秘蔵の酒
「なんだかこんなふうにひとりで出てくるのってひさびさじゃない?」
「ママはそもそも基本が食っちゃ寝食っちゃ寝だからね」
「お昼寝神を目指すためとはいえ辛い日々だよね」
「ほんとよく言ったものよね」
来た道を戻り新街も抜けて外に出てきたアイシャはギルドで手に入れた情報をもとに目当ての魔物が生息する湖を目指している。
立ち入り禁止として封鎖しているだけあって、街道から外れた湖の周辺に人の気配は少ない。
「けどミラちゃんも置いてきて良かったの? ママってばまだ万全じゃないんでしょ?」
「うん。そうだけど、たまにはちゃんと動いていないと体も鈍るし、危険すぎたらルミちゃんが助けてくれるでしょ?」
「まあ、ね」
「もちろんタロウくんも」
アイシャの戦闘能力はアデルと出会う前が最高であり、破砕竜との戦闘の折に捧げて吸収した竜の卵から得た魔力により少しだけ復活した魔核のおかげでオユン本体を前にしてもマシな動きは出来ていた。
そして今回黒虎の魔物を間近で目撃したところで現時点の実力にあたりをつけたアイシャは実力試しのつもりで魔物を相手取るつもりである。もちろん1番は羽毛を求めてのことだが。
(あの虎の魔物なら“偽りの真実”を装備しなくても勝てる。もし鳥がそれ以上だったなら、装備して、技能を駆使しても勝てなかったら──)
その時は頼りになる仲間がここにいる。
元々魔族であるルミは戦闘には不向きな精霊になったものの、少々その手法に難があるとしてもサポートに関しては万能といって差し支えない。
それにいざという時にはと、アイシャの肩で主張を強めるタロウくんもその実力のほどを見たばかりだ。地上の魔物でタロウくんを凌駕するものなどそうそう現れはしないだろう。
「だから全然無謀でもなんでもないのよね」
「──柔らかそうな羽毛を持って生まれた魔物に同情するしかないわ」
たまに出会う魔物を行きがけの駄賃とばかりに仕留めるアイシャは、弱体化したいまでもその年齢の戦闘職としてかなり強い部類に入るだろう。あくまでも非戦闘職を自称してはばからないアイシャがその比較の舞台に立つことはないだろうが。
元気よく走りながら「モモ、かわ……ぼんじりもいいわね」とこれから見つけて仕留めようとする魔物を食用の部位で呟くアイシャの頭の上で、ルミは鳥たちの運命に思いを馳せてそっと手を合わせた。
アイシャたちと宿に荷物を置いたあと、マケリはギルドに戻って男子ズの様子を見に訓練所へと顔を出していた。
「シャハルの職員さん、ですよね?」
「はい。冒険者ギルドのマケリといいます」
「どうも、クラスペダの冒険者ギルド長のワッカです。失礼ですが、マケリさんといえばあの“韋駄天”の?」
「ええ、その韋駄天の、です」
シャハルの斥候部隊である“チーム韋駄天”はその任務上活動範囲も広く、別な意味でも現役であることが判明したばかりのスピードスターをはじめとした当時のメンバーの能力の高さは他所の街でも知られるものである。
その彼らにこそまだ及ばないものの、このワッカにも知られるほどにはマケリも能力は高い。
「いやー、いつかのギルド対抗戦で見かけたのですが、中々にいい走りをするものだと感心したものです」
「それは過分な評価を……」
「正当な評価ですよ。それに、彼らも」
ここのギルド長が歴戦の強者を彷彿とさせる男であれば、冒険者ギルド長もまた同様で、むしろ今でも現役なのではないかというほどに漲っている。
そんな彼はマケリが現れるよりも前からダンたちの様子を見ていたらしく、その表情を見るにどうやら良い結果を残せたらしい。
「剣士のふたりはまだ若く見えますが……」
「今年からギルド員として働きはじめたばかりですよ、3人とも」
「つまりは新成人、ですか」
「はい。弓のテオちゃんも、です」
