【番外編】ラプシスの異世界格闘
男子ズを助けたあと、ラプシスはミドリたちに後始末を任せてその場を離れたが、決して遊んでいたわけではない。
アイシャたちもが落とされたカルデラの内側にいても、取り合いになってしまうのが関の山と見たラプシスは、即座に山を越えて外へと出て行くことにした。
(もちろんこの場合なにの取り合いなのかっていえば、獲物のということになりますが)
アイシャや男子ズたちなどはその競合にはならないだろうが、娘のミドリがいるのであれば、少なからず楽しみが減るだろうことは想像に難くない。
だからこそ、まだ誰も状況の理解が及んでいない今のうちにと、自身さえもが先の見えない中で駆け出すことに躊躇はなかった。
そうして山を越えた先で見つけやってきたのは古びた遺跡群である。石造りの街並みはかつて人が住んでいたのだろうかと思わせる反面、普通の街として機能してはいないだろう構造に大いに好奇心を刺激された。
(まともな出入り口のないここは、巨大な迷路かもしくは──)
そう、街は地面を掘って削って造られたかのように周りのどこよりも低い位置にありながら、高い外周の上へと上がれるような階段ひとつ見当たらないもので、さらには家屋に見えるそれらには扉も窓とおぼしきところのいずれも頑丈な鉄格子が嵌め込まれていたのだ。
(牢獄。ジュモーグスにも罪を犯したものや紛れ込んだ魔族を捕らえた際に拘置する施設はあるけれど、まさにここはそればかりが集まったベッドタウン。一体どういう役割があったのか……もし想像通りの施設であるなら、ここに入るのは私かしら?)
そう、ラプシスはここにたどり着くまでに何体かのオユンをその手にかけている。それだけに他の誰よりも早く肉体と魂への変化を自覚していた。
もっといえば、股間に生えたいちもつをその右手で掴んで確かめたあとである。
「これが刑罰というのであれば──いえ、まだまだ不十分としか言えませんね」
すでに、ラプシスはギルドカードの記載の変化も見ている。そしてそれがオユンを仕留めるたびに変化を選択できることに気づいたのはラプシスだけだった。
ガチャでリセマラするかのように変えることが出来るシステムを理解して、意に沿ったものになることを求めてさらに試行を重ねて、今はいくらか満足のいくものになっている。
満足するというのであればそれは刑罰というより褒章と言うべきものだろう。ラプシスが施設群のある一段下へと壁に手をかけ慎重に降りれば、固く閉ざされていたであろう鉄格子たちが一斉に開くのが目と耳でわかった。
「どうやら歓迎の宴を開いてくださるようで恐縮ですね。では私の獲物はこの──」
ラプシスは暗殺士や他の職業を経て裁縫士などという非戦闘職についたかと思えば固有の“裁縫戦士”という職業に至って針と糸さえも武器にし、元々の適正職である暗殺士の技能もフルに使うべく多くの武器を持ち運びするために“アイテムボックス”の技能も習得している。
まるで腕に暗器を仕込んでますと言いたげな口の広い袖口こそがアイテムボックスの出し入れ口となっており、それ自体が裁縫戦士である彼女自身が作ったオリジナルの服で、戦闘時にはここからノータイムで次から次へと武器を取り出して戦う。
手首を袖に入れればすぐさま武器を取り出せるのだ。物を収納するだけの便利技能をそうして扱うのはいまのところ彼女だけだが、決して公にすることなく秘密にしている。
いずれは後継者である娘のミドリにだけは種明かししてみてもいいくらいには考えているこの工夫は、どんな強力な武器よりも、様々な場面で役立つ切り札たるものだ。
届きこそしなかったものの、アデルの不意をつくことができたカウンター技“暗器繚乱”もこの工夫が要となっている。それでなくとも、無手と思わせておきながら一瞬でその手に大小多種多様な武器を出すことが出来たなら、実力で敵わない強敵を相手にも一矢報いることも出来るだろう。
そんな奥の手は秘密のなかの秘密でなければならない。
ただ、今は隠すべき誰もがそばにはいないのだからと、もったいぶるように緩慢な動きで彼女が取り出したのは刃先が広く湾曲した青龍刀である。
普段なら片手で扱う青龍刀を両手に持ち、構えた彼女の前に現れたのは1匹の犬。
しかしながらその犬は牙を剥いた凶悪な形相をしており、首から下はひとの形を取り込んだような二足歩行で硬そうな毛並みと隆々とした筋肉が油断ならないモノだと訴えている。
「犬アタマ……またの名をコボルト、でしたか。小鬼よりは大きく、ベイルよりは小さい。二足歩行をしても口は利けず、ひとに近い手は道具を扱えるけれど最大の武器はその牙と爪、でしたか」
知識としてはあるものの、実際に相手取るのは初めてとなる敵。となればラプシスにとって相手が強かろうが弱かろうが関係ない。
「いえ、オユンが引き込んで閉じ込めることが出来る者たちであるなら、その能力は期待すべきではないでしょう」
そのイタズラ妖精オユンたちに拐かされたのがラプシスたちではあるが、それについては自らお呼ばれしたというのが本当のところだ。男子ズが先頭に立ついかにも経験不足で力不足な一行の様子を幾度となく観察していたオユンを見つけて、ラプシスはその首根っこを捕まえた状態で“誠実に”話し合いをした。
