36.自覚と覚悟
薄く淡く、けれど決して色褪せない大事な記憶。
今のメイリアーデを形作った人間時代の思い出。
兄達に思い出せる全てを話してみても、10分とかからない。
切なさと懐かしさと愛しさと、不思議な気持ちになりながら過去を話すメイリアーデ。
3人の兄はそれぞれ全く違う表情をしながら、それでも静かに耳を傾けてくれた。
「防人殿がそなたの為にとここまでいらした理由が分かった、なるほどそういうことだったのだな」
オルフェルがやっと納得いったという表情で頷く。
さすがに長兄というところなのか、メイリアーデの話から現状を察するのもまた早い。
「話してくれてありがとう」とメイリアーデを気遣うのも忘れないのがなんともオルフェルらしくて苦笑してしまう。
そんなオルフェルのいる位置から寝台を挟んで反対側、メイリアーデのすぐ傍ではアラムトが考え込むように腕を組んでいた。
「メイってば嘘下手なのによくここまで隠し通せたねえ。色々と納得いってすっきりしたけれど、逆に謎も増えた気分。しかし神の介入で異世界から転生か……これ結構な歴史的場面じゃない? ああ、解き明かしたい」
どうやら他の兄妹達とは別のところで興味惹かれたらしい。
ぶつぶつと何やら呟きながらあれこれと考えている様子だ。
そういえばアラムトは学問一家ユイガ家と親しく、王家の中でも相当の博識だったと思い出す。
理系体質というか研究家気質というか、目の前で起きる現象をとことん追求したくなるタイプなのだ。
これもまたアラムトの一面なのだが、その姿を知る者は彼のごくごく親しい者に限定される。
やはりアラムトらしい反応にメイリアーデの表情は苦笑のままだ。
あまりにもいつも通りで、気が抜けてしまうほどだった。
何だか必死に隠してきたことが馬鹿らしく思える程、通常通り。
拍子抜けするような、安堵するような、不思議な感覚だ。
しかしやはり前世のメイリアーデにこの中で最も密接に関わっているイェランだけは複雑そうに顔を歪めたまま押し黙っている。
何を言おうかイェランなりに悩んだのだろう、いつも即断即決なことが多い彼が珍しく何度か言いどもり表情をさらに堅くする。
その様子に気付きじっと見上げたメイリアーデ。
視線を受けたイェランはやがて意を決した様に言葉にする。
「津村は……死んだのか」
考えつくされたであろうイェランの質問は、結果非常に短く単刀直入だった。
口にした瞬間しまったとでも言いたげな眉の歪みにメイリアーデはやはり苦笑するしかない。
そんなに気遣ってくれなくても大丈夫なのに。
そう思いながら、それでもそんなイェランの気持ちが嬉しいのもまた事実だった。
「……おそらくは。正直、覚えていないんです。自分が治る見込みの少ない病気であったことは覚えているのですが、いつどうやって死んだのかも分からない。ラン兄様は、津村芽衣が死んだことを知らなかったのですか?」
「ああ、俺達がこの世界に帰って来たのは津村が高校を卒業する少し前だ。……最後に見た時は元気そうだったんだがな」
「そう、だったのですか。ちなみにあれから今はどのくらい時間が流れていますか?」
「21年。もしお前が……津村が生きていたなら39歳だな」
「うわあ、そう考えるとすごい昔に感じますね」
イェランから情報を得て改めて考えてみれば、ずいぶんと時間が経ったものだと思う。
松木先生と津村芽衣として出会ってから20年以上、その間ほとんどがナサドに埋め尽くされ生きてきたと思えば大概自分もしつこいなと笑った。
そしてそんなメイリアーデの様子にイェランから発されたのはもう少しつっこんだ問いだ。
「覚えていることは少ないと言ったな。具体的には何を覚えている、ナサドのこと以外」
「ほぼ覚えていません。親の顔も兄妹がいたのかも、友達の名前だって思い出せない」
「……友達も、か」
「ラン兄様?」
一瞬イェランの顔が痛ましそうに歪む。
しかしすぐに首を横に振ったかと思えば、再びメイリアーデに視線を合わせた。
