32.再会
ここからお前を逃がしてやる。
神の防人と呼ばれている大柄な男はそうメイリアーデに約束してくれた。
そして約束通り現在スワルゼ家からの脱出を試みている、のだが。
「しょ、正面突破って!」
「ああ? 助けられてる身分で我儘言うんじゃねえよ。とっとと走れ、捕まるぞ」
「お言葉はごもっともなんですけど、もっとこう神の神業とかっ」
「俺になに期待してんだ、俺はただ転生を繰り返すだけの人間だって言ってんだろう」
言い合いをしながらも目の前ではバッサバッサとスワルゼ家の私兵が倒れていく。
当然ながら厳戒な警備体制の中、ザキは煙幕やら素手やら刀やら、とにかくあらゆる方法で兵達を伸して道を作った。
色々とぶっ飛んでいる。
そう思いながら強く引かれる腕の感覚を頼りにメイリアーデは足を動かす。
スワルゼ家本邸は広く、そしてメイリアーデが軟禁されていた部屋は最奥の地下だったらしく、出口どころか見覚えのある場所にすらまだたどり着かない。
薬の影響がまだ残っているようで足もガクガクと震える。
それでもザキは容赦なく先へと進んだ。
いわく「気合いを入れて頑張れ」ということらしい。
出会ってそう時間もたっていないが、どういう男かすでに理解し始めているメイリアーデ。
自分のために動いてくれているのも分かったので自分の体を励ましつつザキに従った。
しかし、それにしても。
「……強い、ですね。さすがは防人様」
そう、彼は恐ろしく強かった。
ナサドも強いと感じたメイリアーデだが、おそらくザキはそれ以上だ。
素人目ですら分かるほどの強さというのは、普通ではない。
ザキ本人も言う通り、神の防人は人間だ。
数千回転生を繰り返しているとはいえ、スペックそのものは人間の域を越えない。
それなのに、一人で数十束となる兵をしかもメイリアーデを庇いながら戦っている。
神の眷属というもののすごさを改めてメイリアーデは感じる。
「別に防人だから強いんじゃねえよ、もう一人はそんな強くねえしな。そもそもここの奴らも弱すぎて話にならねえ」
しかしザキの認識はそうではないらしく、メイリアーデの言葉に不愉快そうに眉を歪めたまま敵を倒していた。よく見ると血など流れておらず、相当手加減していることが分かる。
「おら、とっとと行くぞ。俺は早く面倒ごと片して帰りたいんだ」
「神子様達の元へですか?」
「当たり前だろ。ミリアと離れて何日経ってると思うんだ、発狂しそうなんだからな」
「ミリア、様……? ああ、女神様のお名前ですか」
「よくご存じで。これ以上長引かせる気なら本気で国ごと潰すが」
「ご、ごめんなさい。それはどうかご容赦を」
「冗談だよ。そもそも人間ごときが龍に勝てるわけないだろ」
「今のは目が本気でした」
「気持ちは本気だからな」
メイリアーデが非日常な景色の中でも比較的平静を装えるのはザキのこの正直すぎる性格のおかげかもしれない。
冗談なのか本気なのか分からない、しかし変に隠し事をしないザキの近くは妙な安心感がある。
ここ数日、表情の読めないリンゼルや洗脳されている様子のルイとばかり接していたからかかなり精神的にも参っていたのだ。
そんなことにすらやっと気づいて、やっと自分がそれなりに正常の状態に戻っているとメイリアーデは実感する。
(ナサド)
そうとなると、なおさらメイリアーデの中に芽生えるのは従者の安否だ。
今回の全容を知っている様子のザキははっきりと「ナサドを助ける」という言葉を使った。
つまりナサドはそういった助けが必要な状況にあるということだ。
あれだけ騒ぎに巻き込まれているのだから当然なのだが、やはり言葉にされると心配や焦りは募る。
「急ぎましょう」
