アルコール消毒
「上司の失敗は部下の責任、部下の手柄は、上司の手柄ってやつじゃないですよね!」
周防はどこかで聞いたことのあるセリフを大声でまくし立てた。ただ、ここは地下鉄だ。乗客の皆さんがいらっしゃるので、静かにしなさいと俺は無言のまま、人差し指を自分の唇に当てた。
せっかく博多まで来たのだ。一社だけの訪問で済ませるわけにはいかない。俺は自分が担当している取引先数社にアポを入れていた。もちろんそこで周防を紹介するつもりだったし、何だったら、数件飛び込みで営業をかけてもいいなとさえ思っていたのだが、俺は彼女とのやり取りの中ですっかり疲れてしまっていた。
これではいかん、と自分を奮い立たせて取引先に向かう。さすがにお客様の前では周防は大人しい。どこもかしこも、彼女が東大卒と聞いて感嘆の声を上げる。さすが、東大ブランドは、強い。
最後の訪問先に設定したのは、俺が福岡で最も仲良くしている会社だ。そこの担当部長には俺はなぜか気に入られて、かわいがってもらっている。ここを、外すわけにはいかない。
志村さんという矢沢永吉が大好きなおじさまで、外見はスキンヘッドにしているので、一見すると任侠に見えるし、怒るととてつもなく怖いのだが、とても面倒見がよく、地元愛にあふれる兄貴分のような人で、俺も彼を慕う一人なのだ。
「おお~来たな。久しぶりっタイ!」
お国言葉を隠そうともせずに笑顔で俺たちを手招きする。いやいやご無沙汰していましてと言うと、忙しいのはよかこったいと言って豪快に笑う。
商談なんぞは二の次で、話は矢沢永吉のことで終始する。最近は娘さんが思春期に入り、エーちゃんのライブに行こうと白のジャケット姿で出かけようとすると、パパ、それやめてと怒られるだと言って頭を掻く。その矢沢も最近はチケットが手に入りにくく、武道館でのライブはなかなか当たらないだとか、そんな話に終始する。俺も、今度福岡でライブがあるなら、見に来ますよと言って彼を喜ばせる。
「帰り、何時?」
一時間ほど話をすると、おもむろに彼は俺たちに帰りの時間を聞いてきた。俺は二十時ですと返答する。すると彼は、じゃあ、メシ食えるなと嬉しそうな表情を浮かべる。
商談の後、夕食を共にするというのがいつものパターンだ。それは、周防にも言い含めてあり、今日は帰りが遅くなることも伝え済みだ。志村さんはちょっと待っていろと言って、電話をかけ始めた。今から空いとう? などと言って、瞬く間にメンバーを集めてしまった。
夕食と書いたが、単なる夕食会ではない。この志村部長という人は、惜しげもなく取引先を紹介してくれる人なのだ。この飲み会で知り合った会社も多い。俺にとってはマジで、足を向けては寝られない人なのだ。
彼は会社近くの居酒屋に俺たちを連れて行った。すでにそこには、数人の男たちが集まっていた。相変わらず、フットワークが軽い。
店に入り、乾杯の後、話題はやはり、周防に集中していた。東京大学卒というのが珍しいのだろう。集まったおじ様たちは、彼女にどれだけ勉強したのか、などと質問している。
「おい、イケぇ」
不意に志村さんから話しかけられる
「お前、嫁さん、まだもらわんのか」
実は俺は数年前に離婚をしていて、今は独り身だ。そんな俺を心配してくれているらしい。
「ええ。今のところ結婚する予定もないですね」
「じゃあ、博多の女と付き合ったらよかと」
「え?」
「いっぺん、博多の女と付き合うと、離れられんようになるっタイ!」
「へぇ~奥様、博多の方なんですか?」
「……ウチぁ~長崎っタイ!」
……博多ちゃうんかい、という言葉を俺は飲み込んだ。志村さんは上機嫌だ。
「酒も、魚も、肉も、女も、福岡が最高ば~い」
ふと見ると、周防が一人のオジサマに絡まれていた。どうやら、潔癖症というのに興味を持たれたらしい。彼女は毅然と無理です、無理です、を連呼している。
「じゃあ、おめ~よう。それじゃ、男の子とエッチできんじゃろうが」
「いやです。そんなことしません。死んでもいやです」
「でもよ? どうしても、しなきゃらならくなっときぁ、おめーどうすんだ?」
さすがにそれはいかんだろうと思った俺は、もうそのくらいでと言おうとしたそのとき、周防は毅然とした態度で口を開いた。
「最悪、そうなった場合は、相手の全身を、くまなく、アルコールで消毒しますっ!」
その場が大爆笑に包まれた。いや、それは、恐ろしいな。男の子が飛び上がっちまうよ……。




