47.フレディーの告白
フレディーが人間ではなく龍人。
もしそれが事実なのだとすればエナ姫の物語は根底から大きく変わる。
どうしてエナ姫がフレディー・フレイ兄弟の住む村へ預けられたのか。
エナ姫以外に龍人がいたからだとしたら?
それはとても自然に思えた。
そして兄が龍人である以上、弟フレイもまた元々龍人だったと考えるのが普通だろう。
しかしそれならばそれで、また別の疑問が生じる。
この兄弟が生まれた時から龍人なのだとすれば、今まで読んできた多くの本の内容と矛盾するのだ。
例えばフレイがエナと結ばれ龍人となった後の出来事。
彼は突然得た龍の体に戸惑い、龍型への変化に苦戦したそうだ。
人型と龍型を操り空を飛べるようになるまでおよそ5年もの歳月を要している。
人間から龍人になれば体の構造が大きく変化するため当然と言えば当然の話だが、人間時代の感覚と龍人としての感覚は全くの別物。
生粋の龍人ならば本能の一言で解決するような感覚を、人間から龍人になった者は一つ一つ経験によって積み上げていくしかない。よって時間がそれだけかかるのは別におかしなことではないのだ。
そう、フレイが元人間ならば何らおかしくなどない。
しかしもし彼が生まれた時から龍の体を持つならば?
「苦戦、するわけない」
メイリアーデですら分かる答えだった。
2つの姿の切り替えに苦戦する龍人もいるにはいるが、せいぜいが1年ほど。
実際独学で2つの姿の切り替え方を覚えたメイリアーデも10日とかからず習得できた。
男と女で差はあるかもしれない。
それでもフレイが龍として空を飛べるまでに5年もかかるというのは、元来の龍人では有り得ないこと。
フレディー龍人説を匂わせた禁書ですらフレイの龍の体に慣れるまでの苦労を事細かに書いている。
それはまるでフレイが元は人間だったのだと強調しているようにも思えた。
フレディーの異様さはセナ王が現れて初めて発揮される。
彼を龍人だと思わせるような記述は、セナ王の父がフレディーという名の龍人だったという点だけ。
そのほかで従者兄弟が龍人だと示す材料は何もない。
フレディーとフレイの兄弟は人間だったのか龍人だったのか。
フレディーが龍人でフレイが人間?
いや、そんな馬鹿な。そうなったらこの兄弟の血の繋がりさえ疑わなければならない。
「どういうことなのよ、本当……」
ぐるぐると思考は絡まって八方塞がりだ。
見過ごしてはいけない情報なのだと分かるのに、答えが出ない。
これがナサドと一体どう繋がるのかも正直さっぱりだ。
だからこそ視線がとある一冊の本に向くのは自然な流れだった。
『フレディーの日記』
そう、あの日図書館で最後に借りた一冊だ。
ここまで読み進めるとそのタイトルの重要さが一層分かる。
ごくりと息ごとのみこみメイリアーデは表紙をめくった。
『私の記録が、いずれ現れるであろう同胞の導となることを祈る』
そんな文から始まる日記帳。
物心ついたばかりであろう頃から書かれるその本は正真正銘の日記で、そこには彼にとってごく日常である風景が書かれていた。
聡明だったという数々の本の通り、彼は年齢の割に大人びた文章を使い日々を記している。
彼が生まれ育った里は、禁書に書かれていた通り隠密を生業とする特殊な村だったようだ。
教えもおそらくは当時の“普通”からかなりかけ離れていただろう。
武術、体術、史学、芸術、マナー、数学、地理、とにかく日々綴られる教えは多種多様だった。
王女教育を受けたメイリアーデですら絶句するほどの学問と実践の山である。
そしてフレディーはそんな知恵と技能を詰め込む日々を、楽しく過ごしていたようだ。
新たなことを覚えるのが楽しくて仕方が無いと、覚えれば覚えるほど世界が広がるのだとそこには記されている。
好奇心旺盛な性格だったことが彼を優秀たらしめた理由だろう。
「12歳でフレイ公が誕生……、そんなに歳が離れていたんだ」
そんなフレディーの日常は歳の離れた弟の誕生でより鮮やかになっていく。
兄としての彼はどうやら随分と面倒見の良い性格だったようだ。
フレイの誕生より後、フレディーの日記はほぼフレイの成長日記と化した。
初めて目を開いた時、話始めた日、初めて立った瞬間の事、喜びと共に細かく書かれている。
そしてそんな兄にフレイもよく懐いていたようだ。
