48.秘密に気付く時
女龍の番となる以外にも、人から龍になった例が存在する。
信じがたい文章はメイリアーデに大きな衝撃を与えた。
龍人の常識をはるかに越えた、有り得ないと断言したくなるような真実。
フレディーという存在がなぜこれほど厳重に秘匿とされてきたのか。
これが事実ならば確かに納得もできるかもしれない。
『この体が突然龍となり早いもので15年、未だこの身に何が起きたか謎は解けぬままだ。聞けばこの世には古くから記憶を繋ぐ神の一族がいるという。かの方々ならば、何か知っているだろうか』
メイリアーデが再び視線を本へと落とすと、それはフレディーが龍国を発つ際書いた文章だった。
書かれた情報を元に日記をさかのぼれば、フレディーが龍となった時期というのはちょうど彼の日記に空白が生まれた2年の間。
フレディーの秘密に満ちた生活はそれだけ前から始まっていたようだ。
自分自身何が起きたのか分からぬまま突然龍になったフレディー。
周囲にその事実を隠すため、彼は国を出た。
手がかりを求め神の一族を探す旅に身を投じることとなる。
ここに書かれた神の一族とはおそらく現代でいう所の神子、女神、防人達のことだろう。
龍人が存在する以前より存在し記憶を繋ぐ彼らにフレディーは期待を示したようだ。
今でこそ彼らの居場所は明かされているが、当時どうやらそれは秘匿扱いとなっていたらしい。
そこでフレディーは各国を巡り芸者として生計を立てながら神の一族を探すことにした。
国に残した弟達への思いも込めて、龍の奇跡を歌や物語として広めたのはこの頃のこと。
そうして転々と移動しながら人間社会に溶け込み、フレディーは情報を追い続けた。
神の一族へと繋がる情報は当然のごとくそうそう簡単になど得られるはずもない。
ずいぶんと長い間、同じような日々は続いた。
48年、それが国を出てから神の一族へと通じるまでにかかった年月だ。
日記でも書いていなければとっくに数えるのをやめるほどの長さだろう。
それでもフレディーは諦めなかった。
そしてそんな思いが神子に通じたのか、フレディーの前に現れたのはザキと名乗る屈強な男。
言うまでもなく、メイリアーデを助けた神の防人と同一人物だろう。
フレディーの粘り勝ちなのか、神の一族が根負けしたのか、おそらくはどちらもだ。
そうしてフレディーは真実を知ることとなる。
神の一族から聞いた内容を、フレディーは日記にも記していた。
『龍にも人にも“力”の強弱が存在する。勘の鋭い者、目には見えぬものを認知できる者、人間の中にそういった者が存在するように龍にも特殊な力を持った存在が稀に生まれるのだという。むしろ神に寄せ創られし龍はそういった力の強い龍が生まれる頻度が人間のそれと比べ高いらしい。才の龍と、一部では呼ばれているそうだ』
才の龍。ここでその言葉を見ることになるとは思わなかった。
読んだ瞬間頭に浮かんだのは2人の人物。
ひとりはこの龍国を建国した偉大な女王、そしてもう一人は敬愛する自分の兄だ。
『才の龍が人間に及ぼす影響は甚大だ。魂ごと影響を及ぼす。「ならば力の強い人間が力の強い龍の影響を受ければどうなるか」と神子は問うてきた。ここまで説明を受け察せられぬほど私も鈍くはない。つまり才の龍が存在する時、力の強い人間が龍へと変化することがあるということなのだろう。どうやら今回私はその特異な例に該当したらしい』
書かれていたのは決定的な事実だ。
才の龍が存在する時、人間が龍になる可能性をもつ。
それだけ分かれば十分だった。
「ちょっと、待ってよ」
思わず零れた声に乗っているのは明らかな動揺。
フレディーの日記が示す真実は確かにこの国の根幹にも関わるような大きなものだ。
下手をすれば今いる龍人一族の立場すら揺るがしかねない。
しかしそのようなこと、今はどうでも良いとさえ感じる。
「……ナサドが国を出たがっている、理由」
そう、思い当たってしまったのだ。
才の龍・イェランがいるこの世界。
80近い年齢だと言うのにとてもそうは見えない若い外見。
龍人に対する彼の情の深さ。
ナサドが隠し続けたものに手が届いてしまった。
“この世界の人間は知恵振り絞って自力で空すら飛んじまうんだ。それってすごいよな”
かつて松木先生として過ごしていた彼が言った言葉を思い出す。
“先生は高いところが好きなんですか?”
