安眠の地となるか
「ふぁ……すっかり寒くなってきたね」
「アイシャちゃんを起こすのが大変な時期が来たって感じだよ」
ドワーフの集落から帰ってきたアイシャは、バラダーによる聴取を終えて帰宅したのち6日間の休暇を与えられていた。
魔族領に囲まれ、自領の中でも魔物の脅威にさらされ続けている人間族ではあるが、そのための戦闘集団でさえ揺り籠から墓場まであらゆる手続きを一手に引き受けるお役所ギルドの一部署という括りである以上、労働者の権利は守られている。
つまるところ代休である。
なにを呑気な、と言ってしまいたい制度ではあるが、こういった制度は母体である国家治安維持局が発足した当初からすでにあり、防衛の人的資源の全体が極端な疲弊によりその役目が麻痺するのを防ぐためとして、当たり前のように浸透している。
「6日耐久継続睡眠チャレンジをするつもりだったのに」
「そんなこと言って、私が部屋に入ったらすぐに目を覚ましたんだし、さすがにアイシャちゃんでも無理なんだよ」
休むことも仕事なんて言葉が使われるくらいには、身体的にも精神的にも休息は大事とされ、戦闘職である冒険者ギルド所属のサヤたちも商店や工房が定休日を設けるのと同じように、きちんと休みを取らされる決まりだ。
もちろんお昼寝士アイシャにとって寝ることはある意味で仕事とも言えるが、そんな通るはずもない屁理屈をこねてまで他の人より手厚い休暇制度を得ようなんて主張はしない。確実に違う角度からの反撃に見舞われるからである。
たとえば逆に寝ていない時間を不就労扱いするなどと言われればいくらお昼寝大好きアホの子でも生活に支障をきたしてしまうのは目に見えている。
だからこそ今回の件に限らず遠征明けの連休はありがたく頂戴し、たっぷりおやすみを満喫するのがアイシャの常だったのだが、連休初日から休みがかぶったサヤが遊びに来たことで“寝ずの番”が発報しアイシャが予定していた安眠惰眠は容易く打ち破られてしまった。
「んもぅー、せっかく久しぶりに添い寝しようかなって思ったのに」
「はは……」
アイシャの自己防衛機能である“寝ずの番”がなぜ親友の添い寝に警告を発したのかは当事者のみぞ知るところである。
「──へえ、じゃあ今度もまた遠くに……?」
「うん。雷鳥ってのを探さなきゃいけないんだけど、その情報をいま探ってくれてるんだよね。そのあいだに龍の炎ってのを手に入れなきゃなんだけど」
「龍なんてそんなのどこに……って、あ、ベルクヴェルク山脈の?」
「いや、あれはたぶん違う、かな」
魔剣の修理を即日で請け負ってはくれなかったわけだが、その代わりとなる条件を持ち帰ったのはアイシャたちだ。
しかも当人たちから話を聞けばその依頼はどうもアイシャに向けてなされたようだと、バラダーは解釈した。
あのドワーフたちが自らの性質や趣味嗜好なんてものとは違う理由でつくり上げる魔剣には、特別な炎と材料、それに作り手の技能と魔力が必要であり、それだけに同じものはふたつとないという話で、剣神の魔剣を作った鍛治職人がすでにこの世を去っているとなると修復は不可能に思えた。
「血縁関係にあるこの娘であればもしかしたら」
と言ったのはデカドワーフで、スピュールにそれなりの材料を提供出来るなら可能性が無くはないとして、主だった素材の入手をアイシャたち人間族の手ですることになっている。
「それでそれで、次は誰と行くか決まってるの?」
「うーん、まだかな。そもそも龍の炎ってのがどこにあるものかも分かってないんだから」
寝込みを襲おうとした親友のサヤを宥めるためにアイシャはまだ冷え込む朝の街の散歩へと連れ出し、数週間ぶりの故郷の様子を眺めている。
かつての崩壊した街並みはすっかりとなくなり、暖かみのあるレンガ模様が特徴的な見た目にも綺麗な家屋が立ち並んでおり、舗装された道は精霊術士たちの活躍もあって凹凸が極めて少なく、それでいて水捌けの良いつくりとなっている。
アイシャとサヤの家族が一緒に生活した仮設住宅も今はなく、帰ってきたアイシャが我が家を求めて案内されたどり着いたのは、しかし本人だけが知らされていない2家族が一緒に住む2階建ての家であった。
少し見ない間に様変わりした街を案内するサヤは楽しそうで、何気ない会話からでさえアイシャの次の仕事について根掘り葉掘り聞こうとする姿勢からなんともいえない執着を、アイシャは感じずにはいられなかった。
シャハルの街の復興に際して真っ先に建てられたギルドの建物には追加の工事がなされていた。
