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龍の約束  作者: 雪見桜
本編
51/74

50.思い出した約束



ナサドの体から毒はやっと抜けつつある。

体の傷は癒え、あとは毒を抜けきって衰えた筋力を元に戻すだけだ。

数か月かけてようやく元の姿に近づいてきた大事な人。

しかしそれは言い換えればメイリアーデに与えられた猶予がもうわずかしか残っていないということにもなる。

諦めるつもりなど毛頭ないが、それでも流石に焦りというものは感じていた。


ナサドは相変わらず笑顔でメイリアーデを迎え入れ、メイリアーデの従者として接する。

自身が龍の身であることなど微塵も感じさせず、国を出る準備を着々と進めているようだ。

その様子を苦い顔で見るしかできない今の現状に、メイリアーデはひとり唸ってしまう。


「どうすればグラッときてくれるかな。そもそも私の魅力が全然足りていない? こ、子供っぽいかしら、だいぶ体も育ってきたと思うけれど」


ついにはそんなことまで呟く始末だ。

普段人前では言わないようなことまで言ってしまうのは完全無意識で、すぐ後ろで付き従うスイビが何とも言えない表情でメイリアーデを見守っている。



「メイリアーデ!」


と、そんな時にメイリアーデを呼んだのは若く元気な女性の声だった。

ぱっと振り返れば、そこにいたのは次兄イェランの妃ユーリだ。



「ユーリお姉様、こんにちは。あれ、ラン兄様は一緒ではないのですか?」


「こんにちは。嫌だな、そんないつもいつもイェラン様といるわけじゃないって」


「でも私がユーリお姉様を見る時はいつもラン兄様いますよ? ラン兄様、ユーリお姉様大好きだから」


「え、本当? メイリアーデの目からもラン様って私のこと好きに見える? やだ、嬉しい、舞い上がりそう」


「ふふ、ユーリお姉様可愛い」


「って、そうじゃなくて!」



いつもながら明るく素直なユーリ。

熱の上がった顔を冷ますようにパタパタと手であおぐ姿が何とも可愛らしくて、メイリアーデも思わず笑顔になる。

そんなメイリアーデにユーリは「もう! からかわないでよー!」と全く威圧感のない抗議をしてくるものだから、なおさら可愛く見えて声をあげ笑ってしまった。

ユーリはやはり顔を赤くしたままメイリアーデをじっとり見つめている。怒っているわけではなく恥ずかしくて照れているだけだ。

そう分かったのでメイリアーデは笑みを見せたままユーリに向き合う。



「ごめんなさい、お姉様が可愛くてついつい。それでどうしましたか? 何か私にご用でしょうか?」


「……メイリアーデに可愛いって言われたくないよ。良いけど。あのね、メイリアーデ、貴女ナサドさんとは今どうなってるの?」


「え?」


「イェラン様からメイリアーデがナサドさんのところに通いつめてるって聞いたから。何か力になれないかなって思って」


ユーリから問われた内容は思いがけないものだった。

今までユーリからナサドとのことを聞かれたことは一切ない。

そもそも恋愛話すらしたことがないのだ。

だから目を瞬かせるメイリアーデ。

しかしユーリの出身が日本だと思い出したのはすぐのこと。

ユーリがイェランと知り合った時当然ナサドも傍にいたはずで、気にならないはずがないと気付いたのだ。

ちくりと、何かがメイリアーデの心を刺激する。

その正体は分からない。

ただメイリアーデを心配しユーリが声をかけてくれたことは分かったので素直にメイリアーデは苦笑して答えた。



「何と言うか、ナサドは難攻不落です」


「……難攻不落?」


「優しすぎて人想いすぎて中々本心を見せてくれない。近づいたと思ったら遠くに行ってしまうんですよ……」


半ば愚痴のようにもなってしまうメイリアーデの本音。

案外自分はへこんでいたのかもしれない。

簡単な事ではないと覚悟していたものの、ここまで何度も断られて落ち込まないわけでないのだ。

温度差の違いなど初めから理解していたことだし、むしろ恋愛に関しては昔も今も見事なまでの一方通行だ。

分かっていてもがっくりと肩が落ちる。

ナサドはやはり靡いてくれない。

根負けしてくれるか、自分を利用してくれるかしてほしいのに。

そう思う少しずるい気持ちを全て隠すことは出来なかった。

そしてそんな気落ちしたメイリアーデを見て何かを感じたのか、ユーリが考え込むように一瞬目を伏せる。

次の瞬間声をわずかに落としてユーリは言った。



「ねえ、メイリアーデ。今時間ある? 良かったらもう少し詳しく聞かせて」


「ユーリお姉様?」


「2人でお茶でもしよう! もう何だかまどろっこしくて見てられない、ちょーっとだけ手助けするくらいは許されるはずよ」


「えっと?」


「ファナ、急で申し訳ないけれどお願いしてもいいかな? 確か今日ってテラス誰も使っていなかったよね?」


