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龍の約束  作者: 雪見桜
本編
40/74

39.それぞれの願い


前世で松木と交わした約束。

彼の事情も何も知らず、ただただ芽衣が彼と繋がっていたくて託した願い。

その中身をメイリアーデは覚えていない。

しかしどうやら本気で思い出さなければならないらしい。

ナサドと共に生きたいと願うならば。



「……今一緒に生きたいのは、メイリアーデなんだけれどな」


ついついこぼれる本音に小さく息をついてメイリアーデは廊下を進む。

まだまだ本調子とはいかない体は見事なまでに体力を失っていて、たった数分歩くだけでも息が切れそうだ。

それでもメイリアーデの顔は明るい。

心を決めるということは、これほど自分を強くしてくれるものなのか。

現状何も前進などしていないが、以前よりもメイリアーデは落ち込むことなく平静を保てていた。

落ち込む時間も焦る時間も勿体なく感じるほど、今はやりたいことが目白押しなのだ。

だから顔を上げメイリアーデはその部屋を目指す。

ノックをすれば返って来るのはいつも通り「はい」という落ち着いた声だ。

扉を開けば寝台の上で姿勢よく本を読むナサドがいた。

当然のように臣下の礼を取ろうとするナサドをいつも通り制して止める。



「相変わらず本の虫ね。けれど顔色がまだ悪いのだからほどほどにしなければ駄目よ」


「お気遣い恐れ入ります。本日は体調が良いのでご心配には及びませんよ」


「真っ青な顔色で言われても説得力ないよ」



ナサドの体調は当たり前だが、中々回復の兆しが見えない。

本人があまりに平然としているから忘れてしまいそうになるが、包帯は数日経った今も血が滲み、腫れあがった傷口は熱を持つのだという。

あまりに多くの毒を摂取した影響か解毒もまだまだ追い付かず、寝込んだまま起き上がれない日と今日のように本を読む余裕がある日とがあり落ち着かない。

後遺症が残っていないことだけが唯一の救いであるくらい、ナサドの症状は重体だった。

一進一退の病状、弱りきり細くなった体、目の隈はやっと少し取れてきたか。

今は休息が最も大事な時期で、メイリアーデの存在は気を遣わせ体に障る。

そう分かっていたからメイリアーデも極力この場には来なかった。

それをナサドも察しているのだろう。

読みかけの本を静かに閉ざし、メイリアーデを見上げる。



「本日はどうされました。何かございましたか?」


彼の表情は凪いで穏やかそのもの。

本人の宣言通り、メイリアーデの過去を知ってもなおナサドは変わらなかった。

メイリアーデを……かつての教え子を敬い、当然のように臣下として接する。

正直なところ、かなり寂しいと感じるのは否めない。

もう少し素のナサドに触れたい。

気さくで砕けた態度の彼を知るからこそ、その時のように接したいと思う自分がいるのもまた事実だ。

それでも前のような関係に戻りたいかと聞かれればそれも微妙に違うのだからつくづく自分は面倒臭いなとメイリアーデは思う。

複雑な心情のまま、メイリアーデはしかしそこで目を閉ざし気持ちを切り替えた。


今はまだ、感傷に浸っている場合ではない。

それよりも大事なことがメイリアーデにはあるのだ。

ナサドに必要以上の負担をかけたいわけでもない。

だから、メイリアーデは単刀直入にそれを言葉にした。



「ひとつ、聞きたいことがあって。貴方の本心が知りたくて来たの。とても、とても大事な話よ」


「……聞きたいこと、にございますか」


「ええ」


「それは」


「貴方、ここを去りたいと思っている?」



あまりに直球の問いに、ナサドが分かりやすく固まったのが分かる。

聞かれるかもしれないとナサド自身察してはいたのかもしれない。

しかしここまで真っすぐ聞かれるとは思わなかったのだろう。

目を見開き、膝に乗せた本を抑えるその手は緩んでページがパタパタと数枚めくれていく。

視線はメイリアーデを見つめたまま動かず、本人も意識していないだろうがその口元もやや開き気味だ。

もしかすると、今までメイリアーデが見てきた中で最もナサドの素の表情が出ているのは今なのかもしれない。

そう思うほど、ナサドは分かりやすい反応をした。

思わずメイリアーデが苦笑してしまうほどに。



「メイリ、アーデ様」


「責めているわけではないの。以前私は確かに言ったわ、私の元を去りたくなったのならば遠慮なく言って欲しいと。私は色々と疎くて、誰かから助言をもらわなければ気付けなかったけれど、耳に情報が入った以上は無視することができなくて」



