舌が痺れるくらいで済むなら
目的の湖に近づくにつれ、アイシャは複数の人の気配を感じていた。
「だからって木の上を跳んでいく必要ある?」
「一応内緒で来てるわけだしね」
ルミとタロウくんを乗せてまるで猿のように木から木へと跳びうつるアイシャは、やがて魔物を相手にじりじりと後退していくパーティを見つけ、気づかれないように観察しだした。
「あれは……カエル?」
「黄色に茶色い斑模様は獲物を麻痺させて食べる魔物のはずだよ」
「ルミちゃん物知りだね」
「ママがそんなだから私が魔物図鑑に目を通してるんだよ……」
「それはどうも」
子鹿くらいならどうにかして丸呑みにしてしまえそうなほどはある大きさのカエルはやはり魔物らしく、この辺りを見回っていたであろう冒険者パーティが逃走を図るくらいには強いらしい。
「……って、ひいふぅみぃ……6体か。そりゃ逃げるのが正解だよね」
「どうするの? 助ける?」
「んー、見る限りそこまでピンチじゃなさそうなのよね」
木の上から俯瞰するように遠巻きに様子を見るアイシャ。どうも襲われているパーティは後退しているとはいえ、ただ尻尾を巻いて逃げているだけではなさそうである。
というのも、大きな盾と剣を構える男がカエルの攻撃を受けたり、いなしたりするのを、他のメンバーが何やら記録をつけながら支援したりしているようで、槍術士の女が連撃を見舞って怯んだカエルとの距離を離せば、彼らも一気に下がって全身鎧の男の様子を確認しながら湖があるのとは反対の街道に向けて移動する様子が伺えたからだ。
そのまま行けば街道に敷設された魔物除けの魔道具の範囲にたどり着いて無事に逃げおおせることが出来るだろう。つまり彼らがしているのはギルドでも掲示されていた魔物の調査であり、それはアイシャが見るに作戦通りに事が運んでいるようだった。
「ギルドで聞いた通り、戦力に余裕はないみたいだね」
「ママも気づいてると思うけど、向こうのほうなんて魔物の気配ばかりだよ」
「優秀な狩場ってことよね」
「まあ実力があれば確かにそうなるんだろうけど」
たとえ1匹1匹が脅威度の低い魔物だとしても、処理することを後回しにして放置され群れをなしていれば話は全く変わる。次から次へと襲いくる魔物を仕留めきれるだけの、見合う実力が無ければ危険極まりない魔物の溜まり場だ。
街を取り囲み、周辺の街道にも効果の高い魔物除けを敷き詰めているおかげで、クラスペダは街の外に戦力を割かず、有事に備える意味で実力のある者ほど魔族領とを隔てる門の守備に回す傾向にある。
かつて魔族領であるドワーフ族へ対応すべく整えられた街道が交わるクラスペダが行き交う行商人を中心に大きくなったところで、人口の割合の多くが非戦闘職でしかない。
外に向ける戦力は少ないままに、守るべき住民ばかりが増えたのがこの街だ。魔物除けこそが人々の平穏を守る信ずるべき盾であり、商人は街を栄えさせはしても剣にはならない。
ようやく魔物除けがあるところまで退避して街に戻り始めた彼らが持ち帰る情報をもとに、必要であれば近隣の街のギルドへと応援の要請が出される。
戦わなくても生きていけるのであれば、彼らとて危険に身を晒してまで働くことはない。ほどほどの魔物たちなら街道を通る他所の戦闘職が護衛任務やスキルポイント稼ぎで間引きしてくれると知っているならなおさらだ。
その剣に数えるなかに今回はアイシャが該当し、それだけにクラスペダのスタンスもあながち間違いではないとも言える。
「まあ、麻痺毒のあるカエル肉なんて食べないけどね」
スキルポイントを稼ぐよりはパジャマや布団などの快適グッズを作るための素材として魔物を仕留めるアイシャはその肉も食用にすることがある。
個人で食べる分には麻痺毒で痺れたとして変な扉を開いてしまわないかという懸念だけで済むが、気まぐれの屋台で商売をしたりもするのだから、食中毒を引き起こしたりして被害者を出したり、それを理由に屋台活動を制限されたりしてはたまったものではない。
カエルの肉の味とそういったリスクを天秤にかけて、アイシャは素直にギルドカードへと捧げることに決めた。
調査に訪れていた彼らが去っていくのを確認したアイシャは、獲物がいなくなって所在なさげにしていたカエルたちの目の前に降り立つとY字バランスの要領で脚を伸ばして準備運動をはじめた。