その過程で、オユンが白状する思惑をどうにも信じきれないラプシスが挑発したことでオユンはそのチカラの一端を見せることにし、けしかけたのが巨大な黒虎であった。
アイシャのストレージとは似て非なる異空間と繋がる穴から出てきた黒虎を操り、オユンは謎の覆面ドロフォノスを仕留めるつもりであったが、その結果は呆気ないものであった。
ラプシスにとってデカいだけの獣などは敵にもならない。ダンたちでさえ10人ほどで囲んで技能を駆使すればどうにか勝つことも出来るだろう。
オユンの切り札のひとつとも言える武力もラプシスには珍しい肉でしかなかったが、無理矢理取ったコミュニケーションと異空間から現れた獣により裏づけされた事実は魅力的であった。
「言葉の通じない妖精の不思議なチカラがどんな体験をさせてくれるのかと期待して来ましたが──」
出てきたのは黒虎よりも貧弱そうな半人半獣の群れ。オユンがイタズラの一貫で用意したフィールドのひとつでしかないが、オユンの世界では珍しいオユン以外の存在である。
アイシャのような極端な例外はあれど、この世界でも体の大きさは強さに寄与する。とりわけ筋肉量は運動能力に直結し、そこに魔力量や質といった係数が乗って総合的な強さになるが、ラプシスから見てもコボルトたちの魔力量は大したことない。
もっとも、魂だけの世界において、それらはアイシャたちの生きる世界を模倣しただけのものだし、なんならコボルトたちももちろんその中身はオユンである。
本来のラプシスであればひと太刀でまとめて斬り裂き、蹴り上げれば首は胴体とおさらばして、掴みあげれば容易く骨という骨を砕いてしまうだろう。
相対して、まだお互いに一歩を踏み出しもしないうちにそこまで見抜いて、ラプシスは興奮を抑えられなかった。
「いまの私の適性は非戦闘職の“選別人”。オユンのイタズラによって変えられたギルドカードはまるで幼子かと見紛うほどの弱体化を果たしていますが──」
積み上げてきたものが失われたギルドカード。アイシャが偽装するのとは違いこちらは実際に弱くなっている。
「おかげで楽しめそうですね」
自分が弱くなれば相対的に相手が強くなる。それは元の世界では決して出来ない体験。それに出会ったことのない敵。見たことのない場所。
ラプシスは弱くなった体には不釣り合いな武器を振り回してはよろけて、喉元を噛みちぎられそうになりながらも返す刀で命を拾い、建物から出てくる敵の数に圧倒されながらもどうにか生き延びて返り血の雨で顔を洗った。
「そういえばドロフォノスさんは結局どこにいたのですか?」
「本当に……ずっと行方知れずで心配しましたよ」
ドワーフの集落へと向かう道すがら。マルシャンたちが思い出したとばかりに問いかける。
アイシャなどはこのラプシスを心配したりせず、ミドリと同じく何かろくでもないことでもしていたのだろうとしか考えてない。
かといってマルシャンのように胸を撫で下ろしながら本気の心配をされてもラプシスは何を感じるわけでもない。そんなことどうでもよいくらいの収穫があったからだ。
「同じ地平であがくばかりが能じゃない。なに、拙者は拙者なりにオユンの世界を解明しようとしていたのだ」
「ふうん。まあいいか」
一連の騒動を終えて帰ってきたアイシャたちにドロフォノスが何をしていたのかなど問い詰めるような考えはない。
まだこれからドワーフたちとの交渉が控えているのだ。だがまったく構ってもらえないと面白くないというのもラプシスの本音である。
「女、女、女、男、男、男……」
「なに?」
「ふっ、拙者の新たな技能でな」
この世界には固有技能や固有適性などがあり、それらは誰でも手に入れられるものではない。ラプシスの裁縫戦士も複合職であり固有職と言ってもいいくらいのものだが、それでもどうにかしてレアなものを手にしてみたかった。
さらにいえば有用なものであれば文句もない。そうしてラプシスがオユンガチャを繰り返して「これは」と思い手にしてから持ち帰り、オユンたちの餅つきにも屈することなく手離さずにいた、レアで有用な技能の代表、と信じて疑わないそれは──。
「“鑑定”という技能を知っているだろう。それ自体が少ない適性者と国の許可を必要とすることから持つものが多くないのだが、拙者が手に入れたものはひと味ちがう」
アイシャたちを指差して言い当てたものがある。すでにもとに戻っているために見た目がどうこうではなく既知のものでしかないが、それでもラプシスはその結果に満足している。これはやはり特別なものだと。
「“ひよこ鑑定士”……こんな職業は聞いたことがないが、おそらくは普通の鑑定士よりも特別なもののはず。きっと上級職には“不死鳥鑑定士”とでもいうべきユニーク職があることだろう。ふふ、今から楽しみで仕方がない」
腕を組んで讃えよとばかりにアピールするドロフォノス。
そんな職業が存在しない世界で、どれほどに価値があるのか分からないアイシャはリアクションに困ったが、影の人物も手を加える魂の餅つきでも頑なに消えることなく「これがそんなに欲しいのか」と呆れた程度のものだ。
当然ながら、その後のラプシスの研鑽にも関わらずひよこ鑑定士に新たな技能が追加されることはなかったし、オスメスの判別以外にできたことなどひとつもなかった。




