ロマンスは銀の輝き
頭に霞がかかったようなもやもや感はアイシャからしてみれば眠気か寝不足か怠慢由来のもので、たとえ夢の中限定で介入された、魂むき出しのトンデモ世界でこの世の真理ともいえるその一端を知るという体験をすっかり忘れていたところで深く気にしたりはしない。
むしろ一切を見聞きしなかったことにしたいという、アイシャのいつも通りのスタンスであれば、気にするわけがないのだ。
とはいえ、どうにも拭えない違和感だけはある。
前日の、宿泊の際にはテオの扱いに気を遣ったアイシャが今朝のことはさておいても、本来の目的であるドワーフの集落を目指して進むいま現在において、ダンもルッツもが何の遠慮もなくテオを受け入れていることだ。
それはなにも男子ズだけのことではない。ミラもミドリも特別なにを思うでもなく、テオくんがテオちゃんであることを受け入れている。
韋駄天リーダーに言われてパーティに加わったマケリも同行しているわけだが、彼らの先輩で上司にも当たるはずの彼女でさえ、馬車の護衛をするテオたちにいつも通りの対応をする様子しか見られない。
肉体の性別が、ある日突然反転したという事実は確実にそこにあるはずなのに、触れられないし、触れないように努めるわけでもない。
まるで自然なものとして、受け入れられているかのよう。魔術なんてのもあれば、精霊なんてのも魔族なんてのもいる世界で、そうと言われればそうなのかも知れないが、あまりにも自然体がすぎることがアイシャには普通に思えないのだ。
「驚きだな。まさか本当にそんなことを成し得る者が存在するとは」
「ほんとその通り……え、ラプシスさん?」
「ラプシスではない、ドロフォノスだ」
「いや、あ、はい」
好奇心に負けてオユンの誘いにノリノリで乗っかった末に、パーティ丸ごとトラブルに見舞われ進捗を大幅に遅らせてしまっているその原因のラプシスが、ひとり黙って考えごとにふけるアイシャの隣に降り立つ。
実績としては完全にやらかしたものでしかない今回の件ではあったが、斥候が本職ともいえるマケリが加入したところでこのパーティ屈指の実力者のドロフォノスが頑なにその役目を譲らなかったせいで誰の反論もなく再びの斥候役を勤めていた。
対するマケリも韋駄天リーダーの思惑が、アイシャをはじめとしたこのパーティで何が起こり、結果としてどうなったのかを見極めるための采配であることから、アイシャが操る馬車を中心に全体を観察できるのが都合がいいとして馬車の荷台で揺られている。
そうして斥候役をもぎ取ったはずのドロフォノスであるところのラプシスが、なぜパーティのど真ん中であるアイシャの隣に降り立ったのか。
アイシャを挟んで御者台の反対側に座るミラも可愛く首を傾けて黒装束のドロフォノスを見上げるばかりだ。
「どうやら誰も覚えていないようだが、拙者はこれでなかなか記憶力に自信があってな」
つまり、私は覚えているぞ、と。
「目が覚めてしばらくは──起き上がることさえままならなかった。夢にしては薄れない記憶に、それが現実に起こったことだという可能性に至って、彼らの様子を見て確信に変わった」
「どんな夢だったの?」
「超常の存在だった。お主は、あんなものと通じていたのだと、知ってしまう夢だった」
それはアイシャにとって不都合極まることである。
実際にその実力の一端がバレているであろうミドリも、内心気づいてはいても合わせてくれているベイルでさえ、知っているのはアイシャ個人が隠す秘密のごく一部でしかない。
ただの亜神ならばともかく、そうではない、或いはそれよりも異質な存在との繋がりについて知られたのは、精霊界に迷い込んだときのエスプリくらいだろう。
そのエスプリは精霊を借りてチカラにする職業であり、精霊を大切な仲間として授かった立場もあり、知ってしまったコトの重大さに耐えられなくなって記憶を消してもらっている。
すっかりと餅つきと傲慢の夢を忘れて目覚めることができたアイシャも、ラプシスの口ぶりからして実力以外の何かを知られたと、今朝からある違和感を説明出来てしまう何かを、ラプシスに知られたのだと勘づいた。
「とはいえ、拙者が知ることが出来たのは、魂の存在と、此度の変異をその者が定着させたことくらいか。テオを処置したあとは、追い払われてしまったからな」