まんまと獲物に逃げられて呆けていたところに現れた食べやすそうな小柄な女の子を前に、カエルたちは一斉に体を起こし大きな喉を膨らませたり萎ませたりして時折鳴き声をあげながら魔物らしい赤い光を微かに帯びた瞳をせわしなく動かす。
威嚇しながら相手の様子を窺うカエルを前にのんびりと体の柔らかさを誇示するようなアイシャのストレッチだが、その実どの体勢からでも攻撃に転じることが出来る。むしろカエルの出方を待ち、即座に対応が出来るだけの戦いの勘を確かめるつもりだ。
右脚を後ろにあげて背中を反るアイシャのそれはもはやバレエのカンブレのようだが、敵と相対してするとなるとすでに視界は相手を捉えておらず、完全な舐めプであり、相手からすれば絶好のチャンスでしかない。
当然カエルたちもこの隙を逃すわけがないのだが、オユン戦で散々使ったアイシャの魔力視は目に映す視界の範囲を超えて、360度カメラのようにカエルたちの動きを感知していた。
それまでの鳴き声を止めて打ち出されたカエルの長く伸びる舌を、アイシャはその場でしていたストレッチを後方ブリッジに変えて蹴り上げた足で弾く。
滑らかにゆったりと振り上げられたように見えた蹴りはカエルの舌のひとつを迎撃したあと、続けて跳びかかってきた別のカエルを足刀蹴りで一撃のもとに仕留める。
この魔物たちに仲間意識はなく、決して仇討ちということもないだろうが、同族がやられたところで引き下がるということもない。
次々と襲いかかるカエルだったが、アイシャにとっては準備運動の一環でしかない。ルミが脳内に蓄えた魔物図鑑の情報でも脅威度でDの中程しかないのだから、たかだか6匹程度が束になってかかったところでアイシャの敵ではなかった。
「食べないとは言ってみたけどさ、やっぱり食べれないものなのかな」
「毒袋っていう部位を丁寧に取り除けば、身と皮に少し痺れる成分があるくらいらしいよ」
「雪人族は食べるんだ?」
「まあ私たちのとこにも生息してたからね。それでも食べてたのは普通の食べ物じゃ満足出来なくなった連中ばっかで、生死の境を彷徨うギリギリのあたりを度胸試しみたいにして競っていたみたい」
「──事故はなかったんだ?」
「毎年何人かくらいは」
「“捧げる”」
やっぱり美味しく食べれたりするのなら少しだけ、と考えていたアイシャだったが、指折り数えながら白目をむいて舌をだらんと垂らす行動でほのめかしたルミを見て、仕留めた魔物たちは全てスキルポイントに変えられた。
「まあ次はいよいよお楽しみの鳥よ」
「じゃあハーブの収穫でもしようかな」
「だとしたら香草焼きかなぁ……やば、お腹空いてきた」
まだまだ夕食までには時間があるものの、今日は目的の羽毛を満足のいくまで狩り尽くすまでは粘るつもりのアイシャはここでルミと食事をとりながら夜通しの狩りになる可能性も考慮している。そのために宿のベッドに自身を模したふくらみを偽装してきた。
ひとが寝ているところに、これ幸いと同じベッドに潜り込もうとするサヤやマイムがいないならそうそう暴かれない偽装だ。
といってもその中身は“呪い人形カーズくん”であり、掛け布団を剥がされればすぐにバレるため、あまり遅くならないうちには帰るつもりでもいる。
魔物の生息が見られる場所とあって、あまり手が加えられている気配のない湖の周辺はさっきのカエルやその色違いの個体も見られるが、まだ湖のほとりまでも少し距離があるここからでは目的のものらしい鳥の姿はそこにはない。
「向こうのほうにでも行けばいるかな?」
「夢中になってあまり遠くに行っちゃだめだからね。私はここで鳥肉がくるのを待ってるから」
「うん。ちょっと一周だけしてくる」
ストレージから取り出した鉢植えに水やりをはじめたルミはタロウくんをボディガードにして鳥肉を携えたアイシャの帰りを待つ気満々で送り出す。
弱体化したアイシャの万が一の切り札が早々にルミに奪われている形となったが、それに気づいていないアイシャと、分かっていて自分が動くのがめんどくさいルミの自分勝手な采配によりこのあたりの魔物は軒並みタロウくんのおやつとなって湖周辺の脅威を減らした。