再興にあたり街の規模を広げ、仮設住宅の群れを外側から侵食するように家屋や工房、商店、倉庫などと建てて行くと、最後まで残った仮設住宅を片付けるだけ片付けたあとにはそれなりの土地が余ることになった。
山からの水を引く水路と花木を並べて囲む中心のギルドの周りの広場と呼ぶにしても広すぎる空き地には、ギルドの各部署の詰め所を含めた施設が建築された。
個人の工房や商店を持たないギルド員のために共用のスペースをいくつも入れて建てられた複合施設は、便利さを提供するがそれでも独立した専門の店よりもグレードは格段に下がる。
しかし、ある程度の品質のものをまとめて安く手に入れるのには最適であり、食料品や衣類、武器から文房具まで揃えれる施設は、ギルドのひと声で即座に徴収することさえ可能で、有事の際には活躍すること間違いなしで、そのために研鑽する職人たちも高いモチベーションを持って働いている。
冒険者ギルドは魔術士ギルドと併せて対人戦闘訓練施設とその設備を充実させて、ギルド員たちのさらなる能力向上を図り、そのための投資もギルド全体で行われている。
複合施設で働き始めたギルド員たちが絶えず作り改良も施していくのは、殺傷性の極めて低い安全性を担保する模擬戦用の武器防具であり、魔術士たちの訓練用に対魔術に特化した防具や木人形など多岐にわたる。
その中でも特に注力されているのは、食べるだけで消耗した魔力を回復する不思議な木の実だ。
これは先の防衛戦でアイシャがノームたちに与えた“魔力の実”である。精霊界の女王エルフィアが丹精込めて育てる魔力の実が内包する魔力は精霊界の土壌あってこそのもので、ノームたちが咀嚼し嚥下したのちに、可愛らしいお尻から産み落とされた種子を大事に保管していたエスプリがノームたちと相談しながらこの世界での生産をめざしている。
といった具合に、ちゃんと意味のある建物がギルドの元々の建物を取り囲むようにして増設され、シャハルは今後の人間族の街づくりにおけるモデルケースとなった。
ちなみにこの街を模範とした街づくりのなかでも共通して建てられた建物……というか小屋があり、その目的はいずれも反省用で内装も最低限の家具が置かれただけで、独房かと思わせる小屋は、概ね前向きに建設的に設計された建物群のなかで唯一ネガティブなものとして異彩を放つことになる。
だが、モデルケースとされたこの街のギルドでは正式な呼び名があったことは、この街に関わる者の中でも知る者はそう多くはない。
「──で、私たちを呼び出した理由を聞きたいんだけど」
窓があり、執務机があるだけの小屋は2階がないにも関わらず、その高い天井は中に入った者に開放感を与える。
専用の手洗いがあるのはせめてもの慈悲なのだろうか。上に広いだけの建物にどんな需要があるというのか、アイシャと並んで立つマイムはひと目見て「こんな場所が職場だったら嫌だ」と思った。
「んー、いや、嬢ちゃんたちに聞きたいことがあってだな……」
腰に手を当て不満をあらわにするアイシャの態度は、本来あるはずの連休の最終日にわざわざ友だちのマイムを使ってまで職場に呼び出されたからのことで、珍しく真っ当なものといえる。
しかもその場所が、会議室でもなく呼び出した当の本人である冒険者ギルド長の執務室ですらない、今の今までそんなところあったのかというような殺風景で薄暗い部屋であり、好奇心を寄せる周囲の好奇の目に晒され、また説教かなにかかと囁かれる状況にマイムとふたり。
アイシャ自身だけのことであれば流しても、友だちを巻き込む風評被害には毅然と否を突きつける。それがアイシャだ。
「少し前にグルウェルの洞窟の巡回と間引きに当たった連中から妙な報告を受けてよ」
「──」
「妙なってなによ。それが私たちに関係があるとでも?」
「まあまあ、話を最後まで聞け」
さっぱり話が見えないと言いたげなアイシャとは対照的に、マイムは押し黙ってベイルの話をただ聞くだけの姿勢になった。
「あそこには前にも岩大トカゲが出たり、珍しい岩トカゲが出たり──」
「シャハルの守り神の目撃談とかも?」
それは某花の精霊によるイタズラの結果であり、当時は冒険者ギルド長ではなかったベテラン職員ベイルの墓場まで持って行くつもりの話だ。
軽口が災いして頭に冗談のようなたんこぶを作ることになったアイシャが涙目になりながらも反抗しないのはそれがお約束だと理解しているからで、それもアイシャだ。
「──あれからもいくつか報告があがってきたりする洞窟のことだが、どれも取るに足らない程度のことだった。だが、今回は様子が違ってな。なんでも、洞窟の奥で炎が湧いているとかなんとか」
(洞窟の奥に炎ってまた……あっ、あれかあーっ)
