理想と現実
十二迷宮グシオンで違法ギルドを一つ壊滅させたケンは、ギルド総本部のある迷宮都市へ帰還した。
過日起こった、ブラッククラスパーティー【グリモワール】と奴隷兵士【メイ=カジワラ】の反乱から数か月が経ち、都市は元通りの平穏を取り戻している。
「お腹減った……」
家屋の屋根を飛び、シャトー家の本拠地:カベルネ城を目指す最中、並走するリオンの腹がクゥと音を鳴らす。
「たぶんこの時間じゃ食堂でラフィが飯作ってる筈だ。報告は俺だけ行くから、行っていいぜ?」
「あう! ありがとう! 先、行く!」
ケンの許可を受けて、リオンは嬉々とした様子で先行する。
DRアイテムの所持者であり、すでに”弓聖”と称えられるようになったリオン。
しかしそうであっても、中身は十代に差し掛かるから掛からなか程度の少女である。
腹が減れば我慢はしないし、素直に感情に従う。
そんな天真爛漫なリオンの背中に温かい感情をいだきつつ、ケンは飛び続けた。
カベルネ城と都市を唯一結んでいる水道橋。
その立派な城門を踏み台にし、数回軽く石畳みを踏む。
そうればあっという間に高く立派なカベルネ城の城壁の上へ降り立つことができた。
「お帰りな様いませ、ケン様」
待ち受けていた凛とした従者が恭しく頭を下げた。
どうにも未だにこうされることが気恥ずかしいケンは、頬を掻く。
しかし従者の鉄面皮は微塵も揺らがない。
「ムートンへ、あ、いや……こほん、当主様に報告をしたい。今いるか?」
「はっ。ご在室中です。ご案内いたします」
凛とした従者に先導され、ケンはカベルネ城へ入場してゆく。
ケンが過る度、全ての人が直立不動で頭を下げるありさま。
嬉しいような気もするし、なんだか申し訳ない気もする。
そんな庶民感覚のケンは豪奢な二枚扉の前に立った。
扇動する従者が、重々しく二枚扉押し開ける。
かつて花で溢れていたそこは壁一面は書架へと変わっていて、無数の分厚い本が収められていた。
いくつかあるサイドテーブルには書類が山積みにされ、絶妙なバランスで塔を形作っている。
そんな飾り気の無い部屋にして、同様の主あり。
質素なシャツにベストを羽織ったまるで男性のような恰好をしたこの城の主、1973代シャトー家当主:ムートン=シャトーは、ケンの入室に全く気付付いた様子を見せない。
どうやら机に向かい書類とのにらめっこに頭を悩まている様子だった。
「当主様。ケン殿をお連れしました」
「わぁっ!?」
ムートンは間抜けな声を上げながら、慌てて視線を起こす。
しかし彼女の瞳がケンを捉えるや否や、眠そうな様子などどこ吹く風、見る見るうちに丸みを帯びる。
「こほん……案内ありがとう。黒皇殿と大事な話をするから君は下がって」
「御意に」
従者は深くムートンへ頭を下げて、ケンに会釈をし、静かに部屋を出て行く。
扉が完全に閉まったことをムートンは確認すると、勢いよく立ち上がった。
「お帰りなさい、師匠! お待ちしてました!」
仄かに顔を上気させて、何故か興奮気味のこの城の主がタタッと駆け寄ってくる。
「おう、ただいま」
「お疲れ様です。まずは座りましょうか?」
ムートンに促され、ケンは応接ソファーへ向かってゆく。
「なぁ、ムートン、ああやって態度返るのなんか意味あるのか?」
ムートンは当主に就任して以降、何故か場合によってはケンのことを異名であり、敬称でもある”黒皇と呼ぶようになっていた。
出会ってから今まで”師匠”と呼ばれていた手前、少し妙な感覚を抱いている。
「お嫌ですか?」
「なんつぅーかこそばゆいってかよ」
「すみません……周りの目があるものでして」
「周りの目?」
「評議会の中には奴隷兵士だった師匠の存在を快く思ってない連中もいるんです。だから表面上は私が上で、師匠が下だってことを見せつけないと面倒なもので……こればかりは本当にすみません、許してください。でも、心の中ではどこにいようとも師匠は私の師匠ですから、はい!」
こうして二人や、他の家族の前では変わらぬムートン。
