第19話　ランチ披露宴

　朝のホームルームが終わり、1時間目の授業が始まるころ。

　教室の後ろの戸が、控えめに開いた。

　御影、その後ろに七海。ふたりとも、少しだけ息が上がっている。

　夢咲(ゆめか)と美月(みつき)が、七海に「どうだった？」とアイコンタクトする。

　そのアイコンタクトに対し、七海は満面の笑みを作ってみせた。大きく首を縦に振ったあと、両手をあげてジャンプした。

　夢咲と美月は迷わず席をたち、七海に走り寄る。

　そのまま夢咲は正面から七海に抱きつき「よがった、よがったよー」と泣き出した。美月は七海に腕を絡め、七海の頭を愛おしそうになでる。

御影「すみません、遅れました」

先生「そこ、騒いでないで、席につきなさい。それとおまえたち、遅刻の理由は——」

七海「蓮(れん)くんが——」

御影「いや俺じゃなくて、七海が——」

　教室の空気が、ぴくりと揺れる。

　プク顔の七海と、焦る御影。クラスメートは、これまでみたことのないふたりの豊かな表情に、全てを察する。世界は、なんて不公平なんだ。

　ふたりが痴話喧嘩をする中、教師が咳払いをして

教師「もういいから、おまえら、みんな席につけ」

　夢咲と美月は、小声で「あとで詳しく」と、名残惜しげに七海から離れる。

　七海は、御影の長袖の裾を親指と人差し指でつまみ、席に向かう。

　御影は前を向いたまま。だが、耳の先がうっすら赤い。

　ニッコニコの七海と、照れ隠しする御影。七海が振り向いて御影の袖に触れれば、御影は小声で「授業中」とだけ言って、そっけなく振る舞う。

　ベタベタしたい七海と、ツンの角を丸めた感じの御影。

　七海は、これまでたくさんの"嫌な視線"にさらされ生きてきた。そのため、他人の目を気にしない性格に育ってしまっている。

　だから七海は、普通の感覚からすると欲に素直だ。ただ、慣れていないので、御影に近づきすぎると顔が赤くなってしまう。

　七海は御影の後をついて回り、隙があれば、御影の身体に触れようとする。御影がトイレに行くと、出てくるのを寂しげに待っている。

　御影は、人前でベタベタしたくないタイプ。シャープな顔立ちに、鋭く光る青い目をした長身の美形が、七海の小さな接触を突き放しつつ、テレを隠せないでいた。

◇

　その日のランチタイム。

　4階の空き教室に、机を4つ合わせ、御影、七海、夢咲、美月、カイオが円になっている。

　七海が切り出した。

七海「私たち、結婚しました！」

夢咲「は？　七海、何語しゃべってる？」

美月「あなたたちにとって、結婚の定義は？」

御影「まず、排他性。互いに他の恋愛関係を持たない約束。次に相互扶助(そうごふじょ)。苦しくても生活を支え合うこと。そして意思の継続。これは一時的な感情ではなく継続する意思であること」

