38.明確な意思
津村芽衣だけではない、メイリアーデとしても自分はナサドに恋をしている。
そして今の自分の正直な気持ちは、メイリアーデとしてナサドと共にいたい。
やっと自覚できた大事な想い。
迷うことのなくなった明確な気持ち。
「本当、我ながら面倒な」
自覚してしまえば、それまで悩んでいたことが何てことないものにすら思える。
この気持ちになれるまでどれほどの時間を費やした事か、自分の事とはいえ随分厄介な性格だ。
それでもメイリアーデの中にやっと明確な意思が宿った。
それは歓迎できる変化だ。
「……今度こそ」
ぱちんと自分の頬を叩き戒める。
自分がどうしたいのか、想いを自覚したことによってはっきりとした。
理由は不純かもしれない。
考え方もまだまだ甘いかもしれない。
しかし自分がナサドと共にいたいと願うならば、それでもメイリアーデは成長しなければいけない。
王女として、龍人として、主として、女として。
自らの意思で前に進む以上、未熟だからという言い訳は通用しないのだ。
ナサドの人生を自分の人生に巻き込みたいと、そう願うなら。
「やっと決まったか、覚悟が」
ふと声が聞こえた。
思わずパッと顔を上げ声の主を探せば、メイリアーデのいる寝台から少し離れた場所に2つの影がある。
その片方、声の主である人物をメイリアーデは知っていた。
そしてそうなるともう片方の人物も誰なのか推測できる。
「ザキ様。と、ヨキ様……で、いらっしゃいますか?」
そう、メイリアーデの危機に駆けつけてくれた神の眷属だ。
世界でたった2人しかいない神の防人と呼ばれる人間達。
神子や女神と同様に幾度も転生を繰り返し記憶を繋いできた希少な存在。
ザキは心底呆れた顔のままメイリアーデを見つめ長くため息をついている。
一方、ザキの横に立つ男はにこりと綺麗な笑みを見せたままメイリアーデを見据えていた。
「その通り、私はヨキ。まあ、ここで不機嫌そうに顔歪めている男の相棒といったところかな」
「だーれが相棒だ、散々人をこき使いやがって」
「嫌だなあ、適材適所だろうこういうのは。全く昔は君ももう少し私に従順な臣下だったのにねえ、すっかり厚かましくなってしまって」
「あー? お前が主従だの敬語だの嫌だって駄々こねたからだろうが」
「あはは、本当機嫌悪いねザキ。気持ちは分かるけどあまりカリカリしているとミリアが怖がるよ? まあその方が独り占めできて僥倖だけど」
「うるせえ、機嫌悪いのはお前もだろうが。いつもより毒舌増しやがって」
入って来るなり仲良く喧嘩をしている2人にメイリアーデは呆然と眺めるしかできない。
何と言うか、以前も思った気がするが、神の眷属とはもう少し清廉な性格を想像していた。
目の前で言い争いをしている2人はまるで普通の人間と何も変わらない。
そして戸惑うメイリアーデに矛先が向いたのは本当に唐突だった。
「言っとくが、お前も悪いんだからな」
「え、え!?」
「お前がさっさと答え見付けねえから俺達までとばっちりくらうんじゃねえか。ふざけんな、俺は早く帰りたいって言ってんだろうが」
「ええと?」
「君が何らかの答えを示すまでこの国に待機して欲しいとリアム……神子の方から頼まれてしまってね。事情が事情だから私達もそれを無下には出来ない。けれど、私達は女神の傍から極力離れたくない。だからここでへそを曲げるしかないんだよ」
「それは、その……申し訳ございません?」
言っていることの意味は正直さっぱり分からない。
何やら八つ当たりされているような気もする。
しかし会話の内容的に何となく謝らなくてはいけない気がする。
そんなこんなで首を傾げながら謝罪を口にするメイリアーデに、ザキはさらに不機嫌そうにしてどかりと部屋のソファに腰かけた。
「で、どうするんだお前は。あまり悠長にやってられる状況じゃねえぞ」
「どうって、何がですか?」
「あの従者のことだよ」
