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私、会社を辞めます

「課長、ちょっとお話、いいですか」


周防が神妙な顔つきで俺の前に立った。心の中で、来たかと呟く。


ここ数日、周防は怒られっぱなしだ。尾関に怒鳴られ、小春さんにチクチクと嫌味を言われている。ただ、それはミスるべくしてミスっているので、俺は敢えて放っておいたのだった。


会議室に入る。実は俺はこういう場面は苦手だ。でも、職務上、これはやらねばならない仕事だ。


「課長、私、会社を辞めたいです」


「……そうか。まだ、入って半年だけれどな。まずは、理由を聞かせてもらってもいいか?」


俺の言葉に、彼女は退職理由を滔々と語った。


まず、彼女がしんどいと感じているのは、東京大学を出ているからという理由で、何でもできると思われている点だ。周囲の「え? 東大出ているのに、そんなこともわからないの?」という言葉が、彼女の心を傷つけているというのだ。


次に、彼女の両親が退職を進めていた。ご両親も、それなりに名の通った大学を出ていて、父上は大手商社に勤めており、母上は、専業主婦という家庭だ。


一人娘である彼女は、両親の期待を一身に受けて育ち、私立から中学に進み、高校、大学と、いわゆるエリート街道を進んできた。当然、両親も娘は官僚か大手商社に入ると思っていたらしいのだが、官僚になれなかったばかりか、大手商社は全て落ち、ほかの大手企業も落ちて、結局は二流どころのわが社に拾われた形となった。それだけならまだしも、本社ではなく、神戸という地方勤務というのが気に入らないらしい。しきりに会社を辞めて千葉に帰ってこいと言われているのだという。


何より驚いたのは、学生時代を通じてアルバイトの経験がないということだ。サークルや部活動などもしていない。毎日大学と自宅を往復する日々だったようだ。よほど、裕福な家庭に育ったのだなと思う反面、ちょっと空気の読めない行動に出るのは、こうした社会経験が不足しているからだろうなと、変に納得してしまった。


「話はわかった。これは、お前さんの人生だからな。お前さんが合わない、この会社で学ぶことはないと思うのであれば、それもいいだろう」


「課長」


「なんだ」


「止めないんですか?」


「止める? 何を?」


「こういう場合、もう少し考えろとか、いや、今やめられたら困るとか言うんじゃないんですか?」


「……」


何じゃこいつは。面倒くせぇな、と腹の中で呟く。どないせぇっちゅうねん。


「確かに、今お前に抜けられるのは、正直言って痛いこともないこともないこともない。ただ、俺はお前の決断を尊重したいと思っているだけだ」


そう言うと周防はシクシクと泣き出した。


「……同期は、みんな仕事をしているけれど、私はいつまでたっても雑用ばっかりだし。……私、本当に必要とされているのかなって。……私の力を発揮できているのかなって」


「一年目のコに仕事任せることはない。五十歩百歩だよ」


「本社配属の、同期の松下君は、もう、経営者の賀詞交歓会に出席しているじゃないですか」


「ありゃ、社長の息子だからだ。お前と一緒にするな」


「……私って、お役に立てていますか?」


いや、まったく、という言葉を必死で飲み込む。さすがにそれは言ってはいけないくらいはわかっている。


「一年目のコが役に立てりゃ、俺ら管理職はいらねぇよ。みんな、先輩方上司に迷惑かけて仕事ができるようになるんだ。俺だってそうだよ。どれだけ諸先輩に迷惑かけたか知らない。部長の長島さんなんて、若いころ、よく客先に謝りに行ってもらったものだ。まあ、俺は別に周防のことは嫌いじゃない。尾関だって、小春さんだって、お前のことは嫌いじゃないと思うよ。嫌いだったら敢えて教えねぇだろうが。そもそも嫌いだったら怒らないよ」


周防は目を真っ赤にしながら俺に視線を向けている。


「まあ、もう一度落ち着いて考えてみなさい。ただ、会社はお前に期待をしている。何といっても、東京大学というのは行きたくて行ける大学ではないからな。それに、相当勉強しなければ入ることのできない大学だ。学生時代に勉強した知識は、相当なものだろう。会社は、その知識を役立ててくれること、期待していると思うぞ?」


俺は息を吐くように嘘を言った。ああ、いやだな。こんな大人になりたくはなかったのだ。もっと泰然自若とした課長に、俺はなりたかったのだが、どこでどう道を間違えたのだろうか。


少し自己嫌悪に陥りそうになっている俺に、周防はスッと息を吐くと、シャンと背筋を伸ばして口を開いた。


「課長、お前って言うの、やめてもらっていいですか」

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