しかし立場は以前とはまるで違う。
――世界を半分収める家の当主も大変なんだな。
「わりいな、妙なこといって」
「いえ、お気になさらず」
そんな会話をしつつ、ケンとムートンは対面でソファーへ坐した。
「そいじゃ早速報告だけど、予定通り違法ギルド【アウシャービッツ】は壊滅、奴隷兵士達は全て開放してきた。ただ、今回の兵士達も解放に困惑していたな」
ケンの報告を聞き、ムートンの表情が僅かに陰った。
「そうですか……」
「評議会の方はどうだった?」
「こっちも評議会でこっぴどく言い負かせられましたよ。奴隷兵士であることを望む人が現実的に多数いる以上、こちらが強制的に開放するのは、愚の骨頂って……」
ムートンの提唱した『奴隷兵士と呪印の運用禁止』に関しては、未だ快く思っていない連中がいるのは確かだった。
加えて、世界の半分を統べるシャトー家の現当主が、若年のムートンであることも大きい。
旧来の権力にしがみつく連中が、この機会にとシャトー家の影響力を弱めようと暗躍していると聞く。
幾らシャトー家の当主と云えど、ムートンは未だ若く経験が圧倒的に足りない。
そんな彼女は日々、旧来の権力者に翻弄され、疲れを溜めているのだった。
「でもお前は、この世界から奴隷兵士って存在を無くしたいんだろ?」
だからケンは敢えて、強い問いかけをした。
「それはそうですけど……」
「だったら、気を強く持て。大丈夫だ。お前には俺が着いてる。俺はお前の理想を叶えるためにいつだって戦うし、お前を理想を叶えてやる。どれだけ長い時間がかかってもな
「師匠……ありがとうございます。やっぱり師匠にそう言って貰えると、なんだか本当にできるような気がしてきますよ」
「バカ、できるような気じゃねぇよ。やるんだよ」
「そうですね。その通りですよね!」
ムートンは元気を取り戻し、ケンはひとまず安堵する。
「ところでグリモワールの探索状況は?」
「そっちも正直なところ有力な情報は今のところ入っていません。どこかの迷宮には潜っていると思うのですけど……」
暗殺者のシャドウ、荷物係のウィンド、
シャギ=アイス、オウバ=アイスの双子の魔導士姉妹。
そして史上初のブラッククラス:白閃光こと、ミキオ=マツカタ。
その五人で構成されたブラッククラスのみの世界最高峰パーティー:【グリモワール】
かつては名声を欲しいままにしていた彼らの権威も既に失墜していた。
先日この迷宮都市で彼らが主導した【奴隷兵士反乱事件】の影響で、お尋ね者としてケン達に追われる立場になっていた
だがその行方は用として知れない。
事件の終盤、ミキオが叫んだ【世界破滅計画】という言葉。
字面だけでは子供っぽく、にわかに信じがたい言葉だったが、ケンはそれが本気の言葉だと信じて疑わなかった。
幾度となくグリモワールと対峙し、彼らの強大さと危険性は十分に承知している。
だからこそケンはシャトー家の力を借り、グリモワールの探索を行っていたのだった。
奴隷兵士の解放、グリモワールの追跡。
どちらもやらなければならないことだが、どちらも上手く行っているとは言い難い。
それはムートンも分かっている。
だが状況は遅々として進まず、二人は座ったまま、口を閉ざし互いに思考を巡らせる。
「はいはい、お二人とも、これどーぞ」
と、その時、弾むような声が聞こえてケンとムートンは揃って頭を上げた。
いつの間にか入室してきた獣の耳を持つケンにとっての最愛の少女:ラフィは丁寧にお茶と芳醇な香りを放つ焼き菓子を丁寧に配膳する。
「それ、美味しい! すぐ食べる!」
ラフィにぴったりとくっつくリオンは、目を輝かせていた。
「わぁー! アップルケーキ! これ私、好きなんだ!」
ムートンも子供の用に顔を上気させ、ラフィはにっこり笑顔を浮かべて「知ってますよ。だから作ったんです」と、答えた。
「いただきましょう、師匠!」
「ああ」
ケンとムートンはフォークを手にケーキにあり付こうとする。
そんな二人へ向けて、ラフィは手を翳した。
「二人とも、いきなりじゃお行儀悪いですよ?」