まだ分かんねえのかと呟きながらザキはメイリアーデに問う。
不機嫌な顔で呆れたように、しかしその目は真剣だ。
あの従者とザキが言う相手はおそらくナサドだろう。
どうしてザキがナサドのことをそこまで気にかけるのか。
いや、それよりも悠長にやっていられる状況じゃないとは一体どういうことか。
嫌な予感がよぎりメイリアーデの眉に皺が寄る。
ため息がザキからまた落ちたのは直後だ。
「あいつ、このままここに留まる気はないようだ。近々国を出る算段だろう」
一瞬何を言われているのか理解できなかった。
そんな馬鹿なと咄嗟に返そうとして、しかしふと思い返す。
必要以上に他者に干渉しないナサド。
罪人として罰は受けて当然だと言って変えないその姿勢。
ふとした瞬間に遠くを見つめ何かを思案するあの表情。
どれも直接結び付く訳ではない。しかしナサドならばそういう考えがあってもおかしくはない。
瞬間的にそう思ってしまったのだ。
メイリアーデの思考を後押しするかのようにザキは告げる。
「考えてもみろ、あの性格だぞ。今回の遠因はお前の兄貴達だろうが、事件を起こすとどめとなったのはお前の番問題だ。特にあの従者が候補に挙がったことで一気に不満が爆発したと考えられなくもない」
「っ、それは」
「少なくともあいつはそう考えそうだがな。自分の存在が原因で今回みたいな事件が今後も起こりうるならこの国にいない方が良いってよ」
何一つ反論が出来なかった。
ナサドならそう思っても不思議ない。ナサドならきっとそうする。
それはメイリアーデ自身も思ってしまったことだからだ。
それに龍人とも龍貴族ともほとんど今回が初対面のはずであるザキがこうも断言できるということは、少なからずナサドが国を出るという情報はどこかで表面化しているということ。
ザキは真実かどうか曖昧な噂話をいたずらに流す人物ではない。
そういうことも相まって、メイリアーデは事の深刻さをすぐに理解した。
いや、冷静によく考えてみれば分かることだ。
“もしメイリアーデ様がお許し下さるのならば、どうかもう少しだけでも私を側に置いていただけないでしょうか”
かつてナサドはメイリアーデにそう言ってくれた。
あの時はナサドが心を開いてくれたことが嬉しくそのまま気に留めなかった部分。
彼の言葉の中にだって心情は表れていた。
どうかもう少しだけでも。
それはずっとメイリアーデの側にいてくれるつもりならば出てこない単語。
もう、その時にはナサドは決めていたのだ。
国を出るということを。
「あまり時間はねえぞ。今回の事件はあいつにとってもこれ以上ない機会だ。権力にしがみつくような男じゃないだろうからな、躊躇いなく行くぞあの手の奴は」
発破をかけたいのか、助言してくれているのか、ザキがここまで気にかける意図は分からない。
わざわざメイリアーデの部屋に訪れ幾度も様々な情報を与えてくれる神の防人。
メイリアーデの転生に神が関わっている、今メイリアーデが死ねば自分達が困る。
確かにそうは聞いたが、それでもいまだメイリアーデは神の防人達が何を目的としているのか見当もつかなかった。
以前、神や神子、女神がメイリアーデ達の納得いく人生を望んでいるというようなことは聞いたが、その理由だってはっきりしない、
しかしメイリアーデは今それを深く追求しないこととした。
いや、正確に言うならばそこまで考えられる余裕がないのだ。
能天気に自分の心の自覚を喜んでいる場合ではないと、そう理解したから。
ザキの言うことが本当なのだとすれば、間違いなくナサドはそう遠くない未来この国を去るはずだ。
そしてメイリアーデの予想が正しければ、それはおそらくナサドの傷が癒え次第すぐにといったところだろう。
下手をすれば傷が癒え切る前に目の前からいなくなってしまうかもしれない。
グッと奥歯を噛み、メイリアーデは顔をザキに向けた。