「急ぎ確認して参りますが、おそらく本日ならば可能でしょう。少々お時間いただきますが、よろしいですか」


「勿論! 無理言ってごめんね、ありがとう」



何が何だか分からぬままにユーリはてきぱきと話を進める。

あれよあれよという間にメイリアーデはテラスへと案内された。

そうしてユーリにせっつかれるようにメイリアーデはナサドとのあれこれを話す。

食い気味で聞いてくる義姉の姿に驚き戸惑いながらも、それとなくメイリアーデは事情をユーリに説明した。

もちろんナサドの秘密や本心など全て話すことはできなかったが。

それでもユーリにとっては十分な情報だったらしい。

メイリアーデの話を聞いていくうちに表情を苦く渋らせ、ついには声をあげる。



「ほんっと、あの頑固者がー!!」


絶叫とまではいかないが、それなりの音量だ。

突如上がった声にメイリアーデの肩が分かりやすく跳ねる。

ごほんと、どこかから大きく咳払いが響けば少し冷静になったようで「ご、ごめんファナ」とユーリは言って座り直した。

人払いされ2人しかいない空間に響いたかすかな咳。

即座にユーリが反応するくらい、侍女のファナはユーリに影響力があるらしい。

ユーリは少しバツの悪そうな顔で「頼りになるでしょう? 私の侍女は」と告げる。

何かと感情が先走って暴走しがちなユーリをたしなめてくれる数少ない一人なのだと教えてくれた。

ちなみにそのストッパー役にイェランも入っているのはまあ、聞かずとも分かるだろう。

何とも微笑ましい光景にメイリアーデからこぼれるのは笑みだけだ。

その間に気持ちも落ち着いたのだろう、ユーリは小さく息をついた。



「全く……ナサドさんも完璧主義が過ぎるというか、ちょっと自分に厳しすぎるというか。もう少し心のまま生きても良いのにね」


そんなことを言いながら、「無理か、あの人は」と諦めたようにユーリは笑う。

それだけでユーリの方がメイリアーデよりもよっぽどナサドのことを分かっているように感じた。

少し悔しいと、そう思うくらいに。



「お姉様はナサドのことをよく知っているんですね。ナサドもお姉様のことをすごく信頼しているなあって思うこと多いんですよ。良いなあって」


「そんなことないって。だってナサドさんには迷惑かけた記憶しかないもの」


「でもナサドよく言っていますよ? ラン兄様にはユーリお姉様がいるから大丈夫って」


「え、ええ!? 全くナサドさんもそうやって私のこと甘やかすからー、人に甘く自分に厳しすぎってどうなの」



ぶつぶつと文句を言いながらもユーリは嬉しそうだ。

少し照れ臭そうに呟いてふわりと笑う。

どうやらイェランとだけでなくユーリともまたナサドは固い絆で結ばれているのだろう。

ユーリはナサドのことを「大事な恩人で友人だ」とすっぱり言う。

ナサドもユーリにはイェランの全てを任せ信頼しているように見える。

やはり羨ましいなとそう思った。

自分もそういう風に信頼で結ばれた関係にナサドとなりたい。

ナサドが心の全てを預けてくれるような自分でありたいと、強く願う。

小さく頷くメイリアーデにユーリは目を細める。

そしてメイリアーデにひとつ訊ねた。



「ねえ、メイリアーデ。ナサドさんの気持ちはどこにあるのかな?」


「ナサドの、気持ち? 国を出たいって、私達の枷にはなりたくないってそう言っていましたけれど」


「そうじゃなくて。さっきからね話を聞いていて思ったのだけど、ナサドさんって結局メイリアーデのことはどう思っているんだろう」


「……え?」


「主としてしか見ていない? 恋愛感情は? だってナサドさんが語るのは“番になれない理由”でしょう? 違うよ。なれるなれないじゃなくて、なりたいかどうかの方が大事だと私は思うんだけど」



さも当然かのようにユーリは疑問を口にする。

メイリアーデはその問いに答えることができなかった。

ナサドからの返答に思い当たるものがなかったからだ。何度思い返してみても。

ナサドの本心、ナサドがメイリアーデをどう思っているのか。

一番大事なことであるはずなのに、その他のナサドの抱える事情に目がいきすぎていたのかもしれない。



『私……、……先生に…………す。どんな…………す。……もう……言って…………、…………って!』


ふと頭に何かがかすめた。

何だろうか、とても見過ごしてはいけないことに感じる。

思わず眉が寄り、固まったまま動かなくなってしまったメイリアーデ。

ユーリがそれを見て何を思ったのか分からない。

ただ苦笑したその表情のままユーリはメイリアーデを見つめた。



「メイリアーデ。私の知るナサドさんの情報はそれほど多くないよ。もし仮に知っていたとしても、きっと私は貴女ほどには何も知らない」


「ユーリ、お姉様?」


「ナサドさんを動かす鍵は絶対に貴女の中にあるの。私は貴女が強くて優しくて愛情深いって知っているよ。ナサドさんを揺さぶることのできる何かは、貴女が持っているわ。だってナサドさんはずっと貴女のことを」