「大体の事情は分かった。それで、お前はどうしたい」
「どう、とは」
「ナサドのことだ。お前は、今でもナサドを」
イェランが言葉に詰まるのとほぼ同時にオルフェルとアラムトの視線がこちらに向く。
ぴたりと兄達の言葉は止まり部屋に再び訪れる静寂。
3人の兄の強い視線を感じながらメイリアーデは俯き小さく息をついた。
「……ナサドを愛しく思うこの気持ちがどこからくるのか、私にはまだ。前世の想いを今も強く抱えているからなのか、ここでナサドと接して芽生えた気持ちからなのか判断がつかなくて」
「それは決めなければいけないことか? どちらもお前であることには変わりないだろう」
「それでも。それでも、今の私が龍人の姫で番を龍にする力を持つ以上は考えなければいけない。私が龍人としてナサドを愛するということは、私の人生にナサドを巻き込むということだから。私が中途半端ではいけないでしょう?」
「……そうか」
苦虫を潰したような、そういった表現が正しいのだろう。
イェランはまるで自分が苦渋の選択を迫られたかのような顔でメイリアーデに相槌を打つ。
おそらくはイェランなりに妹を案じてくれているのだろう。
津村芽衣が分かりやすく松木に恋していたことを、イェランはよく知っているはずだから。
分かりにくいがイェランは国民達が思うよりはずっとお人好しなのだ。
だからそんなイェランに心で感謝して、口を開いた。
「ラン兄様。私、ナサドときちんと話してみようと思うの」
「ナサドはお前の正体を」
「覚醒した姿を彼は見ています。察しの良い彼のことだから、おそらくはもう状況を理解しているかと」
「……話したら何か分かりそうか」
「……分からない。けれど、いつまでもこのままではいられない。本当はずっと分かっていたんです、いつか向き合わなければいけないって。そのいつかが、今なのだと思うから」
「そうか」
「私、ちゃんと自分の中で答えを見付けます。見つけた上で、どうすればナサドを大事にできるか考えたい」
「分かった。お前の納得いくようにすればいい。何かあったら言え」
「ありがとうございます」
イェランとメイリアーデの会話をオルフェルとアラムトは静かに見守る。
そうしてやがて2人顔を見合わせほっとした様に笑った。
「そうだな、答えを見出せるのはそなたしかいないだろう。メイリアーデ、じっくり考えそなたなりの答えを見つけるのだぞ」
「まああまり心配はしていないけどね。君はいつもそうやって自分で動いて答えを探してきたような子だから」
聞きたいことも言いたいこともあるだろう。
それでも結局メイリアーデの意志を尊重し背を押してくれる兄達。
温かな言葉にメイリアーデは感謝して決意を固めた。
そうして訪れたのは現在ナサドが療養している王宮の一室だ。
いくら龍貴族ではないといえ、今回は流石に事態が事態でありナサドは完全な被害者。
人の通りが少ない、しかし安全の確保された部屋で静かに体を休めているとイェランから聞く。
あの後ナサドの療養する部屋と医師を用意したのはイェランだった。
ナサドの事情を汲み、静かにしっかり治療できる環境をすぐに整えたのだという。
もともとナサドのこととなると少々過剰になるほど気を配るイェランだ、やはり今回も動くのは早かった。
妹と元専属の両方が倒れ、イェラン自身相当気を揉んだらしい。
いつも以上に眉間に皺が寄り図書館に通い詰めて調べ物までしていたと、それを教えてくれたのはアラムトだったか。
思えばイェランは少々痩せていたようにも思う。心配をかけてしまった申し訳なさと、そこまで動いてくれた嬉しさで複雑な気持ちになったものだ。
と、そんなこんなでナサドの居場所を知ったメイリアーデはイェランに案内され今扉の前にいる。
「……遮音膜を張っておいてやる」
「ありがとうございます、兄様」
「お前もナサドもまだ療養が必要な身だと忘れるなよ。体調が悪くなったらすぐ呼べ、良いな」
「はい」
心配性のイェランにはっきりと頷き、メイリアーデは一呼吸する。
