第18話 「え……?あれ?」
「ヒルダっ!!」
慌てて風魔法を行使してみたが、どう考えても無理だ。
「きゃっ!」
倒れてくる棚に気づいたヒルダは、しかし動けずに頭を抱えるようにしてしゃがみこんだ。
あれでは、直撃する。
瞬時に判断したカイは、自分のスキルを起動させた。
対象は、根元から倒れかけている棚。
それから、そこに置いてある商品だ。
棚を支える足が折れただけなので、欠損はない。
なんなら、補修材料にできそうな木箱はそのへんにいくらでもあるので、足りなければそれを使おう。
映像を分析するより先に、折れた足を修理する。
正しい位置に直した足を設置すると、ゆっくりと元の位置へ戻す。
「え……?あれ?」
ヒルダが恐る恐る見上げた先では、光も音もなく大きな棚が浮き、そして元の場所へと戻っていった。
置いてあった商品も、元の位置に置かれていく。
耳をぺたりと下げ、尻尾も下向きにくるんと下げたヒルダは、しゃがんで自分の体をぎゅっとしたまま、顔だけこちらに向けた。
「か、カイが、助けて、くれたの……?」
スキルで棚を確認しながら、カイはうなずいた。
折れた足以外にも、奥側の柱の耐久性がそろそろ危うそうである。
「ヒルダ、怪我はない?」
「う、うぅ……びっくりした。びっくりしたあ!」
「うわっ!」
スキルを使ったままのカイの胸に、ヒルダが飛び込んできた。
何とか踏ん張ったが、ぶっちゃけ頭突きをくらったみぞおちが痛い。
「もう大丈夫だから」
「わたし、そんな強くぶつかったわけじゃないのに!」
ぎゅ、とカイの服を握るヒルダの肩が震えている。
「そうだな、軽く肩が当たっただけだ」
カイが言うと、ヒルダはおでこをカイの胸元にぐりぐりとこすってきた。
ちょっと骨に当たって痛い気がする。
「昔は、あの棚に登ってもなんともなかったのに!突然、あんな」
確かにかなり大きな棚なので、ちょっとしたジャングルジムのようだ。
棚板も一定間隔なので、子どもなら登りたくなるかもしれない。
「もう直したから、今のヒルダが登っても多分平気だよ」
一瞬迷ったが、カイはヒルダの頭をぽんぽんと撫でた。
撫でるたびに、ヒルダの獣耳がピコンと動いて可愛い。
ここで耳に触れたらセクハラになりそうなので、カイは理性を振り絞って手を下げた。
「も、もう登らないわよ!上の方にある物を取るときは梯子を使うもの」
「そっか。昔はやんちゃだったんだな」
「むぅ」
とんとん、と背中を軽く叩くと、ようやくヒルダの肩から力が抜けてきた。
「ごめん、ありがと。ちょっと落ち着いてきたわ」
カイの服から手を離したヒルダは、少し赤くなったのを隠すように両手を頬に当てた。
一つ深呼吸をしたころには、耳も尻尾も元の位置に戻っていたので、もう大丈夫だろう。
「ううん。無事でよかった」
そこへ、ヤーコブがやってきた。
「どうした?黒い虫でも出たか?」
黒い虫とは、前世にもいた人類の天敵、Gである。
何故今世にもいるのか、神がいるなら問い詰めたい。
「黒い虫程度で騒がないわ、父さん。あの大きな棚にちょっとぶつかったら、棚の足が折れて倒れてきたの」
心強いことに、ヒルダにとって、黒い虫は何でもない存在らしい。
それを聞いたヤーコブは、慌ててこちらにやってきた。
「どこだ?怪我は?!」
肩を掴まれたヒルダは、パタパタと尻尾を振った。
「大丈夫。カイが助けてくれて、棚も直してくれたから」
笑顔の娘を見て、ヤーコブはほっとしたように息をついた。
いつもはピンと立っている彼の耳が、ほんの少し下がっている。
「はあ。良かった。ブリギッテにも、早くあの棚を直せって言われていたんだ」
「母さんが?じゃあ、一ヶ月以上前からわかってたのにそのままだったのね」
ブリギッテ、というのがヒルダの母らしい。
事情はわからないが、しばらく留守にしているようだ。
「すまん。元々丈夫だったから、もう少し使えるだろうと思ってな」
「まあ、わたしもそう思ってたけど。とにかく、カイが直してくれたから平気」
ヒルダを上から下まで確認したヤーコブは、うなずいてからカイの方を向いた。
「ありがとう、カイ。オレの大事な一人娘が怪我をせずに済んだのはカイのおかげだ。本当に助かった」
頭を下げたヤーコブを見て、カイは慌てた。
「いえ。たまたま一緒にいただけで。間に合って良かったです」
「そのたまたまで救われたんだ。ありがとう」
ヤーコブが安心したように頬を緩めるので、カイも笑顔でうなずいた。
「どういたしまして」
この村で初めてできた友人を、助けられてよかった。
穏やかに笑うカイは、ほんの少しだけ、ヤーコブに大切にされているヒルダが羨ましくなった。
そしてカイは、説得されて棚の修理費として銀貨一枚を受け取った。
注文されたわけではないと言ったのだが、それではヤーコブの気が済まないという。
だから、フィンたち同様、次の依頼では勉強する、という方向で話をつけた。
なんとなく、こういうやり取りをしていると、どんどんカイがこの村の住民になっていく気がする。
胸に温かいものが広がるのを、カイは自覚した。
「カイー!」
「ぐふっ!」
次の日から、ヒルダがタックルしてくるようになった。
抱き着く、という可愛い感じではない。
見かけしだい突撃してくるので、タックルで合っている。
そのたびに踏ん張らないとこけそうになるので、ちょっと体を鍛えた方がいいのかもしれない。
「おはよう、カイ。今日は買い物?」
「う、うん。おはようヒルダ」
ひょい、と離れたヒルダは、尻尾をぱたりと振って笑顔になった。
「そうそう、ちょっと話を聞いて来たから、叔父さんのとこに行ってみてくれる?」
「おじさん?話?」
唐突に提案されて、カイは首をかしげた。
「そう、リーヌス叔父さん。父さんの弟で、わたしの叔父さんなのよ」
「リーヌスさんって……もしかして、小麦畑の?」
お試し期間のときに、少し話した人だ。
確か、彼は黒っぽい耳をもつ犬系獣人だった。
「そう!なんかね、農具が壊れてて、誤魔化して使ってるのがいくつかあるんだって。だから、カイに修理を頼みたいって聞いたわ」
どうやら、ヒルダはカイの修理屋に客を呼んできてくれたらしい。
これからのんびりと村の人たちに話を聞いて回ろうと思っていたので、とてもありがたい。
「すごく助かるよ。ありがとう、ヒルダ」
お礼を言うと、ヒルダは尻尾を大きく左右に振った。
「どういたしまして!いつ来てもいいって言ってたわ。まだ収穫の時期でもないし」
にぱっと笑ったヒルダは、訪問の時間まで確認してくれたらしい。
カイも笑顔でうなずいた。
「わかった。買い物が終わったら行ってみるよ」
「そうして!じゃあ、またね」
そう言って手を振り、ヒルダは商店に走って帰った。