「んー、全然覚えてないんだよねぇ」
「なるほど、向こうはずいぶんと親しげにしていたが、お主がいまひとつ距離を置いていたように見えたのは気のせいではなかったか」
夢の中にまで現れて何度となく出会い語らったとしても、その相手は目覚めるたびに忘れてしまうのであれば──。
「それはなんという、悲しい恋だろうか」
「ふえ?」
今回に限ってアイシャの記憶に全く残っていないのは、無意識下での行動のコントロールとまではいかないものの、素直に使命を与えたところで拒絶するであろうアイシャにどうにかお手伝いをして欲しいがためにちょこちょこっと記憶を改ざんしたからである。
ちなみにその記憶というか魂での会合とでもいうべき夢の中の出来事については、形を変えていまはアイシャの指にはまって銀色の輝きを放っている。切り離して、それでも身につけてはいるあたり、その気になればいつでも戻せる算段なのだろうか。
控えめに輝くシルバーリングは見ようによっては異性からの贈り物の装飾品であり、アイシャと影の人物の関係性に感想を漏らしたラプシスの、状況をおかしく想像した片想いの物語という妄想もあながち大外れというわけでもないのかも知れない。
そんな妄想ではあったか、アイシャにとってはただの意味不明な発言であり、男であることを装うラプシスの人物像がさらにおかしなことになるだけだ。
「魂というものについては、誰も証明出来たことはないし、信じるのも信じないのも自由で、拙者は信じない側であったが、あの夢で──魂の世界で拙者は知ることになった」
「魂の、世界」
噂や御伽話程度にしか伝わらないスライムというものがそれであるといった話さえ、いまのアイシャは知らないことになっている。
だからこそ、もちろんそのあとの話も、アイシャは知らない。
「魔王の乱造。魂の世界で、その人物がそう表現した話の詳細を聞きたかったが、お主が覚えていないのでは致し方ない」
「んー、やっぱり思い出せないっ!」
「……シャハルでは流通していない“フワリ草”の種子から集めた極上の綿布を差し出すといっても思い出せないか?」
「なにそれっ、布団作りが捗りそうっ」
「思い出せるか?」
「ぐぬぬ……欲しい、欲しいけどやっぱり思い出せない……」
「──そうか」
このアホの子の睡眠に対する執着を理解しだしたラプシスの誘惑はアイシャにとってとても魅力的であった。
アイシャ自ら赴けばどうにか手に入れられる素材も、冒険者ギルドの一員である以上は、流通から外れていては手にする機会も限られる。
国の西端に位置するシャハルとは遠く東端の一部で栽培される植物由来の生地は上等で、主に王城向けの寝具その他に卸される王室御用達のひとつであり、生産量も必要十分に留められているようなもの。
御用達としてのブランド化から生産規模の拡大も検討されはしたものの、適した土地が他にないことから高級志向とは無縁のシャハルにまで届くことはない。
「ちなみにその“フワリ草”って種とか手に入らないの?」
「中央であればいくらか流通しているはずだ。なんでも油で炒めて塩をまぶした“つまみ”があるとか」
「今度フレッチャちゃんに手紙でも書こう」
「──そういえば黒虎の肉はまだ余っているか?」
国軍入りを果たして王都に住まうフレッチャならば、アイシャの頼みに応えてくれることだろう。
都合の良い時だけそうして手紙を書くつもりだろうかと訝しむラプシスの視線など気にしないアイシャを見て、ふと思い出したようにラプシスは問いかけた。
「そりゃもう……デカいだけで筋ばってて硬いし、臭みも取れないんだから余りまくりよ」
「そうか、それは大事に取っててくれると助かる」
「?」
取ってきた本人がひと口で食べるのをやめたほどにマズい肉に需要があるのだろうか。小首をかしげるアイシャも別に断る理由もないため、素直に応じる。
「明日には“クラスペダ”に到着するだろう。そうすればドワーフの集落まであと少しだ」
「そうなんだね。じゃあ──」
元の話から脱線したまま切り上げる流れになったとアイシャが安心したのも束の間、そのあともしばらく残って夢の話について引き出そうとするラプシスの会話はテオたちと魔物との遭遇戦が始まるまで続いた。




