獣王ハクエンは絶対に屈しない!⑨
体を精一杯に動かして、戒めから抜け出そうと試みものの、さすがに従者の腕は鍛えられている。聖女のへなちょこな腕とは比べ物にならぬほどガードがかたい。
抜け出すことはかなわないと悟った俺は、仕方なく精一杯に吠えた。
「それは貴様ごときが触れて良いものではない!」
頼むから、魔法陣に触れないでくれ……! 貴様の匂いが消えるのに、どれほどの年月かかると思っておるのだ!
寝床の藁は時間はかかるが集められよう。だが、魔法陣だけは代わりがないのだ。
オレの気持ちを知ってか知らずか、腐れ賢者は訳知り顔で一番左の紫色の魔法陣を指さした。
「君が触れて欲しくないのはこの紫色の魔法陣でしょ。魔王が君のために設置した、大切な魔法陣だもんね。この魔法陣の組成からするに、砂漠の過酷な環境でも君が快適に暮らせるようにって設置したのかな」
分かっているなら、頼むから触ってくれるなよ。牽制を込めてオレはことさら唸り声を強くする。
こやつの言う通り、その紫の魔法陣は魔王がオレのために設置したものだ。
外の光や風をいつでも感じられるよう、俺の寝所は地上まで吹き抜けになっている。明るくて気持ちいいが、もちろん太陽が中天に来る時間帯には地獄の暑さだし、雨の日はびっちゃびちゃに濡れるのが常だった。
それは不便ね、と思案して魔王が設置してくれたのがこの紫の魔法陣だった。
風や光は通すのに、暑さや雨は通さない優れモノの魔法陣だ。しかも、この魔法陣は風の流れまで司っている。
つまりだ。
この魔法陣をこやつに触られてしまうと、流れる空気がすべてこやつの匂いになってしまうのだ。
最悪だ。絶対に触って欲しくない。
「大丈夫、この魔法陣には触らないって。千年前も僕、触らなかったでしょ」
腐れ賢者の奴め、オレの気持ちも知らず気安く笑いかけてくるから、鼻をフンと鳴らしてそっぽをむいておいた。
なぜ触って欲しくないかがバレた途端、思いっきり魔法陣を触りまくりそうな気がするから、うかつなことは言えない。
「……貴様はどれだけ時が経っても馴れ馴れしいな」
顔をそむけたままそれだけ言えば、何が嬉しかったのか、腐れ賢者のやつは、オレの頭をふわふわと軽く撫でる。
……なにが悲しくて、男のカタい腕にだっこされたまま、腐れ賢者にナデナデされねばならぬのか。
泣きたい。
「さて、じゃあやろうか」
話す元気もなくなったオレを見て満足したのか、腐れ賢者は満足そうに笑ってオレの頭から手を放す。
そして、魔法陣に再び手をかざした。