「あ、おう……」
「ですね」
ケンとムートンはケーキへ向けて、手を合わせた。
「「いただきます」」
「はい、どうぞ!」
――そういやこの習慣って俺が教えたんだよな。
辛かった奴隷兵士時代、こうして食事に感謝を捧げてラフィと過ごした日々を思い出しつつ、ケンはケーキを口に運んだ。
瞬間、芳醇なリンゴの香りは口いっぱいに広がった。
なめらかで柔らかい生地は口の中でサッと溶けて行き心地良い。
甘さと酸味のバランスが絶妙で、思考で疲れた頭が和らぐ感覚を得た。
「ラフィ、旨いよ本当に」
ケンの素直な感想に彼女は満面の笑みを浮かべて、尻尾を横へブンブン振る。
「ありがとうございます。二人とも、ようやく顔が和らぎましたね? 部屋に入っても全然気づいてくれなくて、とっても難しい顔してましたから心配しちゃいました」
ケン自身も久々に頭がスキッとした感覚を得ていて、恐らく目の前に座るムートンも同じだと感じた。
「やっぱラフィには敵いませんね、師匠?」
「ああ、全くだ」
「世界最強の男とシャトー家の当主をこうも簡単に操れるだなんて、もしかするとこの世界はラフィが収めた方が良いのかもしれませんね」
ムートンが冗談ぽくそういうと、
「そうですね。じゃあお二人の胃袋を操って、わたしが頂点に立っちゃいましょうか?」
「ラフィ一番賛成! 賛成!」
リオンもぴょんぴょん跳ねて、そう叫んだ。
先ほどまで緊張感が溢れていたここも、ラフィのお陰で一瞬で華やぎ、温かい空気に代わっていた。
改めてラフィというかけがえのない存在に強い感謝の念を覚えるケンなのだった。
「ところでお二人とも、ちょっと提案があるんですけ良いですか?」
ラフィはカップにお茶を注ぎなおしながら、ケンとムートンを見渡す。
「なんだよ提案って?」
「一度、わたしたちの村に帰りませんか?」
村とは、ケンがブラッククラスの就任で得た金を使って、リオンの集めた孤児たちが安心して暮らせるようにと作った場所だった。
最近はシャトー家での仕事が忙しく、寝食の殆どをこの迷宮都市で過ごしていて、めっきり帰ってはいなかった。
「二人ともここ最近ずっと忙しくて全然帰ってないじゃないですか。子供達も寂しがってますし、お二人にとっても良いリフレッシュになると思うんですけど」
「帰郷か……」
ケンとムートンのためにと、村と迷宮都市を日々往来して色々と面倒を見てくれるラフィから、日々の村の様子や子供たちの成長ぶりは聞き及んでいる。
本心を言えば、すぐにもで帰りたい気持ちはある。
しかし今は奴隷兵士の解放と、グリモワールの探索が最優先であるのだが……
「それ、良いね! じゃあ、一回帰りましょうか、師匠!」
そんなケンの考えを、ムートンのたった一言があっさりと吹き飛ばしたのだった。
「お、おい、良いのかよ?」
「はい! むしろ、今ラフィに云われて気づきました。現状、ここで私たちが頭を悩ませ続けたことで何も変わりませんし、だったらいっそのこと少しお休みしてみようかなと思いましてね。幸い、通常評議会も閉会してますから、私も少し時間が取れますし」
「この城はどうすんだよ? 当主が空けるのはマズくねぇか?」
「ふふん、師匠、私を誰と心得てのお言葉ですか? 私はシャトー家の当主ですよ? 影武者くらい、そりゃたくさんいますし、ちょっとの間ぐらい空けるの問題ないです!」
「と、なるとムーさんは了解ってことで。ケンさんは?」
ニコニコとラフィが問いかけて来る。
もはやこの状況で言えることは一つしかなかった。
「そういうことなら……一回帰るか!」
「はい! そうしましょう! それじゃわたし、みんなにケンさんとムーさんのこと伝えてきますね!」
ラフィは嬉しそうに部屋を飛び出し、リオンは慌てて追う。
――ホント、叶わねぇな、ラフィには……
ケンは弾むように走り去るラフィの背中を見て、彼女の存在にありがたみを感じる。
「やっぱりラフィは凄いですね……ホント……」
ムートンはポツリとそう呟き、静かにお茶を口にするのだった。




