こうべを垂れ、かしずく友かな
黒虎の話題に触れたからか、アイシャ一行の前に現れたのは黒虎の魔物であった。
元々が草食と肉食であれば肉食の獣が魔物化したもののほうが手強い。なにせ草花や果実などから取り込む魔力よりも、それらを食べて取り込んでいる動物の肉を喰らうほうがより多くの魔力を蓄積し、魔物化したのちも同様に蓄えを増やしていくからだ。
しかもラプシスが狩った黒虎は大きさが異常だったものの、それでも魔力を溜め込んだ魔物とはちがい、ただの獣でしかなかった。今なお全身に魔力を滾らせて前衛のダンたちを睨みつける黒虎の魔物はさらに強い。
「あれの肉も確保?」
「いや、せっかくのスキルポイントを腹に捨てることもない。彼らの糧にするのがいいだろう」
「魔物肉には興味ない、と」
「魔族ですらその味を褒めはしないらしいからな。食べるなら魔物化していない獣が美味しいらしい」
つまり獣の黒虎ですでに食べれないほどの味だったのだから魔物化してしまってはもはやゲテモノでしかないと決めつけているらしい。
「ん、でもラプ……ドロフォノスさんは戦わないってこと?」
「ああ。頼もしい彼らがいるからな」
「頼もしい、ねえ──」
思えばシャハルを出発してからずっとラプシスが先回りして魔物を仕留めてきたおかげで、彼らもまともな魔物との遭遇はこれが初めてとなる。
剣を手に構えるダンとルッツ。その少し後ろで弓に矢をつがえるのはテオで、彼らもやっと訪れた活躍の機会にずいぶんと顔を輝かせている。
「脅威度でならあの黒虎はCだろう。地上で出会う魔物のうち間違いなく強い部類だ」
「それならぼくも加勢してきますっ」
「いいや、君は馬車を守ることを考えておくといい」
幻術を繰り出そうと立ち上がりかけたミラの肩に手を置いてラプシスが制止すると、狙いを定めていた黒虎が動き出す。
静かににじり寄っていた黒虎が飛び出すとまずルッツが両手剣の横薙ぎで迎え打ったのを黒虎が猫科の魔物らしくひらりと跳んでかわし、着地したところをテオの放った矢が眉間を捉える。しかしながら魔力の通わない矢は硬い毛と皮に阻まれて突き立つことなく弾かれ黒虎は馬車に狙いを定めて大地を蹴る体勢をとる。
「“投影・塞ぎ”っ!」
「ナイスミラちゃんっ」
馬車を守るダンたちを飛び越えた黒虎に対して幻の壁を作り出したミラ。
着地の勢いを乗せて馬車に襲いかかるつもりだった黒虎は突如として現れた岩壁に怯んで急な静止を余儀なくされる。
「「“豪剣”っ!」」
あわや抜けられたと思い焦ったダンとルッツだったが、ミラの幻術により急停止し動けなくなった黒虎に対しタイミングを合わせて左右から挟みうちにする。
単純に剣の威力をあげられる剣士の技能“豪剣”は、ひと振りごとに発動が必要になる局所的な肉体強化の技能といえるが、ひとたび繰り出した斬撃に合わせて使うと狙い通りの軌跡を最速最大威力で振り抜く補正がかかる。
魔物討伐のための訓練で散々合わせてきたふたりの息はぴったりで、黒虎の胴体を上下から挟むようにしてお互いに斬撃の力を逃さず深い傷を負わせる。
「ガアアアアアアアウッ」
「いけるっ、もういっちょ“豪剣”やっ!」
「“豪剣”!」
力づくで。すでに一度使った技能により皮を裂き肉に食い込んだ剣は、技能のアシストでさらに強く深く斬り込みを入れて背骨を断ち臓腑を食い破るようにして、最後には黒虎の胴体を無理矢理に分断してしまった。
「よっしゃああああっ!」
「あーっ、腕パンパンだあっ」
黒虎を阻んだ幻影の壁は、うっすらと透過して彼らの勇姿をアイシャたちにも見せつけていた。
「──まだいる」
「だね」