そこまで聞かされてやっと隣のマイムがバツの悪そうな顔をする理由にアイシャは思い至った。
今年の夏に差し掛かる前、マイムのおねだりに応える形でアイシャは魔杖を作成しプレゼントしたのだが、その時のやらかしの結末をふたりは見届けないまま目を背け続けていたのを、いままさに眼前に突きつけられる格好となっているのだ。
「えと、その……その炎と私たちに何の繋がりが……?」
言葉にするのと同時に、その咄嗟の返答があながち悪くはないと気づく。
当時アイシャとマイムの共同作業が洞窟内部の一部をを火の海に変えたのは間違いのないことだが、それを目撃した第三者は存在しなかった。
それにあくまで魔力によって行使された魔術であるならば、そんな何ヶ月にもわたって燃え盛る炎を維持しているわけがない。
きっとこれは偶然の取り合わせで、原因の追及といった類のものではないのだと、アイシャはマイムの手を握って安心させる。
「そ、そう。あたしたちは何も知らないし役立てそうにもない。報告の真偽ならベテランを向かわせればいい」
少なくとも未知の空間、それも人間族の魔術士には使用に制限をかけもしている火の属性に関することであれば、まだ卵の殻をお尻にくっつけているような成人なりたてを遣わせるようなものでもないだろうと、先んじて回避するマイム。
だが、ベイルに連れてこられてから、この話を切り出されたとき、このふたりのそのときどきの挙動の変化には怪しさしかなく、ベイルは腕を組み片眉をあげて見下ろし確信するものがあった。
(胃がいてぇ……っ、報告がなにかの間違いだったらどんだけ良かったか……っ)
内心の動揺を押し殺すために威圧するような態度になってしまったベイルを見て、既にたんこぶを進呈されたアイシャはまたも暴力が振るわれるかと身構え、マイムは強気の表情の割に目を泳がせている。
「話のつづきは明日、またこの部屋で行う──」
「……ほっ」
マイムが進言するまでもなくベイルは既に調査員の派遣を終えているし、その報告をもとにふたりを呼び出してもいる。マイムたっての願いでアイシャも呼びつけたわけではあるが、そもそもベイルとて休日のアイシャを長時間拘束するつもりもない。
ベイルはこれ以上の込み入った話はまたにしようと、懸念事項で頭をいっぱいにしたままアイシャたちを残して部屋を出ようとし、ドアノブに手をかけたところで思い出したように振り返った。
「ああ、嬢ちゃんを今日呼んだのは──」
「この部屋はアイシャちゃんの部屋。だから他の人が入る前にアイシャちゃんを呼んだの」
「えっ、私の?」
「ふぅ……やれやれ。各ギルド用の建物を作るってなったときに、お昼寝ギルドも正式に認められた部署だから例外なく建てろって局長に言われてしまったからな。部屋の設計は俺と局長の意見を取り入れたものとなっている」
何もない、殺風景な建物。これからの時期などは底冷えしそうでもあり、換気にも事欠き、日当たりもほどほどにしかない建物。
しかしそれがアイシャの職場であり、好きにしていいのであれば。むしろ何もないからこそ、アイシャひとりの別宅のように好きにいじれる。
話を聞くだけで参加もしていなかったルミなどはすでに窓の外を確認し花壇はおろか“ルミちゃんキャッスル改”建築計画なるものを頭に描いている。
予算がないからこそ、箱だけはしっかりと造られているのは見ればわかる。それこそ多少暴れたところで崩れたりなどしない堅牢な建物はどんなカスタマイズにも耐えうるだろう。
「所属ギルド員の数に比例して予算も割り当てられていたからこんなもんだが、嬢ちゃんの専用ならこれでいいだろ?」
「その専用に、アイシャちゃんとはじめに入ったのはあたし」
「──それだけのために休みの嬢ちゃんを連れてきたってのか、まったく」
案内と鍵を渡すためにベイルは付き合い、ついでとばかりにグルウェルの洞窟に関する話に触れてみたという。
「そうだ。冒険者ギルドと魔術士ギルドは訓練用のの建物の名前を“闘魔練度館”にしようってなって、商人ギルドやらも何か名前をつけるらしいが、嬢ちゃんのここはどうする」
「私のための別館……だったらお昼寝し放題……つまり!」
アイシャたちと話を終えたベイルが握った拳をさすりながらなんとも言えない表情とため息のコンボでお役所ギルド本館を歩くのを見送った職員たちが、少ししてから頭に出来たふたつの冗談みたいなたんこぶをさすりながらぶつくさ文句を言うアイシャとマイムが通り過ぎるのを見て、アイシャが馴染みある「お昼寝館」と名付けた別館は「お仕置き部屋」として正式名称より広く知られることになった。




