4.自覚
「セイラお姉様、お体の具合はどうですか?」
「メイリアーデ様、ありがとうございます。お陰さまで問題なく過ごしております」
「良かった!」
「本当。でもセイラ姉様、具合悪くなったらいつでも言って下さいね、セイラ姉様の体調が一番ですから!」
「ふふ、ユーリ様もありがとうございます」
その日は久しぶりの女子会だった。
珍しく3人とも予定が空いた昼下がり、テラスに集まりお茶をする。
龍の出産は体力が必要だ。
人よりも生命力の強い種族だから、母からもらう栄養もまた多い。
もともと華奢なセイラをやはり皆心配し気遣う日々を送っていた。
セイラは申し訳なさそうにしながらも、嬉しそうに笑う。
人間で言うところの悪阻のような現象は、龍の妊娠では安定期に入り始めたあたりから緩やかに始まるらしい。
幸い番の龍の力や半龍となった自身に守られ、人間ほどの症状は現れないようだが。
それでも2人分の栄養が必要なことには代わりなく、体を労り大事にしなければならない時期。
セイラの体にも少しずつ変化が起きていた。
存在を主張し始めた子供の存在に、いつもより眠さが強かったり体が重く感じたりしているのだという。
それが新たな命が確かにあるのだと感じられて嬉しいのだとセイラは言った。
「オルフェル様も気遣って下さいますし、お医者様も信頼できる方です。ルド殿も付いてくださっていますし、ずいぶん支えていただいています。ですから不安はあまり無いのです」
「あ、そっか。ルドさんも本業はお医者様ですもんね。ルドさんとお話するのもお久しぶりなんじゃないですか? セイラ姉様」
「ふふ、そうなのです。ルド殿とは色々ありましたが、お元気そうで良かった。これを機にオルフェル様との時間も増えると良いのですが」
そうして今は少し距離の開いたルドのことも気にかけるところがなんともセイラらしい。
ルドがオルフェルに捧げた忠誠を、10年以上経ってもなお忘れてはいないようだった。
「そういえばルド殿はナサド様ともご友人だったと聞いています。メイリアーデ様、お2人の関係はまだ?」
「2人は大丈夫ですよ、お姉様。ご心配下さりありがとうございます。この間も仲良く言い争いしていましたし」
「え、言い争い? ナサドさんと、ルドさんが? ごめん、全然印象ないんだけど2人とも」
「ふふ、ユーリお姉様には見せない姿かもしれませんが、ラン兄様との関係性に近いんですよ。立場がラン兄様相手の時とルド相手の時でまるで逆転していて面白いのです」
「ええ? そうなの? すごく見たいんだけど!?」
「ふふ、私はイェラン殿下とナサド様の親し気なお姿すら見たことが無いものですから、尚更不思議に思いますね」
相変わらず女3人揃えば会話が弾む。
陽気なユーリやメイリアーデの雰囲気に触れて、普段大人しいセイラもしきりに笑み声をあげていた。
元来の性格故に他2人に比べればそれでも口数は少ない方だが、それでも普段のセイラを知る者からすると少し驚くほどだ。
時折視線を下げ柔らかな表情でお腹を撫でる姿が、温かい。
セイラの気性を表すかのように穏やかで優しい空気に包まれている。
メイリアーデもユーリもそれがなおのこと嬉しく、やはりその場は圧倒的陽の雰囲気で時が流れた。
「セイラ」
「オルフェル様?」
いつもの女子会に比べれば少しだけ短い時間でオルフェルが現れる。
迎えに来たのだと笑う姿に、ユーリとメイリアーデは顔を見合わせ笑った。
「オルフェル様は子煩悩そうね、メイリアーデ」
「はい。きっと御子もお父様大好きになるんだろうなあ」
いつも自制心が勝り人前では決して甘い空気を出さなかった長兄夫婦。
妊娠が分かり再び蜜月なのかと思えば、実はただ箍が少し外れていつもの仲の良さが表に滲み出ているだけなのだという。
それだけお互い喜びが抑え切れなかったということだ。
龍の愛は深い……といえば聞こえが良いが、どちらかと言えば重い。
外からの見え方がどうあれ、一度愛した相手はとことん愛す。
特別な相手には少し……いや、かなり心配性で嫉妬深くて、とにかく傍を望む。
そういう性質をメイリアーデ自身はっきり自覚していた。
自覚していても抑えが効かない瞬間も幾度も経験している。
オルフェルの今はまさにそれなのだろう、何せここには愛する家族が2人分いるのだから。
「すまぬな、2人とも邪魔立てして」
オルフェル自身もどうやら自覚はあるらしい。
少し気まずげに、そして照れ臭そうに笑い、ユーリとメイリアーデに謝罪する。
それをユーリと2人笑って返した。
「とんでもない。オル兄様、セイラお姉様と少しでも一緒にいたいですもんね」
「……からかうな、メイリアーデ」
「からかっていませんよ?」
「そうですよ、オルフェル様。幸せそうな姿が見れて嬉しいだけです」
「そ、そうか……ユーリ殿、ありがとう」
照れが勝った少しだけぎこちないオルフェルの顔。
きっとイェランがいたらこう言うだろう。砂を吐きそうだと。
今までは主にメイリアーデとナサドに向けて発せられていた言葉だが、案外オルフェルとセイラも変わりない。
そういえばイェランのところもずっと蜜月だと言っていたのは自分だ。
これではどこの夫婦も万年新婚状態だ。
従者達の顔が何名か浮かんで、さすがにメイリアーデも少しだけ照れ臭くなった。
『でも良くない? いつまでも恋人って感じの夫婦って』