一頭の魔物をどうにか仕留めてやり切ったといわんばかりのダンとルッツ。しかしラプシスの索敵にはほかに二頭の黒虎の魔物を捉えており、アイシャの魔力視も見落としてはいない。
物陰から一足飛びに現れた二頭の魔物に、技能の重ねがけによるものか、腕の痺れを訴えるダンとルッツによる迎撃は難しそうな局面で、ラプシスは動かない。
テオだけが弓で迎え撃ったが、気合いを込めた矢はやはり硬い毛並みに阻まれて地面へとおちるばかり。間一髪のところで黒虎の襲撃をかわすテオは、可愛い見た目もあって非常に庇護欲をそそるもので、そんなテオのことを危険を顧みずに助けたのはいまだに握力すら戻らないダンだ。
「無事け⁉︎」
「え、あ、うん……」
聖堂教育時代からの粗暴さの残るダンの問いかけに、庇われたテオはどこか嬉しそうである。対するダンのほうも内心で「こいつこんなに可愛かったか?」とはじめて見る友の反応に心が跳ねるような感覚を覚えてどきまぎしてしまう。
今まさに魔物と戦闘をしているにも関わらず、テオとダンのところだけが時が止まったかのようなスローモーションの展開。
見つめ合うふたり。そんなことに気を遣うわけもない魔物が踵を返してふたりを喰らおうと大口を開けたところにミラがやはり幻術で岩や大木を見せて動きを止める。
ダンとルッツとテオの三角関係の進展を予感したルミが鼻息荒くアイシャの髪の毛を掴んでかぶりつきの体勢で甘い恋のはじまりを見守るなか、ルッツが身を挺して黒虎の一頭に体当たりをし、幻術を挟む事で馬車側からの視線を遮ったミドリがアルスとともに編み出した技であるところの鉄山靠でもう一頭の黒虎を吹き飛ばす。
もはやふたりの恋路を邪魔する者はいない。
皆の安全を守り通してくれると期待していたドロフォノスが動かないことに焦ったミラは幻術を派手に失敗し、あたり一面に幻術になり損ねた魔力を拡散させてしまう。
それは図らずもダンたちを祝福するかのような色とりどりのまばゆい魔力光のエフェクトとなり、連鎖して元々作り出していた壁と岩と大木さえもが七色の光の粒となって空へと昇っていく。
とぅんく。
ダンの胸がときめきをおぼえる。
とぅんく。
テオの胸がときめきに踊る。
しかし幻術が拡散してしまえば、一般人のモブ的ポジションとして参加している素顔のミドリは活躍するわけにもいかず、鉄山靠を繰り出したあとの残心から崩れ落ちるようにして怯える一般人の演出へとモードを移行。
決死の特攻をかましたルッツに余力はなく、大した衝撃を受けたわけでもない黒虎の一頭はやはり元の獲物であるテオをロックオンしたまま飛びかかりの踏み込み。
場が散らかりすぎている状況でラプシスはやはり動かず、マケリは朝のジョギングの疲れと馬車の揺れのせいか荷台でいびきをかいている。
胸を高鳴らせるふたりの絶体絶命のピンチに、誰も手を出さない。
お互いに瞳の奥まで覗き見ようかというほどに見つめ合うダンとテオに、二頭の猛獣の牙が襲いかかる。
「女王様っ!」
「──っ! “跪きなさいっ”!」
「どわっ⁉︎」
十人十色の想いを胸に事の成り行きを見届けようという舞台に、こんな展開はどうしても許せない人物がひとり。
そう、オユンの世界で目覚めたばかりの女王様テオを見事覚醒に導いた、普段はクール美女、その実ちょっと困った嗜好の持ち主である歩く猥褻物ことマルシャンが、ふたりの進展を拒み叫んだ呼び名にテオが咄嗟の一手を放った。
果たして朝の宿屋の一室で調教されたのはマルシャンかテオか。
女王様を支え続けた参謀マルシャンにより、まやかしのロマンスから目覚めたテオが行使した技能は、言霊というよりほかない効果を発揮し、黒虎たちはおろかそばにいたダンもルッツも巻き込んで女王様を見上げる足元に這いつくばらせた。