ノックの音は思いのほか大きく響いた。
「はい」と、小さいながらはっきり聞こえた声に早くも涙ぐみそうになる。
しかしこんなところで泣いているようでは情けないどころの話ではない。
グッとこらえて、メイリアーデは部屋へと足を踏み入れた。
そうして目に入ったナサドの姿に、やはりメイリアーデは泣きそうになる。
痩せた体に、体中に巻かれた包帯。顔色は未だ青く、とても健康そうには見えない。
「……ナサド。体調はどう?」
それでも平静を装いメイリアーデはそう尋ねた。
すぐに寝台から降りて臣下の礼を取ろうとするナサドを制し、ゆっくりと近づく。
メイリアーデの反応に先に苦笑したのはナサドの方だ。
その場で頭を下げ「お陰様で順調に回復しております」と、そう答えた。
とても回復しているようには見えない程ナサドの状態は酷い。
だがメイリアーデはあえて「そう」と相槌を打って笑んだ。
メイリアーデ自身いまだ本調子には戻っていない。
長い間立ち続けることも今はまだ少し辛く、イェランからの助言通り近くにある椅子に腰かけ荒くなっていた息を整えた。
ナサドはそれだけでメイリアーデの状況を理解したのだろう、メイリアーデ以上に苦し気に顔を歪める。
「申し訳ございません。メイリアーデ様をお守りすることができませんでした」
「何を言っているの、ナサドは確かに私を守ってくれたわ。ラン兄様からもナサドが裏で色々と動いてくれていたと聞いているの。ありがとう」
「……そのような」
ナサドはまるで以前と変わらずメイリアーデに接する。
メイリアーデがよく知るナサドのままだ。
それでも、会話の隙間にどことなく視線を左右させることにメイリアーデは気付いた。
やはりもう、彼に自分の過去を隠すのは限界だ。
彼に正体を明かす覚悟はしっかりしてきている、だからメイリアーデはそれ以上の会話を切りナサドを見つめる。
「ナサド。貴方はもう、私の正体に気付いているよね?」
「……それは、貴女様のもうひとつのお姿を指して仰っていますか」
やや唐突な問いかけにもナサドは驚くことなく答えた。
明確な答えではない、しかし彼の言葉からはっきりとその意図を読み取れる。
グッと知らぬ間に強く手を握りしめている事に、メイリアーデは気付かない。
ただただジッとナサドを見つめ、メイリアーデは言葉を探す。
メイリアーデの緊張を本人以上にナサドの方が察していた。
小さく息をついてナサドはメイリアーデに向き合う。
「メイリアーデ様。ひとつだけお聞かせ願えますか?」
「……うん、なに?」
「貴女様がここにいらっしゃるということは……津村は、やはり」
「……ええ。死んだのだと、思う」
「……そう、ですか」
ナサドへの説明はそれだけで十分だった。
おそらくはそれだけでナサドは全てを完全に理解したのだろう。
目を伏せ、切なげな表情を見せるナサド。手は少し強さを持って握られているように感じる。
津村芽衣の死を悼んでくれているのだと、そう分かった。
彼にとっても決して芽衣の存在は小さくなかったのだと、少しは信じても良いだろうか。
少しだけ、言葉を繋げる勇気が湧いた。
「ごめんなさい、ずっと隠していて。言わなければいけないとずっと思ってはいたの。けれど、言えなかった」
「イェラン様はこのことを」
「ついこの間、兄様達にはお話したわ」
「そうですか、それならば良かった。私のことはお気になさらないで下さい。打ち明けて下さり、感謝致します」
ナサドの笑みは、穏やかだ。
あの無表情の時と比べれば劇的に違う。
前世の、津村芽衣が知る松木の笑顔そのもの。
そしてやはり自分が受けた衝撃よりもイェランのこと、メイリアーデのことを考えてナサドは発言する。
そのことにグッと胸が苦しくなった。
いつまでたっても自分はナサドに守られ通しだと痛感したのだ。
聞きたいことは、たくさんあるだろうに。
言いたいこともあるだろうに。
それでも彼は何も聞いてこない。
メイリアーデを案じ、イェランを案じ、そうして綺麗に笑う。