本来ならばヨキの言う通り、黙って見守ることも大事だとは思う。

個人の意思を尊重し、本人がそれを口にする心構えができるまで待つべきだとも。

しかしナサドに対してだけはそれが出来ないのだ。

番にと、そう自分が強く願う彼だけは。

そしてメイリアーデの真剣な眼差しに何か思うところがあったのか、ナサドもまた少しずつその表情を冷静なものへと戻し再びメイリアーデを静かに見つめる。

声をあげる頃には、いつもメイリアーデが知るままの揺らぎのないナサドの目が戻っていた。



「……どなたからお聞きになられたのか存じ上げませんが、その情報は間違えてはおりません」


「つまり」


「これ以上のご迷惑をおかけする前に……いえ、このような言い方は卑怯ですね。私は国の外へと行きたく思います」



メイリアーデが覚悟を決めたのと同様に、ナサドの方もまた覚悟を決めていたのだろう。

落ち着き払い真っすぐメイリアーデを見つめるその目から彼なりの強い意志を感じる。

言葉を自発的なものへと言い換えて、はっきりと決定的な決断を告げるナサド。

衝撃がないというには、少し無理があった。

どうやらザキやヨキに教えられた情報を、メイリアーデ自身まだ受け入れ切れていなかったのかもしれない。

信じたくない、勘違いであって欲しい。そう願っていたのだろう。

「そう」と、しばらくはその一言を落とすのがやっとだった。


時間が少ないなら尚更頑張らなければならない。

これからうんと惚れてもらわなければならない。

時間の短さが諦める理由にはならない。

そんな威勢の良いことを言いながらも、動揺する自分を抑えることは出来ない。


しかしそれでもメイリアーデは思いっきり頭を振った。

すぐに動揺する撃たれ弱い自分を払拭するかのように。



「国を出て、どうするつもりなの?」


「まだ、何とも。ですが、許されるならば旅をしようと思います」


「……旅?」


「はい。各国を巡り人々の営みを見て回ろうかと思います。エナ姫所縁の地を巡るのもいいかもしれませんね、各地に伝承が残っていると聞きますから」



ナサドはどこまでいってもナサドで、国を離れても龍人との繋がりを断ち切ろうとしているわけではなさそうだ。

エナ姫所縁の地、伝承の残る場所。

エナ姫に仕えた兄弟従者の兄が龍人族のことを広めた証拠たち。

龍人を守ろうと罪人になり、龍人の分まで恨みを買い、これほどボロボロになってもナサドが龍人に向けてくれる思いは温かく輝いている。

それに見合える自分であるか、正直自信は持てていない。

しかしそれでもメイリアーデは挑まなければならない。

目の前に未だ見えるナサドの壁。

壊して彼の最も近い場所に自分の存在を作らなければならないのだ。

メイリアーデとて簡単に諦められるような想いではない。

ナサドを守り、心を壊さず、意思を尊重しながら、それでも彼に自分の傍を望んでもらう。

とてつもなく難題だ。


これだけ自分の心に寄り添ってくれるナサドは、自分の内側を全てさらけ出してはくれない。

苦しみも弱音もすべて自分の中に呑み込んで、優しく笑う。

そう、彼は龍人のためならばと喜んで何でも背負えてしまえる強い人。



「とんでもない人を愛してしまったな」


ぽつりと、声になるかならないかほどの大きさでメイリアーデは呟いた。

彼が少しでも隙を見せてくれる人ならば。

そんな自分勝手なことも思いはしたが、そんなことを考えたところで仕方ないのはメイリアーデ自身がよく分かっている。

諦めることはもうやめた、彼に番として選んでもらうとも決めた。

だからメイリアーデはもう言葉をためらわない。



「貴方の思い、よく分かった。貴方が強くそれを望むのならば、私は尊重したいと思う」