誕生日には必ず兄にプレゼントを贈り、武術で師から一本とったときも喜びを真っ先に報告したのは兄で、その様子をフレディーもまた嬉しそうに書いていた。
エナ姫の物語となんら変わりなく2人は仲の良い兄弟だったのだろう。
と、そこまで読み進めてメイリアーデはあることに気付く。
「……あれ? ここで日付が大きく飛ぶ」
10日に1回ほどのペースで書かれていた日記が、ある時途切れたのだ。
フレディー23歳、フレイ11歳の頃のことである。
そして次彼が日記を残したのは2年後、フレディーは25歳になっていた。
『エナと名乗る少女が私達の元へ現れた。“仲間を求めここへ来た”と、そう彼女は告げる。動くことが出来なかった。彼女は、私から見てもあまりに特異だ』
日付が飛んでから初めて書かれた日記。
それはエナとの出会いであり、たった2行で終わる短いものだ。
それまで毎回1ページ丸々埋まりそうなほど書いていた日記が、この日ばかりはこれだけ。
フレディーの動揺が見て取れる。
「というか“仲間を求めて”って、やっぱりこの里龍人が住んでいたということ?」
ここまで既に数百というページをめくり、やっと本は三分の一。
正直ここまで読み進めるまでメイリアーデも相当の時間を費やした。
フレディーの文章力に多少助けられはしたが、それでも日々の記録を淡々と読み続けるのは中々の苦行であり心が折れかけた時も正直に言えばあるほどだ。
それでもやっと日記はメイリアーデの求める本題へと近づいているように感じた。
だからメイリアーデは静かにページをめくり続きを読み進めていく。
『どうして人間は龍を厭うのだろうか。エナの育った村は人の手により壊滅したそうだ。女龍であり第二の人型に変化できたエナのみが襲撃を逃れたのだという。しかしなぜ人間は龍を恐れる? いかに力を有していようと龍は本能的には人間を嫌えない。龍の力とて強大なれど大勢で攻め込まれれば多勢に無勢だ。龍には攻撃の意志もなければ、圧倒的数量を誇る人間に力としても及ばないというのに』
『エナは人間を憎んではいない。が、好いてもいない。望むのは人間の脅威に怯えず龍が生きられる環境だと何度も言う。龍と人とが共存するこの村での生活は、エナが長らく求め続けた理想だったのかもしれない』
フレディーが記すエナ姫の裏側。
エナがどうして龍国を興したのか、その根源があった。
反龍派に占められた世界で龍人の存続を望んだエナ。
どれほどの葛藤だったか、メイリアーデには想像すらもつかない。
それでも人と龍とが暮らせる村にエナが出会えたというのは一つの大きな転機だったのかもしれない。
エナは自分以外の龍人もこの世界で堂々と生きられる居場所を作りたいと少しずつ願うようになる。
何人残っているのか分からない龍人族の同胞。
この先もしかしたら増えるかもしれない自分の家族。
いるのかどうか、増えるかどうか、それすら分からない仲間たちのためにエナは決意した。
家族を亡くし同胞を失い孤独を味わった彼女はそうでもしなければ立っていられなかったのかもしれないと、フレディーは当時のことをそう書いている。
『龍人が人間達に認められる国、人と龍とが共存できる国……エナの語る理想はまるで夢物語だ。しかしここまで来てなお人間との共存を諦めないエナを誰が否定できようか。人間を好くことが出来ず、怖れながらもエナはこの村の人間達を一度も拒絶しなかった。エナが人間に希望を見出しているのもまた事実なのだろう』
そして、そこからエナの龍国を興すための戦いが始まるのだ。
多くの本が記すように、多くの血が流れ村の者もどんどんと亡くなった。
エナが涙を流した夜は数知れず、ついには泣き方すら忘れ戦いに明け暮れる日々が続く。
フレディーもフレイも何度も修羅場を経験し、傷の絶えない日々を送る。
苦しみ悲しみ怒り叫び、そうやって途方もない道を一歩一歩泥にまみれながら進んでいったエナ達。
エナが決意してから建国に至るまで10年かかった。
それを早いとみるか遅いとみるか、それは人それぞれだろう。
多くの犠牲を払い、エナと共に最初から最後まで戦ったのはフレディー、フレイを含めて10人にも満たない。
他は亡くなったか道を途中で違えたか、とにかくほとんどがエナの元からいなくなった。
国が出来て、協力者が現れ、龍人を崇める人は増えていく。
龍国が勢いづくと、今度はまた新たな火種が生まれた。
エナの配偶者の座を狙う権力争いだ。