「ザキ様の言葉が嘘だとは思いません、ザキ様の言う通りだとも思います。けれど、そういう話は一度本人に聞いて確認してみます」
「横やりを入れるようで申し訳ないけれど、何でも聞くのは無神経ではないかい? 臣下を静かに見守り思考の自由を守るのも主の役目と思うけどね」
「主と臣下としての関係性としては、そうですね」
「分かっていても主の領分を越える気なのかな、それは力を持つ者の傲慢だと思うけれど」
様子をずっと見守っていたヨキが中々痛いところをつく。
ヨキとは今がまさに初対面で彼の人となりについて知るものはほぼない。
しかし先ほどのザキとの会話から、彼がザキと元は主従関係だったのだろうと推測できた。
その上での発言なのだとしたら、今まさに自分はヨキから何かを見極められている最中なのかもしれない。
咄嗟にメイリアーデはそんなことを思う。
実際にメイリアーデに問いかけるヨキの目は何の色も映さず冷酷にすら思える程だ。
思わず身震いしそうになるほどに。
しかしメイリアーデは目線を決してヨキからは外さなかった。
もうメイリアーデは自分の気持ちを迷わない。どうしたいのか、そのためにどう動くべきなのか、答えはちゃんとメイリアーデの中にあるのだ。
「もう、ナサドを臣下としては見れません。彼は私の愛する人で、大事な人で、ずっと一緒に生きていきたい人だもの」
「彼を番に選ぶと?」
「はい。そして、彼にも私を選んでもらいます。……たとえ頷かせるまでの時間が少ないのだとしても、諦める理由にはならないわ」
ナサドがいなくなる。
国を去ってしまう。
ザキから知らされ動揺がないわけではない。
どうしようと、そう考えないわけでもない。
けれど、それでもメイリアーデはもうナサドに対して引くことはできないのだ。
悩む時間すら惜しいと思える程、メイリアーデの中には迷いがなくなった。
「私はこれからナサドにうんと惚れてもらわないといけない。どんな問題も吹っ飛ばせるくらい、強く私を望んでもらわないといけません。時間がないなら尚更頑張らなければ」
自分に言い聞かせるよう、メイリアーデははっきり告げて笑う。
それはヨキの求める答えとは違うかもしれない。
けれどメイリアーデにとって、これが答えられる精一杯だ。
しんと静まりかえりピンと張った空気の中でも、メイリアーデは背筋をはってヨキを見つめ返した。
「ふっ、あははは、なるほど。これは随分強情なお姫様がいたものだ」
「ったく、ここまでくるのが長すぎだっつの。やっとかよ」
「相変わらずザキはお人好しだね、ここまで親切に導くなんてさ。私は別にどう転ぼうと構わなかった。けれどまあ、君のような無謀で無鉄砲な考え方は嫌いじゃないよ」
沈黙を破ったのはヨキの笑い声とザキの呆れたようなため息だ。
先ほどまでの冷たい目は潜められ、楽しそうにヨキは笑った。
「良い答えが聞けた御礼にひとつだけ教えてあげようか。君のその魂を記憶そのままにこの世界まで運んだ神はね、君達の幸せを願っていたそうだ」
「え、か、神?」
「まあ、うちの神に手を貸すくらいなのだからよっぽどお人好しみたいだね、その異界の神は。そしてその神は、君が約束を果たせることを望んでいた」
唐突に告げられる神の存在にメイリアーデは困惑する。
しかしヨキは目を細めたまま構わず続けた。
「君が約束を果たすためには、君の愛する従者についてもう少し知る必要があるようだ。彼の抱える秘密はこの国の根幹にも関わる」
「……え?」
「まあでも、不可能なことではないかな。君が無事真実にたどり着き約束を果たせるよう、私も見守らせてもらうよ」
まるで理解はできない。
彼らの意図もやはり分からない。
“お前の大好きな人は、中々厄介だぞ? せいぜい頑張れや”
しかし、何故だか覚えのない声が脳を震わせる。
そしてやはり何故だか分からないが、何だかメイリアーデはその声に強く背を押された気がした。