「……ありがとうございます、メイリアーデ様」


「けれど」


「は」


「けれど。その決意はもう一度、貴方がその傷を完全に癒した時に聞くことにするわ」


「メイリアーデ様?」


「貴方の傷が癒えるまで、私にも猶予を欲しい。私は貴方を番に望むから」



きっぱりとメイリアーデが宣言した瞬間、ナサドは再び分かりやすく固まる。

ついには膝に置かれた本がバサリと音を立てて寝台の下へと落ちた。

離別を選んだナサドに対して番にと望んだメイリアーデ。

悲しいほどに噛み合わない展望。

しかしメイリアーデは迷いなく清々しいほど真っすぐとナサドを見つめていた。



「……メイリアーデ、様。なりません。貴女様は過去を混同していらっしゃる」


「いいえ。それについては先日結論がでた。私はメイリアーデの意志として貴方に言っている」


「ですが私は」


「大丈夫、貴方に無理を強いることは決してしないと誓うわ。お医者様が貴方の完治を宣言した時、それでも貴方の意志が変わらないのならばその時はちゃんと貴方を見送る」


「……私は、自分で言うのも何ですが言ったことは必ず実行します。たとえそれが荒唐無稽であろうとも。ここで仮にメイリアーデ様の案に頷いたとしても間違いなくもう一度一字一句違えることなく同じことを申し上げますよ」


「ええ、貴方が有言実行の人であることはよく知っている。けれど可能性は広がっているから諦めることはないと私に教えてくれたのは貴方よ?」



グッとナサドが詰まる。

前世の会話まで持ち出す自分は卑怯だろうか。

しかしメイリアーデも必死だ。

だから自分が持てるものは全て使って、ナサドに向き合う。



「貴方が何を抱えているのか、私は知らない。いい加減しつこいというのも分かっている。けれど、何も言わず挑まず貴方を送り出せるほど軽い気持ちではない」


「……っ」


「……ごめんなさい、いつだって私は貴方を振り回すね。困らせていることの方が多いのだと思う。けれど、これで最後にするから。だからどうかこの我儘を受け入れて欲しい」



まるでこれから戦闘でも始めるかというほどメイリアーデの視線は鋭かった。

真剣な表情で、挑むようにナサドを見つめ動かない。

ナサドの方は何度か何かを言おうと口を開き、しかし声に詰まり続きが出てこない様子だ。

しかしやがてナサドは諦めたように苦笑する。



「ずいぶんと、お強くなりましたね。昔から比べ」


「ふふ、そうよ。ついさっきもヨキ様から強情なお姫様だと言われてしまったわ」


「……貴女様に入れ知恵したのは防人様でいらっしゃいましたか。何故私の事情をご存じか存じ上げませんが」


そう軽口を叩きながら、ナサドは小さく息を吐き出す。



「そこまで仰っていただけるのならば、ご迷惑をおかけせずに出国できる体になるまでの間、今後のことについては黙します。ですが必ず私はまた同じお願いを申し上げますよ。それでもよろしいでしょうか」



それはほんのわずかな譲歩。

メイリアーデの我儘に付き合い、少しだけ猶予を伸ばしてもらえたに過ぎない。

それでもメイリアーデにとっては大きな一歩だ。

勢いよく首を縦に振れば、ナサドは途端にその苦い笑みを深め頭を下げる。



「……メイリアーデ様のご恩情に、心より感謝申し上げます」


「こちらこそ、我儘を受け入れてくれて心から感謝します」



そうしてお互い笑い合う。

前進というにはあまりに拙いが、それは間違いなく2人の関係が少し変わった瞬間だった。

















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