「……私は本当に昔も今も、貴方に守られているね」
「メイリアーデ様?」
「松木先生だった貴方に私はたくさん救われたわ、生きる希望をずっと与えてくれた。今だって関係がこんなに変わってしまったのに、昔と変わらずナサドは私を守ってくれている。なのに、私は」
ああ、駄目だ。
そう思いながらも言葉が溢れて、悲しくなる。
どのような立場であろうと必死に自分を守ってくれたナサドに対し、あまりに自分が無力だと思うのだ。
ナサドの主になり彼を守れる立場になったはずなのに、それでもなお目の前の彼はボロボロになりながらメイリアーデを守ろうとする。
望んだ形はこうではないのに。
「……貴女様にお守りいただいているのは、私の方ですよ」
けれど、ナサドはそんなメイリアーデに首を振り真っすぐとそう返した。
思わずメイリアーデの眉が寄ったのは、心当たりも何もないからだ。
ナサドはメイリアーデの反応にただ苦笑して再び首を振る。
「生きる希望も優しさも、いただいたのは私の方です。今も昔も私は貴女様から心を守っていただいております」
「お世辞は良いよ、騒いで迷惑をかけている記憶しかないわ」
「このような場面でお世辞を言うほど私は底意地悪くはないと思いますが。まあ、ですが確かに津村はいつも1人で混乱して暴走していましたね」
「う……、そういえば松木先生は優しい割に時々毒舌だったわ、思い出した」
メイリアーデの心を解すようにナサドは軽口を叩く。
それに乗せられ昔話をすれば、懐かしそうにナサドは目を細め笑った。
……やはり守られている。今も、昔も。
ナサドが言ってくれるように、彼を守れている自信など持てるはずがない。
ナサドの気遣いに押されてメイリアーデからこぼれるのは苦笑だ。
悔しい、情けない、嬉しい、楽しい。感情はやはりぐるぐると混ざり合って明確に表現できない。
ナサドはそんなメイリアーデに深々と頭を下げる。
「メイリアーデ様。たとえ貴女様の過去が何であろうと、貴女様がメイリアーデ様でいらっしゃる限り私は今後も貴女様に忠誠をお誓い致します」
「……私が昔のように気軽な関係を望んでいたとしても?」
「メイリアーデ様は敬愛する我が主です。礼に失することは出来ません」
「……うん、ありがとう」
寝台の上で、療養中の身というのにナサドは背筋をまっすぐに伸ばし礼をする。
深く頭を下げ、メイリアーデよりも視線を下げ忠誠を誓う。
メイリアーデの心には様々な感情が再び押し寄せ上手く言葉が見つからなかった。
「また様子を見に来るね。くれぐれも安静にしておくように。ゆっくり休んで」
「お心遣い感謝致します。ですがどうか私のことはお気になさらず。メイリアーデ様もどうぞ御身お大事になさって下さい」
「ええ、ありがとう」
結局、メイリアーデはそれ以上何も言えず、取り繕うように笑って部屋を後にする。
廊下に出て扉を閉めた瞬間、くたりと力なく足が地べたに付いた。
「メイリアーデ」
すぐに抱き上げ心配そうに覗き込んできたのは、ずっと外で待ってくれていたらしいイェランだ。
その顔を認めた瞬間、メイリアーデの目から一粒涙がこぼれた。
「……ナサドは何と言ったんだ」
「変わらず、私に忠誠を誓うって。私が、メイリアーデである限り」
「…………それは」
「兄様。私ね、嬉しかった……嬉しかったの」
「メイリアーデ?」
「……ナサドが私を津村芽衣ではなくてメイリアーデとして扱ってくれたことが、嬉しかった」
ナサドには決して言えなかったメイリアーデの本音。
それを耳にしたイェランは目を瞠りメイリアーデを見返す。
メイリアーデから全身の力が抜けたのは、変わらない関係性にショックを受けたからではない。
涙がこぼれたのは、悔しさだけでもない。
はっきりと、メイリアーデは気付いてしまった。
どうして、ナサドに津村芽衣の姿を見せることがあれほど怖かったのか。
「津村芽衣としてじゃない、私はメイリアーデとしてナサドを」
愛している。
揺らがない事実を自覚した瞬間だった。




