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龍の約束  作者: 雪見桜
本編
38/74

37.足音(side.ナサド)



津村芽衣という少女に出会ってもう何年が過ぎただろうか。

あの時自分がした決断をナサドは悔いていない。

自分勝手に付いた傷は、死ぬまで引きずり続けるだろう。

それでもあの時他に選べる選択がなかったのだ。

……まさか、転生という形を経て再会するとは思わなかったが。



「生きてるか、ナサド」


「……いい加減その挨拶やめてくれないか、イェラン」



かつての主であり今の友であり誰よりもナサドの事情を知るイェランがナサドの前に現れるのは決まってナサドが動揺している時だ。

近場の椅子に腰かけジッとこちらの様子を窺うイェランは、いつにもまして神経質に見えた。

無理もないだろう、今回起きた事件が事件だ。

妹が浚われ、遠因が自分達兄弟の継承争い。見た目に反して繊細なイェランが気にしないわけがない。

しかしイェランはその気配すら微塵も見せず呆れたように声を上げる。



「まだ死にそうな顔色しているお前が悪いんだろうが、本当に大丈夫なんだろうな。メイリアーデの奴、顔真っ青にしていたが?」


「本当に大丈夫だよ、回復自体は順調だ。それよりもお前こそメイリアーデ様にあまり無理させるな。立っているのもままならないご様子だったぞ」


「言っても聞かねえよ、龍の本能がどんなもんかお前も知ってるだろう」


「……あの方にそこまで気にかけていただくとは恐れ多いがな」



イェランとナサドの会話は相変わらずお互いに遠慮がない。

立場は当然いまだ主従関係であり身分だって天と地ほど違う。

それでもナサドはイェランと2人になれば躊躇うことなく素を出していた。

もっともこのような関係性になるまでに何年、いや、何十年という歳月を要したが。

イェランにしつこく請われ続けなければ、とても恐れ多くてこうはならなかっただろう。


イェランは見た目や普段表に出す態度ほど冷酷ではない。

むしろナサドが心配になるほど情に厚く、内側に入れた者に対しては自分などそっちのけで守ろうとする男だ。

……案外、自分達はよく似ているのかもしれない。

あまり自惚れたくはないものだが、イェランのその言葉にナサドも本心では同意している。

いまだイェランに対しても恐れ多いという気持ちは残っているから、口には出せないが。

その代わりに出てくるのは長い溜息と、メイリアーデの前では必死に隠してきた本音だ。



「……色々と、納得がいった。あの方は、本当に津村の生まれ変わりなんだな。津村は、本当に」


「ナサド」


「俺達が帰ってきて5年も経ってないぞ、メイリアーデ様がお生まれになったのは。たった5年すら……」


拳を作るだけでは足りない、体を巡るやるせない思いは全身に震えとなって現れた。

忘れもしない日本で過ごした日々から21年。

メイリアーデはもうすぐ18歳で、ナサドの知らない空白の時間はわずか3年強だ。

つまり津村芽衣は20歳を越えるまで生きられたかどうかすら怪しいということになる。



「メイリアーデの津村時代の記憶はかなり曖昧らしい。お前のことと俺のことだけかろうじて覚えていると言っていた。いつ死んだのか、家族や友人の顔や名前、兄弟の有無、全て分からないそうだ」


「友人……? おい、野村は」


「話しはしたがさすがに動揺している。今は泣き疲れて寝ているがな」


「お前こんなところにいる場合じゃないだろう。いますぐ傍に戻って」


「その悠里ゆうりがお前のところへ行けと言ったんだ。俺もさすがに今回は無視出来ん」


「……っ」


イェランの言葉にナサドの表情が明らかに変わった。

イェランも分かっていながらわざとナサドの動揺を生むであろう言葉を選んだ。

ナサドの心に今余裕などあるはずがないと分かっているのだ。

必死に押し隠してきたこの男の本心がどこにあるかなど、イェランはよく知っている。



「メイリアーデがお前のことを気にし始めた頃から、“もしかしたら”という期待は抱いていた。メイリアーデが番としてお前を選べば全て丸く望む通りに収まるとな」


「イェラン、俺は」


「分かっている、俺の考えが傲慢だということは。妹の気持ちもお前の気持ちも無視して、ただ俺の望みをお前達に押し付けているだけだということも。だがな」



イェランの脳裏に浮かぶのはただひたすらナサドを目で追いかけ続ける幼き日のメイリアーデだ。

龍貴族の年齢で考えれば親子ほどの差があるナサドとメイリアーデを初めから番にと考えていたわけではもちろんなかった。しかしナサドを見つめる妹のその視線の熱さに、わずかな期待が生まれたのはいつのことだったか。

勉学はいまいちなくせして人一倍察しの良い末姫は、自分達兄弟に残る歪みもナサドに向けられた周囲の厳しい目にも気付いていたはずだ。だがそれでも変わらずメイリアーデはひたむきに兄達を愛し、ナサドを慕った。

