小さな火口(ほくち)(5)
「そうねえ。作ることはできるわ。でも――」
「本当ですか!」
食いつくフェオドットの鼻先に手のひらが突き出された。
そしてそれは壁一面に並べられた様々なオブジェへ視線を誘導した。
何かの結晶やとてもランプには見えないものもたくさんならんでいるが、伝説の通りならその全てがランプということになる。
「ご覧の通り〈容れ物〉はいくらでもあるわ。でも肝心のルドゥーシュカが使い物にならないから、〈色彩炎〉を入れてあげられないのよ」
「誰のせいだか」
「とにかく、リュオスに行ってすっかり乾かさないとダメね」
ルドゥーシュカが冷ややかなソプラノで茶々を入れるが魔女は気にも留めないようだ。
「リュオス……?」
「そう。常昼の国リュオス。太陽の落ちない国よ。知っているでしょう?」
フェオドットが眉をひそめる一方で、子どもたちは明るい顔をしていた。二人ともの瞳が、理解に輝いている。
「知ってるよぉー!」
「当然だ。故郷のことだから」
青年は子どもに知識で二度も負けた悔しさを噛んだ。
その前をリュスラーナのゴブランのスカートが横切って行く。
その手には炎の精霊が入ったカンテラがあった。
それをソフィの緑の瞳が心配そうに追いかける。
「ねえ、大きいルー。小さいルー、元気ないね。このままどうなっちゃうの?」
「炎の精霊か……。本で読んだことがある。水気をすっかり飛ばさなければその役割を終えてしまうとか……」
「役割を終える? それって、死んじゃうってこと? やだよー!」
エイノ少年が胡桃色の瞳で思考を見つめている隣で少女がじたばたした。
そのたびに猫の毛のように柔らかな髪が上下し、三人掛けのソファがぎしぎしと音を立てる。
「ぼ、ボクだって嫌だ! まだ成体になってもいないし!」
感極まったソフィがリュスラーナの手からカンテラをもぎ取って頬ずりする。
「そうだよ! 小さいルーと全然遊んでないんだよ!」
「ボクも死ぬ前にソフィとたくさん遊びたかったー!」
大小大きさそれぞれの娘たちが揃って口を曲げて涙をためた。
フェオドットは不謹慎ながら、なるほどと思った。
精霊の燃さかる炎のように輝いていた赤い髪が今はくすんでいる。
あれが彼女の命の源なのか。
「泣かないの」
魔女がぐずる子どもたちをたしなめる。
「常昼の国リュオスで一日じゅう乾かしてあげれば大丈夫よ」
それを聞くや否や室内に安堵の息が漏れた。
不吉を告げた当人にも微笑が浮かぶ。
「というわけで、フェオ。あなたが連れて行ってちょうだい」
そう、リュスラーナは満面の笑みを浮かべて唐突に言い放った。
青年は彼女の目じりに流れるまつ毛の長さに一瞬見惚れてしまったがすぐに我に返った。
「えっ。どうして俺が――!」
フェオドットが反論のために腰を浮かすとたちまち全身を暖かくて乾いた風が包み込んだ。
その一瞬で彼にまとわりついていた湿気が全て無くなった。
魔女の呼気が魔法となって彼を乾かしてくれたようだ。
「ここで黙って座っていたってランプはできないわよ。あなたは体が丈夫そうだし。明らかに適任だわ。まさか子どもたちに往復させようだなんて言わないわよね。あなたはこの子の願いを聞いてしまったし。それに〈きらきら〉が……。いいわ。とにかく二人で行くのよ。冬になる前に行ってらっしゃい。リュオスから帰ってきたらランプを作ってあげるわ。約束よ」
青年は気付いてしまった。
今の彼に断る権利はないのだと。
***
黒い髪の男は支度もそこそこに旅立った。
その手には魔女から渡された地図と煤けたランタンをくくりつけた棒きれがあった。
「リュスラーナ! ボクは大きくなって帰ってくるからな! それで今度はボクの言うことを聞いてもらうからな! 絶対だからな!」
「ええ、期待しているわよ」
小さな炎の精霊ルドゥーシュカの悪態がどんどん遠のくのを魔女と二人の子どもは見送った。
男と精霊の奇妙な二人組の姿は豆粒ほどに小さくなる前に一瞬でミルク色をした霧に包まれてかき消されてしまった。
エイノが盗み見た魔女は眉を傾けていたが、すぐに笑顔を取り出した。
「さ、あなたたちはうちでゆっくりしてお行きなさい」
リュスラーナは軽く伸びをすると、ソフィを伴って〈煌めき屋〉の中へ戻って行った。
旅立ちと言うにはお粗末だったな、と思いながら、エイノ少年は〈煌めき屋〉の扉を人差し指で閉めた。
あの不思議な丸い扉は魔力の中心であるシンボルに触れれば力を入れずに開閉操作ができるらしい。
「ねえねえ。わたしとエイノ君はどうするの、ルー?」
店先を超えて居間に行くと、ソフィが真っ先に大きなソファの上に体を投げ出していた。
ひと目見ただけで彼女が暇だということが理解できた。なんて単純な子だろう、とエイノは思った。いや、これが普通の十二歳なのかもしれない。
「そうねえ。おもちゃがあるわけでもないし……」
だが、一人掛けのソファにもたれかかる魔女も、大概暇そうだった。
「ランプでも作ってみる?」
「わぁ! 楽しそう! やるやる!」
女性たちが気楽そうにしているのがエイノにはかえって呪わしく思えた。
彼とて幼馴染に気付かれる前に魔法のランプを一刻も早く持ち帰りたいのだ。
黙って家を出てきたのはソフィと変わらない。
この〈煌めき屋〉に来てから懐中時計が仕事をしなくなったので約束の時まで幾ばくかもわからない。
「リュスラーナ。提案は歓迎したい。けれど僕たちが現世に帰ったときに故郷では半年や一年が経過していた……なんてことは、はごめんだ。一度帰らせてもらいたい」
立ったままのエイノの目線は座る魔女と同じ高さだった。
「あら。私を怖い悪い魔女だと思っているのね」
「そんなことは……!」
図星を言い当てられ、エイノはつい瞳を逸らしてしまった。そんな彼を魔女がくすくすと笑う。
「だってあなたは本の中にいる人物だと思っていた。〈ランプの魔女のリュスラーナ〉はすっかり伝説になっている。嘘か本当かもうわからない子どもも多い。だから……」
「でも今、こうしてあなたの目の前にいるじゃない。存在するかどうか。それはあなたの心が決めることよ」
うんうん、とすっかりだらけきっている少女が同意する。
「大きいルーはね、もう一人のお母さんって思ったらいいんだよ、エイノ君」
「ふふ。ソフィったら」
エイノが懐疑心を持つのが馬鹿らしく思えるほど、ソフィは正体不明のリュスラーナに対して心を許しきっているようだ。
「ああ。それから、『時間』については心配いらないわ。だってここはランダメリ、リュオスとミュルクルの境だから。この意味があなたにわかるかしら?」
そう言って、リュスラーナは完璧なウインクを少年にくれた。




