第1話 「あの、向こうにあった一軒家、良ければ僕に売ってくれませんか?」
「うわぁ、わかってたけどボロボロだな」
茶色い髪に茶色の目というごく平凡に見える青年は、一軒のボロ家の扉を開けて、思わずそう言った。
平屋の家で、間取り的にはそれなりに広い。
入ってすぐがリビングダイニングで、手前にキッチンが見える。
壁際には扉がいくつかあり、トイレとシャワー、寝室が三つ、そして地下には倉庫があるらしい。
村はずれのこのボロ家を、青年は二束三文で買い取った。
埃だらけの床におろしたリュックはここ数年の旅の仲間で、着替えから日用品から仕事道具まで詰め込んである。
あちこち旅をしながら「故障品修理」スキルを使って色々な道具を直しては対価を貰って、また旅を続けてきた。
そしてとうとう、定住しようと思える場所を見つけたのだ。
家の中は埃っぽいし、あちこちガタガタだ。
しかし、青年の目は静かに輝いていた。
これは、ごく平凡にみえる青年が、移住した村で穏やかなスローライフを堪能したい物語である。
◆◇◆◇◆◇
この村にやって来たのは偶然だった。
本当はこの先の町へ行くつもりだったのだが、街道で立ち往生している荷馬車を見つけたのだ。
壊れた車軸をスキルで修理すると、ものすごく感謝されて家へと招待された。
それが、この村の村長だった。
家へと向かう途中、たまたまこのボロ家の前を通りかかった。
「あの家は、誰も住んでいないんですか?」
ちらりと見れば、その家の周辺には三軒ほど半壊した家があった。
「ああ、村の人口が減ってしまってね。このあたりは村はずれで不便だからって、みんな村の中に引っ越したんだよ。若者は、向こうの町がいいって出て行ってしまうから仕方ないことだが、そう簡単に家を壊すのもね。ためらっているうちに、ああなっちまった」
向こうの町は、ちょうど青年が目指していた場所だ。
海があり、他国との交易も行われていると聞いた。
「若い人は、都会に行きたがりますからね」
「そうだねぇ。って、あんたも若いじゃないか。成人したばかりだろう?」
「あ、僕はカイといいます。これでも十八ですよ。成人して二年も経っています」
「はっはっは!六十のじじいからすれば、十六も十八も似たようなものだよ。おれはデニスだ」
「あっという間に年をとりますからね」
「そうだなぁ。いやいや、おもしろいなあんた。若いんだか年寄りだかわからんね」
「若いですよ、一応」
「一応じゃなくてちゃんと若いよ」
のんびりと荷馬車に揺られて、村長宅にお邪魔した。
青年――カイは、いわゆる異世界転生者だった。
死んだ理由はわからない。
何歳まで生きたのかもはっきりしていない。
ちゃんと覚えているのは、自分が日本人だったこと、「快」という名前だったこと、ごみ収集作業員として働いていたことだ。
この世界が異世界だと判断したのは、魔法やスキルがあったからだ。
科学はあまり発達しておらず、魔獣がいる。
人間だけではなく、獣人やエルフ、魔人などがいる。
いわゆる、ファンタジー世界だ。
一応冒険者ギルドで登録もしたのだが、いかんせん授かったスキルが戦闘に関係ないし、武器だってろくに使えない。
早々に、ペーパー冒険者と化した。
とはいえ、身分証明のために登録する人もいないことはないので、そのままにしてある。
旅では、まぁ色々あった。
魔獣に襲われそうになったこともあるし、売り上げを取り上げられそうになったこともある。
カイは、二年近く旅をしてみてふと思った。
「僕に旅ってあんまり向いてないな。冒険するより、どこかで穏やかに暮らしたい」
それは、前世で抱いていた夢だった。
『退職したら、田舎でスローライフがしたい』と。
そして一度死んだから思う。
退職せずとも、すぐにスローライフをすればいい。
幸い、スキルのおかげで手に職はあるのだから、ド田舎とはいかずともそこそこの田舎で、準スローライフくらいならできるだろう。
こういう、少し行けば都会がある村などはとても理想的だ。
(こういう村で、スキルを使いながら仕事をして、庭の畑で野菜でも育てながら住めたらな)
そんな風に思っていたものだから、デニスがまたしても「若者が少なくなってしまって」と零したときに、思わず言ってしまったのだ。
「あの、向こうにあった一軒家、良ければ僕に売ってくれませんか?」
と。
そのときは、ちょうどデニスとその奥方、デニスの母とともに夕食をいただいていた。
デニスの子どもは、もう自立して、別の家に住んでいるらしい。
「向こうの家って……あの村はずれのか?」
デニスは、ここに来るまでの道を思い出したのだろう、首をかしげてそう言った。
口から出た言葉は元には戻らない。
カイは、思い切って頷いた。
「はい、そうです。僕は、あちこち滞在しながら住むところを探していたんです。できれば一人で、ゆったり暮らせる場所を。仕事も必要なので、まずは町へ行くつもりでした。でもこの村なら、町も割と近い。住むには理想的です」
そう言うと、デニスは目を丸くし、奥方はぽかんと口を開けた。
デニスの母だけは、うんうんと大きくうなずいていた。
「この村はええとこだからね。どうせ誰も住まないんだし、いいんじゃないの?」
「それに、僕のスキルが活用できると思います。荷馬車を修理したように、農機具とか、ほかの道具も修理できます。村にいると役に立つと思いますよ。どうでしょう?」
「え?え?」
「もしかして、うちの井戸も直せるのかしら」
奥方が言うので、カイはうなずいた。
「見てみないとどれくらいかかるかは分かりませんが、故障であれば直せると思いますよ。後で見せてください」
「本当?助かるわぁ」
奥方は、半分カイの味方についた。
夕食後、家の裏にある井戸を見せてもらった。
持ち手をくるくる回すタイプの、比較的力を使わない汲み上げ方式の井戸だ。
「ちょっと失礼しますね」
井戸の上に乗せられた器具に手を当て、カイはスキルを発動した。
デニスと奥方は、少し離れてカイを見守っている。
目をつむったカイには、器具の全貌が3Dのように見えていた。
「全部木製なのか」
ポンプと蛇口部分が上部にあり、ポンプ内部にはピストンがある。
「ポンプから水源まで伸びているパイプには、傷は無さそう」
ピストンの中央付近と、パイプの先端には水が一方通行になるように弁がつけられている。
上から順番に映像を確認していくと、ピストン上部の弁が欠けているのがわかった。
そのほかの部分も老朽化しているようだ。
ニスを塗って補強はしてあるが、やはり水を使うので仕方がない。
状況を確認し終わったカイは、スキルを解除して目を開いた。
「どうだ?何かわかったか?」
「はい、吸い上げ部分のピストンが一部壊れていますね。あとは、あちこち老朽化しています。まぁこれは、使っていれば当然出てくる傷みだと思います」
「そうよねぇ、もう二十年も使っているんだもの」
カイの説明に、村長と奥方はうなずいた。