正直足はもう悲鳴を上げ、体中だるくて、背からは汗がしたたり落ちている。
急ごうと必死に足を動かしても、中々スピードは上がらない。
気持ちだけで何とか体を動かしている状況だ。
それでも、ここで足を止めて休憩しようという考えにはならなかった。
メイリアーデからそういった心を抜き取ってしまったら、何も残らない。
ザキはそんなメイリアーデににやりと笑ってメイリアーデの背を叩く。
いささか強すぎる励ましに咳込みながら、ザキに腕を支えられ先に進んだ。
屋敷内の異変に気付いたのは、それから何度かの角を曲がった頃だ。
「……騒がしいな。それに兵の数が少ない」
「な、なに……?」
ようやく遠くに中庭が見える位置。
中庭は確かリンゼルの妻であるナナキが好んで管理しているとルイは言っていたか。
そのあたりが妙にざわついている。
人の気配が濃い様子なのだ。
「……ったく、せっかちな野郎だな」
いち早く状況を理解したのはザキの方だった。
何故理解できたのかメイリアーデ自身よく分からない。
ただ、少しでも情報が欲しくてメイリアーデはザキを見上げる。
すぐに目が合ったのは、ザキ自身もメイリアーデに言いたいことがあったのだろう。
言葉はすぐ続いた。
「お前の目的はあの庭だよ」
「え……?」
「ナナキって言ったか? あの娘がお前の従者を秘密裏に匿っていたんだ。ま、あの様子じゃ脱走中みたいだがな」
全ての内容が正しくメイリアーデに中に入ったわけではない。
しかし意味を理解したメイリアーデの足はすぐに動く。
支えが必要なほど衰弱しているはずなのに、今はそんな体でも無理やり動かして前に進む。
気持ちは駆けているつもりでも、実際は歩くより遅い速度だろう。
それでも気持ちが前へ前へと強く向いて、どうしようもない。
「行くぞ」
「はい……っ」
メイリアーデの気持ちを汲んだのだろう、再びグイっと力強くザキに腕を支えられメイリアーデは走り出す。
「だ、誰だお前達!」
「うるせえ、死にたくねえなら構うな」
「何を勝手な! ここを何処と心得る!」
「うるせえっての!」
動揺した様子のスワルゼ家の兵達。
乱暴にあしらうザキの言葉もメイリアーデには聞こえない。
もう意識は一点のみを向いている。
中庭に辿り着くまでどれだけの時間がかかっただろうか。
徐々に近づくのは剣と剣が混じり合うような甲高い音と切羽詰まった叫びのような声。
本能が恐怖を訴える。
それでも足は止まらなかった。
はやく、はやく。
その姿を見たくて、メイリアーデは足をもつれさせながら飛び込んでいく。
何かを取り囲むように剣を構えた鎧姿の男たちが円を作っている。
その中心をひたすら目指すメイリアーデ。
「お、おい、お前何している!? 何故女がこんな場所にっ」
「はやく逃げろ、あいつは危険だ!」
中にはそんな声をかけてくる者もいた。
どうやらメイリアーデをスワルゼ家の使用人と思っているらしい。
津村芽衣姿のメイリアーデを知るものは少なく、そのためローブを着てこんな戦場ともいえる場所に丸腰で飛び込む女の姿は場違いも良いところだ。
困惑する者、警戒する者、反応は様々だった。
しかしその声すらもメイリアーデには届かない。
警戒を強めメイリアーデに手を伸ばそうとした者はザキによって倒され、それもまた異様さを発揮していたのだがそんな状況すらメイリアーデにとっては意識の外だ。
「ナサド、ナサド……っ」
気付けばその名を呼んでしまっている。
その声を耳にして周囲が何かを勘繰り手を出してくる。それでも呼ぶことを止めることなどできない。
考えなしに動いていると自分でも思う。オルフェルに怒られたばかりだと思う気持ちもどこかにある。
