第35話 ソロで討伐する魔物ではない。
次の日から、魔物のいる森の中での作業が始まった。
「まずはこのあたりですね。なるべく自然になるように、少しずつ高さを出します」
森の南側、丘を迂回する方向へ誘導する部分から始めることになった。
ここから北東向きに、崖を伸ばしていく予定である。
バンガードの四人に見守られて、ほんの少し緊張してしまう。
小さく息を吐いたカイは、生活魔法の土魔法を使った。
土が動くざあっという音だけが響き、四メートルほどの崖が出現した。
幅は、十メートルもない。
「ほぉ」
離れたところから眺めていたアウレリアが、ため息のような声をあげた。
「これくらいで良さそうですか?なるべくまっすぐ立ちあげたんですが」
切り立った、という表現が当てはまる崖は、なんなら少し反り立っている。
低くなる方の土を広めにかき集め、崖として整形した。
「これなら、迂回する気になるだろうな。将来的には崩れるかもしれんが、当面機能していればいいものだ」
ライナーがそう言うと、フィーネもうなずいた。
「周りから土を集めるっていうのは良い手よね。魔力消費を抑えられるし」
「ですが、やはり森の中なので、邪魔になる木は切っていかないと難しいですね」
生活魔法は火・水・風・土の四種類だ。
スキルでも持っていない限り、直接生き物に作用する魔法は使えないのである。
「なら、俺たちが先行して崖を作る周辺の木を倒していくか」
「ウチは倒した木を燃やしていくね」
エーミールの提案に、フィーネが賛同した。
「そうだな、二手に分かれるか。フィーネ、エーミール、位置は大体わかるよな?」
質問したライナーに、二人は首を縦に振った。
「大丈夫だ。昨日も確認したしな」
「私は、少し周辺の掃除をしてくる」
エーミールとフィーネを見送ると、アウレリアがハルバードを背中から下ろしながら言った。
「まだ少し遠いと思うが、まあこっちから行く方が早いか」
「ブラウンボアがいる。あれの肉は美味い」
次の崖を作ろうとしていたカイは、思わずアウレリアを見た。
彼女の表情はいつも通り平静に見えたが、その赤い目が煌めいていた。
「ボアなら一人でいけるか?あっちの方のやつは一体だけらしいし」
「えっ」
カイは思わず声をあげた。
ブラウンボアは、カイの記憶によればワンボックスカーサイズの猪である。
ソロで討伐する魔物ではない。
わりと高級な食材で、肉などそうそう手に入らない。
貴族御用達となっていて、ブラウンボアをほぼ専門に狩る冒険者もいるらしい。
カイが知る限り、パーティを組んで対処するタイプの魔物である。
「大丈夫だ、カイにも村の人にもちゃんと分ける」
アウレリアは、楽しそうに笑みを浮かべて言った。
そういう意味での驚きではなかったのだが。
「いや、えっと。アウレリアさんが一人で行くっていうところに驚いたんですが」
カイが言うと、ライナーとアウレリアは首をかしげた。
「カイを一人にするわけがないだろう?」
当たり前のようにライナーが言い、アウレリアがうなずいた。
「カイはこの作戦の主力だから、必ず護衛する。今日は魔物が遠くにいるから、護衛はライナー一人で十分だ。ボアまでは距離がある。だが美味い」
アウレリアは、唇をぺろりと舐めてこくりと喉を動かした。
どうやら、彼女の好物らしい。
「……わかりました。気をつけて行ってきてください」
彼女の実力なら心配はないのだろうが、カイはそう声をかけた。
「ああ、きっちり狩ってくるから、楽しみに待っていてくれ」
ハルバードを肩に載せ、アウレリアはにやりと笑った。
「今日はボア焼きパーティか。毛皮もいい金になるし、臨時収入だな」
ライナーも楽しそうに言った。
カイが一人でブラウンボアに対面するなら、逃げの一手しかない。
しかし、突進する速度が半端ないので逃げきれないだろう。
シェルターも、場合によると厳しい。
重量級のブラウンボアの突進には、ときにブラックウォルフすらも犠牲になると聞く。
それを「美味しい食材」と認識しているのだ。