かつて津村芽衣として、そしてメイリアーデとしても聞いたその問いが蘇る。
「ナサドが、龍人……?」
馬鹿馬鹿しい考えだとは、とても思えなかった。
むしろ納得してしまうことの方が多かったのだ。
……手がガタガタと震え出す。
気付いてしまったとんでもない事実にメイリアーデの脳内は処理が追い付かない。
有り得ないと思う気持ちと、もしかしてという気持ちが混ざり合い平静を保てずいる。
本を抑える手の感覚が遠のき、パラパラとページがめくれた。
動揺したまま視線を落とすメイリアーデの目に映るのは、日記の最後のページ。
いつかこの日記に縋り読むかもしれない“同類”に対するメッセージだ。
『世界は広く、可能性は広がっている。もう堂々と家族と呼べる存在がいなくなるかもしれないと孤独に苦しんだ私の元にも妻や子は現れてくれた。諦めず必死に生きれば、縁となるものに出会えるはずだ』
メイリアーデはその文章を何度も何度も読み返し、静かに本を閉じる。
しばらく目を閉ざし息をゆっくり吐き出すしか出来なかった。
ナサドは一体どれほどの思いを抱え今までを生きてきたのだろうか。
なぜ彼が一度だってその秘密を明かす気配すら見せないのか、もうメイリアーデは理解できてしまう。
彼がどれほど龍人を思い尽くしてくれたのか、嫌というほど知っているから。
龍貴族出身の人間が龍になったというその事実は、この国の勢力バランスを崩しかねない。
ただでさえナサドの生家は三大貴族の一角リガルド家だ。
リガルド家の台頭でそれまで一強を誇ってきたスワルゼ家が異様に権力に固執するようになったことをもうメイリアーデは知っている。その結果何を招いたかも。
リガルド家出身のナサドが龍に目覚めたと知られればリガルド家に注目が集まり権力が集まりかねないだろうことを、ナサドが気付かぬわけがない。
そしてそれを気にせずいられる性格ではないこともまた、メイリアーデは知っているのだ。
そう、彼は。
「龍人の、ため……」
メイリアーデ達を守るため、ひたすらに1人秘密を抱えて生きてきた。
わざと罪を被り、自然に国から出る算段を立ててまで。
そうすれば全てが彼の手元からなくなることも承知の上で。
「ナサド……っ」
息が詰まり言葉がもつれる。
名を呼べば、そのあまりの尊さと愛しさに苦しさを感じた。
フレディーの日記と書かれたその本を強く胸に抱きしめてしまうのは無意識で、その手が震えていることすらメイリアーデは気付かない。
「……私じゃ、駄目なのかな」
ぽつりと部屋にこだまする小さな独り言。
拾う者など当然メイリアーデ本人しかいない。
「私では縁には、なれないのかな」
こぼれて来るのは隠しきれない不安で、ナサドを失いたくないと願う自分の本心だ。
しかし弱音の次にメイリアーデのまぶたの裏に映るのは、大好きな彼のあの笑顔。
メイリアーデの信じるナサド、津村芽衣が信じ続けた松木。
どちらも、どの想いも、メイリアーデにとっては大事で愛しくて決して捨てることなどできない。
だから次の瞬間、メイリアーデは目をしっかりと開いて顔を上げた。
「……なるの。縁に」
呟いた言葉は、メイリアーデの変わらない望み。
彼の人生を自分の人生に巻き込みたい。
共に手を取り合って、お互いの番として、縁として、長い時と過ごしたい。
それが自分の願いなのだ。
覚悟は何一つ変わらず、想いはただただ重さを増すばかりで、ナサドが愛しくて仕方がないとそう思う。
「私だって同じだ、諦めず必死に生きるの」
フレディーからの言葉を自分に言い聞かせその場を立ち上がる。
その足が向かう先は当然決まっていた。
はやる気持ちを何とか抑えいつもよりは少し早く歩を進める。
脳内にガンガンと流れてくるのは懐かしい記憶だ。
『松木先生。私に多くの希望を与えてくれて本当にありがとう、こんなに幸せに笑える自分を与えてくれてありがとう。私、先生に会えて本当の本当に良かったです』
『津、村』
『……もし、もし本当に先生が私のこの想いも全部含めて迷惑だと思わずいてくれたのならば。一つだけ、約束をしてくれませんか?』
ああ、前にも一度夢で見た光景。
津村芽衣としての自分が、ちゃんと松木にお別れを言えたのだと知った大事な思い出だ。
その約束を知りたいとずっと思ってきた。
ここまで来てもなお、その先を思い出すことはできない。
それでも芽衣はきっと、その約束を笑って交わしたに違いない。
悲しさではなく希望を持って別れたのだとそう信じたい。
だって津村芽衣が死んだ先にメイリアーデはこの世界にやってきた。
彼を追うように彼の生きるその傍に生まれてきたのだ。
生を受けて、心が湧いて、思い出して、悩んで、愛して、そうして18年経った今でも彼を思えば温かく幸せな気持ちになれる。心の奥底が喜ぶのが分かる。
それは芽衣が彼への幸せな想いを抱えたまま最期を迎えたのだという何よりの証に思えるのだ。
『ったく、本当お前には敵わないな。分かった、その時は必ず守るよ。約束だ』
……一体、自分は彼とどんな約束を交わしたのだろうか。
ひとつだけ思い出せた彼の言葉。
その時、彼は降参したとばかりに両手を上げて思いきり苦笑していた。
満面の笑顔とはまた少し違うのかもしれない。
しかし芽衣はその笑顔を見て、とても嬉しかったのだ。
いつも穏やかで優しいベールに包まれ中々近づけずいた彼の素に触れられた気がして。
メイリアーデがたった今思い出せた最後の松木。
それはやはり幸せで愛しい、大事な記憶だった。