それでも、もうメイリアーデはその気持ちに抗うことなど出来なかった。
「ナサド!!」
人の波をかき分け中央の開けた場所が目に入った途端、メイリアーデは声の限り大きく叫ぶ。
目に入ったのは膝をついて肩で息をするナサドと、今まさに彼に切りかかろうとしている男。
メイリアーデは最後の力を振り絞り体ごと男に突っ込み、もろとも崩れる。
チカチカと視界が光り、体はもう限界だ。
それでも、メイリアーデはナサドの姿を確認しようと何とか起き上がった。
『つ、むら……?』
やっと出会えた従者。
メイリアーデが何よりも大事だと思う、守りたいと思うただ一人の男。
目の前で驚愕に目を見開きこちらを見つめているのが分かる。
その言葉はずいぶんと懐かしく感じる日本語だ。
「姫様……!? 何故こちらへ、早く防人様とお逃げ下さいっ」
ナサドの上の方から声が聞こえた。
しかし聞き覚えがあるはずの声なのに誰なのか何を言っているのかメイリアーデは認識できない。
ただただ目の前で信じられないものを見るような表情のナサドから目が離せないのだ。
その顔色は青白く、頬もこけている。
目の下の隈がひどく体中傷だらけだ。
まるで別人のような人相になったナサドに、メイリアーデはショックを受ける。
生きていて良かった。ちゃんと会えた。
そういった安心感よりも、今メイリアーデの中に芽生えたのは焦りと怒り。
……怒りの方が強いのだろう。
「……これはどういうこと」
「何者だ、お前!」
「これはどういうことだと言っているの!」
メイリアーデが生きてきた中で、おそらく一番鋭く強い怒声があがった。
振り返り声を荒げるメイリアーデのあまりの圧力に、剣を持った兵達が言葉に詰まる。
その場でゆっくりと立ち上がったメイリアーデは、その場で姿を元に戻した。
途端に上がるのは明らかに困惑し上ずった驚きの声。
呆然とその場に立ち尽くす者、慌てて膝をつく者、剣を構えたまま解かない者。
反応は様々だ。
一体彼らが何を言われてこの場にいるのかメイリアーデには分からない。
どうして武装してナサドと対峙しているのか知るわけでもない。
けれど、メイリアーデにとってそのようなことはもうどうでも良かった。
事実を捻じ曲げ寄ってたかって自分の大事な従者を痛めつける者達をどうしても許せないと思ってしまう。
完全に動きを停止させた兵達を睨むように見渡したメイリアーデ。
「なぜ、もう動いているんだ……!?」
メイリアーデにとって最も聞きたくない声が届いたのはそんな時だった。
視界の端で人が避け道が出来上がっているのが見える。
その中心を焦ったように駆けてきたのは今回の首謀者とみられるリンゼルとルイだ。
「毒の効果は早くともあと数刻は切れないはず。目覚めが早すぎる……っ、一体何をしたんだ!?」
「姫様、その男の側は危険です! 早くこちらへ! おのれナサド……!!」
リンゼルとルイの会話はここにきても恐ろしいほど噛み合っていない。
言っている意味とてどちらも理解できない。
しかしそのようなことなどやはりメイリアーデにとってはどうでも良い。
「いい加減になさい!!」
強く、怒りのまま発した怒声。
広い庭の中で大きく響くその声の圧に、リンゼルとルイの肩が揺れた。
ここまで怒るメイリアーデを目にした者などいないだろう。
メイリアーデ自身、ここまで怒りで何も考えられなくなるのは初めてなのだ。
「自分の都合の良いように全て事が運ぶと思うのならば大きな間違いよ。私にもナサドにもオル兄様にもラン兄様にだって心はあるの! これ以上、私の大事なものを踏みにじる気ならば私は許さない!」
リンゼルやルイの視界からナサドを隠すように立ってメイリアーデは怒りを向ける。