カイは、思わずアウレリアとライナーに羨望の目を向けた。
修理屋というスキルを得たカイには持ちえなかった戦力を持つバンガードの四人には、嫉妬すらわかない。
ただただ、「すごいなぁ」と感じるだけだ。
これが、冒険者になってすぐだとしたら、きっと嫉妬や妬みのような感情を抱いただろう。
しかし、今のカイは冒険者稼業に挑戦した経験があり、到底成しえないと身をもって理解している。
だからカイは、憧れと尊敬を持って彼らと対峙できる。
ただ、それでも。
「いいなぁ」
羨ましい、という感情は消えないのである。
十メートルほどの崖を作っては、『故障品再生スキル』を行使する。
作った崖の弱い部分などを故障と認識することで、補強しているのだ。
「それ、修理って言っていいのか……?」
周りを警戒しながらも、ライナーは首をひねった。
「欠陥は故障と同じなんだと思います。普段ならここまでしないんですが、ブラウンボアとかが衝突して崩れても困るので」
「ああ、ボアは障害物に向かって突進するからな」
うんうん、とライナーはうなずいた。
誘導するための壁が崩されてはたまらない。
少なくとも、ブラウンボアがいると分かっているのなら、対策しておくべきだ。
崖作りを数回繰り返したところで、足元に何かを焼いた後らしい黒いすすがあった。
「フィーネだな。しっかし、あいつらどこまで行ったんだ?」
崖を作る予定の場所は、一つの道筋になっている。
エーミールとフィーネが木を伐採しては燃やしているからだ。
「どんどん先に進んでいるようですね」
カイの目には、二人の陰すら見当たらなかった。
「方向はこれで合っていますか?」
振り返ってこれまで作った崖を見ながら、カイはライナーに聞いた。
「大丈夫だ。もう少し進んだら、北の方に曲がっていくと思う」
「はい」
うなずいたカイは、また次の崖を作るために土魔法を使った。
「っと。これをスキルで補強したら、残りの魔力が二割ほどになりそうです」
カイが報告すると、ライナーはうなずいた。
「わかった。そろそろアウレリアが戻ってくるころだ。合流したら、エーミールたちを探しながら帰ろう」
ライナーは、アウレリアが駆けていった方を見ながら言った。
カイにはわからないが、彼女の気配を探っているのだろう。
「はい」
さすがに疲れたカイは、肩をぐりぐりと回した。
ライナーとカイは、休憩がてらお茶を飲んでいた。
「戻った!なかなかの大きさだぞ!」
そこへ、ほくほく、としか言いようのない表情で、アウレリアが帰ってきた。
ハルバードを左手に持ち、右肩には太い木の枝を乗せている。
アウレリアは、その枝に大きなブラウンボアを括り付けて歩いてきたのだ。
遠近法がおかしい。
ボアが大きすぎる。
「でっかいな!それなら村でわけてもまだ余りそうだ」
「ああ。帰ったらさっそく捌こう」
笑顔のアウレリアは、いつもよりも可愛らしい感じである。
カイの前世の記憶を駆使して、何か美味しいものを作って食べさせてあげたいような気分になる。
そんな風に考えていると、エーミールとフィーネが戻ってきた。
「どうした?」
ライナーがすぐに気づいた。
二人とも、表情が硬い。
「向こうの方まで、少しずつ北に向かって場所は確保したんだが」
エーミールはそこで口をつぐんだ。
ざわり、と葉擦れの音が耳につく。
「ウチもエーミールも、ほとんどカンなんだけど。森の西側、奥の方になんかいる」
「あれは、ブラックウォルフじゃないと思う」
フィーネとエーミールが口々に言うのを聞いてから、ライナーはアウレリアを見た。
「……すまん。私はブラウンボアに夢中になっていて」
「お前なぁ……。まあいい。どっちにしても、今からじゃあ対処のしようがない」
呆れたように言ったライナーは、全員を見回した。
「今日は帰るぞ。明日は、調査と崖の構築の二手に分かれる」
ライナーは、腰に手を当てて言った。
先ほどまで鮮やかに見えていた森が、夕暮れというだけではなく、何となく暗く沈んでいくように見えた。