美月「合意に関することは？　君たちは、そこ、ちょっと意識低くて危ないから」

御影「性的接触については、原則として受け入れる意思を確認した。ただ、各回の個別合意は必須。夫婦であっても、合意は省略できない」

　性的接触と聞いて、七海は上半身を赤くさせる。七海は小声で、少し偉そうに

七海「か、確認した」

カイオ「事実婚ってことだよね？　結婚は本人たちの選択だし。まったく問題ないと思う。とにかく、おめでとう！」

「事実婚」という響きが、御影と七海の関係にリアリティを与えた。

美月「じゃ、このランチは披露宴だね！　七海、ほんとうにおめでとう！　一時はヒヤヒヤしたけどね」

夢咲「ご祝儀(しゅうぎ)とか、ケーキとかもないけど！　でもさ、ちゃんと親とか兄弟姉妹にも、お披露目すべきでしょ？」

七海「そうだね。嬉しい！」

　美月(みつき)がスケジュール帳を開く。

美月「週末を利用して、少しずつ進めよう。来週末、うち、矢入(やいり)家からでどうかな？　あと七海は、美香ちゃん連れてきてね」

カイオ「5歳の女の子を自宅に一人にしておくわけにはいかないからね」

夢咲「美香ちゃん、いざというとき、どこかの家で預かれる状態にしておくの、いい考えだね」

七海「なんだか、申し訳ない」

美月「いずれ、私らにも子どもができたりしてさ。お互いの子どもを預け、預けられってなるからさ。美香ちゃんは、そのきっかけだよ」

夢咲「美香ちゃん、文字通り天使」

カイオ「週末のスケジュールだけど、俺、午前中は部活あるから時間の調整だけよろしく」

御影「俺も、土曜の朝から午後2時までバイトある。そこ、外してもらいたい」

七海「蓮くん、なんのバイトしてるの？」

御影「塾の講師。月木19時から2時間、あと土曜の朝9時からお昼除いて4時間。時給5,000円で週8時間働いてるから、それで月額16万の計算」

夢咲「時給5,000円って、そんなバイトあんの？　っていうか、月額16万も稼いでんの？　それ、もうバイトのレベルじゃないよ。結婚とか、さすが、言うだけあんね。生活力、あるんだ」

美月「いや、その時給も、おかしいでしょ」

御影「難関高校受験の塾だから。そこで、英語と数学を教えてる」

七海「……」

御影「あと、模試の問題作成と解説の執筆も在宅でやってる。問題1つにつき4,000円。これが月額8〜10万くらい。だから、毎月合計で25万くらいは稼げる……はず」

カイオ「時間の融通がきいてよさそうだね。でも4,000円って、そんなにもらえる？」

御影「大学受験の難関模試だから。北高の授業中に作ってる」

七海「えっ、大学受験の模試？」

御影「数学と生物。塾の室長さんの紹介」

カイオ「高校1年にして、もう、大学受験の問題を作る側にいるのか。すごいな」

夢咲「なんで、そんなに稼ぐ必要があんの？　貧乏なん？」

御影「うちは、まあ裕福だよ。こうして東京で一人暮らしもさせてもらえてるし。バイトは自分の社会勉強のため」

美月「いやみかよ、オイ」

御影「でも今後は、七海のために、色々、考えたい。まず、七海には高機能の防犯ブザーを持たせる。これは絶対。あとは、スマホ買ってあげたい」

七海「だめ。そんな。よくない」

御影「妻のために、お金を使うのがいけないこと？　生活の支え合い、相互扶助だよ？　スマホでお互いの位置確認ができれば安全保障にもなる」

七海「……ちょっと、よく考えてみる。蓮くん、もう少し話し合おう。お母さんにも相談しないといけないし……いい？　蓮くん、スマホ、勝手に買ってこないでよ？」

夢咲「彼氏彼女だと、相手のためにスマホとかやりすぎだと思う。でも七海さ、結婚してるなら普通のことじゃない？」

カイオ「防犯ブザーだけは、待ったなし。賛成」

美月「とはいえ、高校1年生カップルが『結婚しました』『スマホ代も旦那が出してます』だと、普通はびっくりする。慣れないうちは『将来を約束し合ったカップル』として紹介しない？」

七海「嫌。結婚だもん」

御影「それ、俺たちの気持ちの問題だよね。別に、みんなにアピールする必要はない。事実婚は『将来を約束し合ったカップル』と言い換えても、嘘ではない」

七海「……わかった」

　ほっぺたを膨らませ、下を向く七海。わかってない。

夢咲「かわいい新妻」

蓮「……かわいい」（小声）

　七海の顔が、また真っ赤になる。

　美月が紙パックの麦茶を掲げ「では、結婚披露宴を始めます。乾杯！　おめでとー！！」

　紙パック、ペットボトル、ペットボトル、水筒のカップ、紙コップが軽く触れ合う。

　夢咲(ゆめか)が「おめでとー！」と声を伸ばし、カイオが「末長く！」と微笑む。御影は「よろしく」と短く言って、七海は「こちらこそです」と返す。

　ランチ披露宴。乾杯後に撮影した集合写真は、一生の宝物。

　空き教室の窓が、涼しげな風で小さく揺れた。

　いよいよ、秋が終わる。

　夢咲が、七海の肩に片腕を回す。美月は、来週末のお披露目会で必要になる「買い出しリスト」をLINEグループに投げる。

　教室に入る直前、七海は、後ろを振り返る。

　嫌なこともたくさんあった。けれど、それもすべて、この幸福につながっている。

　お互いの幸福を心の底から願うことができる人々に出会えた。

　チャイムが鳴る。5人は、新しい日常に戻って行く。