背後にいるナサドからは大きな呼吸音のみが届いて声はない。
早く彼を安全な場所に連れて行って治療しなければ。
そう思う気持ち以外に今メイリアーデを落ち着かせるものはない。
いや、それすら今は怒りに塗りつぶされて分からなくなってしまっているのだろう。
リンゼルを睨みつけルイを睨みつけ、鬼のような形相を見せるあまりの怒り様にリンゼルとルイが強張った表情で見返してくる。
しかし流石は首謀者といったところか、持ち直したのはリンゼルの方が先だった。
「……踏みにじるのはどちらか。都合の良いように事が運ぶと勘違いしているのはそちらの方だ」
……いや、持ち直してはいないのかもしれない。
どちらかと言うと、メイリアーデの言葉に怒りを刺激されて正気に戻ったという方が正しいだろうか。
リンゼルの目に宿ったのもまた、メイリアーデと同質のそれだ。
「我らスワルゼ家がどれほど龍王家に仕えお支えしてきたのか、貴女方は省みようともしない。リガルドを優遇しスワルゼを排し、そうして我らの信頼を奪ったのはそちらの方だろう!」
返って来たのは怒声だ。
リンゼルの感情のこもった声をメイリアーデは初めて目にする。
決して大柄とは言えない華奢な体格のリンゼルは、その華やかな容姿とは似つかない荒い足取りでメイリアーデに近づく。
「王家ならば平等に人間を愛するのが務め。その義務を怠り我が家の誇りを、威厳を貶めたのはそちらだ! 才の龍? 女性龍? 下らぬもので我らを愚弄し振り回しておきながら権利だけは主張するというのか! 所詮は貴様も卑しいリガルドの血筋っ」
「黙れ!!」
リンゼルを遮る声と共に強くメイリアーデの体が何かに引かれた。
傾いだ体、お尻に衝撃が走る。
咄嗟に視線をそちらへ向ければ、メイリアーデの目の前で荒く息をしながら盾とならんと立つ男がいた。
その背をメイリアーデはよく知っている。
「ナサドっ」
「それ以上、この方への侮辱は許さない」
ぽたぽたとメイリアーデの頬に何かが降る。
呆然とナサドを見上げていたメイリアーデはそれを指で拭い確認する。
目に映ったのは赤い液体。
ナサドのボロボロになった服がどこからか吹く風でなびいている。
その端から同じものが飛んでくるのだ。
よく見れば、服の裾のはるか上……肩と背中がひどく赤い。
正面からでは見えなかった、大きな傷だ。
呼吸で大きく息をする度、じわりと滲んできているようにも見える。
ナサドと、メイリアーデが慌てて視線を移した時、目に映ったのは憎悪に満ちた表情で何かを叫び切りかかって来るリンゼルの姿。
そこからの記憶はメイリアーデにとっても断片的にしか思い出せない。
ただ咄嗟にナサドを庇おうと自分の体が動いた気はする。
抱き着くようにナサドに覆いかぶさり共に倒れ込む。
目の端でザキが自分達を庇うように立ちふさがり剣を振るったのが見えた。
ナサドを見れば、もう彼自身限界を超えていたのか倒れた衝撃で顔を歪め荒く息をしたまま焦点が定まっていない。
しっかりしてと、誰か助けてと、そう叫んだような気がする。
グオオオオッと、明らかに人ではない声が届いたのはいつだったか。
爆音と、そう表現するのが正しいほどのけたたましい音。
天井が破られ、メイリアーデの近くで何か大きなものが落ちて来る。
それは一体ではなく、二体だった。
鮮やかな赤に、深い紺。
バサバサと何かが音を立て、その度に辺りに風が舞う。
力強いそれに危うく飛ばされそうになりながらメイリアーデは必死にナサドを抱き込んだ。
「兄、様……?」
その声と共に、兄達は……オルフェルとイェランは人の姿に戻りその場に立っていた。




