルド相手にだけはしつこく畏まるなと言ってしまうのはナサドがルドを対等の友人として見ているからだ。

メイリアーデがそう気付いたのは最近のこと。

中々人を頼れないナサドが頼れる数少ない人物なのだと思う。


「それで? 考えてくれたんだろ、ルド」


いつものやり取りを終えた後、早々に本題を引き出すナサド。

そうすればルドもまた膝をついたまま頷き言った。


「結論を申し上げるより先に1つお聞きしたいことがございます」

「何だ」

「私はもう良い歳です。スワルゼを負う立場もあります。たとえ貴方様に直接お仕えしてもそう長くは共にはあれない」

「……そう、だろうな。俺とお前ではもう寿命が違うのだから当然だ」

「私に寿命が来ても受け入れて変に引きずらずいて下さいますか? スワルゼに必要以上の情を抱き無理に引き上げようとはなさらないとお約束いただきたいのです」


その言葉にナサドが目を見開く。

ナサドが龍になった時点でルドとの間に引かれてしまった明確な線。

友人だと胸の内では思っていても声には出せないお互いの現状に、それでもルドが願ったのは自分以外の誰かへ向けた言葉だ。

……本当に、ナサドと友人になるだけのことはあるとメイリアーデは思う。


ナサドは驚いた顔をした後、諦めたように笑う。


「お前の問題やスワルゼの問題に関して俺に部外者でい続けろと言うか?」

「はい。貴方様のことですから頼みもしないことを勝手に背負い動きそうですが、それは私や臣下達の領分です」

「近しい者が苦しんでいても無視しろと?」

「……見守り受け入れ変わらぬことが主の役割です。主がそうあれるよう支えるのが私達の使命かと」


言葉を選ぶことなく率直に物を言うルドは中々珍しい。

少なくともメイリアーデ相手には絶対に言わない。

しかしそうして身をさらけてもナサドに向き合うルドに、メイリアーデもナサドも感じとるものは一緒だった。


「……分かったよ。俺もきちんと主として龍として相応しくあれるよう振るまう。お前のことも……臣下として受け入れられるよう努力する」


ナサドの言葉を受けてようやくルドは大きく息をついた。そうして大きく頷く。

次に視線を向けた先はメイリアーデだ。


「王女殿下。私はこのような性格です、融通が利かずどうあるべきかを考え1つずつ消化せねば動けない」

「ええ、そのようね」

「しかしそれでも、ナサド様の臣下としてナサド様が迷わず臣下を頼り龍人様のご使命を全うできるよう支えていきたく存じます」

「っ、では」

「このような私をお許し下さいますか、ナサド様の後ろに控える者として」

「勿論、当然よ」


いつもメイリアーデには華やかな笑みを見せていたルドが、笑みの1つもない真剣な表情でメイリアーデに懇願する。

メイリアーデは大きく頷いた。

ナサドの本音を引き出し支えてくれる人物にこれほどの適任はいないと。

視界の先で安堵したようにルドがようやく表情を緩める。


「ナサド様のお申し出、謹んで拝命いたします」


ナサドに向き合いルドが告げた。

ナサドはその姿をしばらく見つめ続け、少しだけ寂しげに眉を歪ませる。

友人という関係性に戻ることはもうなさそうだ。

これから目指せるのは主従関係の同志となる。

分かっていても何も思わず受け入れることは出来ないのだろう。

それでもこの新たな関係性を望んだのはナサド本人でルドもまた応えてくれた。その意味を噛みしめナサドがやがて頷く。


「ああ、よろしくなルド」


主従の関係がはっきりと刻まれた姿勢のまま互いに視線を通わす。

再び2人が頷き合ったのは同時だった。

思わず揃って笑ってしまう。


「何だかんだ似た者同士だよな俺らは本当」

「認めるのは癪ですが、誠に」

「……おい、本当に俺の臣下になる気あるのか」

「私を臣下に選んだ時点でこの程度ご承知ください」


関係性がまたひとつ変わる。

ナサドが未来へと向かって歩いている。

それでも変わらない2人の言葉の応報にメイリアーデは嬉しくなって笑った。





















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― 新着の感想 ―
[一言] 形の上では主と臣下なのでしょうが、心の中では、きっといつまでも親しい友人だと、お互いに思っているのでしょうね。 二人の新しい関係が、お互いの心を穏やかにしてくれると良いですね。
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