「なるほど……ギルドカードでは一般的な上級剣士となっているらしいですが、何か特別なものでも?」
「いえいえ、3人とも至って平凡な子どもでした」
「むぅ、だとするとよほどいい環境か、絶え間ない努力によるものか、いずれにしろ彼らの剣士としての技量は中々のものですね」
「3人ともそうでもなかったはずなんですけどねえ」
本当ならせっかくの休息には酒でも飲んでいたいマケリがこうして再度ギルドに足を運んだのは、ダンたちの変化について確認するためである。
馬車で眠りこけてたマケリも、残された黒虎の魔物の死体を前にして少なくとも自分ひとりで3頭を相手にするのは厳しいと感じるくらいには、あの魔物たちは雑魚ではなかった。
それを経験の足りていないダンとルッツとテオだけで仕留めたというし、そのうちの2頭はテオ単独だとも聞いている。
それなのにワッカが評価するのはダンとルッツのふたりだけだ。
「テオちゃんはどうでしたか?」
「あの女子ですか。まあ狙いの付け方は悪くないが──いかんせん弓です。うちの連中も難なくさばいていましたよ」
「弓、では大したことないと」
「それは並の弓術士ならみなそうでしょう。そういえば国軍では魔導弓の普及が進んでいるらしいですから、一般にまで広まれば話は変わってくるでしょうが」
つまりは、模擬戦の中でテオは弓以外の武器を使わなかったということだ。
遠距離物理攻撃である弓は、しかしながら弓自体の性能を高める以上の戦力強化が難しいという実情がある。
エルフの指導を受けて並々ならない実力を手にしたフレッチャでさえ、魔導弓という最新型を扱うことは難しく、全力で引ける回数は片手の指で余るほどだ。
近接戦闘職であるダンたちが技能を発動すれば、システムの恩恵により体は最適な動きを強制され、肉体と魔力の続く限りは重ねて使うことで協力な魔物を力業で仕留めることが出来た。
しかし一度放てば干渉出来ない矢の威力は、魔力の扱いが苦手な人間族では弓の性能に頼るしかない。
それを高めたものが魔導弓であり、覆すほどの成果を出したのがフレッチャの魔弓である。魔道具の一種である魔導弓は訓練次第で誰でも使える可能性があるものの、魔弓は今のところ世界樹素材で作られた弓を持ちエルフの指導を受けたフレッチャの専売特許となっている。
どちらも持たないテオの弓は、彼女らよりも少なくとも戦闘経験が多いであろう先輩ギルド員により見切られ、ワッカが目を付けるような成果を出すには至らなかったというわけだ。
(もし例のムチで暴れていたなら見たくもあったけど、今回はそうじゃなくて良かったのかもね)
どうも今回の任務以前では平凡な新成人でしかなかったダンとルッツは、オユンに攫われたあとで平凡ではなくなったらしいことが他人の評価からも確認出来てしまった。
そのうえ弓術士のテオが妙なことをやらかしていたりすれば、何かしらの騒ぎになっていたかもしれない。そうなれば収拾をつけるのは上司たるマケリの仕事となり、おそらくそれは面倒なことこの上ないだろう。
(シャハルに帰ったらベイルに丸投げ出来るんだし、それまでは普通の弓術士でいてよね)
「さて、若者たちに負けてもいられない。どうですか、少し手合わせでも」
「……え、そんな、私程度では相手にも──」
「まあまあ……実は美味い酒を持っていてな、付き合ってくれればご馳走するのもやぶさかではないのですが」
「──」
なんだかんだで面倒見が良い割に責任は負いたくないお姉さんマケリは、せっかくだからと模擬戦を申し込んできた冒険者ギルド長ワッカに対してというより酒のために意地になり魔剣を使ったために、その性能を根掘り葉掘り聞かれた挙げ句に再戦を余儀なくされ、魔力枯渇によって酒も飲めずに日の出を迎えることとなった。