ナサドに向ける眼差しはいつの間にか憧憬を越え、親愛よりさらに深い想いを抱えていたように思う。


……どうしても、イェランは諦めきれなかった。

自分が原因で苦境に立たされたナサドは本来もっと堂々と幸せになるべきなのだ。

自分に合わせ龍人を思いあの鉄仮面を保つ友人の姿を見続けるのは辛い。

本来のナサドは明るく前向きで笑顔の絶えない男だというのに。


メイリアーデもナサドも互いを大事に想い生きている。

ずっとその絆が深まるところを傍で見てきた。

もう良いだろう、いい加減幸せになっても良いはずだ。

そう思うのは、それほど悪いことだろうか?

諦められるはずがないのだ。



「メイリアーデと生きるという選択肢は、お前には無いのか?」


イェランは振り絞るように声をあげる。

縋るような声。ナサドを心配しすぎて苦しんでいる様子がありありと分かる。

昔から変わらないイェランの性格にナサドは苦笑するしかできなかった。

ずっと気付いていたのだ、イェランが誰よりもナサドのことを気にかけていると。

メイリアーデがナサドを番に選ぶことを期待し、かなり強引な手を使ってナサドがメイリアーデの専属になるよう動いていたこともとっくに知っている。


かつてイェランと共に日本へと旅立ち帰って来た時、当然ながら貴族達はこぞってナサドを責めた。

なぜ国の宝である龍人を得体の知れぬ危険な場所へと連れて行ったのかと。叱咤だけでは終わらず、実はナサドがイェランを誘拐し洗脳し陰で操っているのではないかという噂まで上がったことも当然承知だ。

そうなることはナサド自身もよく分かっていたことだった。特に自分がスワルゼの敵視するリガルド家の後継者だったからだろう、ことあるごとに小さなミスでも責められた記憶は多い。国内の貴族達の争いは激しく常に細い糸の上を歩いているような感覚を覚えたことすらあるほどだ。そんな中でこのような大事を起こしておいて無罪放免とはいかないことくらい当然想定内であり、その程度の覚悟もなければあの時ナサドはイェランをそそのかしたりなどしていない。

そしてそれは決してイェランの為だけでもなく、本当にナサド自身にとって都合が良かったのだ。

これで良い口実ができると、そう思ったのは紛れもなく本心なのだから。


そう、都合が良かった。

ナサドが重罪になれば、リガルド家は間違いなくナサドを切り捨てるだろう。

自分は罪人となり、上手くいっても龍貴族位のはく奪、下手をすれば処刑だ。

そうすれば間違いなく自分は秘密を守り通すことができる。

そう思ったのだ。

それがたとえナサドに孤独と癒えない傷を負わせたとしても、他に方法も思いつかない。

悩み苦しみ、いつ知られるのだろうという恐怖の日々から解放はされる。

守りたいと願ったものは最低限守れる。

ナサドはそれしか考えられなかった。

実際、限界だったのだろう。ナサドはこの国のしがらみから解放されたのかもしれない。


しかしそうして罪を被り国から去ろうとしていたナサドを引き留めたのもイェランだった。

イェランはナサドの人生を犠牲にする方法を良しとはしなかったのだ。

周囲からの評価が下がると分かっていながら、イェランはナサドを庇った。あえて国民達に冷酷な印象を植え付けるよう不愛想な表情を続け、声も温度を消した冷たいものへと変化させる。

ナサドが龍貴族から追放されているというのにここにいるのはイェランの我儘だと知らせるため、高圧的な態度を見せ周囲に有無を言わさなかった。ナサドのことを進言する者には容赦なく怒り誰にも何も言わせない。