『うーん、疲れそう、かな? 早く落ち着いた関係になって穏やかに暮らしたいかも』
『ええ? 芽衣は現実派だなあ』
『ふふ、悠里はロマンチストだよね』
『理想は高くが信条ですから! これで黒田先生が振り向いてくれたら完璧!』
『……ハードルも高そうだなあ』
ふと頭に何かがかする。
思わず頭を押さえたメイリアーデに、すぐ近くのユーリが気付いた。
「メイリアーデ? どうかした?」
「あ、ううん。何でもないの、何でも……」
はっと顔を上げた瞬間、ボロリとメイリアーデの中から何かが零れたのが分かる。
そしてようやくその違和にメイリアーデが気付いた。
説明のつかない空白の時間が数秒メイリアーデの中に存在している。
どうして自分がいま頭を押さえているのか、分からない。
何かを思い出したような気がしたが、メイリアーデの中には残っていない。
零れたものが何なのか思い出せなかった。
自分にとって確かに大事なはずの“何か”が、ほとんど残っていない。
ああ、そうか。
はっきりとメイリアーデは自覚した。
最近どうしてナサドがあれほど切なげに笑んでいたのか。
無性に寂しくなって涙が止まらなかった理由は一体何なのか。
終わりが、近いのだ。
50年もすれば完全に記憶は失せると神子は言った。
だからその時はまだまだ先のことだと、そう思っていた。
けれどどうやらこういう場面でも女龍というのは強いらしい。
今の生を選び取る力が普通の人間に対して数倍も強いのだ。
「メイリアーデ?」
呆然としたまま動きを止めたメイリアーデに、オルフェルも気付く。
2人につられセイラからの視線も感じた。
それでもなお言葉の一つ返せないメイリアーデ。
やがてメイリアーデの様子に何かを察したのは、ユーリだ。
「……メイリアーデ。大丈夫よ」
「ユーリ、お姉様?」
「私達はちゃんとここにいるから。ナサドさんと同じように」
「っ、わ、たし」
「大丈夫。何も変わらない。……心配しなくて、良いんだよ」
ふわりと柔くユーリの腕が回った。
ボロリと涙が零れる。
メイリアーデから体の強張りが抜けた。
「ナサドから何か聞きましたか?」
「……少しだけ。近いかもとは」
ユーリの苦笑にメイリアーデもつられる。
10年以上も経ったのに、やはり今も守られているようだ。
メイリアーデが自分で気付けるその時までナサドは静かに見守ってくれていた。
笑顔のままに。
メイリアーデの心を何よりも優先して。
「メイリアーデ、大丈夫か。もしや」
「……はい。前世の記憶、消えかかっているみたい」
「……そうか」
「メイリアーデ様……」
「セイラお姉様も、ありがとうございます。私はたぶん、大丈夫……だと思う」
何とも頼りない返事でメイリアーデが力なく笑う。
オルフェルもセイラもユーリも、それに何かを返すことはない。
その気遣いに、もう一度メイリアーデは笑んだ。
そうか、いよいよ最後が来るのか。
胸が空いたような、それまで意味も理解できていなかった寂しさの正体を知る。
けれどそんな自分の今を、今度はきちんと受け入れることができた。
やはり心は寂しいと叫んでいるけれど。
忘れたくないと願ってしまうけれど。
それでも戻ることはもうできないし、戻るつもりもない。
ナサドと生きるメイリアーデとしての生をもう選んだのだ。
だからこんな時でもメイリアーデは笑えてしまう。
「全く……、私が最後まで気付かなかったらそのまま見送るつもりだったわね、ナサド」
冗談交じりに軽口を叩ける自分がいた。
相変わらず人のことばかりで本人に気付かせないよう裏で動くナサドが歯がゆい。
簡単には守らせてくれないし、気を抜けばすぐに全力で守られる。
結婚したってナサドとの攻防は続いていた。
恨みがましく文句も言ってしまうというものだ。
けれど正直なところそんなナサドが愛しいのだから仕方がない。
不器用で、人の事ばかりで、優しくて温かな人。
メイリアーデが愛したそのままのナサドを、こんな時にも感じる。
無理した自分の笑みを、自然な笑みに変えてしまうすごい人。
メイリアーデの言い様が面白かったのだろう、プッとユーリが吹き出した。
「まあ、それがナサドさんって人だからねえ」
「ですよね……、全くもう」
そうすれば今度はオルフェルが笑い声をあげる。
つられるようにセイラも笑った。
「はは、変わらぬなそなた達の関係性も」
「ええ、微笑ましいです」
「うっ……何だか成長していないみたいで、それはそれで複雑です」
「してそなたナサドに気安く語ってもらうことは出来るようになったのか」
「うぐっ……た、たま……には? い、良いんですよ。こうして夫婦でいられるだけで幸せだし!」
「の割にはラン様とナサドさんの気軽な会話すごーく羨ましそうに眺めてるけどねえ」
「ゆ、ユーリお姉様! もう、からかっちゃダメです!」
「あはは、ごめんごめん」
重い空気を引きずらないよう明るく返してくれる家族が有難い。
そうしてメイリアーデは思うのだ。
きっとこの別れを、自分はきちんと受け入れられるだろうと。
思っていたよりも自然な形で。穏やかに。
寂しくとも、動揺したって、それを受け止め共にあってくれる人達がここにはいるから。
「……ありがとうございます、皆」
頭を下げれば笑い返してくれる家族。
その中でオルフェルが目を細めた。