そこまで話しかけユーリは言葉を止める。

メイリアーデが首を傾げれば、苦笑のままのユーリは首を横に振って先を言わなかった。

その代わりに力強くユーリはメイリアーデの手を握る。



「頑張れ、メイリアーデ。貴女ならできる」


ユーリが一体どこまでメイリアーデの事情を知っているのか分からない。

ナサドのことをどこまで分かっているのか分からない。

それでもユーリの励ましはメイリアーデに強く響いた。

どうしてだろうか、ユーリの言葉はいつもメイリアーデの琴線に触れるのだ。

ユーリと話していると温かな気持ちになれる。

楽しい気持ちになれる。

その感情を、彼女のこの空気感を、メイリアーデは知っているような気がした。

だからユーリに向かってしっかり頷き返すメイリアーデ。

その瞬間、脳内に強く何かが流れ込む。



『松木先生。私に多くの希望を与えてくれて本当にありがとう、こんなに幸せに笑える自分を与えてくれてありがとう。私、先生に会えて本当の本当に良かったです』


『津、村』


『……もし、もし本当に先生が私のこの想いも全部含めて迷惑だと思わずいてくれたのならば。一つだけ、約束をしてくれませんか?』


『……約束?』


『はい。私は絶対、また先生に会いに行きます。どんなことをしてでも絶対です。そしてもう一回言ってみせますよ、笑顔で大好きって!』



メイリアーデはガタンと立ち上がった。

そうだ。そうだった。

自分は約束したのだ、松木と。

何がトリガーだったのか、分からない。

それでも、そんなことはどうでも良い。

やっと思い出せたのだ。絶対に叶えたいと思っていた約束を。



「メイリアーデ? どうしたの?」


「……言ってない」


「え?」


「まだ、果たせていない……っ」



ナサドの気持ちも気になるが、その前にメイリアーデはちゃんとナサドに言えていただろうか。

最も根本であり大事なその言葉を。

自分の想いの丈を真正面から彼にぶつけたことはあった?



「……言わなきゃ」


「メイリアーデ?」


「ユーリお姉様。私、行かなきゃ。ナサドと交わした約束を果たしたい」



突然のメイリアーデの異変にユーリは呆然としている。

しかしメイリアーデの拙い言葉を聞けば、何か伝わるものがあったのかやがて笑顔を見せてくれる。



「……うん。行ってらっしゃい、メイリアーデ」


「行ってきます!」



その後は何も聞かず静かに送り出してくれた。

心から感謝して、メイリアーデは駆ける。



「ひ、姫様!?」


当然テラスの外で待機していた従者達は何のことか分かっていないだろう。

驚き困惑し慌てたように追いかけて来た。



「大丈夫、心配しないで! ちょっとナサドのところに行ってくるわ!」


はしたないと思いながらも足を止めずに声をあげるメイリアーデ。

訳が分からないなりに従者達はそれでも足を止めずメイリアーデの後に続こうとする。

しかし途中で何者かに止められたのか、ナサドの療養する部屋に着く頃には誰もいなくなっていた。


「ナサド!」


息も絶え絶えにメイリアーデはその名を呼ぶ。

窓の枠を支えにして立っていたナサドは、突然響いた声に驚いたように目を丸くしメイリアーデを見つめていた。

全力疾走でここまでやってきたから体中熱い。

呼吸は続かず、足もガクガクと震え出して、肩も大きく揺れる。

ただ事ではないと思ったのか、ナサドがこちらへゆっくりと歩きだすのが見えた。

それすら、メイリアーデは待っていられない。


パンと大きく自分の頬を叩き、浮かべるのは笑みだ。

今ならば、今だからこそ、メイリアーデはこの言葉を嘘偽りなくナサドに伝えられる。

全てを知って、覚悟を決めた今だからこそ。

たった4文字の言葉を。



「大好き!!」


20年以上もかかってやっと言えた言葉。

浮かべた笑みは、その想いのままに満面になってくれているだろうか。

愛しいと思うこの想いは、ちゃんと伝わってくれているだろうか。

まっすぐ見つめれば、これ以上ないほどに目を見開き固まるナサド。

やがてくしゃりと顔を歪める。

一度その手で顔を覆ったのは何を隠そうとしてだったのか。

次の瞬間、メイリアーデの視界は一切を映さなくなった。



「ナ、サド……?」


肺が圧迫され、声をあげるのが少し苦しい。

強く何かに押しつぶされる感覚。

背中に今までで最も強い力を感じる。

目の前は真っ暗で、けれど鼻に感じたのは慣れ親しんだ大事な人の香りだ。


抱きしめられていると、そう理解したのはどれほど経っての事か。

状況も何も分からないまま、しかし溢れ出る愛おしさに勝てずメイリアーデからも背に腕を回す。


「っ、ナサド」


さらに強まった抱擁に戸惑い思わず声を上げたメイリアーデ。



「メイリアーデ様、津村……っ」


掠れた叫びのような声があがったのはすぐのこと。

肩が濡れる。

体があまりに強いその抱擁に悲鳴を上げる。

その感触を全て、メイリアーデはたまらなく愛しいとそう思った。





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