そうしてナサドを庇いながら、同時にオルフェルの方が玉座に相応しいと知らしめるため人々の望む龍人像と正反対のことをすることで、イェランは自身に枷をつけた。

本当は誰よりも繊細で傷つきやすく、人間嫌いでもないというのに。

自分の内側に入れた者には際限なく甘く、時に自分すら投げ出すような男だということをナサドは知っているのだ。


……今思えば考えが甘かったのだろう。

自分ひとりが罪を被れば解決すると思っていた。自分は1人でも十分自分らしく生きていけると、そう浅はかにも思ってしまった。

とにかく秘密を守ることに意識を傾けすぎて、周囲が自分に向けてくれる情に疎くなっていたのだ。

結果イェランはあれ以来ナサドのこととなるといつだって過剰に反応し、何もかも自分で背負うようになってしまった。

オルフェルもナサドを見ると時折苦い顔で気まずげに笑う。

切り捨てた家族の中にも、時々何か言いたげな視線を向けて来る存在がいることをナサドは知っていた。

何も話さず裏切り行為をしてしまったかつての友も、自分を見るたび顔を歪め頑なな態度を崩さない。

ナサドが想像していたよりも多くの人が、ナサドの起こした行動によって変わってしまった。

自分が良かれと思った行動で、多くを傷付け苦しめたことは何も変わらないのだ。

気付いた時には、もう後戻りなどできなかったが。


自分が苦境に立たされることなど想定内だった。

予定通り、自分の目論見通り、ナサドは国内での居場所を失いつつある。

そうしてできる限り“自然な形”で龍国を去りたい。

それがナサドの望みだったはずだ。


しかしここにきてメイリアーデの存在もまたナサドを迷わせる。

まさか再びここまで心揺すられる存在に出会うとは思いもしなかったのだ。

もう少し傍にいたい。

その幸せを見守りたい。

笑う顔を見たい。

予定を少し伸ばしもう少し側で仕えさせて欲しいと、本人にそんな分不相応な願いをしてしまうほど、彼女はナサドの心を揺さぶった。

まるで、日本という異界の地でナサドを揺り動かした小さな小さな少女のように。




“メイリアーデと生きるという選択はないのか”


……そのようなこと願える立場にない。

そう思いながらも、全く考えなかったかと聞かれれば否だ。

けれど、それでも。

ナサドは首を振る。

何かを振り払うように。



「メイリアーデ様が俺を気にかけるのは、あの方が津村の記憶を継いでいるからだろう。俺は、メイリアーデ様には“メイリアーデ様として”の幸せを味わっていただきたい」


「どうしてそうメイリアーデと津村を分けようとする。どちらもあいつであることには変わりないだろう」


「それでもだ。それでも、津村は津村でメイリアーデ様はメイリアーデ様だ」



声の震えが、心の明らかな動揺が、イェランに伝わっていないだろうか。

必死に取り繕いながらナサドは言葉を選ぶ。

じっと人を見透かすようなイェランの目を今は正面から見返せない。



「メイリアーデ様は俺の事情を知れば間違いなく俺を番に選ぶだろう。たとえあの方自身が望んだことではなかったとしても。俺はそんなことは望んでいない」


「メイリアーデはっ」


「メイリアーデ様が俺に情をかけて下さっている事、ずっと気付いていた。もしかすると、そういった対象として見て下さっているのかもしれないこともな。だがあの方の中に津村の記憶が残っていると分かった以上、なおさら駄目だ」



ナサドの手を握る力が強まる。

「ナサド」と、メイリアーデにそう呼ばれる声を思い出せば心が震える。

「先生」と、そうかつて呼ばれていた頃の記憶がよみがえる。

もとは同じひとつの魂なのだと分かれば、それはすとんと体の奥に落ち着きナサドははっきりと自分の気持ちを知った。

津村芽衣は津村芽衣で、メイリアーデはメイリアーデ。

実際に津村芽衣だと知らぬままメイリアーデと長く過ごし、津村芽衣とはまた違った一面も見てきている。

別人なのだと思うこともあれば、同じ人なのだと思うこともある。

いまだにメイリアーデが明かした秘密はナサドに動揺を与え、あれほど強固な思いで決めた計画すら崩れそうになる。

しかし、そのようなことをイェランに悟らせるわけにはいかないのだ。

これ以上この優しく不器用な友に無理はさせたくなかったから。

この国をこれ以上引っかき回すことなどナサドには出来ない。

自分の存在のせいでどれほど多くの人が大変な思いをしたと思っているのだ。

このままでは、イェランやメイリアーデの立場だって悪くなる。

だからナサドは無理やりにでも気持ちを抑え込み、代わりに別の本心を引き出した。



「龍人様への思いは揺らがない。お側で手となり足となり死ぬまでずっとお支えできればと、そう何度も願ってきた。だが俺にそれは出来ない。自分で罪人の道を選んだ以上、このままお前やメイリアーデ様の優しさに甘えいつまでもここに留まるわけにはいかないんだ。このまま俺がここにいれば、疑念は増しまた同じことが起こる。それを俺は望んでいない」


「……だから、国を出ると? すべてを捨てて」


「一番守りたいものが、それで守れるならば。そのために俺はすでに多く捨ててきた。家族も、同志も。今更後には引けない」



それはまるでナサドが自分に言い聞かせるように発せられた言葉。

顔を歪め納得していない様子のイェランは、間違いなくナサドの本当の望みが何なのか察しているだろう。

それでもナサドは無理にでも笑ってイェランを見返す。



「頼む、俺の為でもあるんだ。……理性がまだ働くうちに俺はここを出たい」


「っ、お前やはり」


「イェラン、俺にはよすがができた。あの世界とこの国と、どちらにも。この想いを抱えて自分の心のままに俺は生きていける。俺は不幸ではないんだよ」


「ナサド」


「ありがとう、俺にこれほど心を砕いてくれて。俺に考える時間をくれて本当に感謝している。だから、そろそろ俺にもけじめをつけさせてくれ」



メイリアーデと同様に、ナサドにとっても覚悟の時はすぐそこまで来ていた。












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