『龍をあれほど恐れ嫌い迫害し続けたというのに、人間とは醜いものだ。いざ権利が目の前にぶら下がれば恥もなく飛びつこうとする。龍になるというのがどのようなことなのか、あの者達は本当に分かっているのだろうか』
フレディーは痛烈に人間達を批判している。
エナと懇意にしているフレイを排除し王配にならんとする人間達に心底嫌気がさしている様子だった。
フレイへの侮辱、差し向けられた刺客、手のひらを返し媚びへつらう者達、それまでの犠牲を知るフレディーにとって耐えがたかったのだろう。
それでも龍が堂々と生きられる国を盤石のものとするためにフレディーは尽力した。
エナを支え、フレイを害する者を遠ざけ、味方になりそうな者は積極的に引き込む。
持ち前の聡明さが内政を安定させるためには大いに役立ったようだ。少しずつではあるが、フレイを王配へと押し上げる声は広がりを見せていく。
そして、フレディーがまた別の問題を抱えていたのもこの頃だったようだ。
『私を訝しむ者が近頃増えてきたが当然のことだ。そろそろ弟の見た目が私を越える。12も離れた弟より若い兄など不気味以外の何物でもないだろう。しかし今はまだここを離れるわけにはいかない。フレイとエナが憂いなく共に生きられると確信できるまでは』
その文章が書かれたのは、建国してから少し経ちフレイとエナの婚約がようやく結ばれた直後のあたりだ。
思わずメイリアーデは文章を二度見してしまう。
弟よりも若い兄。
弟の見た目が私を越える。
そんな文章に強烈な違和感を覚えたのだ。
そしてさらに読み進めていけば、同様の文章は何度も続いていた。
『苦肉の策ではあるが、歳を偽ることにした。「威厳を見せるためサバを読んでいたが実は30なのだ」と言えば周囲は納得したが、「それにしても若い」と言われる。実は本当に37歳なのだが、しばらくこの事実は封印だ』
『38度目の生誕日を迎えた。もっとも私の正確な歳を知る者はもう数えるほどしかいない。しかしそろそろ歳を偽るのも限界かもしれん。願わくば出来る限り早く弟が正式にエナの番となることを望む』
そういった具合に、年齢に関する書き込みが多く見られたのだ。
歳を偽りそれでも若いと言われるフレディー。
さすがにメイリアーデも察する。
「やっぱり、フレディーは……龍人」
そうとしか考えられなかった。
人間の37歳と龍人の37歳は見た目に天地ほどの差が現れる。
人間ならば子育てまっさかり働き盛りの年齢でも、龍人としてはまだまだ若造の域を出ない。
龍人は長命がゆえ子を成す年齢も100歳~400歳前後とバラツキが激しいが、それでも30代で子を成す龍はほぼいないのだ。つまりそれほど龍にとっての30代は若い。
流れる時間が人と龍とでは全く違う。
そして多くの人間達に疑われるほど年齢が若く見えるということは、つまりそういうことだ。
フレディーは人間ではなく、龍人。
「でも、それじゃあ、どうして弟のフレイは」
同時にそんな疑問が浮かぶのは自然なことだろう。
見た目が変わらない兄に対して、弟は相応に歳を重ねているように見える。
“弟の見た目が兄を越える”とフレディーが表現したことからもそれはうかがえた。
兄が龍人で弟は人間。
信じがたいが、文章のどこを見てもそうとしか読み取れない。
もしかして彼らは異母か異父の兄弟なのだろうか?
それならば現実的に有り得る話かもしれない。
混乱しながらもそう推測をたてたメイリアーデは、しかしその後の記述で別の可能性に辿り着くこととなる。
決定的な一文が書かれているのは、苦難を乗り越えようやくエナとフレイが夫婦となったその日の記述。
『ようやく国を出る算段が付いた。根回しを済ませるまでもう少しはかかるだろうが、その後は今を生きる人間達が天寿を全うするまで、しばらく弟達とお別れだ。ようやく龍であるエナの権威が安定し、人間出身の龍が生まれた奇跡で沸き上がるこの世に、私の存在と可能性は危惧すべき事態を招きかねない』
続いた一文に、メイリアーデは息をのむ。
想像のはるか斜め上をいく現実が、そこには書かれていた。
『人間から龍になる事例が女龍の番となる以外にも存在するなど、今は知られるべきではない』
目を見開き、何度もその文を読み返す。
書かれた文章があまりに信じがたくて、メイリアーデは思わず目をこすった。
真っ白に弾けとんだ頭を必死に落ち着かせようとするが、しばらくの間固まり動くことができなかった。




