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第27話 藤咲 勝美の墓前にて

 七海は、泣き腫らした目をしている。しかし清々(すがすが)しい表情をしていた。


 日曜日の朝。雲は薄く、風は静か。もう、冬が近い。


 七海と御影は、プリントアウトされたA4の冊子を数冊持ってきている。


 冊子の表紙には——『藤咲 勝美の生涯』とある。


 御影が企画し、七海とふたりの共同作業として丁寧にまとめたものだ。


 まず白嶺学院中学・高校の校史、医学部の卒業アルバムなどを調べた。さらに白嶺の恩師、大学の元同級生、病院の元同僚にインタビューを重ね、証言をまとめた。


白嶺同級生「"テストで高得点をとるための勉強"を捨てられる勇気こそ、教育の中心であるべきだ。そう、最初に言い切ったのは勝美だった」


医学部同期「近代医学の父、オスラーの言葉『診断はすでに患者が語っている』が藤咲の口癖だった」


同僚看護師「藤咲先生は、患者とそのご家族の話を、とても真剣に聞く先生として有名だった」


主治医「藤咲先生は闘病中も休むことなく研究を続けられ、論文も執筆されていた」


……


 もちろん、七海母にもインタビューをした。七海母は、勝美が、残していく娘たちに宛てた手紙と、七海母への手紙も読ませてくれた。


 七海は、この手紙を何度も読んでいた。しかし、いまこうして読み返してみると、手紙の内容が、以前読んだ時よりもずっと心に入ってくる。新しい発見も多かった。


——私が、変わったからだ。蓮くんのおかげ


 昨晩、完成した冊子を受け取った七海母は、七海と美香、ふたりの娘を抱きしめ、声をあげて泣いた。そのまま、3人は泣きながら眠っている。


 そうして七海と御影は、いま、七海の父親、藤咲 勝美の墓前にいる。


 小さな墓地。


 風に草がすれ合う音だけがする。


 七海は花をそなえ、冊子をそっと置いた。御影は無駄のない動作で線香に火を移し、それを七海へ手渡す。


 七海は手を合わせ、息をひとつ。目を閉じて口を開いた。


七海「お父さん。私、いま、やっとお父さんの教育を受けてます。『自分が学ぶべきことは、自分で決める』——このルール、大切にしていきます」


 御影が、静かに続ける。


御影「藤咲先生。ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。七海さんの夫、御影 蓮と申します。先生が白嶺(しらみね)に残した原則を、七海さんの伴走者として受け継いで行きます」


 線香の煙が細くのびて、空に溶けていく。


 御影は、先に捧げた『藤咲 勝美の生涯』とは別の、分厚い冊子を鞄から取り出した。そしてゆっくりと丁寧に墓前に置く。


 七海は「なんだろう?」と不思議に思った。


 御影の研究ノートのコピーだった。


『空間自己組織化パターンはレジリエンス指標になり得るか——個体則から群集模様への数理と検証 / Can spatial self-organization serve as a resilience indicator? Theory and tests from local rules to collective patterns』


 御影は曲げていた腰を正した。そして静かなのに、力強い声で語り出す。


御影「お義父さん。これから、そう呼ばせてください。七海さんにお会いし、お義父さんの闘病について(うかが)いました。その影響を受け、私は、これまでの自分の研究テーマを変更しました。そうして得た小さな研究成果を、ここに置いていきます」


 御影は「自分の学ぶべきこと」を変更していた。そのことを、七海はこのとき初めて知った。変更の理由は、七海父の闘病なのだという。


御影「この数理研究は、不整脈、偏頭痛、そしてお義父さんが苦しんだ悪性腫瘍——ガン治療にも応用できる研究です。お義父さんの闘病に、私の研究が間に合わなかったこと、悔しいです。これからも、私と七海さんを支えてください。七海さんを産んでいただき、そしてここまで育てていただいて、ありがとうございました」


 七海は、また、御影に泣かされている。もう、昨晩で枯れていると思っていた涙が止まらない。


御影「お義父さんのこと、決して忘れません」


 この、御影による、亡くなった父への報告を聞いて、七海の内側で聞いたことのない音が鳴った。それは荘厳なもので、はっきりと聞こえた。


——自分の学ぶべきことは、自分で決める


 これまでの七海なら、ずっと先を進んでいる御影を見て、ただ不安に感じていただろう。しかしいまの七海は、御影と一緒にいることに不安など微塵もない。


 七海の中に、不安とはまったく別の感情が溢れてくる。また、さっき聞いた荘厳な音が鳴った。


 七海は、守られていると、強く感じた。


——ああ、もう止められない。我慢できない。蓮くんの合意をとっている余裕なんて、ない


 七海はたまらず、御影の首を抱く。


 御影の頭を地面のほうに両手で強く引き寄せながら、七海は御影に口づけをした。



こうして、もう第27話まで、お読みいただきました。本当に、嬉しいです。ありがとうございます。


少しでも、読めるところがあったなら、是非ともリアクションや☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。


さて。


大切な人のために、自分の人生を「曲げる」ことは、果たして、悪いことでしょうか。もちろん、これに科学的な答えはありません。個人の決めの問題です。御影は、大切な人のために「曲げる」。それをどう読むかは、個人の自由です。ちなみに僕は、「曲げる」派です。大切な人以上に、大切な物事などないという立場です。


引き続き、よろしくお願い致します。

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